今回は、1860年に出された五品江戸廻送令(ごひんえどかいそうれい)について解説していきます。
概要を先に説明しておくと以下のとおりです。
- STEP1各国と通商条約を結び、日本は外国と自由貿易を開始
- STEP2商人「生糸とか呉服とか日本で売るより海外に売った方がめっちゃ高く売れるで!」みんな貿易港だった横浜などで商売をするようになる。
- STEP3江戸では商品が品薄に。価格も高騰し、庶民が苦しむ
- STEP4幕府「商品を売るときは、必ず江戸を通すように法律作るわ。これで江戸に商品が入ってくるから、品薄and物価高騰は解消するはず!!
- STEP51860年、五品江戸廻送令へ
この記事では、もう少し詳しく五品江戸廻送令について見ていきます。
五品江戸廻送の内容
五品江戸廻送令の内容は次のようなものでした。
江戸に商品が入った時に、江戸で消費される分を江戸に卸しておいて、残った分を横浜へ送るという仕組みです。
こうすれば、江戸の品薄を解消できて物価も下がり、人々の生活も安定する・・・というわけです。
五品江戸廻送令の効果は微妙・・・
五品江戸廻送令の効果はどうだったかといえば、結果は微妙でした。
発令があった当初は効果があったようですが、1864年になると欧米諸国が五品江戸廻送令に対して抗議を始めます。
抗議の論点となったのは、「江戸で商品を卸して、残った分だけを横浜に送る」というところ。
幕府がこれを利用すれば、「海外と貿易させたい量を逆算して、江戸に大量に商品を卸しておく・・・」ということも可能になります。つまりは貿易統制です。
というか、おそらく幕府の真意は貿易統制にありました。各国と通商条約を結んだ以上、外国に対して「自由に貿易するな!」と言えないので、日本の商人の動きを規制することで、実質的な貿易統制を図ったわけです。
これが欧米諸国は気に入りません。当然です。通商条約では自由貿易が認められていたのに、これでは自由貿易とは言えないからです。
こうした欧米諸国の圧力により、五品江戸廻送令は形だけの法律となり、誰もこの法律を守らなくなってしまいます。
貿易商人たちも、江戸を通さず直接横浜で貿易をした方が儲かるので、五品江戸廻送令を守らなくなり、効果はほとんどありませんでした。
世直し一揆始まる
五品江戸廻送令は、失敗に終わりました。結局、幕府は物価安定のための効果的な政策を打ち出すことができず、人々の生活はますます苦しくなっていきます。
1864年以降になると国内でも戦争が始まり、トドメの一撃と言わんばかりに米の価格が急上昇。堪え兼ねた人々は遂に暴動を起こします。米屋や質屋を「世直し」の名の下に、次々と襲撃するようになったのです。これを世直し一揆と言います。
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