精神の自由を簡単にわかりやすく解説するよ!【内容と政教分離・通信の秘密までバッチリ確認】

この記事は約6分で読めます。

今回は、高校の「政治・経済」の授業で学ぶ精神の自由についてわかりやすく丁寧に解説していきます。

この記事を読んでわかること
  • 精神の自由って具体的にどんな自由のこと?
  • 政教分離って何?
  • 精神の自由を守るための通信の秘密って?
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精神の自由とは?

精神の自由とは、私たちの持つ以下の4つの自由のことを言います。

  • 思想・良心の自由
  • 信教の自由
  • 学問の自由
  • 表現の自由

つまり、「みんなどんな考えを持っていてもいいし、どの宗教を信じるかも自由!好きなことを学んでいいし、自分の想いを表現することも自由だよ!」ってことを憲法は言っています。

こんな当たり前のことがなぜ憲法に書かれているかというと、少し前の日本には、今では当たり前の自由がなかったからです。

憲法の中身を知ることもとても大事ですが、それと同じぐらい「なぜ憲法に書かれるようになったのか?」を知ることも大切です。

というわけで、内容の前に「精神の自由の歴史」みたいなものを簡単に紹介しておきます。

話は第二次世界大戦の前にさかのぼります。当時、日本には大日本帝国憲法という今とは別の憲法がありました。

大日本帝国憲法には、上で紹介した4つの自由のうち、「信教の自由」と「表現の自由」がありました。

つまり、「どんな宗教を信じてもいいし、自分の考えを自由に表現してOK!」ってことです。

この2つの自由権は、具体的にはこんな風に書かれていました。

大日本帝国憲法の信教・表現の自由

第28条(信教の自由)

日本臣民は、安寧秩序を妨げず、かつ、臣民としての義務に背かない限りにおいて、信教の自由を有する。

第29条(表現の自由)

日本国民は、法律の範囲内において、言論、著作、印行、集会及び結社の自由を有する。

一見すると、何も問題ないように見えますが、実は黄色い線を引いた部分が大きな問題となりました。何が問題かというと、精神の自由に強い制約が課されていた点です。

例えば、信教の自由には「安寧秩序に背かない限り」という条件があります。もし、国が「キリスト教は教徒がいるだけで危険だ」って判断すれば、キリスト教を禁教扱いににもできるわけで、実際は自由からはほど遠い状況でした。

表現の自由には「法律の範囲内」という条件がありますが、1925年に治安維持法という法律ができると、自由は強く制限されて、憲法に掲げる自由は形だけとなってしまいました・・・。

こんな風に昔の憲法は、国が人々の精神の自由を制限できてしまったんです。

しかし、今の憲法では精神の自由を含む自由権は「生まれながらに持つ、侵すことのできない永久の権利(基本的人権)」として、法律を超越した権利に生まれ変わることになります。

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精神の自由の内容

精神の自由の歴史を確認したところで、次は、先ほど紹介した4種類の精神の自由の内容を解説していきます。

思想・良心の自由

日本国憲法第19条(思想・良心の自由)

思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

考えるだけなら、何を考えてもOKってことを言っています。「ムカつくから、アイツを◯す」とか危険なことでも思うだけなら自由です。危険な思想を持っていても、思っているだけなら警察に捕まることもありません。

昔の日本は、「あの人は、危険な思想を持っている人だ!」と思われるだけで、治安維持法などを根拠に捕まることもありました。

ただ、何をしてもいいというわけではなく、

  • 特定の思想を無理強いする
  • 思想を理由に損害を与える
  • 考えている事を強制的に告白させる

など、第三者に影響が及ぶ行為は禁止です。

信教の自由

日本国憲法第20条(信教の自由)

第1項 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

第2項 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

第3項 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

どんな宗教でも信じていいよと憲法は言っています。

たとえどんなに怪しそうな宗教を信じていても、国がこれを邪魔することはできません。条文には、宗教的儀式への参加や、宗教団体の結成する自由も含まれています。

ただし、第3項にあるとおり、国には制約が課されています。国は宗教に基づく教育や活動を行ってはいけないと憲法は言っています。信教の自由があるのはあくまで一個人のみです。

なぜ国に制約が課されているのかというと、国が特定の宗教と結びつけば他の宗教への弾圧や差別がおこなわれるという歴史と反省に基づいたものです。

昔の日本は神道を国の宗教と考えていたため、他の宗教が抑圧されてしまった歴史があります。

具体的に、国が以下の2つのことを行うことを憲法ではNGとしています。

  • 政治上・財政上の特権を与える
  • 国がおこなう宗教活動

国が宗教活動に参加しない仕組みのことを「政教分離せいきょうぶんり」と言います。

学問の自由

日本国憲法第23条

学問の自由は、これを保障する。

好きなことを勉強していいよと憲法は言っています。

勉強だけではなく、勉強の成果を発表したり、他人の教える自由もここに含まれます。

実は学問の自由の内容というのは、思想・良心の自由and表現の自由と被っています。

  • 好きなこと勉強してOK→思想・良心の自由
  • 勉強の成果を発表・他人に教えてOK→表現の自由

なので、第23条というのは無くても良いのですが、日本国憲法では意図的に学問の権利を独立した1つの権利として明記しています。

なぜ、こんなややこしいことをしたのかというと、明治時代に起こった特定の思想への批判や学問弾圧に対する反省のためです。

学問の自由が明記されている憲法は世界的にも少なく、日本がいかに歴史を反省しているかがわかります。

表現の自由

日本国憲法第21条

第1項 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

第2項 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

自分の思っていることはどんなことであっても、発表してもいいよ。国は発表内容を監視したらダメだよ。と言っています。

例えば、「国会議員の◯◯さんは嫌い」とか「△△市の市長なんかやめちまえ!」とか今の政治を否定することもOKです。戦前の日本なら、こんなことを言ったら簡単に逮捕されたことでしょう。

ただし、いくら自由だとしてもどんな表現もOKというわけではありません。誹謗中傷や脅迫など、他人の人権を踏みにじるような表現はダメです。(法による罰則があることも・・・)

プラカードを掲げて集団でデモ活動をしている様子を見たことがあるでしょうか?

このデモ活動は人々が集まる「集会」であり、表現の自由に基づいて行われています。

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おまけ【表現の自由と通信の秘密】

表現の自由を明記した憲法の第23条のなかに、「通信の秘密は、これを侵してはならない。」と書かれている部分があります。

人々の電話やLINEなんかの内容を、国が勝手に見たらダメだよ。秘密にしようね。ってことを言っています。

実は日本には、この通信の秘密を脅かしかねない法律があります。それが通信傍受法つうしんぼうじゅほうという法律です。

通信傍受法は、「犯罪捜査など限られた場合にのみ、警察は人々のやりとりを無断で傍受してもOK!」ってことが書かれています。

薬物密売や窃盗などの操作で通信傍受法は実際に使われていて、警察は通信内容を勝手に傍受しています。

犯罪解決のために役立ってるなら、問題ないんじゃない?

って意見もあるかもしれません。

しかし、通信傍受法を拡大解釈して、警察や政府の監視力を強めれば、政府に不満を持つだけで逮捕されるかもしれません。

これでは、治安維持法があった戦前に逆戻りです。行き過ぎた傍受は憲法が保障する人権の侵害につながるとして、憲法違反を主張する声もあり、大きな社会問題の1つとなっています。

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この記事を書いた人
もぐたろう

教育系歴史ブロガー。
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