冠位十二階を簡単にわかりやすく解説【目的は何?色の順番は?】

この記事は約6分で読めます。
冠位十二階
もぐたろう
もぐたろう

今回は、603年に制定された冠位十二階かんいじゅうにかいの制度について、わかりやすく丁寧に解説していくよ!

この記事を読んでわかること
  • 冠位十二階っそもそもなに?
  • 冠位十二階はなぜ制定されたの?
  • 冠位十二階はどんな内容だったの?
  • 冠位十二階は朝廷にどんな影響を与えたの?
スポンサーリンク

冠位十二階とは

冠位十二階とは、朝廷の役人たちの上下関係をはっきりさせるために設けられた12種類のランクのことを言います。。

12種類のランクは、役人がかぶる冠の色で区別されたので、『冠』の色で役人の『位』『十二』に分ける制度・・・ということで冠位十二階と名付けられました

スポンサーリンク

冠位十二階が制定された目的・理由

冠位十二階のことを理解するには、次の疑問点を解決しておかなければなりません。

冠位十二階が制定される前って、そもそも朝廷の上下関係ってどうやって決めていたの?

冠位十二階が制定されるまで、朝廷内の上下関係は主に氏姓制度によって決められていました。

人々を血縁や地域などに応じてうじと呼ばれる組織に編成して、朝廷がそれぞれの氏ごとにかばねと呼ばれる朝廷内の序列を与えたのが氏姓制度です。

例えば・・・

  • 蘇我そが氏にはおみという姓
  • 物部もののべ氏にはむらじという姓

という具合です。

氏族は、与えられた姓に応じて朝廷からいろいろな仕事を任されました。

そして氏族の長は、必要な人物を役人として朝廷に送り込むことで、与えられた仕事をこなしていきます。

※中にはある仕事に特化したプロ集団になった氏も存在します。(プロ集団となった氏には連・みやつこなどの姓が与えられました。)

・・・が、このやり方には問題がありました。

それは『朝廷で働いている役人は氏族から派遣されているだけだから、役人と朝廷関係が希薄だった・・・という問題です。

何が問題かというと、役人と朝廷の関係が希薄だと、何か問題が起こった時に朝廷が役人たちをコントロールできない危険性がありました。

場合によっては役人は朝廷よりも氏族の言うことに従うかもしれないし、もし氏族が朝廷に謀反を起こせば、役人たちの多くが氏族に味方するかもしれません。

もぐたろう
もぐたろう

氏姓制度はあくまで氏族の序列を定めるだけ。

朝廷ができるのは『◯◯氏にこの仕事を任せるよ!』ってところだけで、氏族の中から誰に仕事をやらせるか・・・までは関与できなかったんだ。

なので、もし有能な人物がいても、朝廷がその人物を出世させたり新たに採用することはできませんでした。

そこで、朝廷は役人の一人一人にランク付けをして評価し、能力がある者にはそれ相応のランクを与えることにしました。

そんな理由で制定されたのが、冠位十二階です。

冠位十二階を制定されたのは603年で、当時の天皇は推古天皇

推古天皇
女帝の推古天皇

冠位十二階には、氏族からの反対の声も想定されました。氏族からすれば、これまでは自分達に都合の良い人物を自由に朝廷に送り出せたのに、それができなくなるからです。

しかし、当時の朝廷は最強の氏族である蘇我氏のボス、蘇我馬子そがのうまこが推古天皇と協力関係を結んでいて政局が安定していたため、激しい反乱は起こりませんでした。

推古天皇を支えた厩戸王と蘇我馬子

推古天皇は、崇峻天皇が暗殺された後、政治情勢がとても不安定なタイミングで即位した天皇でした。

そんな推古天皇の治世を支えていたのが、蘇我馬子と厩戸王(聖徳太子)でした。

推古天皇は各勢力のパワーバランスを上手くコントロールしながら、蘇我馬子・厩戸王と協力することで、不穏な空気もある中で安定した政治を実現しました。

スポンサーリンク

冠位十二階制度の内容【冠の色でえらい順を決める!】

冠位十二階の冠位はえらい順に次のようになります。

もぐたろう
もぐたろう

高校日本史レベルでは冠位の内容まで覚える必要はありません。

参考程度に見ていただければOKです!

冠位の順番(上から偉い順)
とく
じん
れい
しん
冠位十二階

冠位は大きく徳・仁・礼・信・義・智の6つがあり、それぞれに大と小があって、合計で十二冠位となります。

「誰がどの冠位なのか?」を判別するために、冠には色が付けられました。

※冠位の色には諸説あるので、上図はあくまで参考程度で見てください。高校レベルで色まで覚える必要もありません。

ちなみに、冠っていうのは下の厩戸王うまやとおう聖徳太子しょうとくたいし)がかぶっているようなやつです↓

聖徳太子(厩戸王)
もぐたろう
もぐたろう

冠名には儒教の教えが色濃く反映されており、当時の高官たちが儒教を重要視していたことがわかります。

ちなみに、翌年(604年)に制定された十七条の憲法にも儒教の教えが反映されています。

冠位十二階と儒教の関係

儒教の教えにおいて、特に大切な5つの徳のことを五常ごじょうと呼ばれています。

  • じん ・・・ 人を思いやること
  •  ・・・ 私利私欲にとらわれず、正義を貫くこと
  • れい ・・・ 仁(人を思いやる)のために行動すること
  •  ・・・ 知識が豊富なこと
  • しん ・・・ 友情を大切にして嘘をつかないこと

冠位十二階の冠位の名前は、五常の5つの徳を参考に付けられたと言われています。

もぐたろう
もぐたろう

高校日本史では、冠位十二階の名前の由来まで覚える必要はありません。

ただし、倫理を選んでいる人は『五常』は重要なワードなので覚えておきましょう!

冠位十二階
スポンサーリンク

冠位十二階制度が朝廷に与えた影響

冠位十二階の導入によって、有能な人物を氏や姓にとらわれずに採用したり、出世させることが可能となりました。

冠位十二階は世襲ではなくて、あくまで個人の能力によってランク付されるため、役人たちの仕事のモチベーションもUPするし、朝廷と役人との関係も氏姓制度よりも密なものとなりました。

しかし、有能な人物をどんどん採用した結果、多種多様な人々が朝廷で働くようになり、朝廷内の規律を正す必要がでてきました。

そこで制定されたのが十七条の憲法です。

十七条の憲法は冠位十二階の翌年(604年)に制定され、役人たちが朝廷で仕事をする上での心得が記されていました。

もぐたろう
もぐたろう

冠位十二階と十七条の憲法は、お互いに関連し合っている制度なのでセットで覚えてしまいましょう!

冠位十二階&十七条の憲法は、朝廷の機能を強化して天皇の権力を強めることを目的としたものでした。

・・・が、蘇我氏が冠位十二階の対象外になるなど、不完全な部分も多くて、天皇がぶっちぎりの権力を手に入れるには、645年の乙巳の変で蘇我氏が滅び、672年の壬申の乱天武天皇が即位するのを待たなければなりません。

スポンサーリンク

確認問題

クリック(タップ)すると答が出てくるよ!

答:③蘇我馬子

古代史で登場する蘇我氏は主に3人。それぞれどの場面で登場するのか、しっかり確認しておきましょう。

蘇我蝦夷:蘇我馬子の息子。推古天皇・蘇我馬子・厩戸王の3人が亡くなった後、朝廷で絶大な権力を手に入れました。645年の乙巳の変で息子の蘇我入鹿と共に命を奪われました。

蘇我入鹿:蘇我蝦夷の息子。蝦夷と同じく権力を握ったが、逆に人々から不満を持たれ、645年の乙巳の変で命を奪われました。

答: ③冠位十二階(603年)→①十七条の憲法(604年)→ ②小野妹子の遣隋使派遣(607年)

冠位十二階によって各地から有能な人物を集めて、その後に役人の心得である十七条の憲法を定めました・・・という順番です。

小野妹子が遣隋使として隋へ向かったのは、冠位十二階&十七条の憲法による朝廷改革が落ち着いてから・・・と覚えましょう!

【大事なお知らせ】YouTube始めました!!

2024年2月、YouTubeチャンネル「まなれきドットコムちゃんねる」を開設しました。

まだ動画は少ないですが、学生や大人の学び直しに役立つ動画をたくさん増やしていくので、ぜひ下のアイコンからチャンネル登録、よろしくお願いいたします。

この記事を書いた人
もぐたろう

教育系歴史ブロガー。
WEBメディアを通じて教育の世界に一石を投じていきます。

もぐたろうをフォローする
飛鳥時代
シェアする
もぐたろうをフォローする

コメント