聖徳太子は何をした?17条の憲法と冠位12階【わかりやすい聖徳太子物語第3話】

第2話のおさらい

(1)高句麗から聖徳太子の師匠である恵慈がやってきた。

(2)第1回遣隋使の大失敗!反省を生かして17条の憲法と冠位十二階を作ろう。

第3話目でやっと、聖徳太子が行ったといわれている冠位十二階と17条憲法の制定についての説明に入ります。

聖徳太子に強く焦点を当てない分、時代背景などはわかりやすくなるのですが、記事が長くなってしまいます。ご了承くださいませ。

十七条の憲法を読んでみよう

十七条の憲法は誰が作った?真相は闇の中

600年に第1回遣隋使を派遣してから3年後の603年。日本で十七条の憲法が作られました。

十七条の憲法が有名なのは、いつの時代も多くの人々に愛される聖徳太子が自ら作った憲法だからです。

別の人が同じものを作っても、ここまで有名にはならなかったでしょう。

しかし、聖徳太子は人々に愛されすぎました。

の愛が凄すぎて、様々な話が美化されていたり、ありもしない話が伝説としてたくさん作られているため、実際の聖徳太子の人物像を追うのはとてつもなく困難なようです。

十七条の憲法も聖徳太子が作ったことで有名ですが、実際は、聖徳太子が作成メンバーの一員になっていただけではないか?とかそもそも十七条の憲法なんてない!という説もあったりします。

有名な第一条「和を以て貴しとなす」。その内容とは?

「憲法」といえば、現代風な憲法を想像してしまいますが、十七条の憲法は官僚に向け制定されたもので、今でいう社則や校則と同じものです。

一七条の憲法は、聖徳太子はなぜ有名?わかりやすい聖徳太子物語第2話の最後に触れたように、しっかりとした国を作るための規律としての意味合いを持っています。

そんな一七条の憲法の第1条を見てみましょう。

第一条 和を以て貴しとなす

人との調和を大事にしなさい。悟りの境地に至る人は少なく、世の中では君子や父に逆らい、隣人とも分かり合えない人たちがいる。

それでも、上下の身分に関係なく、皆でしっかりと事を議論すれば、自然と物事はうまく運ぶものだ。調和をもってすれば、不可能なことなどどこにあるだろうか。

世の中において大事なことは、和を重んじ活発な議論を行うことである!ということです。

一に曰く、和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。人皆党(たむら)有り、また達(さと)れる者は少なし。或いは君父(くんぷ)に順(したがわ)ず、乍(また)隣里(りんり)に違う。然れども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。

(出典:wikipedia)

17条の憲法の心得は、1400年経った今に生きる我々にも心を打つものがあります。1400年の歴史の重みというのは伊達ではありません。

ちまたに売っている自己啓発本をたくさん読むよりも、17条の憲法を一読したほうがよほど自分のためになると思います。

せっかくなので、全文解説もしてみました。気になる方は、座右の銘を探そう!聖徳太子の17つの名言(17条の憲法)をご覧ください。

冠位十二階のどこがすごい?

上司と部下を明確化

一七条の憲法の部分で述べたとおり、600年の遣隋使で大失敗した日本は、隋を見習って規律ある国を作ろうと必死でした。

冠位十二階制度も、「規律ある国作り」の一環でした。冠位十二階制度も一七条の憲法と同じく聖徳太子制定説とそうでない説の2説にわかれるようですが、ここでは、少なくとも制定に関与はしたと考えます。604年の制定です。

官僚の中でも、部長・課長・係長としっかりとした序列を作り、それを誰でも見分けれるよう帽子の色で区別しよう!というのが冠位十二階の目的です。

当時は、明確な序列がないため、蘇我氏を筆頭に有力一族がやりたい放題やっている時代だったので、それらの一族を冠位十二階の序列に組み込み、

「あいつはお前より偉い色の帽子をかぶっているだろ?だからあいつの言うことをちゃんと聞くんだぞ!逆らったら天皇が怒るぞ!」

という感じで有力一族のわがままを抑え、天皇の権力の下、スムーズな国の統治を図ろうとしました。これにより日本の官僚制度は大きく前進することになります。

冠位はどんな色?

下の表のような感じ。冠位の名称は、儒教の徳目から引用されています。儒教の6つの徳目に大・小をつけて12個の冠位を作りました。

17条憲法もそうですが、聖徳太子は儒教の教えを重要視していました。

大徳

小徳

大仁

小仁

大礼

小礼

 

大信

小信

大義

小義

大智

小智

 

実力主義への路線変更

当時の日本では、一族ごとにどのような仕事をするのか決められていました。

物部氏:軍事担当(例)
中臣氏:祭事担当

そのため、上下関係についてもすべて一族ごとの天皇家への貢献度で整理されていました。

これを廃止し、個人の実力を見て、個人個人に冠位を授けたのが冠位十二階制度でした。これは、隋で実施していた科挙(かきょ)制度を真似て作られたものです。

聖徳太子はなぜ有名?わかりやすい聖徳太子物語第4話で登場する、遣隋使の小野妹子もこの新しい官僚制度によって出世した1人でした。

冠位十二階?なにそれ?やりたい放題の蘇我氏

冠位十二階により天皇をトップとした官僚世界が出来つつあったのですが、蘇我氏だけは駄目でした。

蘇我氏は、冠位十二階の枠にとらわれない強大な存在として政界に君臨しました。

冠位を受けないものは、天皇家と蘇我氏だけだったことが蘇我氏の強大な権力を物語っています。

蘇我氏強すぎ!

そのほか、畿内より外の地方の有力者たちには適用されませんでした。

今回は、一七条の憲法と冠位十二階という新たな国づくりのために行った聖徳太子の2大事業をお話ししました。

次回は、これらの聖徳太子を中心とした2大事業の成果が問われる第2回遣唐使派遣についてお話しします。

次:聖徳太子はなぜ有名?可哀そうな小野妹子【わかりやすい聖徳太子物語第4話】
前:聖徳太子はなぜ有名?フルボッコの遣隋使【わかりやすい聖徳太子物語第2話】

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