十七条の憲法の制定理由や内容、目的をわかりやすく【聖徳太子の謎】

以下の記事で十七条の憲法は、「蘇我馬子を牽制しながら天皇主導の国を造り上げるために、十七条の憲法の制定と冠位十二階制の導入が行われた」という話をしました。

今回は、日本で初めて女帝として即位した推古(すいこ)天皇について紹介しようと思います。推古天皇は、絶世の美女としても有名です...

今回は、そんな十七条の憲法の内容や目的について紹介しようと思います。

十七条の憲法はなぜ制定されたのか

十七条の憲法が制定された背景には、同時期に行われた冠位十二階制の導入が密接に関係しています。ですので、冠位十二階制についての記事をまずは読んでいただければと思います。

以下の記事で冠位十二階制は、「蘇我馬子を牽制しながら天皇主導の国を造り上げるために、十七条の憲法の制定と冠位十二階制の導入が行われた...

十七条の憲法の制定の背景には、当時の朝廷人事の在り方の見直しが関係しています。

氏姓制度における朝廷人事

実は十七条の憲法制定当時、意外かもしれませんが、朝廷の要職に関して天皇は人事権をほとんど持っていませんでした。

なぜなら、天皇は「どの一族を重用するか?」という点は強い権限を持っていますが、「一族内の誰を任命するか?」という人事権は、その一族が持っていたからです。天皇はそれぞれの一族を区別するため氏(うじ)という名前を付け、さらに氏族ごとに身分の高さを意味する姓(かばね)という称号を与えていました。これを氏姓(しせい)制度と呼びます。

氏姓制度では天皇はあくまで氏族を指名するだけで、直接的に朝廷で働く人々に対して人事権は持っていません。

そこで天皇主権の政治を目指し、「朝廷で働く人々を直接天皇によって任命しよう!」と考え、朝鮮やアジアの制度も参考に導入されたのが冠位十二階制でした。

十七条の憲法と冠位十二階

冠位十二階制の導入により、天皇は氏姓制度や貴賎の差にとらわれず、自らのために働いてくれる有能な人材を登用しようとしました。

こうして、朝廷では今までの制度にはとらわれない様々な人々が働き始めることになります。

新しい人事制度の下、多様な人々が集まった朝廷内で規律を守るために制定されたのが十七条の憲法になります。

十七条の憲法の内容とは?

十七条の憲法は、朝廷内の規律を守るために制定された今でいえば社則や校則みたいなものです。

具体的な十七条の憲法の内容は、以下の記事で紹介していますので、気になる方はどうぞ。(長いです。)

聖徳太子が制定したことで有名な十七条の憲法。今回は、そんな十七条の憲法の各条文の内容を1つ1つ現代語訳で紹介してみようと思い...

十七条の憲法は、当時、隋から伝来した最新文化であった仏教や儒教の教えが色濃く反映されています。そんな革新的な試みで制定されたのが十七条の憲法なのでした。

この記事では、特に有名な十七条の憲法第一条「和を以て貴しとなす」の条文だけ簡単に触れようと思います。

十七条の憲法第1条 和を以て貴しとなす

一に曰く、和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。人皆党(たむら)有り、また達(さと)れる者は少なし。或いは君父(くんぷ)に順(したがわ)ず、乍(また)隣里(りんり)に違う。然れども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。

(出典:wikipedia)

和を大事にすること。世の中には君子や父に逆らったり、人間関係が上手くいかないこともある。それでも、上下の身分に関係なくみんなと議論を行えば、自然と物事はうまく進むものです。調和をもってすれば、不可能なことなどありません。

世の中において大事なことは、和を重んじ活発な議論を行うことである!ということです。

儒教と仏教の教えが根本にあるので、徳や調和を重視した条文が続きます。

十七条の憲法を制定したのは聖徳太子じゃない!?

実は十七条の憲法には謎が1つあります。それは「誰が十七条の憲法を制定したのか?」という謎です。

昔は、十七条の憲法は聖徳太子が制定したというのが定説でした。現に学校でそう教わった方もいるかもしれません。

ところが、今では十七条の憲法が聖徳太子によって制定されたという説には懐疑的な見方も多くあります。その最大の理由は、聖徳太子が人々に愛され、人気がありすぎたことにあります。

聖徳太子は622年に亡くなりますが、死後もなお多くの人が聖徳太子のことを慕い、聖徳太子信仰のようなものが出来上がっていました。すると、有る事無い事聖徳太子にまつわるいろんな逸話が作られるようになります。

そして、十七条憲法を聖徳太子が制定したというのも、聖徳太子を美化するための誇張された逸話にすぎない・・・という考え方もあるわけです。

儒教や仏教を重んじた聖徳太子ですから、聖徳太子を進行する人々にとって同じく儒教や仏教を重んじる十七条の憲法が聖徳太子によって作られたという逸話は大変喜ばしいことでした。

真相は謎に包まれたまま・・・

では、一体誰が十七条の憲法を制定したのでしょうか。実は誰にもわかりません。本当に聖徳太子が制定しているかもしれないし、仏教などに詳しい別の誰かが制定したのかもしれません。

しかしながら、摂政という朝廷の要職に就き、法隆寺を建立するなど仏教を深く信仰していた聖徳太子ですから、十七条の憲法の制定に全く関与していなかったというのは考えにくいように思います。

聖徳太子も「実は存在しなかった!?」なんて説があるほど、謎多き人物ですが、十七条の憲法もまた、謎に包まれた政策の1つなのです。

【次回】

今回は、600年と607年の2度派遣された遣隋使の話をしようと思います。当時は推古天皇が即位していた時代で、十七条の憲法の制定や冠位...

【前回】

以下の記事で冠位十二階制は、「蘇我馬子を牽制しながら天皇主導の国を造り上げるために、十七条の憲法の制定と冠位十二階制の導入が行われた...

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