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円山応挙ってどんな人?簡単にわかりやすく紹介するよ【代表作は雪松図屏風絵】

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もぐたろう
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今回は、宝暦ほうれき天明てんめい文化の時代(1700年代後半)に活躍した画家、円山応挙まるやまおうきょについてわかりやすく丁寧に紹介していくよ!

この記事を読んでわかること
  • 円山応挙ってどんな人?
  • 円山応挙の絵ってどんな絵なの?
  • 円山応挙の代表作品を知りたい!
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円山応挙って何をした人?

円山応挙は、宝暦・天明文化の時代(1700年代後半)に京都で活動した絵師です。

円山応挙は、遠近法で絵画に立体感を持たせることで被写体を本物そっくりに描く『写生画しゃせいが(スケッチ)』を日本に広め、現代に至るまで日本の絵画に大きな影響を与えた人物です。

円山応挙の絵の説明は、言葉よりも実際に見てた方が手っ取り早いです。

これが、宝暦・天明文化の時代に流行っていた浮世絵の絵画。

そしてこっちが、円山応挙の絵画です。

さてさて、どっちが実物に近い絵だと感じますか?

きっと99.99%人が円山応挙のかわいいワンコの絵と答えると思います。このリアルさこそが、円山応挙の絵の最大の特徴です。

円山応挙の絵の特徴は分かったわ。

でも、円山応挙の絵って江戸時代の他の絵画とあまりにも違いすぎない?なんか、浮世絵と同じ時代の絵とは思えないんだけど・・・。

もぐたろう
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確かにそうだよね!

でも、それにはちゃんと理由があるんだ。円山応挙の生涯を追いながら、絵画の謎に迫ってみることにするよ

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円山応挙の生涯

~20代:西洋の最新の絵画に触れる

円山応挙は、丹波国たんばのくに(現在の京都府亀岡市あたり)の農家に生まれました。

円山応挙は幼い頃から絵を描くのが好きで、10代のころ、家業の農業を継がずに京都に出て働きながら絵の修行をすることを決断します。

20代には玩具屋おもちゃやさんで働いており、そこで円山応挙は眼鏡絵めがねえという絵に出会います。

眼鏡絵っていうのは、こんな装置を通して見る絵のことです。

鏡で絵を反射させて、丸いところに凸レンズ(虫眼鏡に使われている拡大レンズ)をはめて絵を見ます。すると、絵がめちゃくちゃ立体的に見えてリアリティMAXの絵を堪能することができるんです。

もぐたろう
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江戸時代版のVRゴーグルって感じだよ!

円山応挙は、この眼鏡絵に使われている絵を多く描き、そこで立体感を出して本物そっくりに絵を描く方法、つまりは写生の技術を習得していきます。

眼鏡絵は、オランダから日本に伝えられた最新の技法であり、これまで日本の絵画にはない全く新しい絵画でした。

もぐたろう
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だから、江戸時代に流行った浮世絵や狩野派の伝統的な絵画と比べて、円山応挙の絵はまるで異世界から持ち込まれたような独特な画風をしているんだね。

宝暦・天明文化の時代は西洋ブームが到来していた!

円山応挙が生きた天暦・天明文化の時代というのは、空前の西洋ブームが到来していた時代でした。

絵画以外の分野でも、

医学の分野では杉田玄白すぎたげんぱくたちが西洋の解剖書を翻訳した解体新書かいたいしんしょを書いたり、

西洋の化学・物理を学んだ平賀源内ひらがげんないが静電気発生装置(当時はエレキテルと言った)を作ったり、

さまざまな分野で全く新しい技術・文化が日本に持ち込まれました。

30代:写生の技術をマスターする

西洋ブームという時代の流れもあって、円山応挙の写生を重んじた画風を評価するものも現れるようになり、30代後半になると円満院祐常えんまんいんゆうじょうという人物が創作活動を支援してくれるようになります。

パトロンを得たことで、円山応挙は腰を据えて創作活動に没頭できるようになり、この頃に写生の技術をマスターしたと言われています。

40代以降:画家として大成功!円山派の始まり

40代に入ると、次は商売で大成功を収めた三井家がパトロンになってくれました。

もぐたろう
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応挙の絵は本物そっくりだったため、絵画の教養があまりない商人にとっても、鑑賞しやすく親しみやすかったのだろうと言われているよ。

この頃になると、円山応挙の知名度も上がっていたので、紙の上に描く絵だけではなく、屏風に絵を描く屏風絵びょうぶえの仕事も舞い込んでくるようになります。

屏風絵は、普通の絵と比べてサイズが何倍も大きい大作です。

屏風絵のような巨大プロジェクトに着手するようになると、個人で絵を描くには限界があります。そこで円山応挙は、多くの弟子を取って絵を描くための工房を構えるようになりました。

※このような大作に携われるようになったのは、それだけ応挙の評判が高まっていた証拠でもあります。

61歳の頃には病で歩くのが難しい体となり、さらには老眼や体力の衰えで思うように絵が描けなくなりますが、円山応挙はそれでも創作活動をやめず、新しい作品を創り続けましたが、1795年、享年62歳で息を引き取りました。

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円山応挙の代表作品【雪松図屏風絵】

最後に円山応挙の代表作品を紹介しておきます。

教科書にも載っている円山応挙の有名作品は、『雪松図屏風絵ゆきまつずびょうぶ』と呼ばれる絵です。

屏風の左側
屏風のmみみg右み側

雪が積もった松の木を、左側に2本、右側に1本、描いた屏風です。

右側の松は近くから見上げている目線。左側の松は遠くから眺めている目線から描かれています。

もぐたろう
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やっぱり円山応挙の絵ってめっちゃリアルだよね!

雪松図屏風絵に用いられている技法の数々

左右の屏風を異なる目線から描くため、円山応挙はさまざまなテクニックを用いています。

右側の下から見上げた視線で描かれた松の屏風絵は、あえて木のてっぺん(こずえ)と根っこの部分を描いていません。なぜかというと、人間が松の木を近くで見上げた時の実際の目線に合わせて絵を描いているからです。

一方で、左側の屏風絵は、右とは全く逆のテクニックを用いています。人間が松の木を遠くから眺めているのと同じ構図になるよう、松の木をてっぺんから根っこまで全てを描いています。

もう1つ、雪の描き方もかなり独特です。円山応挙は、絵の具で雪を描くことはせずに、紙の白地を活かしてそのまま雪に見えるように屏風絵を書き上げてしまいました。変な言い方ですが、雪を描かずに雪を表現したわけです。

もぐたろう
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他にも、松の木と背景の間の輪郭線をあえて描かないことで実物に近いリアルな表現をしていたり、端と根元で筆の墨の濃さが異なることを利用してグラデーション効果を狙っていたり、さまざまな技法が使われています。

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円山派の登場

円山応挙の写生を重んじる絵は多くの画家を魅了し、後に円山応挙の絵をリスペクトする円山派と呼ばれる人たちが登場し、写生の技術は現代の絵画にまで影響を与えることになりました。

もぐたろう
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今でも、下のTwitterの絵みたいな本物そっくりな絵を見たら『おー、すげー!!』ってなるよね。

これの江戸時代版をやってみせたのが円山応挙だったのです。

かわいいワンコをはじめ、円山応挙の絵がたくさん見れます!
この記事を書いた人
もぐたろう

教育系歴史ブロガー。
WEBメディアを通じて教育の世界に一石を投じていきます。

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