坂上田村麻呂とアテルイを超わかりやすく説明してみた【アテルイ登場まで】1/2

tamuramaro

前回(桓武天皇はなぜ平安京を造った!?あまり知られていないその理由)は、平安京が出来上がるまでの話でした。

桓武天皇の事業として有名なのは平安京遷都ですが、実はもう1つ日本の歴史に大きな影響を与えた事業を行いました。

それが、領土拡大のための積極外交です。天武天皇の血筋を絶ち、天智天皇の子孫として革命的な即位を果たした桓武天皇は、実施した事業もまた非常にアグレッシブなものでした。

主に九州南部と東北地方を新たに朝廷の支配下に取り込もうとしていました。今回は、東北地方に焦点を当てて話をしていきます。

東北征討の経過やその歴史背景は、少し複雑ですが、誰でもわかるよう説明していきます!

さて、そもそもなぜ東北地方を支配下に取り込もうとしたのでしょうか?

背景には、唐、新羅との外交戦略が関係していました。

唐の仕組みを真似しすぎた律儀すぎる日本

当時の日本は、唐や新羅との外交に際して、大きな問題を抱えていました。

奈良時代や飛鳥時代は、唐の文化を真似ながら天皇主権の新しい日本を造り上げようと切磋琢磨していた時代と言えます。

しかし、日本は律儀にも唐のこんな思想までそのまま導入してしまったのです。「唐は世界の中心であり、その他の国は劣った国だ!」

これを日本に導入するとこうなります。「日本は世界の中心であり、その他の国は劣った国である。」

一方で、当時の唐は大国であり、日本が世界の中心などとは新羅などの周辺国は微塵も思っていませんでした。

そして、日本の外交においても、「日本は世界の中心」という思想がある一方で、大国である唐に対しては朝貢を行うという大きな矛盾を抱えていました。

真面目すぎる日本人特有の矛盾とも言えると思います。

強い唐は無視。弱い新羅や渤海とだけ関係を結ぼう

この矛盾を解消するために採った日本の行動は、非常にシンプルかつ潔いものでした。

唐への朝貢を減らし、唐との関係を解消していきながら、新羅や渤海という周辺国に対しては、日本が世界一の国と言うスタンスで強気の姿勢で外交をしようと考えたのです。

しかし、これは日本の独りよがりな発想です。新羅は、日本の対応にブチ切れて二度と日本に使者を派遣しなくなったりしています(汗

奈良時代の後期になると、日本もだいぶ発展し、唐の文化を強く取り入れなくとも自立できるようになっていたことも、唐との関係の希薄化を容易にしていました。

唐に対して「日本はすごい国!」とアピールする必要がなくなる

唐との関係の希薄化により、唐に対して日本をアピールする必要がなくなります。

それまでの日本は、「日本は異国を支配下に置く、小帝国である」という点を唐に強く主張し、日本が新羅よりも大国であるとアピールしていました。

ところで、日本の言う「異国」とはどこでしょうか?

この「異国」こそが、東北地方に住む蝦夷(えみし)の人々だったのです。

(蝦夷を実際にアピールした例として、飛鳥時代の斉明天皇の話が有名です。第2次世界大戦に次ぐ日本史上の大敗、白村江の戦い

蝦夷は、重要な外交カードの1つであり、蝦夷がいなくなると「異国」がなくなるわけで、日本としても東北を平定しても外交上不利になるだけなので、積極的に平定する気はあまりありませんでした。

しかし、唐との関係の希薄化により、東北を異国としてほったらかしにする理由もなくなっていきます。

そんな中、東北地方の蝦夷が乱を起こします。

 伊治呰麻呂(これはりのあざまろ)の乱

当時の日本は、前述した唐との関係の希薄化もあり、蝦夷を懐柔し移民を送ることで少しずつ東北地方を支配化に置こうと考えていました。

日本のとった支配方法はおおむねこんな感じだったようです。

  1. 親政府派の蝦夷集団の接近、または集団同士の争いに介入し片方に加担し蝦夷を懐柔
  2. 懐柔後、状況が安定してきたら、拠点として城、城柵の設置
  3. 拠点が完成したら、関東地方などから移民を送り込む

伊治呰麻呂は、親政府派として反政府派の蝦夷を討伐した功績を認められ政府に重宝されていました。

伊治呰麻呂は政府から冠位を与えられ、栗原群(今の宮城県栗原市付近)の代表者となります。栗原群は蝦夷との日本との境界線に位置し、対蝦夷戦の最前線です。政府の伊治呰麻呂に対する信頼の強さがわかります。

しかし、次第に伊治呰麻呂は政府に対して不満を持ち始め、780年、反乱を起こしました。これが伊治呰麻呂の乱と言われる乱です。

政府の毒を以て毒を制すの政策は失敗したのです。

この後、政府軍も蝦夷軍も決定打を欠き、なんと30年もの長きにわたる泥沼の戦争へと突入していきます。

そして、30年間の戦いの中で一番熱い戦いが、蝦夷軍の猛将、阿弖流為(アテルイ)と政府軍との戦いです。政府軍として有名なのが、教科書でもよく見る征夷大将軍となった坂上田村麻呂です。

次回は、アテルイと政府軍との激戦について見ていきます!

次:坂上田村麻呂とアテルイを超わかりやすく説明【アテルイ無双】2/2

前:桓武天皇はなぜ平安京を造った!?あまり知られていないその理由

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