足利義満と幕府の全盛(1392〜1428年)

義満
STEP 2 / 1392〜1428年

足利義満と幕府の全盛

南北朝統一を果たした足利義満が守護大名を抑えて権力を確立。勘合貿易(日明貿易)で財を蓄え、金閣寺・世阿弥の能楽に象徴される北山文化が花開いた室町幕府の最盛期。

1392
南北朝統一
1401
勘合貿易開始
1397
金閣寺造営
1392
南北朝統一
1397
金閣寺造営
1399
応永の乱
1401
勘合貿易
1419
応永の外寇
1428
正長の土一揆
Phase I — 義満の権力確立
1392〜1408年
1392
権力集中
南北朝統一後の義満 — 太政大臣就任と「日本国王」号

南北朝統一(1392年)直後、義満は太政大臣に就任(1394年)し出家。「鹿苑院太上法皇」を名乗る一方、明からは「日本国王」に封じられます。公武を超えた権力を握り、天皇をも上回る存在感を示しました。

1397
文化
金閣寺(鹿苑寺)造営 — 北山文化の象徴

京都北山に建てられた舎利殿「金閣」は、義満の権勢と公武融合の理念を体現。第1層(寝殿造)・第2層(武家造)・第3層(禅宗仏殿造)の三層構造が、公家・武家・禅の融合を示します。世阿弥の能楽もこの時期に大成されました。

北山文化 世阿弥準備中 能楽準備中
1399
守護討伐
応永の乱 — 大内義弘を討ち守護大名を抑圧

義満は強大な守護大名の力を削ぎ落とす策をとります。山名氏清(明徳の乱・1391年)に続き、大内義弘を応永の乱(1399年)で討伐。「六分の一殿」とよばれた山名氏の勢力を大幅に削減し、幕府の集権化を進めました。

応永の乱準備中 明徳の乱準備中
1401
外交・貿易
勘合貿易の開始 — 日明貿易で幕府財政を潤す

義満は明(中国)に使節を送り、「日本国王」として冊封を受け勘合貿易を開始(1401年)。勘合符(合い印)で正規の貿易船を識別し、生糸・銅銭・陶磁器などを輸入。この貿易収益が幕府の重要な財源となります。

▶ 深く読む
勘合貿易(日明貿易)とは?仕組み・輸出入品・倭寇との関係を解説
なぜ「勘合」が必要だったのか。倭寇との違いと貿易の実態。
Phase II — 義持・義量の時代と土一揆
1408〜1428年
1419
外患
応永の外寇 — 朝鮮軍の対馬来襲

4代将軍・足利義持の時代、朝鮮が倭寇の根拠地とみなした対馬に大規模な軍事遠征を行います(応永の外寇・1419年)。この事件は日朝関係に緊張をもたらし、以後も倭寇問題が東アジア外交の懸案となります。

応永の外寇準備中 日朝貿易準備中
1428
民衆蜂起
正長の土一揆 — 「徳政」を求めた最初の大規模一揆

近江の馬借(運送業者)が蜂起し、畿内一円に広がった正長の土一揆(1428年)。「徳政(借金帳消し)」を掲げ、土倉・酒屋を打ち壊しました。「日本開闢以来、土民蜂起これ初め」と記録された画期的事件で、以後土一揆・国一揆が頻発します。

▶ 深く読む
土一揆・国一揆とは?正長の土一揆から山城の国一揆まで
農民たちはなぜ立ち上がったのか。徳政令を求めた民衆運動の全体像。
土一揆 徳政令準備中
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