【高師直らしき人物(足利尊氏説もあり)】
今回は観応の擾乱の主役の一人、高師直(こうのもろなお)について紹介します。
年代的にはざっくりと1330年〜1350年ぐらいのお話。ちょうど鎌倉幕府が滅亡して南北朝の争乱が始まった頃です。
そんな混沌とした時代の中、高師直は当時ではあり得ない著しい出世を成し遂げます。下克上は戦国時代の代名詞ですが、実はこの頃から下克上的な動きが始まっていて、高師直は下克上の先駆者です。そんな意味では北条早雲や朝倉孝景の先輩とも言えそうです。
この記事は、こんな方に向けて書いています。
足利氏の執事(しつじ)だった高一族
高師直の属する高(こう)一族は、昔から足利一族の様々な雑務を担う部署のトップでした。いわゆる家政機関の長で、執事(しつじ)と呼ばれます。
日常生活のもろもろの雑務はもちろん、尊氏とその家来との情報伝達役になったり、戦いの時は尊氏の親衛隊として活躍していました。鎌倉時代末期、霜月騒動で滅びた平頼綱(たいらのよりつな)みたいなイメージです。
1333年5月、鎌倉幕府が滅亡すると、北条氏の御家人の一人に過ぎなかった足利尊氏は著しい大躍進を遂げ、1336年にはなんと室町幕府まで創設します。日本全国の武家を束ねる将軍になったわけです。
すると、足利尊氏の執事だった高師直も、それに合わせて将軍の側近中の側近として大きな影響力を持つようになります。
こうして足利尊氏の台頭と共に、高師直が歴史の表舞台に登場することになります。
とにかく強い!尊氏軍のエースだった高師直
しかし、尊氏の執事だからと言う理由だけで出世したわけではありません。高師直は、非常に優秀な人物で特に武勇に関してはおそらく足利尊氏の最も信頼する人物の一人でした。
高師直が活躍した時代(1330年〜1350年ぐらい)と言うのは、非常に裏切りが多い時代でした。負け組に加担すると一族が滅びる可能性もあったので、とにかく勝てそうな方に味方する。だから、AとBが戦っていてAに味方していても、Bが勝ちそうだと思ったらBへ寝返りする人たちもたくさんいました。
ところが高師直の場合、先ほど述べたように「尊氏の出世=高師直の出世」なので、尊氏とは運命共同体。2人には強固な主従関係が築かれていました。
裏切らないってだけでも十分信頼できて頼りになるんですが、高師直の場合、細かい話を抜きにして純粋にめちゃくちゃ強いやつでした。尊氏直属の親衛隊長としてはもちろんですが、各地で起こる戦いに不利になると尊氏はいつも高師直か、その弟の高師泰(こうのもろやす)を頼りました。
と言った感じ目覚ましい活躍をしています。尊氏の側近でしかも超強いということで室町幕府内ではかなり強い発言力や影響力を持つようになります。
人間性に難あり!?ばさらを謳歌する者
尊氏の躍進と共に大出世を遂げた高師直ですが、その人間性には少し問題があったと言われています。
何が問題だったと言うと、高師直が当時流行っていた「ばさら」と言う風潮に染まりきっていたことでした。
ばさらは、鎌倉幕府が滅亡したことで下からのし上がってきた新興勢力が古い慣例や文化をぶち壊そうとする風潮のことを言います。簡単に言うと「時代の寵児」で最近で言うところのホリエモンみたいなイメージですね。
と続く激動の時代を自分の実力と運で切り開いてきた新興勢力の人たちは、旧来の権威やルールに縛られず、己の力のみを信じました。
高師直もそんな「ばさら」を謳歌する者の一人。
高師直「朝廷の権威?仏法の力?天皇?何それおいしいの?力こそが全てなんだよなぁ・・・」
欲しい土地があればそれを奪い、欲しい女がいればたとえ人妻でもそれを奪う。仏様や神様を軽んじ、同じ京に住んでいながら朝廷や貴族までも見下し、しまいには天皇ですら侮辱する発言をする。
そんな破天荒な存在だったのが高師直でした。
高師直には、ばさら風の悪エピソードが色々と残っていますが、ここでは女性関係のゴシップネタを1つ紹介します。
高師直「美人な人妻を奪いたいから夫殺したろ」
高師直は女遊びが大好きで、皇族や貴族など高貴な血筋の女性と手当たり次第に関係を持っていました。あまりにも女性の元へ通う回数が多いものだから、京では「高師直は百発百中なんだぜ!(超訳)」とからかいの噂が立つほどでした。
貴族たちは自分の娘をどこの家に嫁がせるべきか真剣に考えているのに、それをガン無視して半ば強引に娘と関係を持つ高師直はとても嫌われていました。これは路上で急に女性を襲うようなもので、今やったら100%捕まりますので真似はしないように。
そして高師直は、部下の嫁にも目をつけます。これが実に酷いエピソードでした。
とある時、高師直はみんなと平家物語について話をしていました。
モブキャラ「源平合戦で活躍した源頼政は、武勇伝を残し絶世の美女を貰った。確かに美人を妻にできるのは嬉しいけど、どうせ褒美をもらうなら所領の方が嬉しいよね」
高師直「いやいや、なんもわかってねーなww逆だよ逆!絶世の美女って言うのは、どれだけの所領を与えてでも手に入れる価値があるものなんだぞ」
これを聞いた一人の女性言います。この女性は太平記では「侍従」と呼ばれているので侍従と表記します。
侍従「そういえば、そんな絶世の美女がちょうど京の洛外にいるらしいわ。今は塩冶高貞(えんや たかさだ)と言う人物を頼っているらしいですわ。」
高師直「何っ!!その絶世の美女に私をすぐに会わせるのだ!!もし会わせてくれたらどんな褒美もやるから頼むぞ!!!!!」
侍従(ヤバい・・・。私、大事なことを言うの忘れちゃった。その方って今は塩冶高貞と結婚してるの。でも、今さらそんな興ざめなことを言ったら、師直様に殺されますわ・・・)
この後、侍従は高師直とその美女の間を仲介しますが、失敗。詰んだ侍従は閃きました。
侍従「そうだ!湯上りの化粧をしていないすっぴんの顔を見せよう!そうすれば師直様も諦めるはず!!」
こうして侍従は、美女の入浴シーンを高師直に見せつけます。
もちろんこれは逆効果。高師直は艶かしいその姿を見て、美女であることを確信し、さらにその女性に惚れ込むことになります。しかし、その後も恋文を送り続けるも一向に返事はなし。
ここで高師直は足利尊氏の執事であることを利用して、恐ろしことを考えます。
高師直「尊氏殿に『塩冶高貞に謀反の企みあり』とそそのかして、塩冶高貞の命を奪う。そしてその後、ゆっくりと美女を奪えば良いのだよ。」
こうして塩冶高貞は突如として追われる身となり命を落とし、美人の妻も追っ手に追いつかれ、もはやこれまでと自害。こうして夫婦二人は高師直の欲望の犠牲となり、凄惨な最期を迎えました。
この高師直の胸糞悪い話は有名なエピソードですが、なんか書いているうちに侍従の方がヤバいやつなんじゃねーか!?と思えてきました。スッピン見せて諦めさせるために湯上がりを盗撮させるって発想が常軌を逸している・・・!!
観応の擾乱
1340年代後半になると、高師直と足利直義の関係が悪化し始めます。
当時は、高師直が尊氏の代理として軍事を担い、尊氏の弟である足利直義が訴訟などの各種政務を担いました。
すると、トラブルばかり起こす高師直とその対処に追われる直義は政治上も次第に対立するようになりました。以下の記事で二人の対立について詳しく解説していますので、合わせて読んでみて欲しいです。
そして1349年、ついに両者の対立は武力闘争に発展。人々は高師直派と足利直義派に分かれ、全国へ戦火は拡大します。観応の擾乱の始まりです。
両者は一進一退の攻防を続けますが、直義が南朝に味方するという奇想天外な奇策を用いて高師直を撃破。足利尊氏の助命により一時的に死を免れましたが、護送中に上杉能憲(うえすぎ よしのり)に襲撃されその一生を終えました。
上杉能憲は父を高師直に殺されており、その仇討ちをした形です。この時、高一族とその家来たちは悉(ことごと)く命を奪われ、ここに高一族は滅亡はしました。一族が根絶やしにされてしまったのは、怨みを買うことをしすぎた報いでしょうか。
太平記では、高師直の死についてこんな意味深な言葉を書き残しています。
太平記は思想が偏っている(南朝寄り)なので、この評価が全てとは思いませんが、端的に高師直の人柄を表しているように思います。
まとめ
高師直についてまとめるとこんな感じです。
この記事の内容からも察してもらえたかと思いますが、後世の人たちの高師直に対する評価はかなり低いです。当時の時代を描いた軍記物語「太平記」では、極悪非道な人物として描かれており、とにかく良い話がありません。
しかし、ばさらに染まっている人たちはみんな高師直を似たり寄ったりの行動をしているので、高師直だけがずば抜けて極悪非道だったと言うのは太平記の誇張なんじゃないか?みたいな意見もあるようです。
太平記は南朝寄りの視点が多い
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その南朝では貴族たちが中心となって政治が行われている
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貴族たちは自分たちの存在を否定するばさらが大嫌い
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そして、ばさら者の中でも特に力を持っていた高師直をばさらの代表格にして太平記の中で批判
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太平記を読んだ後世の人々が高師直に悪いイメージを持った。
そんな流れは少なからずあるように思います。平家物語で平清盛が悪者扱いされている事情と似ています。ただ、火のないところに煙は立たないので、神仏や旧来の権威を否定したり、女好きだったりしたのは本当なのかなと思います。
以上、高師直についての紹介でした!
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