室町
室町時代
室町時代
MUROMACHI PERIOD / 1336〜1573年(南北朝の動乱から応仁の乱まで)
約237年
時代の長さ
なぜ室町時代は「中世の転換点」なのか
室町時代は、武家政権が全国を統治し、民衆・文化・対外交流が花開いた約237年間である
1336年の足利尊氏による室町幕府成立から1573年の足利義昭追放まで、約237年。南北朝57年の動乱、足利義満による天下統一と勘合貿易、北山文化・東山文化の隆盛、そして応仁の乱による下剋上の幕開け——この特集では、複雑な室町時代を5つの時代区分に整理し、各時代を深掘りできる構成になっています。
テーマ別で学ぶ
4 Themes
テーマ別で室町を読み解く
政
武家政治のしくみ
管領・守護大名・分国法——室町幕府の権力構造
管領(三管領:斯波・細川・畠山)が将軍を補佐し、侍所頭人(四職:赤松・一色・山名・京極)が京都の警察・軍事を担う幕府機構。守護大名が「守護請・半済令」で地方支配を固め、応仁の乱を経て戦国大名へと変貌するまでの政治史を追う。
南
南北朝の動乱
後醍醐天皇・建武の新政・北畠親房——57年の南北朝対立
鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇の「建武の新政」は武士の支持を失い崩壊。足利尊氏が北朝(京都)を擁立し、南朝(吉野)と57年間対立した。「神皇正統記」の北畠親房ら南朝の論客の活躍、観応の擾乱、そして1392年の義満による南北朝合一までを整理する。
文
室町文化
北山文化と東山文化——金閣・銀閣・能・茶道・水墨画
室町時代の文化は2つの山がある。義満期の「北山文化」(公武融合・豪華・金閣寺・世阿弥の能楽)と、義政期の「東山文化」(侘び・簡素・銀閣寺・書院造・侘び茶・水墨画・連歌)だ。入試では「北山vs東山」の対比問題が頻出——それぞれの特徴を押さえよう。
TIMELINE
室町史のハイライト年表
1336
室町幕府成立 足利尊氏が征夷大将軍に就任。建武式目を制定し新たな武家政権の方針を示す。
1338
南北朝の分裂 後醍醐天皇が吉野に南朝を開き、北朝(京都)と対立。動乱が全国に拡大。
1392
南北朝の合一 足利義満が北朝・南朝を統合。56年にわたる南北朝時代が終結。
1397
金閣寺(鹿苑寺)完成 義満が北山に造営。北山文化の象徴。日明貿易(勘合貿易)も開始。
1428
正長の土一揆 近江坂本の馬借が蜂起。最初の大規模な土一揆として惣村の自治力を示した。
1467
応仁の乱勃発 将軍家の後継争いと守護大名の対立が重なり11年にわたる大乱に。下剋上の幕開け。
1489
銀閣寺(慈照寺)完成 足利義政が東山に造営。東山文化(書院造・侘び茶・能)の象徴。
1543
鉄砲伝来 ポルトガル人が種子島に漂着し鉄砲を伝える。戦国の戦術を根本から変えた。
1549
キリスト教伝来 フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸。宣教師が全国各地に布教を展開。
1573
室町幕府滅亡 織田信長が足利義昭を京都から追放。237年続いた室町幕府が終焉。
室町史でよく出る疑問
京都・室町(現在の京都市上京区)に幕府が置かれたため「室町幕府」と呼ばれます。花の御所とも呼ばれた将軍御所が中心でした。鎌倉幕府(鎌倉)とは異なり都に近い場所に置かれたことが特徴です。
1336〜1392年の約56年間、足利氏が擁立する北朝(京都)と、後醍醐天皇の南朝(吉野)が並立した時代です。最終的に足利義満が南朝に有利な条件(交互在位)を約束して合一しましたが、北朝の天皇が継続しました。
主な原因は①将軍家の後継問題(義政の弟・義視 vs 義政の子・義尚)と②有力守護大名(細川勝元:東軍 vs 山名宗全:西軍)の権力争いが絡み合ったことです。11年間(1467〜1477)続き、京都が焼け野原になりました。
北山文化は足利義満の時代(14世紀末〜15世紀初)の武家・公家・禅宗が融合した豪華な文化(金閣寺・能・連歌)。東山文化は足利義政の時代(15世紀後半)の簡素で幽玄を重んじる文化(銀閣寺・書院造・侘び茶・枯山水)です。
「下が上を倒す」こと。守護代や国人が守護大名を倒し、武士が公家・貴族を圧倒するように、身分の低い者が実力で上位者の権力を奪う現象を指します。戦国時代の始まりとなった応仁の乱後に全国的に広がりました。
二毛作の普及・牛馬耕の拡大・灌漑技術の向上で農業生産力が高まりました。手工業・商業も発展し、商工業者の座(組合)や定期市が各地に普及。勘合貿易(日明貿易)や南蛮貿易で銅銭・陶磁器が流入し貨幣経済が進展しました。