帝国の完成と明治の終焉

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帝国
STEP 5 / 1905〜1912年

帝国の完成と明治の終焉

ハーグ密使事件・韓国併合・大逆事件——帝国日本が完成する一方で社会主義運動が弾圧され、1912年の明治天皇崩御で時代に幕が下りる

1907
ハーグ密使事件
1910
韓国併合
1912
明治天皇崩御
1905
ポーツマス後の桂園時代
1907
ハーグ密使事件
1910
韓国併合
1910
大逆事件
1912
明治天皇崩御
Phase I — 朝鮮問題の最終段階
1905〜1910年
1905〜1906
保護国化
第二次日韓協約・統監府設置 — 朝鮮の外交権を剥奪

日露戦争後の1905年11月、第二次日韓協約(乙巳条約)で日本は朝鮮の外交権を接収し保護国とします。初代統監に就任した伊藤博文は内政干渉を進めましたが、朝鮮民衆の激しい抵抗を受けました。義兵運動(武装抗日運動)が全国に広がります。

第二次日韓協約準備中 義兵運動準備中
1907
外交失敗
ハーグ密使事件 — 国際社会に訴えた朝鮮皇帝の使節

1907年、大韓帝国の高宗がオランダ・ハーグの万国平和会議に密使を派遣し、日本の保護国化の不当性を訴えようとしました。しかし列強は密使の発言を拒否。日本はこれを口実に高宗を退位させ、第三次日韓協約で内政権も接収。韓国軍を解散させます。

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ハーグ密使事件とは?
朝鮮独立を訴えた高宗の密使が国際社会に黙殺された経緯を詳しく解説。
1910
韓国併合
韓国併合 — 朝鮮半島の植民地化

1910年8月、日本は韓国(大韓帝国)を併合し、朝鮮総督府を置いて直接統治を開始しました。植民地朝鮮では土地調査事業による農民の土地収奪、皇民化政策による民族文化の抑圧が行われました。三・一運動(1919)など独立運動の火種となります。

韓国併合準備中
Phase II — 社会運動と大逆事件
1905〜1910年
1906〜1907
社会運動
労働運動・社会主義の台頭と弾圧

日露戦争後の社会矛盾の激化のなか、社会主義・労働運動が高まりを見せます。日本社会党が一時合法化されるなど動きが活発化しましたが、政府は治安警察法を運用して弾圧。産業革命の進展とともに農村から工場地帯への人口移動が加速していきました。

1910
大弾圧
大逆事件 — 社会主義運動に対する見せしめ

1910年、幸徳秋水ら社会主義者が明治天皇暗殺を計画したとして検挙された大逆事件。証拠に乏しい中で12名が死刑に処された(翌年6名に減刑)この事件は、社会主義・無政府主義運動を長期にわたって冬の時代へ追いやりました。

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大逆事件とは?
幸徳秋水ら社会主義者が弾圧された1910年の事件を詳しく解説。
Phase III — 明治の終焉
1910〜1912年
1910〜1912
桂園時代
桂園時代の政治 — 桂太郎と西園寺公望の政権交代

桂太郎と西園寺公望が交互に政権を担った「桂園時代」(1901〜1913)は、藩閥政治と政党政治が均衡するこの時期の政治構造を象徴しています。軍部大臣現役武官制により陸海軍の政治的発言権は強大で、内閣の安定を左右しました。

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桂園時代とは?
桂太郎と西園寺公望が政権を交互に担った明治後期の政治構造を解説。
1912
時代の終わり
明治天皇崩御・乃木希典の殉死 — 時代の幕引き

1912年7月30日、明治天皇が崩御(享年60)し、元号は大正と改まりました。後を追うように、日露戦争の英雄・乃木希典大将が夫人とともに自刃(殉死)。明治という時代の終わりを象徴する出来事として、日本社会に大きな衝撃を与えました。

明治天皇準備中 乃木希典準備中
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