今回は六波羅蜜寺の豆知識や見所について紹介していきます。
※この記事は、六波羅蜜寺の見所と歴史と空也上人をわかりやすく【空也上人を知ろう】の続きの内容となっています。前回は六波羅蜜寺を創立した空也の人物像や当時の時代背景を中心に説明しています。
六波羅蜜寺の創立
前回の記事での説明したとおり、六波羅蜜寺は空也が創立したお寺です。951年でした。
六波羅蜜寺は、創立当初は西光寺と呼ばれていました。そして、空也死後その弟子が西光寺があった地域名「六原(ろくはら)」と仏教用語「六波羅蜜」をかけて、「六波羅蜜寺」と呼ばれるようになりました。
ところで、なぜ弟子は六波羅蜜寺なんて名前にしたのでしょうか?
六波羅蜜とは?
六波羅蜜は仏教用語です。
意味は「菩薩が、悟りの世界に行くために実践しなければならない6つの方法」という意味です。
これだけだとわかりにくいのでもう少し詳しく説明します。
意外と難しい菩薩(ぼさつ)の意味
菩薩とは何か?これは実は結構難しい質問なんです。
なぜなら、菩薩という言葉の意味はそれを用いる人の立場で変わってしまうからです。
菩薩には、主に次の3つの意味があります。
1.悟りを開く前のお釈迦様(ブッダ)のこと
2.他者を救い、それによって悟りを得ようと努めている者
3.悟りを既に得ていて困苦のない世界へ行ける(解脱できる)のに、あえてこの世界に残って人々を救う者たち
六波羅蜜に関係あるのは、「2.他者を救い、それによって悟りを得ようと努めている者」という意味です。
6つの波羅蜜(はらみつ)
他者を救済し、悟りを開くための6つの実践法は、それぞれ波羅蜜とよばれ次のようなものでした。
・布施波羅蜜(ふせはらみつ):欲を捨て、物惜しみせず施すこと
・持戒波羅蜜(じかいはらみつ):五戒(決まり事)を守ること
・忍辱波羅蜜(にんにくはらみつ):苦難に耐えること
・精進波羅蜜(しょうじんはらみつ):怠けないこと
・禅定波羅蜜(ぜんじょうはらみつ):心を落ち着け集中すること
・智慧波羅蜜(ちえはらみつ):道理を理解すること
これら6つの波羅蜜(悟りを開くための実践方法)のことを合わせて六波羅蜜と言います。
地方を渡り歩きながら念仏を唱え、公共事業などにより多くの民を救った空也こそ六波羅蜜を実践し、成し遂げた人物として相応しい・・・、そんな弟子の想いが六波羅蜜寺という名に込められている、と私は思います。
以上、六波羅蜜寺の名前にまつわる豆知識でした。
六波羅蜜寺の一番の見所は空也上人像
六波羅蜜寺の見所と言えば、やはり空也上人像です。教科書にも載っている有名な像です。
空也死後の鎌倉時代に造られたので本人に似ているかはわかりませんが、見てみると空也が人々の間で親しまれていたことや、人々が空也にどんなイメージを抱いていたのかということはわかります。
口から出てくる6体の阿弥陀仏
空也上人像の一番の特徴は、口から出ている6体の阿弥陀仏。何も知らずに見ると少し気持ち悪いです。正直、私は昔に教科書で見たとき「気持ち悪っ!」って思いました・・・(汗
口から出ているのは6体の阿弥陀仏で、「南無阿弥陀仏(なみあみだぶつ)」の6文字を表現していると言われています。
「南無阿弥陀仏」の意味については前編で説明しましたので、そちらをご覧ください。
踊念仏の創始者!?
空也は、踊念仏の祖と言われることもあります。お腹にある小太鼓(ドラ?)みたいなものが踊念仏を彷彿とさせます。
踊念仏自体は、鎌倉時代に生まれた時宗という宗派で行われました。しかし、その原型となる念仏を空也が行っていたのでは?とか言われているようです。
前編(六波羅蜜寺の見所と歴史と空也上人をわかりやすく【空也上人を知ろう】)と合わせて、少しでも空也のことを知ってもらってから六波羅蜜寺に行くとお寺観光がより楽しめるかもしれません。
平清盛像
すみません。六波羅蜜寺の平清盛像は画像が見つかりませんでした(汗
平安時代、六波羅蜜寺が建っている一帯は、実は平家の本拠地でした。そのため、六波羅蜜寺は、比較的平清盛と縁の深いお寺と言うことができます。
六波羅蜜寺に安置されている平清盛像は、よく歴史で語られるような絶対権力者としての様子はありません。平清盛像は、出家し頭を丸めた後の穏やかさと平家の棟梁としての威厳とが入り混じったような表情をしています。
六波羅蜜寺の歴史
最後に六波羅蜜寺の歴史を簡単に。
平清盛像のところで述べたように六波羅蜜寺は、平家一門が住む一帯の中に建てられていました。
しかし、源平合戦により平家が滅亡後、そこには源頼朝が武士の世を作るために朝廷の監視役として置いた六波羅探題(ろくはらたんだい。今でいう警察みたいな感じ)という組織の拠点となります。
六波羅蜜寺は、源平両者の栄華必衰を見てきたお寺と言うこともできるかもしれません。
応仁の乱で奇跡的に無傷
室町時代の応仁の乱では、多くの寺院や仏像が兵火で焼失してしまいました。そんな中、六波羅蜜寺は奇跡的に被害が少なくて済みました。
明治の廃仏毀釈運動で規模縮小
応仁の乱を耐えた六波羅蜜寺も明治時代の廃仏毀釈運動には耐えられませんでした。昔はもっと広い敷地を持つ寺院でしたが、今では住宅街の一角に建つ小さなお寺になってしまいました。
長い歴史を刻んできた本堂
(出典:wikipedia「六波羅蜜寺」)
六波羅蜜寺の本堂は、1360年頃に建てられたものです。京都の寺院というのは、その多くが応仁の乱で焼けてしまったため、応仁の乱以前に建てられた本堂というはとても歴史的価値のあるものなんですね。
もちろん1360年から現代まで様々な修復が施されており、昔の原型をそのままとどめているわけではありません。
応仁の乱で生き残った京都の寺院は六波羅蜜寺のほかに、平等院鳳凰堂があります。平等院鳳凰堂の本堂は、応仁の乱以前の建築物として貴重であるほかに、仏教の浄土信仰を深く反映させたその建築様式も相まって世界遺産に認定されています。
詳しくは
ちょっと話が逸れましたが、六波羅蜜寺の本堂はあまり有名ではありませんが、地味に重要な建物だったりします。正直、素人が見ても良さというのはよくわからないかもしれませんが(私がそうでした・・・)、700年以上の歴史に耐えてきたお寺と考えながら足を運ぶと少しだけ六波羅蜜寺を見る視点が変わるかもしれません。
まとめ
以上、六波羅蜜寺の紹介でした。仏教の話を織り交ぜなければならなかったので、うまく説明できているのかわかりませんが・・・(汗
六波羅蜜寺は、小さいお寺ですが、小さいながらも見所が満載で密度の濃いお寺です。ここで紹介した空也上人像や平清盛像以外にもたくさん展示物があります。
さらに、清水寺や建仁寺、八坂神社と言った有名な観光地も近くにあり、所要時間もそこまでかからないので、比較的寄りやすいお寺です。
ぜひ京都観光の際には、空也の想いが宿る六波羅蜜寺に立ち寄ってみてはいかがでしょうか!
コメント
六波羅蜜寺の歴史の項目の最後の行に
六波羅蜜寺は、源平両者の映画必衰を見てきたお寺と言うこともできるかもしれません。
の文章ですが、栄華必衰の誤変換ではありませんか。
ご指摘ありがとうございます。修正しました。