今回は、日本最古の通貨と言われている富本銭(ふほんせん)についてのお話。
前に奈良県明日香村の万葉文化館を訪れたことがあります。そこには富本銭の鋳造工場の遺跡(飛鳥池工房遺跡と呼ばれています。)があって、富本銭に関するわかりやすい資料なども拝見することができました。
【万葉文化館にある鋳造工場の遺跡(再現)】
館の人に話を聞くとこの遺跡はレプリカらしいですが、万葉文化館の建設時にこの場所から富本銭が見つかったらしいです。
実は富本銭は日本最古の通貨ではない
いきなり記事タイトルと真逆なことを言いますが、実は富本銭は日本最古の通貨ではありません。
富本銭の鋳造が行われた時期は680年頃だと言われています。時代で言うと飛鳥時代末期です。「日本書紀」という資料の683年の内容に「今後は銅銭を用いることとして、銀銭は使わないように」と書かれており、この銅銭が富本銭なんじゃないか?と言われているらしい。
「今までは銀銭を使ってたけど、これからは銅銭を使え!」ってことは富本銭が使われる前は銀銭が使われていたってことになります。
富本銭より昔に使われていた銀銭は、富本銭のように文字や模様が刻まれていないため、無文銀銭(むもんぎんせん)と呼ばれています。
「じゃあ、富本銭が日本最古の通貨っていうのは嘘じゃねーか」
と思うかもしれません。正確には「富本銭は現在わかっている政府公認の通貨の中で日本最古の通貨である」という表現が正解に近いです。
なぜ銀銭の利用を禁止し、富本銭(銅銭)の利用を命じたのか
「政府公認」というところがポイントで、富本銭以前に流通していた無文銀銭は政府による統制を受けていない私的な通貨でした。
無文銀銭が国家という権力の後ろ盾がなくても、通貨として機能したのは銀という資源に希少性があって、みんなが欲しがるものだったからだと思います。古来より、通貨に銀貨や金貨が使われてきたのは、銀や金は希少でみんなが欲するものであるという共通認識があって、突然減ったり変化したりしない安定した金属だったからです。
現代日本の通貨は、通貨の素材そのものの希少性や安定性を利用するのではなく、国家が通貨量をコントロールし、安定的に使えるよう国家が通貨を管理しています。国が保証さえしてくれれば、ただの紙切れでさえお金として使えるようになるわけです。
当時の日本もおそらくこれと同じことをやろうとしたのだと思われます。
というのも飛鳥時代というのは、朝鮮半島や中国の情勢が非常に不安定であり、日本は隣国に飲み込まれないために強靭な国家作りの必要性に迫られていました。以下の記事で紹介している白村江の戦いなんかは当時の事情がよくわかる良い例です。
そして、当時の人々が目指した強靭な国家とは、天皇が強大な権力を持ち、その力を持って国や民をコントロールする「天皇主権」の国でした。そして、そんな国家がひとまず形になってきたのが有名な天武天皇の時代であり、富本銭が造られたのも天武天皇の時代だと言われています。
当時の朝廷が銀銭ではなく、国家公認の銅で造られた富本銭を流通させようとしたのは、このような時代背景があったからだと思われます。人々の経済活動に必要な通貨を国がコントロールできれば、国は人々の生活の首根っこを掴んだことになりますからね。
で、富本銭は本当に流通したの?
これまで偉そうに「国家がどーのこーの・・・」と話をしてみましたが、実は富本銭が実際に流通していたのかはよくわかっていません。
まず、富本銭は今のところ機内でしか発見されていません。地方では富本銭は利用されておらず、物々交換や無文銀銭が使われていたことが推測されます。
また、一説には「そもそも銅の価値は銀より低いので富本銭を使おうとする人などいなかったのでは?」という話もあったり。人々が「銅銭は国が造っているものだから銀より安い素材だけど安心して利用できるぞ」と思ってくれなかったということです。つまりは、国の政策が失敗したとも言えるでしょう。
仮にこの説が正しかったとしたら、古代日本の通貨政策は失敗続きだったことになります。というのも、朝廷は富本銭の後も和同開珎(わどうかいちん)を始めとして次々と通貨を発行しますが、いずれも本格的な流通には失敗しています。
日本で通貨の流通が本格的に始まったのは、平安時代末期に平清盛が宋から宋銭を大量に輸入した頃からになります。自国の通貨が普及せず、輸入通貨が普及するというのはなんとも皮肉な話です。宋銭の話は以下の記事で紹介しています。平清盛は悪者扱いされることが多いですが、日本の経済に貢献した点は評価されても良いと思う。
この他にも、富本銭が流通した記録や史跡があまりにも少ないので「そもそも富本銭は流通用じゃなくて儀式用だったのでは?」なんて説もあります。私が学生だった頃はむしろこの説が有力だったような気がしています。
もしこの時に富本銭が流通していたとしたら、当時の朝廷は「現代の私たちが紙切れを紙幣として利用している」のと本質的には同じ状況を作れていたわけで、何気に超凄いことをやっていることになります。
私たち日本人が、金や銀などの高価な金属ではなく銅やアルミ、紙で通貨を扱えるようになったのは明治時代から。私たちが当たり前に使っている通貨の歴史というのが意外にもまだまだ浅いのです。
【万葉文化館にあった富本銭に関する説明。とてもわかりやすくて、謎が多いことがわかります。】(クリックして別タブで開き、拡大すると見やすくなります。)
和同開珎と富本銭の話
富本銭と一緒によく取り上げられる通貨として和同開珎(わどうかいちん)があります。
和同開珎は708年に発行された日本の通貨です。富本銭と大きく異なるのは、和同開珎は世間に流通し実際に使われていた通貨であるという点です。(富本銭は上述のように、実際に流通していたかどうかわかっていません)
しかし、流通したとは言え、和同開珎も広く流通することはありませんでした。その後、奈良〜平安時代に朝廷は和同開珎を含めて12の通貨を発行しますが、これらも広く流通することはありません。この12の通貨は皇朝十二銭と呼ばれています。
今でこそ当たり前ですが、国で通貨を管理するというのはとても難しいことです。そう考えると、富本銭を始めとする古代日本の通貨政策は、かなり壮大なプロジェクトだったことが想像できます。
富本銭と和同開珎を比較すると
富本銭まとめ
以上、富本銭について書いてみました。うーん、通貨の話はとても難しい。
通貨の歴史は日本の歴史にとても大きな影響を与えています。例えば、人々が通貨を手にするようになり経済力を手に入れ始めた室町時代に国が乱れて戦国時代に突入したことは決して偶然ではないでしょう。
そんな日本の通貨の歴史の最初の一歩となるのが富本銭の話なのかなと思います。
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