今回は、高校の「政治・経済」の授業で学ぶ基本的人権についてわかりやすく丁寧に解説していきます。
日本国憲法の3大原則の1つ「基本的人権の尊重」
日本国憲法は第1条から第103条まで様々なことが書かれていますが、その内容は大きく3つに大別され、これを日本国憲法の3大原則と言います。
この3大原則の1つに、この記事で話題とする「基本的人権の尊重」というのがあります。
つまり、基本的人権は日本国憲法を知る上でとても大事なもの・・・ということです。
日本国憲法では基本的人権について次のように書かれています。
わかりやすくまとめると、「人権は人類が努力で勝ち取った賜物で、何人も侵すことのできない永久の権利だよ」ってことです。
基本的人権の歴史(日本の場合)
そんな人類がようやく手に入れた基本的人権ですが、日本の場合はどんな歴史があって基本的人権をゲットすることができたのでしょうか。
戦前の旧憲法(大日本帝国憲法)と比較して、今と昔で基本的人権の扱いがどう変わってきたのか見ていきます。
大日本帝国憲法では、人権は「法律に定めた範囲内で保証されるもの」とされていました。
どうゆうことかというと、法律さえ制定すれば人々の人権の中身を変えることが可能だった・・・ということです。
この点が、人権は永久不可侵の権利とする今の憲法(日本国憲法)と決定的に違う点でした。
実際、戦前の日本は法律によって人権を抑圧しています。
たとえば、1925年に制定された治安維持法。
治安維持法は、当時の日本で流行していた
- 共産主義運動
- 日本の皇室批判運動
- 反国家体制の運動
などを取り締まるための法律ですが、人を逮捕するのに取締りには明確な証拠は必要ありませんでした。
警察が「あいつら逮捕すべきだ!」と判断しただけで逮捕できてしまうからです。そのため、人々の人権は国家権力によって蹂躙されることになります。
共産主義思想・皇室批判が弾圧を受けたことで、人々の持つ思想や宗教の自由が奪われ、証拠もないまま警察の判断で逮捕されることで、身体の自由が奪われました。
ただ、当時の人権は「法律の範囲内」で認められるものなので、治安維持法を筆頭とした人々の人権を制限する法律も合法的なものとされていました。
治安維持法は制定された後に何度か改正され、国民の生活すべてに適用されていきました。逮捕者数は廃止されるまでの20年間で、約数十万人といわれるほど。旧憲法下では、国民の人権は法律さえあれば容易に踏みつけられる程度の権利だったのです。
しかし、敗戦後、アメリカ主導で日本の民主化が行われた結果、人権のあり方は大きく変わりました。
人権侵害の根本的な問題だった、「人権は法律の範囲内でしか認められない」という憲法の考え方は廃止。人権は基本的人権とも呼ばれ、法律によってすら侵されることのない永久の権利へと大変化を遂げたのです。
基本的人権の内容
人権人権って言うけど、人権って具体的にどんな権利のことなんだ?
と思った人もいるかもしれません。
憲法に定める基本的人権とは、私たちが持つ以下の5つの権利のことを言います。
言葉だけ並べてもよくわからないので、どんな権利か簡単に解説をしていきます。
自由権
私たちは生活や仕事、考え方を自由に選ぶことができます。この自由に生きれる権利が自由権です。(自由だからと言って何をしてもOKってわけではありませんよ)
この自由権は、その内容から3つの自由に細分化できます。
参政権
参政権は、日本国憲法の3大原則「平和主義」「国民主権」「基本的人権の尊重」のうち、国民主権の根幹を支えるめちゃくちゃ重要な権利です。
細かい話を全部抜きにして簡単に言ってしまうと、参政権は「国の政治を、国民が主体となって行うための権利」です。
参政権には、選挙に投票できる選挙権も含まれます。
もし、国家権力が基本的人権を侵害することがあれば、私たちは選挙権を含む参政権を使って、国の暴走を止めることもできます。
参政権は、基本的人権を守る武器にもなるとても重要な権利なのです。
社会権
社会的経済的弱者を守るために、国民が国に対して積極的な配慮を求める権利です。
私たちは、資本主義の世界に生きています。資本主義は、何もなければ「富める者はますます富み、貧する者はますます貧する」という、ある意味ではとても残酷な世界です。
このような世界の中、社会的弱者を助けようとするのが社会権です。資本主義が世界に広まった20世紀に生まれた比較的新しい人権です。
国務請求権
国民ひとりひとりが行為や給付を国に請求できる権利です。
人権の保障をより確かなものにするための人権です。
がこれにあたります。
平等権
私たちは法の下に平等であり、性別や身分、国籍などで差別されません。憲法では「女だから○○はダメ」「この犯人は〇〇の出身だから罪を重くしよう」ということを禁じています。
公共の福祉とのバランス
基本的人権は、侵されることのない永久の権利と憲法に書かれていますが、だからと言って何をしてもいいわけではありません。
憲法では、基本的人権は「公共の福祉に反しない場合に限り、尊重される」と言っているんです。
公共の福祉という言葉がわかりにくいですが、要するに「自由を謳歌するのはいいけど、人に迷惑をかけない範囲にしないとダメよ」ってことです。
例えば、精神の自由があるからと言って、
私の考える「朝はご飯よりパンを食べた方が一日が幸せになる理論」は絶対に正しい。
だから、あなたも朝はパンを食べなさい。食べないなら無理やりたべさせるからな!!
あの人は何を言っているのだろう。
私はご飯派だから、パンなんか食べないわ。変な押し付けはやめて!!
このような他人への思想の押しつけはダメです。これは相手の精神の自由を侵すことになりかねません。
このような行為のことを、憲法では「公共の福祉」と呼んでいます。「公共」=「国のため」ではないことに、注意が必要です。
上の例だと、パン派がご飯派に思想を押し付けています。過激なパン派を抑止して、衝突する2つの精神の自由を、互いに尊重できるように調整するのが「公共の福祉」の役割です。
上の例は、私がテキトーに考えましたが、これが過激になって隣人への嫌がらせや迷惑行為に発展すれば、公共の福祉を超えて精神の自由を乱用したことになり、法律に基づいて逮捕されることもあります。
このように、基本的人権は常に公共の福祉とセットで考える必要があります。
最後に、その「公共の福祉」が憲法上でどのように明記されているのか確認しておきます。
要約すると、
と憲法は言っています。
これにはさらに続きがあります。
要約すると「他人に迷惑をかけないならのなら、国民の権利(基本的人権)は最大限尊重されるべき」と憲法は言っています。
この条文は、憲法の3大原則のうち「基本的人権の尊重」の根拠ともなる重要な部分です。その大事な部分に「公共の福祉に反しない限り」と釘を刺していることからも、基本的人権と公共の福祉は2つで1つ。互いに共存すべきものだということがわかります。
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