貧窮問答歌とは?わかりやすく解説【山上憶良・現代語訳・テスト対策】

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貧窮問答歌
もぐたろう
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今回は貧窮問答歌ひんきゅうもんどうかについて、わかりやすく丁寧に解説していくよ!山上憶良やまのうえのおくらが詠んだこの歌が、なぜ1,300年後の今も教科書に載っているのか、一緒に見ていこう!

📚 この記事のレベル:中学歴史 / 高校日本史(基礎)
📖 山川出版『詳説日本史』準拠

この記事を読んでわかること
  • 貧窮問答歌とは何か(山上憶良が詠んだ奈良時代の長歌)
  • 現代語訳(原文の内容・問いと答えの構造)
  • 作者・山上憶良の人物像(「社会派歌人」と呼ばれる理由)
  • 奈良時代の農民の暮らし(租庸調・律令制との関係)
  • テストに出るポイント(試験で問われる重要語句)

実は、この詩に書かれていることは、1,300年後の今もぜんぜん変わっていません。貧困・重税・格差——山上憶良が奈良時代に訴えた問題は、令和の日本でも議論されている普遍的なテーマです。なぜ「古い詩」が今も教科書に残り続けるのか、その秘密を一緒に解き明かしましょう。



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貧窮問答歌とは?

3行でわかるまとめ
  • 作者は山上憶良万葉集巻五に収録された長歌ちょうか反歌はんかの組み合わせ
  • 奈良時代の農民の貧しさ・重税の苦しさを「問答形式」で詠んだ社会派の歌
  • 2人の貧者が嘆き合うリアルな生活描写で、奈良時代の「一次資料」としても重視されている

貧窮問答歌ひんきゅうもんどうかとは、奈良時代ならじだいの歌人・山上憶良やまのうえのおくらが詠んだ歌のことです。万葉集巻五に収録されていて、長歌1首と反歌1首がセットになっています。

「貧窮」とは「ひどく貧しいこと」、「問答」とは「問いと答え」を意味します。タイトルの通り、この歌は2人の貧者が「自分の貧しさ」を嘆き合う問答形式で書かれていて、奈良時代の農民がどれほど厳しい暮らしを送っていたかをリアルに描き出した作品です。

成立時期はおよそ731年〜733年頃と考えられています。山上憶良が筑前守ちくぜんのかみ(今の福岡県の長官)として九州に赴任していた時期に詠まれたとされ、彼の晩年の代表作のひとつです。

もぐたろう
もぐたろう

「長歌」っていうのは5・7音をくり返して長く詠む歌、「反歌」はその長歌の内容をぎゅっと31字の短歌にまとめ直したものだよ。今でいうと、長い小説のあとに作者がツイートで要約する感じ!

当時の和歌といえば、自然の美しさや恋心を詠んだものが大半でした。そんな中で「貧しさそのもの」を真正面からテーマにした作品は極めて異例で、貧窮問答歌は日本文学史上もっとも早い時期の「社会派の詩」として高く評価されています。



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作者・山上憶良やまのうえのおくらはどんな人?

山上憶良は、660年頃に生まれ、733年頃に亡くなったとされる奈良時代の歌人・官人かんじんです。出自はあまりはっきりしておらず、貴族としての家柄は決して高くはありませんでした。

大きな転機は701年(大宝元年)に訪れます。憶良は遣唐使けんとうし少録しょうろく(書記官のような役目)に任命され、翌702年に唐(当時の中国)へ渡りました。唐では先進的な政治・文化・学問に直接触れ、儒教や仏教を学んだといわれています。

帰国後は朝廷で官人として働き、晩年に筑前守ちくぜんのかみ(九州・筑前国の長官)として九州に赴任しました。この筑前時代に、同じく九州にいた大伴旅人おおとものたびとらとともに「筑紫歌壇つくしかだん」と呼ばれる歌人サークルを形成し、数々の名歌を残します。貧窮問答歌もこの時期の作品です。

あゆみ
あゆみ

でも、憶良って遣唐使に行くくらいのエリート官人なのよね?そんな人がなんで農民の貧しさを歌にしたの?

もぐたろう
もぐたろう

いい質問!むしろ逆で、官人だったからこそ農民の苦しさが見えていたんだ。筑前守って今でいう県知事みたいな立場で、税を集めたり農民の暮らしを管理する仕事。だから現場で「家がボロボロで子どもが泣いてるのに、それでも税を取り立てなきゃいけない」っていう矛盾を毎日見てたんだよ。

なぜ山上憶良は「社会派歌人」と呼ばれるの?

山上憶良は貧窮問答歌のほかにも、子どもへの愛を詠んだ「子等を思ふ歌こらをおもふうた」、老いと病の苦しみを詠んだ「老身重病ろうしんじゅうびょうを詠む歌」など、「人間の苦しみ・弱さ」をテーマにした歌を数多く残しました。

恋愛や自然美を詠む歌が中心だった当時、貧困・病・老い・子育てといった生活密着型のテーマを正面から扱った歌人は他にいません。この点が現代の研究者から「日本文学史上最初の社会派歌人」と評される理由です。

また、唐に渡って儒教や仏教を学んだ経験も、人間の苦しみへの深いまなざしにつながったと考えられています。中国の詩人・陶淵明とうえんめいなど、貧しさを詠んだ漢詩の影響も指摘されています。

つまり山上憶良は、「歌でしか言えない真実を、歌で記録した人」だったわけです。役人として税を取り立てる立場でありながら、農民の悲鳴を見て見ぬふりせず、その声を歌として後世に残した——そんな憶良の「もう一つの顔」が、貧窮問答歌には色濃くにじんでいます。



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貧窮問答歌が詠まれた時代背景

貧窮問答歌が詠まれた奈良時代は、律令制りつりょうせいという中国(唐)にならった国家のしくみが整えられた時代です。表向きは「天皇のもとに整った国を作る」という理想に満ちていましたが、その制度を支えていたのは農民たちの重い税負担でした。

律令制では「班田収授法はんでんしゅうじゅほう」によって、6歳以上のすべての人に「口分田くぶんでん」と呼ばれる田が支給されました。一見、平等に田が配られる優しい制度のように見えます。しかし問題はその後で、農民は田を耕すかわりに、ありとあらゆる税を朝廷に納めなければなりませんでした。

ゆうき
ゆうき

租・調・庸って、教科書でよく見るけど、結局どんな税だったの?

もぐたろう
もぐたろう

ザックリ言うと、租は「収穫した米」調は「地方の特産品(布や海産物)」庸は「労働の代わりに納める布」のこと。今でいうと所得税・住民税・消費税をぜんぶ現物で、それも自腹で都まで運んで納めるイメージ。これだけでもキツいのに、さらに兵役や雑用の労役もあったんだ。

農民の暮らしを直接管理していたのが里長さとおさという現場の役人です。里長は今でいう町内会長と税務署員を足したような立場で、「税を払え」と農民の家に取り立てに来る存在でした。貧窮問答歌の中にも、この里長が登場します。

奈良時代の農民
奈良時代の農民

家は雨漏り、夜具もボロボロ、子どもは泣き、かまどに火もない……。それでも里長は「税はまだか」と門の前で叫ぶ。もう逃げ出すしかない……。

こうした重い負担に耐えきれず、田を捨てて逃げ出す逃亡農民とうぼうのうみんが奈良時代を通じて増えていきました。せっかく口分田を配っても、農民がいなくなれば田は荒れ、税収もガタ落ち——律令制は、その内側からきしみ始めていたのです。

このような「制度のひずみ」を、現場で見ていた憶良が歌にしたのが貧窮問答歌でした。単なる文学作品ではなく、当時の社会の問題をリアルに記録した「証言」として読むこともできるのです。



貧窮問答歌の内容・現代語訳

ここからは貧窮問答歌の中身を、わかりやすく現代語訳しながら見ていきます。長歌の構造は大きく「問い(前半)」と「答え(後半)」に分かれていて、2人の貧者がそれぞれ自分の暮らしの苦しさを語り合う形になっています。最後に反歌で締めくくる、というのが全体の流れです。

■「問い」の部分——貧者Aの嘆き

「風まじり 雨降る夜の 雨まじり 雪降る夜は すべもなく 寒くしあれば……」
(風まじりの雨の夜、雨まじりの雪が降る夜は、どうしようもないほど寒くて……)

長歌の前半は、ある貧しい男(仮にAとします)の独白から始まります。Aは語ります——風と雨が混じる夜、雨と雪が降りしきる夜、寒さに耐えきれないので、固まった塩を少しずつなめ、湯のように薄い酒をすすって体を温めている。それでも寒くて、ボロボロの上着を肩からかぶって耐えている。

Aは続けます——「こんな夜に、私よりさらに貧しい人はどうしているのだろう?親や妻、子どもたちは食べ物をねだって泣き、空腹に苦しんでいるのではないか」と。自分も寒く、食べ物も乏しいけれど、それでも自分より下の人を気にかける優しさが見えます。

もぐたろう
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固まった塩を「なめながら」酒をすする——これだけ読むと「塩で味付けして温まる」みたいに見えるけど、ほんとは「塩しか肴(さかな)がない」「酒もまともに買えない」という極貧の描写なんだ。当時の塩は貴重品だったから、これが食事代わりだったってこと。

■「答え」の部分——さらに貧しい貧者Bの嘆き

Aの嘆きを受けて、後半には別の貧者(B)が登場します。Bの状況はAよりさらに悲惨です——海藻のように痩せ衰えた腕を持ち、ボロ布をまとい、家は雨漏りで床も傾いている。かまどには火もなく、米を蒸すこしきには蜘蛛の巣くものすが張っている。

それでもBの苦しみは、貧しさだけでは終わりません。里長が鞭を持って、家の前で「税を出せ!」と叫んでいるのです。逃げ場のないBは、ただ嘆くしかありません——「世の中の道は、これほど辛いものなのか」と。

あゆみ
あゆみ

これ、現代だと「家賃も払えないのに取り立てが来る」みたいな話よね……。1,300年前の歌なのに、情景が生々しすぎてつらい。

もぐたろう
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そうなんだよ。しかも面白いのは、Aの「自分より貧しい人はどうしているか?」という問いに対して、Bが「私はもっと辛い」と答える構造になっていること。Aの想像のさらに下があったっていう設計で、貧しさの底深さを2段階で読者に突きつけてくるんだ。

■反歌——長歌のエッセンスを短歌に凝縮

長歌のあとに添えられた反歌は、次の31字でまとめられています。

「世間を 憂しとやさしと 思へども 飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば」
(この世は辛く、いたたまれないと思うけれど、鳥のように飛び立って逃げることもできない——人間だから)

長歌で描かれた貧しさ・重税・社会の理不尽。それをひと言でまとめるなら、この反歌に凝縮されています——「逃げたい。でも、逃げる翼もない」。鳥になれない人間の悲しみ。これが奈良時代の農民が抱えていた絶望のリアルな姿でした。

たった31字で、長歌すべての主題を言い切る——憶良の言葉のうまさが光る一首です。テストでもこの反歌は「貧窮問答歌の反歌」として頻出するので、最初の5・7「世間を憂しとやさしと」だけでも覚えておくと安心です。



貧窮問答歌が教科書に残る理由——1,300年を超える普遍性

万葉集には約4,500首もの歌が収められています。その中で、なぜ「貧窮問答歌」だけが今もこれほど大きく取り上げられているのでしょうか。理由は大きく3つあります。

①「歴史の一次資料」としての価値。当時の農民の暮らしを記録した文書はほとんど残っていません。役所の記録には「税収」や「逃亡者数」といった数字は残っていても、農民が何を食べ、どんな夜を過ごしていたかは書かれていないのです。貧窮問答歌は、その「数字に表れない現実」を肉声で伝える、極めて貴重な記録になっています。

②「社会問題を文学にした」史上初の試み。和歌といえば自然や恋を詠むものというのが、奈良時代の常識でした。その中で「貧困」という社会問題をテーマに据えた歌は、当時としてはかなり異例。日本文学が「社会を映す鏡」になれることを最初に示した作品として、文学史的にも重要な位置を占めています。

③ 普遍的テーマ「貧困・重税・格差」を扱っている。1,300年経った今でも、「働いても生活が苦しい」「税が重い」「貧富の差が広がっている」という話題は私たちの身の回りに溢れています。だからこそ、現代の読者にとっても貧窮問答歌は「他人事ではない歌」として響くのです。

あゆみ
あゆみ

今の「格差問題」とリンクする感じがするわ。1,300年経っても根っこの悩みは変わらないって、なんだか切ない話ね……。

もぐたろう
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そうなんだよ!しかも憶良は官人でありながら農民の側に立って詠んだ——これは当時としては相当に勇気のいる行動だったはず。だから今も「日本最初の社会派歌人」って評価されてるんだ。

万葉集には天皇から農民まで様々な階層の歌が収録されていますが、貧窮問答歌のように「具体的な貧しさの場面」を細部まで描き出した歌は他に類がありません。だからこそ、奈良時代を学ぶ高校生にも、社会を考える社会人にも、繰り返し読まれ続けているのです。



貧窮問答歌・万葉集についてもっと詳しく知りたい人へ

もぐたろう
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テストに出るポイント

ここからは定期テスト・共通テスト・大学受験で押さえておきたいポイントをまとめます。試験直前の見直しにも使ってください。

テストに出やすいポイント
  • 作者:山上憶良(やまのうえのおくら):奈良時代の歌人・官人。遣唐使経験あり・筑前守を歴任
  • 収録先:万葉集(巻五):日本最古の和歌集。現存する最古の歌集
  • 形式:長歌1首+反歌1首:長歌は5・7調の繰り返し、反歌は31字の短歌
  • テーマ:農民の貧困・重税の苦しさ:奈良時代の律令制・租庸調制度との関連
  • 特徴:問答形式:2人の貧者が嘆き合う構成。生々しい生活描写が特徴

📌 暗記のコツ:「山上憶良やまのうえのおくら=社会派歌人」「長歌ちょうか反歌はんか」「農民の生活をリアルに描写」の3点セットで覚えるのがおすすめ。万葉集の他の有名歌人(柿本人麻呂かきのもとのひとまろ大伴家持おおとものやかもち)と混同しないよう注意!

ゆうき
ゆうき

結局、一番テストに出るのってどこ?時間ないから優先順位だけ教えて〜!

もぐたろう
もぐたろう

優先順位は3つ!①作者の山上憶良 ②収録先の万葉集 ③テーマの農民の貧困。これだけは絶対押さえて!あとは余裕があれば「筑前守時代の作品」「長歌+反歌」「問答形式」を覚えておけば完璧だよ!



よくある質問

山上憶良が詠んだ、万葉集巻五に収録された長歌+反歌のことです。奈良時代の農民の貧しさと重税の苦しさを、2人の貧者の「問答形式」でリアルに描いた社会派の歌で、日本文学史上もっとも早い時期の「貧困をテーマにした和歌」として知られています。

奈良時代の歌人・官人である山上憶良(やまのうえのおくら/660年頃〜733年頃)です。遣唐使として唐に渡った経験を持ち、晩年は筑前守として九州に赴任していました。貧窮問答歌のほかにも「子等を思ふ歌」など、人間の苦しみを正面から詠んだ「社会派歌人」として知られています。

日本最古の和歌集である『万葉集』の巻五に収録されています。万葉集は奈良時代の終わりごろにまとめられたとされ、約4,500首の歌が収められた現存最古の歌集です。

2人の貧者が「問い」と「答え」の形でそれぞれの苦しさを語り合う構造のことです。前半で1人目(A)が「自分より貧しい人はどうしているのか」と嘆き、後半で2人目(B)が「私はもっと苦しい」と返す——この2段階の構成によって、貧しさの底深さが二重に浮かび上がるしくみになっています。

大きく3つの理由があります。①奈良時代の農民の暮らしをリアルに伝える「歴史の一次資料」としての価値が高いこと。②「貧困」という社会問題を真正面から扱った日本最古級の文学作品であること。③貧困・重税・格差という普遍的なテーマが、1,300年経った現代にも通じることです。

長歌は5音・7音をくり返して長く詠む和歌の一形式で、反歌は長歌の内容を31字の短歌(5・7・5・7・7)にまとめたものです。長歌と反歌は万葉集ではセットで収録されることが多く、貧窮問答歌も「長歌1首+反歌1首」のセットで構成されています。



まとめ

貧窮問答歌のポイントまとめ
  • 作者:山上憶良——奈良時代の官人・歌人。農民の代弁者として詠んだ
  • 収録:万葉集(巻五)——長歌1首+反歌1首のセット
  • テーマ:農民の貧困・重税——奈良時代の律令制と租庸調に深く結びつく
  • 形式:問答形式——2人の貧者がリアルな生活を語り合う
  • 意義:歴史の一次資料——1,300年後の今も普遍的テーマで教科書に残る

もぐたろう
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以上、貧窮問答歌のまとめでした!山上憶良の目線で奈良時代の農民の苦しさを感じてもらえたかな?下の記事で万葉集の全体像や奈良時代の税制もあわせて読んでみてください!

山上憶良と貧窮問答歌の年表
  • 660年頃
    山上憶良、生まれる(諸説あり)
  • 701年
    遣唐使の少録に任ぜられる
  • 702年
    遣唐使として唐へ渡る
  • 726年頃
    筑前守(九州の地方長官)として赴任
  • 731〜733年頃
    貧窮問答歌を詠む(万葉集巻五に収録)
  • 733年頃
    山上憶良、没する(諸説あり)

📅 最終確認:2026年5月 / 参照:山川出版『詳説日本史』(2022年版)

参考文献

Wikipedia日本語版「貧窮問答歌」(2026年5月確認)
Wikipedia日本語版「山上憶良」(2026年5月確認)
コトバンク「貧窮問答歌」(デジタル大辞泉・日本大百科全書)
コトバンク「山上憶良」(デジタル大辞泉・日本大百科全書)
山川出版社『詳説日本史』

記事の誤りを発見された場合はお問い合わせください。確認後、修正します。

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この記事を書いた人
もぐたろう

教育系歴史ブロガー。
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