今回は、1856年に起きた清VSイギリス・フランスの戦争「アロー戦争」についてわかりやすく丁寧に解説するよ!
アロー戦争とは
アロー戦争とは、アロー号事件という事件をきっかけに、イギリスが清へ攻め込んだ戦争のことを言います。
イギリスは、フランスに参戦を呼びかけたため、アロー戦争は、
清 VS イギリス・フランス連合軍
の戦いになりました。
アロー戦争の結果は、清の敗北。清は2大列強国を相手に手も足も出ませんでした。
アヘン戦争(1842年)に続く連敗で、清は、列強国に完全に屈することになり、敗戦後、清はイギリス・フランスと理不尽な内容の条約(天津条約&北京条約)を結ばされました。
アロー戦争以降、清は列強国の外圧に苦しめられ続けることになり、その後の清の歴史にも大きな影響を与えました。
アロー戦争の時代背景【アヘン戦争のおさらい】
イギリスは、1854年におきたアヘン戦争で清に勝利し、清と南京条約などを結んでいました。
イギリスは、南京条約で清に外国との自由な貿易を認めさせ、イギリス商品(主に綿製品)を清に売り込むことでがっぽり大儲けしてやろう!と目論んでいました。
イギリスはすでに、インドを経由して清にアヘンを売りつけること(三角貿易)で大儲けしていたんだけど、イギリスはそれだけじゃなくて、イギリス商品を直接清に売りつけて大儲けしたい・・・という野心を持っていたんだ。
※もっと詳しい時代背景を知りたい方は、南京条約の記事も合わせて読んでみてください↓↓
・・・が、イギリスの予想に反して、イギリス商品は思うように売れません。そこでイギリスは、イギリス商品が清でもっと売れるようにするため、南京条約に加え、清政府にさらなる条約の締結を求めようと考えました。
貿易でがっぽり儲けるには、南京条約だけでは足りなかったようだな。
清がイギリス商品がたくさん売れる国になるように、もっと清に圧力かけてやるか。
圧力をかけるには・・・、また清を戦争で負かしてやるのが手っ取り早いかww
こうしてイギリスは、清で戦争の口実になるような事件が起こらないか、機会をうかがうことにしました。
そして1856年、イギリスはついに戦争の口実になりそうな事件に遭遇します。その事件というのが、アロー号事件と呼ばれる事件でした。
アロー号事件
1856年10月、広州の港に停泊していたイギリス船籍を名乗るアロー号という船が、清の官兵から取り締まりを受けます。
おい、そこの船!さっきから動きが怪しいぞ。さては、アヘン密輸や海賊に関わっているな!?
悪いが船の中を調べさせてもらうぞ。
アロー号には清の人たち12人が乗っていて、そのうち3人が海賊の容疑で逮捕されてしまいました。
きたか…!!
( ゚д゚ ) ガタッ
.r ヾ
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・・・これは絶好の大チャンス!アロー号事件を口実に清へ戦争を仕掛けてやる!!!
清め、俺の船でなんてことをしてくれたんだ!
報告によれば、船に掲げられていたイギリス国旗を引きずり下ろしたらしいな。これはイギリスを侮辱する行為であり、断固として許さん!!
清には罪を償うため、俺の指示に従って新たな条約を締結してもらう!
イギリス国旗を引き摺り下ろしたなんて嘘だ!そもそもアロー号にはイギリスの国旗なんて掲げられてなかった!
無茶苦茶なことを言うのはやめろ!
はっ?そんなの知らねーし。
俺に逆らうようなら、アヘン戦争の時にみたいにまた清に攻め込んでもいいんだが?
無理だ!そんな理不尽な要求、到底受け入れられない!
ふーん、じゃあ清に攻め込むわ。アヘン戦争の再来なww
こうして、起きたのがアロー戦争でした。
アロー号事件がきっかけで起きた戦争なので、アロー戦争と言います。
実は、後でアロー号事件のことをよく調べてみると、アロー号がイギリス籍だったのは昔の話で、事件当時はイギリス籍ではなかったことがわかっています。
・・・つまり、清はイギリスに文句を言われる筋合いが本当になかったのです。
アロー号はイギリス籍ではないのだから、「イギリス国旗が掲げられていた!」というイギリスの主張も事実かどうか怪しいものです。
という感じで、アロー号事件は、清と戦争をしたいイギリスの陰謀の匂いがプンプンする、とてもきな臭い事件だったのです。
イギリス「フランスもアロー戦争に誘おうかな」
清に戦争を仕掛けることを決めたイギリスは、戦争を有利に進めるため、フランスに共同出兵を持ちかけます。
清と戦争することになったんだけど、フランスも参加しない?
もし勝ったら、清に好き放題命令できるようになるぜww
おっけーいいよ!
俺もちょうど、清国内でフランス人宣教師が殺されたから清を懲らしめてやろうと考えてたところだわ。
イギリスとフランスは、1853年〜1856年にかけて起きたクリミア戦争でロシアと一緒に戦った戦友で、当時の外交関係はとても良好でした。
清、敗北する【天津条約】
イギリス・フランス連合軍は、アロー号事件が起きた広州に攻め込み、1857年12月に制圧を完了。
その後、イギリス・フランスは、清に対して不平等条約を結ぶよう迫ります。
お前負けたんだから、文句を言わずに俺たちの言うことに従えよな。
当初、清は不平等条約を結ぶことに難色を示しました。
・・・が、清が躊躇っているの知るとイギリス・フランス連合軍は軍艦を北上。天津まで進軍して清にさらなる圧力をかけます。
天津までイギリス・フランス軍が迫ってくると、清はついに抵抗を諦め、イギリス・フランスの圧力に屈しました。
天津は首都の北京の目と鼻の先にある都市だったから、清に圧力をかけるには効果バツグンでした。
1858年6月、清はイギリス・フランスの要求を受け入れ、天津で条約を結びました。(天津条約)
おっし、計画どおり清に新たな不平等条約を結ばさせることに成功したぞ。
あとは、批准書を作ってお互いに交換したら手続完了っと。
イギリス・フランスの批准書を作成するため、一度本国に戻り、1859年に批准書を持って再び清に向かいました。
・・・いきなりでてきた批准書ってなに?
批准書って言うのは、簡単に言うと国同士の契約書みたいなものだよ。
批准書にサインをして、サインした批准書をお互いに交換しあうことで、条約は初めて効力を持つようになるんだ。
イギリス・フランスは1858年に天津条約の締結を清と約束したあと、一度本国に帰って批准書を用意した後、1859年に批准書を交換するため清にやってきたってわけだね。
清、ボコボコにされる【北京条約】
一方、清国内ではイギリス・フランスが本国に帰っていくと、条約締結に反対する声が日に日に強まっていきました。
イギリス・フランスに迫られて天津条約を結ぶ約束をしてしまったけど、イギリス・フランスが帰って冷静になってみると天津条約の内容って相当ヤバいよな。
なんとか今から条約を結ばなくて済む方法ないかな・・・。
そうだ!もしイギリスとフランスが批准書を持ってやってきたら、これを妨害すればいいんだ!
1859年6月、批准書交換のためイギリス船が天津の近くまでやってくると、清は条約締結を阻止しようとイギリス船に向けて大砲を打ち込みました。
なんだろう、嘘つくのやめてもらっていいですか?条約を締結するって去年言ったよね?
1860年の夏、イギリス・フランス連合軍は報復として大軍を引き連れて天津に迫り、そのまま北京で清政府との交渉に臨みました。
おい清、変な動きを見せたら大軍で北京に攻め込むからな。
どうせ勝ち目なんてないんだから、大人しく俺とフランスの言うことに従っとけ!
・・・が、清政府は北京にやってきた外交官を捕らえ、さらに数名を殺害してしまいます。
はっ?交渉中の相手を殺すとかありえないんだが?(ブチギレ)
あのさー、俺たち大軍を引き連れてるって言ったよね?
覚悟しとけよ(ブチギレ)
イギリス・フランスは北京に攻め込んで、離宮の円明園を徹底的に略奪・破壊し、清を恐怖に陥れました。
※円明園はこの攻撃によって廃墟と化し、今でもその跡地が遺跡として残っています。ちなみに離宮っていうのは、王族たちが住むための別荘みたいなところです!
1860年10月、万策尽きた清は、イギリス・フランスと新たに北京条約を結びました。
この北京条約の締結をもって、アロー戦争はようやく終戦することなります。
アロー戦争が与えた影響
太平天国の乱、鎮圧へ・・・
実は、清がアロー戦争でイギリス・フランスと戦っているころ、清の国内では大規模な内乱が起きていました。
この乱は太平天国の乱と呼ばれていて、1851年から清は内乱状態に陥っていました。
清は、国内の反乱分子と戦いながら、イギリス・フランスとも戦っていたんだ。内も外も敵だらけだったってわけだね!
・・・ところが、清がアロー戦争に敗北すると、突如としてイギリス・フランスが内乱鎮圧に協力するようになります。
せっかく清を服従させたのに、その清政府が倒されたらここまでの苦労が水の泡だからな。めんどくせーけど協力してやんよ。
清はアロー戦争に敗北したものの、逆に戦争が終わったことで内乱鎮圧に集中できるようになり、イギリスたちの支援もあって、太平天国の乱は、1864年に鎮圧されることになりました。
ロシアに領土を奪われる
1858年に清が、イギリス・フランスと天津条約を結ばされたとき、実はどさくさに紛れてロシアも清に対して、清北東部の領地をロシアに渡すよう脅していました。
内も外も敵だらけの清にロシアの脅しに対抗する力はなく、1858年8月、ロシアにアイグン条約を結ばされ、清は領土の一部をロシアに奪われてしまいました。
日本の開国を後押しする
清がイギリス・フランスと戦っているころ、日本ではアメリカからハリスがやってきて、日本に開国を迫っているところでした。
ハリスはアロー戦争を話題にしながら、日本をこう脅します。
イギリスはアロー戦争を終わらせたら、次は日本に開国を要求して攻め込んでくるぞ。
だから、今のうちにアメリカと平和的に開国しとけ。
江戸幕府は、開国を渋っていましたが、1858年6月に清がイギリス・フランスに敗北して天津条約を結ばされたことを知ると、その翌月の1858年7月、ビビった日本はアメリカの要求を受け入れ、日米修好通商条約を結ぶことになります。
当時東アジア最強の国だった清が、アヘン戦争に続いて2度も敗北した事実は、日本の歴史にも大きな影響を与えたんだね。
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