今回は、平安文学の1つである和泉式部日記についてわかりやすく丁寧に紹介していきます。
和泉式部ってどんな人?
まずは、著者である和泉式部がどんな人物なのか見ていきます。
時代は平安時代。西暦で言うと約1,000年頃のお話です。
和泉式部の経歴を簡単に紹介しておきます。
- 978年和泉式部、生まれる
父は大江雅致。式部省で働いていたと言われています。
- 995年頃
(18歳)和泉式部、橘道貞という男と結婚夫の橘道貞は和泉国の守(地方長官)でした。
- 1001年
(24歳)和泉式部、エリートチャラ男に恋をする。旦那との関係がうまくいかなかった和泉式部は京に向かう。夫とは別居生活へ。
皇族出身のエリートチャラ男の為尊親王に恋をする。
- 1002年
(25歳)為尊親王、亡くなる愛する人を失い和泉式部は悲しみに暮れる。
- 1003年
(26歳)和泉式部、為尊親王の弟(敦道親王)に恋をする - 1007年
(30歳)敦道親王、亡くなる - 1008年
(31歳)和泉式部日記の執筆開始!ココ重要! - 1009年
(32歳)和泉式部、皇后の藤原彰子に仕える紫式部と一緒に働いていた!
和泉式部がどんな人物だったのか、同僚の紫式部、そして仕えていた藤原彰子の父である藤原道長はそれぞれこんな風に言っています。
和歌の才能はあるけど、男癖が悪すぎ
和泉式部は浮かれ女(尻軽女)
世間から見た和泉式部は、常に男の噂の絶えない恋多き女性だったのです。(評判はあまり良くないかも・・・?)
実際、和泉式部はモテました。和泉式部は、男の心を射止めるのに当時大事だとされていた和歌が天才的に上手かったのです。
和泉式部日記の内容
和泉式部日記はそのタイトルの通り、和泉式部が書いた日記です。
別な人が書いたという説もありますが、ここでは和泉式部が書いたものとして話を進めます。
なぜ著者がはっきりしないのかは、実際に和泉式部日記を読んでみるとわかります。(ここでは詳しい説明は省略します)
和泉式部日記は日記と言っても、日々の出来事を書いたものではありません。過去の出来事をまとめて物語にしたノンフィクション小説に近いです。
和泉式部が日記を書くきっかけになったのは、愛していた敦道親王の死でした。
愛する者の死でスッポリと空いてしまった心の隙間。敦道親王が亡くなった翌年(1008年)、その心の隙間を埋めるため、和泉式部は敦道親王との過去の恋を振り返る恋愛物語を書くことにしたのです。
男性経験豊富な和泉式部ですが、敦道親王との恋は、他の男とは違う格別な恋だったのでしょうね。
和泉式部日記の登場人物
次に、物語の中心となる4人の人物について簡単に紹介しておきます。
和泉式部
和泉式部日記の主役。既に紹介済みなので省略。
和歌の天才。恋多き女(男たらしともいう・・・?)
為尊親王
冷泉天皇の第三皇子。
その高貴な血筋とそのプレイボーイな振る舞いで女性にモテモテ。和泉式部は、そんな為尊親王と恋人関係にありました。
1002年、26歳という若さで亡くなります。当時、京では疫病が流行っており為尊親王にはこんな噂がつきまといました。
為尊親王は、女遊びのために毎日夜歩きをしていたから病に冒されたんだわ。
為尊親王も問題だけど、誘惑する女性も問題よね。特に、男たらしで有名な和泉式部とかね・・・!!
敦道親王
冷泉天皇の第四皇子。為尊親王の弟。
和泉式部に兄為尊親王の死を偲ぶ和歌を送ったところ、その返事が素晴らしすぎて次第に和泉式部に惚れ込むようになる。
北の方
敦道親王の正妻。
敦道親王との関係が上手くいっておらず、敦道親王と和泉式部の親しげな様子に複雑な感情を抱く。
とても簡単にまとめると、出水支部日記は「和泉式部による、亡くなった元彼の弟との不倫物語」ってところです。この設定だけでも面白い物語な予感がプンプンしてきますね。
和泉式部日記のあらすじ(概要)
ある時、敦道親王は使いの者を通じて、兄の死で悲しみに暮れていた和泉式部に橘の花を送ります。
なぜいきなり橘の花が送られてきたのか?
和泉式部にはその理由がすぐにわかりました。
橘の花といえば、「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」(五月を待って咲く橘の花の香りをかぐと、昔の人のなつかしい袖の香りがする)
という和歌があるわね。
つまり、送られてきた橘の花の意味は「橘の香りで為尊親王を偲んでほしい」というメッセージね。
和泉式部は、敦道親王の心遣いに返答するために次の和歌を送りました。
薫る香によそふるよりはほととぎす聞かばや同じ声やしたると
【現代語訳】
香りで宮様(為尊親王のこと)を思い出すよりも、今も昔も変わらぬほととぎすの声のように、昔のままのなつかしい宮様の声を聞いて故人を偲びたいのです。
和泉式部は、橘と同じ五月の季語であるほととぎすをテーマにして「私は香りより声で宮様(為尊親王)を感じたいの」と敦道親王に返答したのです。
「ほととぎす」と「橘」、「声」と「香り」。その巧みで美しい和泉式部の和歌に、敦道親王は次第に和泉式部に惹かれるようになります。
敦道親王も和歌を詠むのが得意だったので、和歌の天才だった和泉式部に関心を持っていました。
実は最初に橘の花を送ったのも、「和泉式部なら橘の花の真意がわかるだろうか?わかるのならどんな反応をするのだろうか?」と和泉式部の和歌の才能を試す・・・という意味合いもありました。
そして、和泉式部はこれにパーフェクトな返答をしました。敦道親王が和泉式部に惹かれるのも当然です。
その後、敦道親王は「私の声は兄の為尊親王と同じですよ(だから一回会おうよ)」と和泉式部にアプローチを開始。
当時は、「裸よりも顔を見られる方が恥ずかしい」と言われるほど女性は自分の顔を男に見られることをためらいました。女性が男性に顔を見せるのは、2人が深い関係になってからというのが普通でした。(男性が意中の相手をこっそり覗き見することはありましたが・・・!)
なので、恋愛の始まりは基本的に和歌のやりとりから始まります。
つまり、和歌でお互いの最初の印象が決まってしまうのです。そのため、和歌の上手さというのは、恋愛における重要なモテ要素の1つでした。
和泉式部の和歌は、一発で敦道親王のハートを射止めたのです。
こうして高貴で教養もある敦道親王と、身分の低い和泉式部との間でキャッキャウフフのシンデレラストーリーが始まります。様々な障壁が身分の違う2人の間に立ちはだかりますが、2人はこれを乗り越え、そのたびに関係を深めていきました。
関係が深くなると敦道親王は車の中で行為に及び、今で言う「不倫路上カー○ック○」までしています。
最終的に敦道親王は、和泉式部を自分の召使として自邸に住まわせることに。すると、敦道親王の和泉式部への気持ちを知っていた正妻の北の方が家出を決意。(超展開・・・!!)
北の方が家出をするところで和泉式部日記は幕を閉じます。ハッピーエンドともバッドエンドとも言えない、なんとも不思議な終わり方です。
(和泉式部からみれば、敦道親王が北の方より自分を選んでくれた・・・ってことなので、和泉式部の立場から見ればハッピーエンドなのかもしれない)
和泉式部日記を読んでみよう!
古典というとハードルが高く感じますが、実は和泉式部日記は誰でも簡単に読むことができます。
なぜなら、物語そのものがとても短く、現代語訳や解説も充実しているからです。
古典を読むときに個人的にオススメしているのが、角川ソフィア文庫の「ビギナーズ・クラシックス日本の古典」シリーズです。
原文と読みやすい現代語訳に加え、わかりやすい解説付き。おまけにシリーズものなのでいろんな古典を読めるという古典入門には必読といってもいい良書です。
上で簡単なあらすじを紹介しましたが、和泉式部と敦道親王の山あり谷ありのラブラブ恋愛ストーリをもっと読んでみたい方にはぜひ、角川ソフィア文庫を手にとってみてください。短い物語なのでサッと読むことができます。
和泉式部も、まさか自分の書いたノンフィクション恋愛物語が1000年の時を経た今もなお、多くの人に読まれるベストセラー本になっているとは想像すらしなかったことでしょう。
嬉しいような恥ずかしいような、複雑な気持ちね・・・。
今の日本ではどのような恋愛が流行っているのかわからないけど、男女問題の本質は、きっと今も昔も変わらない。だから1000年もの間、読んだもらえたのだと思うわ。
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