簡単にわかりやすく!仏教が日本に伝来するまでの歴史【仏教の始まりから仏教伝来まで】

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【大乗仏教を大成した龍樹(真ん中の人)】

 

今回は、日本に仏教が伝来するまでの仏教の歴史(平安時代前期ぐらいまで)について紹介します。

 

仏教の歴史を知ると、仏教の様々な教えを体系的に整理できるので、興味のある方はぜひ仏教の歴史を確認してみてはいかがでしょうか。

 

 

仏教の歴史は、経典の歴史と一緒に見て行くととてもわかりやすいです。というか仏教の歴史=経典の歴史と言っても良いかもしれません。この記事では経典の話もしながら仏教の歴史について紹介してみようと思います。

 

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仏教の歴史の始まり

仏教は紀元前500年ごろ(諸説あり)、インド地方に生まれたブッダという人物の教えから始まりました。

 

ブッダは漢字で書くと仏陀。そして「仏陀の教え」を略すると仏教になるわけですね。

 

 

ブッダの教えとは、「この世は苦痛に満ちている。だけど、この苦しみから解放される方法発見したったww」っていうもの。

 

ブッダの生きていた当時は、バラモン教という教えが広く信仰されていました。バラモン教は、生まれながらにその身分がガッチガチに決められたカースト制度。低い身分に生まれた者は、どう足掻こうとその定めからは抜け出せません。

 

ブッダはいわゆる貴族階級でしたが、閉塞したバラモン教のカースト制度に疑問を持ち、バラモン教の教えを否定。自らの教えを広く流布しました。低い身分の人々にとって、仏教には救いがありました。「こんな私でも、ブッダ様の教えを実践すれば、この困苦から抜け出せる。カースト制度で定められた運命にも打ち勝てるのではないか?」と。

 

また、カースト制度の最高階級は神官(バラモン)でしたが、これも貴族階級の人々にとっての不満になりました。

 

 

そんな人々の不満の捌け口的な役割も担いつつ、仏教は人々の間で広がっていきます。

 

 

仏教の歴史上、ブッダが亡くなった当時の仏教は原始仏教と呼ばれています。

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仏教の広まり

仏教の教えは、その後アジア各地に広まります。

 

ブッダは、弟子たちに口頭で教えを説きましたが、書として自らの教えを残しませんでした。

 

そのため、ブッダの教えは弟子を通して各地に広がっていったわけですが、口頭伝承となると当然ながら、時間が経つにつれ伝えられるブッダの教えの内容に齟齬が生じます。

 

それを防ぐため、ブッタの教えを継ぐ者達は定期的に集会を開き、ブッダの教えを再確認し、それを書物として残すことにしました。

 

こうして作られた有名な初期の経典が「阿含(あごん)経」という経典。ちょっと幅はありますが、紀元前400年〜紀元前1年ぐらいの期間で作られたと考えられています。それと同時に、ブッダの教えの解釈の違いによって、仏教の中にも数多くの宗派が生まれました。

 

仏教の歴史上、数多くの宗派が生まれたこの時代の仏教は部派仏教と呼ばれています。

 

ブッダの教えは経典となり、東南アジアや中央アジアへ広がっていきます。仏教は、その地域地域の風習などと融合しながら、実に多様な思想を展開し、紀元前後になるといよいよ仏教の多様性はさらに進むことになります。

 

 

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仏教の歴史の転換期

紀元前後になると、こんな考え方が登場しました。

 

「ブッダが亡くなって500年ぐらいが経つのに、ブッダみたいに悟りを開いて困苦のない世界へ行けた人は誰一人いない。大事なのは厳しい修行じゃなくて、ブッダが晩年していた『人々を救うための説法』みたいに他の人を救いたい!っていう利他的な気持ちが必要なのでは?」

 

「確かに、ブッダは困苦のない世界へ行く方法を見つけ、実際にその世界へ旅立った(悟りを開いた)。でも、悟りを開いた人物はブッダだけではないのでは?ブッダ以前にも悟りを開いた人物がいるのでは?」

 

こうしてブッダ以外にも数多くの信仰対象が仏教の世界に生まれました。悟りを開いた者は「如来」と呼ばれますが、ブッダ以外にも、阿弥陀如来・薬師如来・大日如来など数多くの如来が仏教に登場したのはこの頃。

 

 

そして阿弥陀如来を筆頭に、これらの如来たちは「人々を現世の困苦から救い出してくれる存在」と認識されます。

 

悟りを開くためにブッダの教えを理解・実践するだけではなく、「阿弥陀如来などが私たちを救ってくれるためには、私たちは何をすべきか?」を考え、実践するという新しい思想が仏教から誕生したのです。

 

ちなみに「如来様に救ってもらえるように頑張るぞ!」って思想を他力本願(たりきほんがん)って言います。

 

他力本願って日常では「他人に丸投げ!」って意味で使われますけど、本来は「救ってもらえるために何かをする」みたいな意味で使われていた言葉なんです。

 

他力本願的・利他的な要素が入ってきたこの時期の仏教は大乗仏教(だいじょうぶっきょう)と呼ばれています。

 

大乗仏教は、それまで必死に修行を積み重ねてきた僧侶たちを否定するものであり、批判的な意見も多くありました。しかし、それにも関わらず寛容な思想を持つ大乗仏教は爆発的に普及し、日本に伝来した仏教もこの大乗仏教となります。(ただし、東南アジアの方では、旧来の仏教思想の方が残り続けています。)

 

 

大乗仏教の登場により、仏教の思想体系は壮大なものとなり、数多くの経典が作られました。そして、紀元200年頃、龍樹(りゅうじゅ)という人物が壮大な大乗仏教の思想を体系的に整理しました。

 

龍樹は、有名な「般若心経」を大乗仏教における最重要の経典と捉え、その後の大乗仏教の基礎を築きます。大乗仏教における超重要な概念である「空」を作りだしたり、空海が開祖となる真言宗の教えの根底にあるのも龍樹の教えと言われています。

 

 

大乗仏教が多くの批判に耐えることができたのも、龍樹が大乗仏教を論理的に整理した功績が大きいかもしれません。龍樹は仏教の歴史にとても大きい影響を与えた人物なんです。

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仏教の歴史は中国へ

紀元前後に登場した大乗仏教は、中国へと伝わります。

 

ざっくりと紀元300年〜600年にかけて、インド地方で多く作られた経典は、漢文に訳されて次々と中国に伝わります。

 

この時に経典の翻訳で大活躍したのが鳩摩羅什(くまらじゅう)玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)と呼ばれる人。この2人は2大訳聖とも呼ばれ、中国における仏教の布教に大きな大きな影響を与えました。

 

この2人の影響は、中国だけに止まりません。漢文は東アジアの世界共通語みたいな言語だったので、朝鮮や日本に仏教が伝来するきっかけにもなりました。

 

さらに、インド地方では500年ぐらいになると仏教が次第に衰退し始めます。ブッタが生きていた頃に盛んだったバラモン教が仏教などの新興宗教に揉まれ、新たにヒンズー教としてインドで流行り始めたのです。

 

インド仏教の衰退に合わせ、インドにある経典なども姿を消し、すると鳩摩羅什らが漢文訳した経典が仏教において重宝されるようになりました。鳩摩羅什らは仏教の救世主とも言える人物たちなのです。

 

インド発祥の仏教の経典の多くが日本では漢文で表記されるのはこのためです。鳩摩羅什と玄奘三蔵がいなければ、日本に仏教が伝来することはなかったかもしれません。それほどにこの2人の影響は強いのです。

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洗練される仏教

鳩摩羅什と玄奘三蔵によって中国に伝えられた数多くの経典。次第に、数ある経典の内容の矛盾などを確認してブッタの正しい教えをしっかり整理しようという動きが中国で起こります。

 

 

そこで活躍したのが天台宗の祖と言われることもある智顗(ちぎ)という人物。智顗は数ある経典を、「その経典に書かれた教えは一体、ブッダが何をしている頃に説かれたものなのか?」によって5つにジャンル分けし、整理しました。この経典の大整理の結果、智顗は最も重要な経典は法華経であるという結論に至ります。(天台宗が法華経を重んじるのはこのため)

 

智顗が活躍したのは550年頃。ちょうど日本に仏教が伝来した時期と被ります。

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日本への仏教伝来

ここからの話は日本仏教の歴史となります。

 

日本への仏教伝来は、一般的に朝鮮半島の百済という国からだと言われています。具体的な年代には諸説ありますが、伝来したのはおお胸550年頃。当時、朝鮮半島は戦乱状態にありましたが、そんな中、百済は仏教伝来の見返りとして日本と友好的関係を結ぼうとしました。仏教は外交におけるある種の交渉カードだったと言えます。

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その後、蘇我稲目・蘇我馬子らによって仏教は日本に定着しますが、仏教は政争の具となり、丁未の乱という戦乱まで起こりました。

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そして日本に定着した仏教を爆発的に普及させたのが有名な聖徳太子。聖徳太子は日本仏教の祖とも言える人物で、聖徳太子がいなかったら日本で爆発的に仏教が普及することはなかったかもしれません。

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奈良時代の仏教

奈良時代になると、仏教は国策化します。これは金光明経というお経に「仏教を信仰すれば国は守られる」(超訳)という思想があり、これが重要視されたためです。

 

そして仏教と国家を強く結びつけたのが東大寺や奈良の大仏を造立したことで有名な聖武天皇。

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さらに、奈良の都(平城京)では、重要視する経典や思想の違いによって6つの宗派が生まれました。これが南都六宗と呼ばれるもの。

 

しかし、奈良時代末期になると、僧侶の質が低下し、道鏡のような政治に介入する僧侶まで現れました。

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朝廷は、このような仏教腐敗を食い止めるため、戒律と呼ばれる僧侶を律する仕組みを導入を試みます。ここで活躍したのが鑑真(がんじん)という人物。

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こうして、仏教は国策として強く推進され、政治とも深い結びつきを持つようになります。

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平安時代の仏教

794年に都が平安京に移ると、主に桓武天皇の下で腐敗した仏教の刷新が行われます。

 

南都六宗は敬遠され、国家仏教として重用すべき新しい仏教の模索が始まります。そこで重用されるようになったのが天台宗と真言宗でした。この2つの宗教に共通する要素は「密教」という、独特な仏教信仰スタイルを導入している宗派だったという点が挙げられます。

 

密教とは、語弊を覚悟の上でわかりやすく言えば、「経典を読んでその内容を実践するのも大事だけど、実は言葉じゃわからないこともあるんよ。山奥で静かに瞑想とかしてみると、そこから新しい気づきを得られることとかあるじゃん?第六感でハッと悟るようなそんな感覚が、実は仏教では一番大事なんだわ」っていう思想。

 

滝に打たれて修行するとか、山奥で瞑想するとかそんな仏教のイメージがあるとすれば、それこそまさに密教です。

 

密教の神秘的なイメージが、朝廷のお偉い人々からは好かれたようで、天台宗と真言宗は、平安時代に大いに栄えることになります。

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仏教の歴史まとめ

以上、仏教の歴史について整理してみました。

 

大量の経典があるゆえに、どうも仏教の思想ってわかりにくいイメージもありますが、上述したような仏教の歴史にその理由があります。

 

これは個人的な意見になりますが、宗派に関わらず日本仏教において特に重要な経典は「般若心経」と「法華経」なんじゃないかと思います。

 

日本の仏教は基本大乗仏教ですから、大乗仏教の根幹の教えが書かれた般若心経はやはり重要なお経と言えそうです。特に空海が開祖の真言宗では般若心経はかなり重要視されています。実は私の家は母方が真言宗なのですが、お寺に行くとほぼ100%般若心経の読経が始まります。

 

さらに、天台宗で最も重要視されていた「法華経」も般若心経と並ぶ2大バイブルでしょう。なぜかと言えば、現在日本に数多くある仏教宗派のうち、天台宗から発展した宗派が一番多いからです。

 

例えば、

  1. 浄土宗の開祖、法然
  2. 浄土真宗の開祖、親鸞
  3. 日蓮宗の開祖、日蓮
  4. 曹洞宗の開祖、道元
  5. 臨済宗の開祖、栄西

みーんな、天台宗の教えを学んだ人々。つまり法華経に真剣に向き合った人々です。日蓮を除いて、多くの開祖は法華経に否定的な見解ですが、それでも法華経があったからこそ新しい発想が生まれたわけで、やはり法華経は日本仏教においてとても重要な位置を占めているような気がします。

 

仏教の歴史については以下の主に本を参考にしました。仏教の思想的な話も多いし、内容もかなり綿密に整理されているので、とてもオススメ。素人でもわかるような内容になっています。

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この記事を書いた人
もぐたろう

教育系歴史ブロガー。
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