【菅原道真】
学問の神様で有名な菅原道真。
菅原道真はなぜ学問の神様と呼ばれるようになったのか?
実は、菅原道真は学問の神様と言われる一方で、日本3大怨霊としても有名です。
神様と怨霊。まるで正反対な呼ばれ方をされるミステリアスな人物こそが菅原道真なのです。そんな2面性を持つ菅原道真についてわかりやすく丁寧に解説していきます!
時代は平安時代。おおむね850~900年ごろのお話し。天皇でいうと、宇多天皇、醍醐天皇という天皇の時代。
藤原氏強すぎ!警戒する宇多天皇と抜擢される菅原道真
菅原道真が生きていた時代は、藤原氏の権力が尋常じゃないぐらい強くなっていて、天皇ですら簡単には藤原氏の意向に逆らえない状況となっていました。
当時の権力者は、藤原基経という人物でした。
藤原氏って藤原道長が有名ですけど、その前からかなりすごかったんです。
ここまで権力を強めれた理由は2つ。
1.天皇の外戚としての地位を確立したこと。
2.摂政・関白という役職になり、天皇の代わりに政治の全権を手に入れたこと
(背景には清和天皇・陽成天皇という2代にわたって政治能力を持たない幼少天皇が即位したことが挙げられます。詳しくは誰でもわかるぞ!摂関政治とは【摂政の登場!清和天皇と応天門の変】2/4)と誰でもわかる摂関政治!関白とは?阿衡の紛議とは?4/4)
藤原氏が天皇でも簡単に逆らえない状況だったことは、阿衡の紛議という事件から知ることができます。(詳しくは、わかりやすく解説!阿衡の紛議とは?菅原道真と宇多天皇をどうぞ)
宇多天皇はこれに危機感を覚えます。奈良時代のようにしっかりとした天皇主権で国を統治したい!そう考えた宇多天皇は、藤原氏に染まっていない優秀な人物を自分の側近として重用するようになります。
その中の筆頭者として選ばれたのが菅原道真なのです。
一方、藤原氏の方でも強大な権力を誇った関白の藤原基経が891年に亡くなり、当時21歳だった息子の藤原時平へと世代交代が行われます。
宇多天皇は、この世代交代の隙を狙いました。
宇多天皇「時平は若すぎるから関白は無理なww」
宇多天皇は、時平が若すぎて関白の職を全うできないとして、関白のポストを空席としました。
関白は天皇の代わりに政治を行う役職のことですから、関白が空席ということは天皇自身が政治を行うということ。こうして宇多天皇による天皇親政が始まります。
菅原道真が抜擢され未曽有の大出世を成し遂げたのはこのときです。
また、東宮(時期天皇候補。皇太子ともいう)を藤原氏の外戚ではない人物を指名します。
藤原氏が権力を強めることができたのには2つの理由があると先ほど書きました。宇多天皇はこの2つの理由を藤原時平から奪い去ってしまったのです。
菅原道真、宇多天皇の秘書代表に選ばれる
菅原道真は、行政や法令に精通し、優れた文才を持っていることが評価され宇多天皇から蔵人頭(くろうどのとう)と呼ばれる秘書官の代表のような役職を与えられました。
891年、強大な権力を誇った藤原基経が亡くなった年でした。
宇多天皇は、藤原基経が亡くなったのを好機とみて、時平の権力を弱め、代わりに菅原道真を抜擢したわけです。
この時から、藤原時平と菅原道真はライバル関係となります。こうして2人の権力闘争が始まります。
オチを話すと、菅原道真は藤原時平との権力争いに負け、一時秘書官代表にまで登りつめたにもかかわらず、大宰府へと左遷されてしまうのです・・・。
少し横道にそれて・・・ -遣唐使の廃止-
今回は、菅原道真の左遷や怨霊となって人々を祟る前の前段の話でした。
次は、本編・・・と行きたいところですが、菅原道真と言えば894年の遣唐使廃止です。
学校で「白紙(894年)にしよう遣唐使廃止」と習いましたね。話が少し横道にそれますが、その裏話を少し紹介しようと思います。
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