今回は、江戸時代初期に活躍した陶芸家、酒井田柿右衛門と、柿右衛門が考案した赤絵と呼ばれる陶磁器について、わかりやすく丁寧に解説していくよ!
酒井田柿右衛門ってどんな人?
酒井田柿右衛門は、江戸時代初期に活躍した陶芸家です。
教科書に載るほど有名になるなんて、いったい酒井田柿右衛門はどんなことをやったの?
当然、歴史に名を残した陶芸家なので、ただの陶芸家じゃありません。
酒井田柿右衛門は、赤絵と呼ばれる新しいデザインの陶磁器を発案し、しかも日本のみならず、世界的にも高い評価を得ることに成功しました。
陶器と磁器
本題に入る前に、少しだけ陶磁器についての補足をしておきます。
陶磁器には種類があって、大きく陶器と磁器の2種類があります。
陶器と磁器、何が違うかというと、わかりやすいイメージは、
陶器は湯呑み
磁器はティーカップ
です。
陶器
陶器は、土っぽい色でボコボコした厚みのある器のこと。
一番わかりやすいイメージは、日本茶の湯呑みです。
磁器
磁器は、白い下地に模様を描いた、光沢のある薄い器です。
イメージは、紅茶やコーヒーを注ぐティーカップです。
陶器と磁器は、作り方は似ていますが、材料の成分の違いによって両者には見た目や機能に大きな違いがあります。
例えば、陶器は熱が伝わりにくいので、器をそのまま手で持つことができます。(だから湯呑みには取手がありません。)
一方の、磁器は熱が伝わりやすいため、ティーカップには取手が必要です。
参考URL:大人の焼き物
参考URL:土岐市HP
そして、酒井田柿右衛門が得意としたのは、磁器の方でした。
磁器の歴史
磁器が伝わったのは、戦国時代の末期、豊臣秀吉による朝鮮出兵(文禄・慶長の役)がきっかけでした。
諸大名が朝鮮から兵を引き上げる際、朝鮮の陶工たちを日本に連れてきたのが始まりです。
※陶工:陶磁器を作る職人のこと。
朝鮮出兵の拠点が九州だったこともあり、連れてこられた陶工たちは、九州や中国地方に土着するようになりました。
そして九州・中国地方の職人たちは、朝鮮からやってきた陶工から磁器の製作技術を学び、日本オリジナルの陶磁器を次々と産み出していきます。
酒井田柿右衛門が活躍したのは、鍋島氏が率いる肥前藩(今の佐賀県)。つまり、有田焼が有名だった場所です。
酒井田柿右衛門と有田焼
有田焼が生まれたきっかけは、陶工だった李参平という人物が、1610年頃、今の佐賀県有田町あたりで良質な土を発見したことから始まります。
発見された土は、磁器を造るのに適した成分を含んでおり、焼くと綺麗な白色に仕上がる磁器にうってつけの土だったのです。
この土の特徴を活かして、綺麗な白色の下地に模様を付けた磁器が、有田焼です。
1596年、酒井田柿右衛門は肥前国に生まれました。時代は、江戸幕府が開かれる前の戦乱の時代でした。
酒井田氏はもともと筑後国(今の福岡県南部)の出身で、大友氏に仕えていました。
・・・が、1582年、肥前国を収めていた龍造寺氏との戦いに敗北。一族の多くが戦死し、生き残った者は人質として肥前国に送りまれました。
その酒井田一族の一人として生まれたのが、酒井田柿右衛門です。
そんな酒井田柿右衛門の生涯に転機が訪れたのは、1626年の頃でした。
豊臣秀吉にも認められるほどの陶芸家だった高原五郎七という人物が、酒井田家にやってきて様々な技術を伝授してくれたのです。
当時、酒井田家がどんな仕事をしていたのかはわかりません。(調べきることができませんでした・・・)
ただ、人質だった過去や陶芸家とのつながりがあったことを考えると、雑多なものづくりに携わる仕事をして生活していたのではないか・・・と個人的に思っています。
酒井田柿右衛門、赤絵を発明する
有田焼は、白い下地に青色の顔料で表面に絵柄を描くのが主流でした。
※顔料:色の原料となる粉のこと。
その有田焼に赤や緑などの顔料を追加することで、絵柄に多様なデザインを用いることを可能にしたのが赤絵の技法です。
陶磁器は粘土を高温に熱して製作する関係上、ただ顔料を塗ればOKというわけにはいきません。顔料には、高温になっても色が変化しないものを選ぶ必要があるからです。
※例えば、加熱前は赤色でも、加熱によって黒くなってしまうような顔料では使い物にならないということです。
酒井田柿右衛門は、磁器の絵柄に青以外の色を使おうと考え、さまざまな実験を繰り返します。そして、赤を中心に豊かな色彩を表現できる技法を発見しました。
当時は、磁器の顔料といえば、コバルトを含んだ青い顔料しかなかったんだ。
他の色の顔料は使われていない・・・というか、どんな顔料を使えば良いかすらよくわかっていなかったんだ。
酒井田柿右衛門は、そんな青一色の世界に、豊かな彩を加えようとしたんだね。
ちなみに、この技法が赤絵と呼ばれるのは、酒井田柿右衛門が作品を作る上で赤を基調にしたためです。
赤絵の作り方はこんな感じです↓↓
- STEP1形を整えた粘土を一度焼いて、白色の磁器にする。
- STEP2その磁器に、赤・青・緑などの顔料で絵柄を描く
一度焼いた状態から絵柄を描く技法のことを上絵付と言います。
上絵付は2度目の焼きは低温でOKなので、使える顔料の幅が広がります。
もぐたろうこの上絵付のメリットを利用して編み出されたのが赤絵ってことだね!
※一方、STEP1の段階で絵柄を描く技法を下絵付と言います。こちらは一度の焼きで完成できますが、高温に耐えれる顔料(青色はOK!)を使う必要があります。
- STEP3再び焼き上げて顔料を陶器にくっつける
- STEP4完成!
※解説動画があったので、参考リンクを載せておきます。
参考URL:YouTube「初心者用 陶芸絵付けの種類(下絵・上絵)の解説【初級・陶芸解説125】」
1643年、技法を確立させた柿右衛門は、本格的な赤絵の制作を開始。
完成した赤絵を外国人が多くいる長崎で販売したところ、これがヨーロッパを中心に大ヒット。酒井田柿右衛門は、一躍、世界的な有名人となりました。
その後も柿右衛門は試行錯誤を続け、赤だけではなく金銀の着色にも成功。磁器のデザイン力をさらに高めました。
そして、1666年に酒井田柿右衛門は亡くなります。享年71歳でした。
酒井田柿右衛門の編み出した磁器のデザイン手法は後世に受け継がれ、現代まで伝わることとなりました。
代表作「色絵花鳥紋深鉢」
初代酒井田柿右衛門の代表作として知られているのが「色絵花鳥紋深鉢」です。
1680年頃に製作されました。
正面に変わった形の岩(奇岩)が描かれ、その上に2羽の鳥が羽を休めています。鳥の両脇には牡丹と菊が描かれています。
この構図は中国の磁器を手本としていると言われていますが、日本風の繊細なタッチで仕上げることで酒井田柿右衛門らしい優美な作品に仕上がっています。
酒井田柿右衛門の作品は、先ほど紹介したようにその多くがヨーロッパへの輸出用として造られたため、国内にはほとんど残されていません。
・・・が、赤絵そのものは現代まで受け継がれています。この記事を読んでいただいている人の中にも、カラフルでお洒落な磁器を使ったり見たりしたことがある人が多いのではないでしょうか。
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