南京条約を簡単にわかりやすく解説!【追加条約、望厦・黄浦条約もまとめて】

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南京条約締結の様子
南京条約締結の様子
もぐたろう
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今回は、アヘン戦争の後(1842年)にイギリスと清との間に結ばれた南京条約なんきんじょうやくについて、わかりやすく丁寧に解説していくよ!

この記事を読んでわかること
  • 南京条約ってそもそもなに?
  • 南京条約はなぜ結ばれたの?
  • 南京条約はどんな内容だったの?
  • 南京条約の結果、清とイギリスの関係はどうなったの?
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南京条約とは

南京条約とはアヘン戦争が終わった1942年8月にイギリスと清の間で結ばれた条約のことを言います。

アヘン戦争はイギリスが勝利したため、その内容はイギリスに有利な内容となりました。

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南京条約が結ばれた時代背景

1941年6月、清がアヘン取引の取り締まりを強化すると、これにブチ切れたイギリスが清に戦争を仕掛けました。

こうして起きたのがアヘン戦争です。

アヘン取引の取り締まり強化に対して、清はなぜそんなに激怒したのかしら?

もぐたろう
もぐたろう

それは、清にアヘンを売りつけてイギリスががっぽり大儲けしていたからだよ。

イギリスは、インド経由で清にアヘンを売りつける三角貿易で莫大な利益を得ていて、イギリス経済はその利益に依存していました。

つまり、清がアヘン取引が減るとイギリス経済が停滞して困るので、イギリスは清のアヘン取引の取り締まり強化を断固として許せなかったんだ。

イギリスは、最新鋭の軍艦で海岸沿いから攻め込み、清を圧倒します。

イギリスは海沿いの主要都市を南から攻略し、香港→厦門あもい寧波にんぽーと次々と北上していきます。

さらに1942年に入ると、イギリスの軍艦は長江ちょうこうに入り込み、清の国内に侵入。

その後、食料運搬の要所だった鎮江ちんこうという場所がイギリスに制圧されると、1942年8月、清はついに敗北を認め、降参しました。

※戦闘の詳細はアヘン戦争の記事を合わせて読んでみてください!

イギリス
イギリス

清め、ようやく負けを認めたか。

敗者の清には、さっそく俺様の言うことに従ってもらおうことにしよう。

イギリスは、南京の近くに停泊していた指揮艦コーンウォリス号に清の要人たちを呼びつけ、船内で清に条約を結ばさせました。

こうして結ばれたのが南京条約です。

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南京条約の内容

イギリスが清に突きつけた内容は次のような内容でした。

南京条約の内容
  1. 清は、イギリスに多額の賠償金を支払うこと
  2. 清は、香港をイギリスに分け与える(割譲かつじょうする)こと
  3. 清は、上海・寧波にんぽー福州ふくしゅう厦門あもい・広州の5港を開港すること
  4. 清は、公行こうこう(※)を廃止して自由貿易を認めること

※公行:清政府から外国との貿易を認められた商人のこと。(当時は、政府に認められた人しか外国との貿易ができなかったのです。)

南京条約を結んだイギリスの狙いは、「清との貿易をもっと増やして、今よりもっと儲けること!」でした。

賠償金で清に足枷あしかせをはめて、(南京条約の内容No1)

香港を拠点に清を監視し、(南京条約の内容No2)

開港した5港で自由な貿易を行うことで、(南京条約の内容No3・No4)

イギリスの商品を売りまくって、がっぽり大儲け・・・っていう計画です。

ん・・・ちょっと待って。アヘン戦争の引き金にもなった肝心のアヘンの話が一切登場しないのおかしくない?

もぐたろう
もぐたろう

アヘン戦争以前から、アヘン取引は非公式の密輸による取引が主流でした。

なので、条約のような公式書面ではアヘン取引については一切触れず、その代わりにイギリスは清に対して『清はアヘンの闇取引を黙認し、取り締まりも行わない』と裏で密約を交わさせることにしたんだ。

だから、南京条約の文面上にはアヘンの話は一切触れられていないんだよ。

開港された港の場所はこんな感じ。中国南部の主要港が対象になっていることがわかります。
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五港通商章程・虎門寨追加条約

南京条約を結んだ翌年(1843年)、イギリスは清への圧力を強めるため、清にさらなる条約を2つ結ばさせました。

この追加で結ばれた条約のことを五港通商章程ごこうつうしょうしょうてい虎門寨追加条約こもんさいついかじょうやくと言います。

五港通商章程・虎門寨追加条約では、大きく次の3点の内容が盛り込まれました。

清はイギリスの領事裁判権(治外法権)を認める

領事裁判権りょうじさいばんけんとは、「外国人が罪を犯した場合に、外国人が滞在する国ではなく、外国人の国籍がある国で裁く権利」のことです。

超ザックリいうと、清に滞在するイギリス人が罪を犯しても、清のルールで裁かれることはないってことです。

清から見れば、自国で外人が犯罪を犯しても清は裁くことができないってことなので、清にとっては不利な内容です。

もぐたろう
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ただし、領事裁判権は、清全土に適用されたわけじゃなくて、南京条約で開かれた5港に住むイギリス人に限定されていたよ。

清は関税自主権を失う

関税自主権かんぜいじしゅけんとは、「自国の関税を自分で決めれる権利」のことを言います。

もし清が、イギリス商品に対して高い関税をかければ、イギリスとの貿易を妨害することができてしまいます。

なのでイギリスは、それを未然に阻止しようと『関税は俺(イギリス)と清の話し合いで決めような!』ってことにして、清から関税自主権を奪いました。

もぐたろう
もぐたろう

話し合いといっても、敗者となった清にはイギリスに逆らう発言力はなかったから、実質的にはイギリスの主張が関税率に強く反映されることになりました。

清はイギリスに最恵国待遇を認める

虎門寨追加条約では、イギリスに最恵国待遇さいけいこくたいぐうを認めることが盛り込まれました。

最恵国待遇ってなに?

最恵国待遇っていうのは、「A国とB国が条約を結んだ後に、C国がB国よりも有利な条件でA国と条約を結んだら、その有利な条件が自動的にB国にも与えられる仕組み」のことです。

例えば、日本が清と条約を結んだと仮定して、

日本
日本

俺は、上海・寧波・福州・厦門・広州の5港に加えてさらに3港での貿易を清に認めさせたぜ!

イギリス
イギリス

おっ、日本ナイスやんけ!

じゃあ、最恵国待遇を適用して、俺もその3港を使わさせてもらいまーすww

ってできるのが最恵国待遇です。

ちなみに、A国とB国が条約を結んだときに、お互いに最恵国待遇を認め合うのではなくて、片方の国だけが最恵国待遇を持つことを、片務的最恵国待遇へんむてきさいけいこくたいぐうと言います。

ちなみに虎門寨追加条約で決められた最恵国待遇は、イギリスにのみ認められた片務的最恵国待遇です。

まとめると、五港通商章程・虎門寨追加条約によって、清はイギリスに迫られて不平等な条約を結ばされてしまったわけです。

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望厦条約・黄埔条約

イギリスに不平等な条約を結ばされた清ですが、災難はさらに続きます。

イギリスが自国に有利な条約を清に結ばさせたことを知ったアメリカ・フランスが、便乗して清に対して条約の締結を求めてきたのです。

アメリカ
アメリカ

清くんさ〜、最近イギリスに負けて不平等条約結ばされたんだって?

俺とも同じ内容で条約結んでくんね〜?ww

フランス
フランス

えっ、なにそれ面白そう。

それなら俺とも条約結んでよ〜^^

1844年、こうして清は立て続けにアメリカ・フランスとも、イギリスとほぼ同じ内容の条約を結ばされることになります。

この時、アメリカと結んだ条約を望厦ぼうか条約、フランスと結んだ条約のことを黄埔こうほ条約と言います。

もぐたろう
もぐたろう

望厦と黄埔の名称は、いずれも条約が結ばれた地名に由来しているよ。

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イギリス「南京条約結んでもイギリス商品が全然売れない・・・」

南京条約を結んだイギリスは、イギリス産の綿製品をもっと清に売り込めることを期待していました。

イギリスは産業革命によって綿製品を大量生産することに成功していました。

ただ、大量生産するとイギリス国内だけでは売り切れないで、イギリスは綿製品を買ってくれる相手を探していました。

そこで、綿製品を売り込む相手としてアヘン戦争に敗北した清をターゲットにしたのです。

・・・が、南京条約を結んだ後もイギリスの綿製品が清で売れることはありませんでした。

※ただし、売れなかったのは綿製品だけでインド経由のアヘンはめちゃくちゃ売れていました!

おまけに、清は首都の北京に外国の外交員が常駐することを禁じていたため、イギリスは「イギリス商品をもっと買え!」と清政府に迫ることもできませんでした。

そこでイギリスはひらめきます。

イギリス
イギリス

・・・そうだ!

もう一回戦争を起こして清をフルボッコにすれば、また清に無茶苦茶な要求を飲ませることができる。そうすれば、もっとイギリス商品が売れやすい環境を作れるのでは!?

とはいえ、なんの口実もないのにいきなり戦争をすることはできません。戦争には大義名分が必要です。

そこでイギリスは、戦争の口実になるそうな出来事を探すようになり、1856年、イギリスはようやく戦争の糸口を見つけました。

イギリスの船、アロー号が清政府から「あの船は海賊船なのでは!?」と疑われ、取り締まりを受けたのです。

イギリスは、「イギリス籍の船を清が取り締まるのは越権行為だぞ!」と清を激しく非難し、これを口実にそのまま清へ戦争を仕掛けました。(アロー戦争

そして、アロー戦争にも敗北した清は、南京条約以上に厳しい内容の条約締結を迫られるようになるのです。(天津条約・北京条約

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この記事を書いた人
もぐたろう

教育系歴史ブロガー。
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