農地改革を簡単にわかりやすく解説【目的は寄生地主制の廃止!】

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もぐたろう
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今回は、戦後の五大改革の1つ「農地改革」について、わかりやすく丁寧に解説していくね!

この記事を読んでわかること
  • 農地改革ってなに?
  • 農地改革はなぜ行われたの?
  • 農地改革って具体的にどんなことをしたの?
  • 農地改革の結果はどうなったの?
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農地改革とは

農地改革とは、戦後にGHQの指示で実施された日本民主化に向けた五大改革の1つです。

農地改革の目的は、ザックリと説明すると「地主に搾取されて貧困に苦しんでいた小作人を地主から解放すること」でした。

GHQは、日本の民主化のためには、地主に支配されている小作人たちを解放することがとても重要だと考えたのです。

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農地改革が行われた時代背景【寄生地主制】

まずは、戦前の農地制度をサラッとおさらいしておきます。

戦前の農地の仕組みは、

地主は農民に農地を貸す。

農民は借りた農地で農業をして生計を立てる。

地主は小作料(農地のレンタル料みたいなもの)を農民から徴収する。

という仕組みが一般的でした。

農地制度の歴史

江戸時代までは「自分の土地は自分でたがやす」というスタイルが主流であり、地主=農家でした。

もぐたろう
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江戸時代には田畑永代売買の禁止令っていう禁止令があって、農民は自分の土地を勝手に売ることができなかったので、自然と地主=農家になったんだよ。

ところが明治時代に入ると、農地制度が大きく変化します。

田畑永代売買の禁止令が廃止されて、土地の売買が自由になったのです。

さらに、地租改正による土地所有者への増税&松方デフレによる不景気で、貧しい農民たちの中には重税に耐えきれず土地を維持できない者も増えていきました。

農地を持っているせいで重税を課せられてしまい、まともな生活ができない・・・。

こんなに苦しいなら、いっそ農地なんて売ってしまおう!!

こうして農地を売ってしまう者が増え続け、逆に生活に余裕のある富裕層たちが買い手となって広大な農地を手に入れるようになったのです。

農地を売った人の多くは、同じ農地でそのまま小作人として農業を続け、一方の地主は、自ら農業を行わず小作人からの小作料を徴収することで巨額の不労収入を得ることに成功します。

このような農地制度では、地主が小作人に寄生して生活しているみたいだったので、明治時代以降の地主のことを寄生地主きせいじぬしと呼ぶようになりました。

寄生地主制の何が問題だったかというと、

地主が課した小作料が高すぎて、小作人たちが貧困化してしまったこと

が大きな問題でした。

小作人たちは貧しいだけではなく、地主たちに逆らえば生活する術を失ってしまうため地主に繋がれた奴隷(農奴)のような身分になってしまったのです。

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農地改革が行われた理由

GHQは、この寄生地主と小作人の関係が、日本が戦争を起こした理由に深く関係している・・・と考えます。

日本は明治維新以降、資本主義が発展し大きな経済成長を遂げました。

産業の工業化も進んで、いろんな商品を低コストで大量生産できるようにもなりました。

・・・しかし、大量の商品を生産できるようになっても、日本ではその商品をたくさん買ってくれる消費者がうまく育ちませんでした。

なぜかというと、国民の多くが貧しい生活をしており、新しい商品を買う余裕などなかったからです。

そこでGHQは次のように考えました。

日本は、国内では商品が売れないから、商品を売るために植民地を手に入れようと戦争を起こした

だから、日本が再び戦争を起こさない国にするには、日本を豊かな国にする必要がある!

そのためには、寄生地主に搾取されて貧困に苦しむ小作人たちを解放しないといけない!

小作人の貧困化を問題視していたのはGHQだけではありません。

日本政府もまた、戦前から小作人の貧困化を大きな社会問題とみなしていて、戦争が終わったこのタイミングで農地制度に大きなメスを入れようと考えました。

日本政府は、戦争が終わるとすぐGHQの指示を受ける前から農地改革の検討をスタートします。

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第一次農地改革

1945年10月、幣原内閣はさっそく農地改革の案を作ります。この案のことを第一次農地改革案と言います。

内容は次のような感じでした。

第一次農地改革の案内容
  • 保有する農地に住んでいない地主(不在地主)が持っている農地はすべて小作人に売り渡すこと
  • 保有する農地に住んでいる地主(在村地主)は、5町歩を超える分は小作人に売り渡すこと
  • 売り渡しは、地主と小作人が直接交渉して行うこと
  • 各市町村に設置する農地委員会が、地主と小作人の仲介役となって農地改革を進めること。
  • 農地委員会のメンバーは、地主5人・自作農5人・小作農5人とすること
もぐたろう
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要するに「地主は土地を小作人に売り渡せ!」って内容です。

※高校日本史で重要になるのは次に紹介する第二次農地改革の内容なので、第一次の内容は覚えなくてもOKです。

しかし、農地改革は地主にとって不利益なものであるため、地主から政府へさまざまな圧力がかかり、改革案の決定は難航なんこうします。

・・・ところが1945年12月、事態は一変します。

GHQが、日本の民主化のため5つの大改革を日本政府に命じたのです。(五大改革

この5大改革のうちの1つに選ばれたのが農地改革だったのです。

もぐたろう
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敗戦直後の日本はGHQの命令には逆らうことはできなかったので、GHQから五大改革の命令があった後、日本政府は地主の意見を無視して農地改革を断行できるようになったんだ。

1945年12月、GHQの圧力もあって第一次農地改革の案が正式に決定。

さっそく農地改革が始まります・・・が、この農地改革はうまくいきませんでした。

寄生地主たちは「これからは俺が自作農をするから土地は売れない!」と言って小作人から土地を取り上げたり、逆に不当に高い価格で小作人に農地を売りつけたり、あの手この手で対策を講じてきたからです。

アメリカ(GHQ)
アメリカ(GHQ)

あのさぁ・・・、こんな内容じゃ農地改革なんて全然進まないだが?

ってかさ、農地委員会のメンバーからもっと地主の数を減らさないと、地主の意見が反映されちゃって改革なんてできなくね?

もう1つ言わせてもらうと、地主と小作人に交渉をさせるんじゃなくて、国が強制的に地主から農地を買い上げないと地主が不正し放題だからな。

日本政府
日本政府

ぐぬぬ・・・

こうして、日本政府はGHQの指示に従い、もっと強制力のある新たな農地改革案の作成に着手することになります。

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第二次農地改革

1946年10月、日本政府はGHQの意見も取り入れながら、第二弾となる農地改革をスタートします。(第二次農地改革

第二次農地改革はGHQからも認められ、内容はこんな感じでした↓↓

第二次農地改革の内容
  • 不在地主は、小作人に貸してるすべての農地を売り払う
  • 在村地主は、1町歩(※)を超える分の農地を売り払う
    ※広大な北海道は4町歩
  • 農地は国が強制的に地主から買い取って、地主へ売り渡す
  • 農地売買の手続きは、各市町村に設置された農地委員会が担当する
  • 農地委員会のメンバーは、地主3:自作農2:小作農5の割合で構成すること。
アメリカ(GHQ)
アメリカ(GHQ)

OKOK!この案なら農地改革も上手くいくと思うよ!

もぐたろう
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農地委員会のメンバー構成と農地の買取方法が見直されていることがわかるね。

1町歩っていうのは昔から日本で使われている面積の単位で広さは、約9917㎡です。

イメージは野球グランドぐらいの広さです。

※甲子園球場や東京ドームのグラウンドで約12,000~13,000㎡

第二次農地改革を実行するため、自作農創設特別措置法じさくのうそうせつとくべつそちほうという法律が制定され、いよいよ本格的な農地改革がスタートしました。

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農地改革の結果

農地改革はスムーズに進み、1950年までに寄生地主はほとんど消え去りました。

戦前まで全体の半数を占めていた小作地の割合が5割→1割まで減少。

戦争前後の自作農と小作農の割合

さらに、多くの小作人に農地が分け当てられた結果、1つ1つの農地が小規模なものとなり、農家の多くが1町歩未満の零細な自作農家となりました。

1947年には、農家たちの経営支援のため農業協同組合(略して農協)が設立されました。農協は、今もなお存在していて、日本の農業に大きな影響力を持っています。

戦争前後の耕地面積別の農家比率
もぐたろう
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1反は1町の1/10の広さで約991㎡。

だいたいテニスコート5つ分ぐらいの広さだよ。

一方の地主たちは小作人に寄生できなくなり、それまで持っていた経済力と社会的な立場を失いました。

・・・つまり、GHQが目指していた『小作人を寄生地主から解放する』という目的は、農地改革によっておおむね達成されたということです。

もぐたろう
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地主から土地を奪い取る・・・という強引な政策だったわりに改革がスムーズに進んだので、農地改革はGHQの日本占領政策の成功事例と言われることもあるよ。

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確認問題

答: ア

在村地主(農地がある村に住んでいる地主)は、1町歩を超える農地は売らないといけなかったけど、逆に1町歩以下の土地あればそのまま自分の土地にしてOKでした。

答: ウ

難関大学を目指す人を除いて具体的な数字を覚える必要はないけど、ザックリと『地主が少なくて小作農の割合が一番多い!』ってことは覚えておきましょう。

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この記事を書いた人
もぐたろう

教育系歴史ブロガー。
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