今回は、日本と清国が下関条約の交渉中に起こった三国干渉という事件についてわかりやすく解説します。
この記事では三国干渉について、以下の点を中心に解説を進めていきます。
三国干渉が起こるまでの流れ
最初に三国干渉が起こった理由や経過をサラッと確認しておきます。
下関条約の裏で暗躍するロシア
ロシアは、下関条約の交渉経過に強い関心を寄せていました。
特に関心を持っていたのは「勝者の日本が清国に要求する条件は何か?」という点です。日本が清国に要求する内容がロシアにとって不利な内容であれば、ロシアもこれを黙って見ているわけにはいかないからです。
そして4月上旬、下関条約に「日本が遼東半島をゲットする」という内容が含まれていることがわかると、ロシアはこれを阻止すべく、日清両国の交渉に干渉するようになります。
ロシアは日本に対して、「遼東半島は清国に返還した方が平和のためだよ^^(逆らったら戦争すんぞコラ)」と脅しをかけてきます。しかもロシアは、列強各国にこれに協力するよう呼びかけ、フランスとドイツの協力を得ることに成功します。
ロシア・フランス・ドイツが下関条約に関して干渉してくる・・・だから三国干渉と呼ばれています。
ロシア・フランス・ドイツの目的
ロシアが三国干渉を行った理由は上で説明したとおりだとして、フランスとドイツの目的は何でしょうか。
本当にサラッとだけですが、紹介しておきます。
フランス
1894年にフランスはロシアと露仏同盟を結んでいたので、ロシアに協力する姿勢を示しました。(もちろん、他にもいろんな思惑があったことでしょう・・・)
ドイツ
ドイツの事情は少し複雑です。(高校の世界史で習う内容です)
ドイツは昔からフランスと敵対関係にあり、フランスと戦争をした場合に背後のロシアが中立の立場をとるようロシアと再保障条約と呼ばれる条約を結んでいました。
ところが1890年にドイツの外交方針の転換により、この条約は解消。このドイツの動きに警戒したロシアは、ドイツの敵であるフランスと先に登場した露仏同盟を結ぶことになります。
このような状況の中、ドイツがロシアの三国干渉に協力した背景には、以下のような思惑があったと考えられています。
再保障条約の解消によってロシアはドイツに強い警戒心を持っていましたが、ドイツが三国干渉に協力する姿勢を示したことで、ロシアは西側(ドイツ)を気にすることなく、安心して日本に対して圧力をかけれるようになりました。だから、ロシアは戦争をほのめかすような高圧的な態度で日本に迫れたわけです。
三国干渉が東アジアに与えた影響
結局、日本は三国干渉の圧力に勝つことができず、遼東半島の返還を認めてしまいます。細かな経緯は、以下の下関条約の記事に詳しく書いてあります↓
ロシアに遼東半島を奪われた日本では反ロシアの気運が高まります。「臥薪嘗胆」というスローガンのもと、日本ではロシアへのリベンジ(戦争)に向けて軍備拡大が進められることになります。
【臥薪嘗胆】
復讐を成功するために苦労に耐えるという意味
ロシア・フランス・ドイツは三国干渉以降、清国への干渉をさらに強め、清国の領土の中でも特に重要な場所を次々と租借していきます。
【租借】
外国の領土の中のある地域を借りて、一定の期間、統治すること。
ロシアは、日本から奪い返した遼東半島の先っちょにある旅順・大連を。
フランスは、ベトナムをめぐって清国と戦争をした経過があるので、清国南方の広州湾を。
ドイツは、東アジア進出の最初の一歩として、他の列強国の影響が強く及ばない膠州湾を。
そして、清国の利権を他の列強国に奪われることを恐れたイギリスは、九龍半島と威海衛を。
さらに、ロシア・フランス・ドイツ・イギリスは租借地周辺に鉄道を引いたり、鉱山を手に入れたりと様々な特権を設けて清国を侵食していきます。
この状況を地図で見てみるとこんな感じになります。(日露戦争後の地図なので細かい点は違いますが、色づけされた各国の勢力図は参考になります)
合わせて租借地のみをピックアップしたgooglemapも掲載しておきます。
こうして、清国の領土がロシア・フランス・ドイツ・イギリスに次々と奪われたことを中国分割と言います。中国分割によって清国の政治は不安定化。内乱が起こるようになり、清国は滅亡への道を歩み始めることになります。
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