専制
鎌倉時代まとめ / 第5章
第5章 / 1284〜1318年
得宗専制と御家人疲弊
霜月騒動で御家人が粛清され北条氏独裁が確立。永仁の徳政令は逆効果を招き、悪党が台頭。両統迭立が皇統を分断した内憂の34年。
1285
霜月騒動
1297
永仁の徳政令
1317
文保の和談
1285
霜月騒動
1293
二月騒動
1297
永仁徳政令
1317
文保の和談
Phase I — 霜月騒動と得宗専制の確立
1284〜1297年
1285
大粛清
霜月騒動 — 有力御家人の消滅と北条氏独裁
内管領・平頼綱が御家人筆頭・安達泰盛一族を殲滅した霜月騒動(1285年)。これで北条氏に対抗しうる御家人が消え、北条氏嫡流(得宗)による専制が確立します。評定衆・引付の形骸化が進み、幕政は内管領が牛耳るようになります。
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霜月騒動とは?平頼綱vs安達泰盛——北条独裁を確立した大粛清の真相
なぜ元寇の英雄・安達泰盛は滅ぼされたのか。得宗専制の闇。
1293
粛清続く
二月騒動 — 内管領・平禅門の乱
今度は平頼綱が北条貞時によって討たれた二月騒動(1293年)。内管領が執権に殺されるという異常事態が、幕府内部の権力闘争の激化を示しています。
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文保の和談(両統迭立)とは?持明院統vs大覚寺統の皇位争いをわかりやすく解説
鎌倉後期の皇統分裂がなぜ幕府を弱体化させたのか。
Phase II — 永仁の徳政令と社会不安
1297〜1318年
1297
経済政策
永仁の徳政令 — 御家人を救おうとした法が逆効果に
所領を売却・質入れした御家人に「無償で取り返せ」と命じた永仁の徳政令(1297年)。短期的に御家人を救うつもりでしたが、御家人への金融・土地売買が凍結され経済が混乱。翌年撤回という失敗に終わり、幕府の統治能力への不信感が高まります。
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永仁の徳政令とは?内容・失敗の理由・御家人制度への影響をわかりやすく解説
なぜ良かれと思った政策が裏目に出たのか。鎌倉幕府最大の失策。
1317
皇統分裂
両統迭立と文保の和談 — 皇位争いに引き込まれる幕府
持明院統(後深草上皇系)と大覚寺統(亀山上皇系)の皇位争いに幕府が調停役として介入。文保の和談(1317年)で交互即位を決めますが、これが後醍醐天皇の倒幕運動の遠因となります。