日露
明治時代まとめ / STEP 4
STEP 4 / 1895〜1905年
産業革命と日露戦争
三国干渉の屈辱から義和団・日英同盟を経て日露戦争・ポーツマス条約まで。列強の一員となった帝国日本の10年
1895
三国干渉
1902
日英同盟
1905
ポーツマス条約
1895
三国干渉
1900
義和団事件
1902
日英同盟
1904
日露戦争
1905
ポーツマス条約
Phase I — 中国分割と列強競争
1895〜1900年
1895〜1898
列強競争
中国分割 — 三国干渉後の東アジア再編
三国干渉で遼東半島を返還した日本を尻目に、列強は中国の租借地を競い合いました。ロシアが旅順・大連、ドイツが膠州湾、イギリスが威海衛・九龍、フランスが広州湾を租借。中国は「半植民地」状態へ。日本は対露戦争準備として軍備拡張に邁進します。
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中国分割とは?
列強が清国の租借地を競った19世紀末の東アジア再編を詳しく解説。
1900
義和団
義和団事件 — 列強の中国共同出兵
1900年、「扶清滅洋」を掲げる義和団が北京の外国公使館区域を包囲。清国政府も列強に宣戦布告しましたが、日本・ロシア・イギリスら8カ国連合軍が鎮圧。北京議定書(辛丑条約)で清国は巨額賠償と外国軍駐留を強いられました。日本は近代軍の実力を列強に示しました。
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義和団事件とは?
北京包囲から8カ国連合軍による鎮圧まで。中国近代史の転換点を詳しく解説。
Phase II — 日英同盟と日露開戦
1902〜1904年
1902
同盟締結
日英同盟 — 「光栄ある孤立」を破ったイギリス
1902年1月、日本とイギリスは日英同盟を締結。ロシアの南下政策に危機感を抱くイギリスにとって、日本は東アジアでの利権を守る有力な提携相手でした。日本はこれにより外交的孤立を脱し、ロシアとの単独交渉から武力対決への選択肢を手に入れます。
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日英同盟とは?
日本が列強の一員として認められた外交的転換点。締結の経緯と意義を詳しく解説。
1904
開戦
日露戦争 — 旅順・奉天・日本海で戦われた総力戦
1904年2月、日本はロシアに宣戦布告。旅順要塞攻略・奉天会戦・バルチック艦隊を滅ぼした日本海海戦(東郷平八郎)——近代的な総力戦の様相を呈したこの戦争は日本に多大な犠牲をもたらしましたが、陸海両面での勝利により講和交渉へ進みました。
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日露戦争とは?
旅順・奉天・日本海——三大決戦から見る日露戦争の全容を詳しく解説。
Phase III — ポーツマス条約と社会変革
1905年
1905
講和
ポーツマス条約 — 日本の「勝利」と日比谷焼打事件
1905年9月、アメリカのルーズベルト大統領の仲介でポーツマス条約が締結。日本は旅順・大連租借権・南満州鉄道の譲渡を得ましたが、賠償金ゼロに怒った民衆が日比谷焼打事件を起こします。桂園時代の政治のもと、社会主義運動も台頭し始めます。
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ポーツマス条約とは?
日露戦争の講和条約。賠償金ゼロをめぐる国内騒動まで詳しく解説。