浴衣や着物の着付けはなぜ右前?【知っておきたい雑学】

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着物や浴衣って普段は着ないけど、いざ着るぞ!ってなったとき

「着物ってどうやって着るんだっけ・・・(;゚д゚)」

と焦ることありますよね?それが大事な場面だったりしたらもう最悪!

特に右前と左前は、覚えずらいくせにかなり重要なマナーだったりします。なぜなら、間違って左前で着てしまうと、死装束という非常に縁起の悪い着付け方法になってしまうからです。

ここでは、右前が礼儀作法となった由来を説明していきたいと思います。マナーの由来さえ知ってしまえば、いざという時でも忘れることはありませんよ。

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浴衣や着物の右前(右襟)の作法は1300年の歴史を持つ

右前(右襟とも言う。)の作法の歴史は、719年までさかのぼります。結構歴史が古いんですね。

719年はどんな時代かといえば、だいたい奈良の大仏で有名な聖武天皇の時代です。当時の日本は、天皇制もおおむね確立され始めた頃で、中国の最先端の文化を取り入れ、自国の威信を高めようと必死の時代でした。他国に舐められては国の存亡に関わりますからね!

日本は今でいう、発展途上国だったわけです。

そんな中、中国の最新の文化として日本に取り入れられたのが右前の作法です。

ちなみに、719年に右前の作法が採用される前は、日本では左前が一般的でした。

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なぜ「右」なの?

素朴な疑問ですよね。

右でも左でもどっちでもいーじゃん。めんどい!!」と内心思ったことがある方もいるかもしれません。しかし!当時の日本にとっては、天皇の威信を関わるかなり重要な出来事だったんです。

なぜ「右」なのか、わかりやすく解説していきます。

天子(天皇)は北に位置し、臣下と南面すべし

「何言ってんの?」と思った方。ごもっともです。はい。

当時の日本には、天皇は、臣下とは必ず南を向いて対面しなければならないという大事な決まりがありました。これを「天子南面思想」と私は言っています。

どうでも言い豆知識を話しますと「背」と言う字。天子(天皇)は必ず南向きに人々と接するわけですから、北側は必ず背中になります。実は「背」と言う字に「北」が入っているのは、天子南面思想に由来しています。

この天子南面思想を具現化したのが、「なんと(710)奇麗な平城京」で有名な平城京です。

下図が平城京で、北にある「平城宮」が天皇の住んでいた場所です。

Heijokyo

と、ちょっと話が別な方向に(汗
話を戻します。

天子南面思想。ふむふむ・・・って、これ右前と関係ないじゃん!

はい。天子南面思想だけでは、右前の由来は説明できません・・・ (;゚д゚)

右前の由来には、日本の最高神である天照大神(あまてらすおおみかみ)が関係しているのです。

太陽は東から昇り、西へ沈む。北から見ると・・・

日本の最高神である天照大神は、言うまでもなく太陽神です。そして、太陽は東から昇り西へ沈みます。

これを天子南面思想に基づき、北から見ると・・・左側が東、右側が西となります。

さらに、太陽神を最高の神と崇める日本では、太陽が沈むに西よりも太陽が昇る東の方が上位な方向とされていました。

北に位置する天皇から見れば、東側は左となります。ここから、左は右よりも上位の方角であるという思想が生まれました

これで「左」>「右」という構図がわかりましたね。ゴールまであと少し!!

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天皇はすべての民の上位に位置する。つまり・・・

天皇よりも身分の低い人(日本国民すべて)は、天皇から見て左側の襟を隠し、右襟を前に出しなさいというルールが作られました。

「天皇から見て」というのが大事なところ。自分から見れば左側を手前にするのですね。

これは719年、法律によって定められます。法律です。きちんとした決まり事だったんですね。

というのが、着物や浴衣の右前作法が日本に採用された理由です

浴衣や着物の着付け作法の1つにすぎない右前の作法ですが、作法が作られた背景には、天皇と天照大神という壮大な裏事情があったのです。

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注意!右前は「相手から見て右側である」ということ

読んでる方が一番気にしている実際の着付け方法ですが、右前は「相手から見て右側である」ということに注意してください。

これは、前述した「天皇から見て右を前にしろ」というのと同じです。

わかりやすいチェック方法は、「右手を襟の中に通した時に、右手がちゃんと懐に入る」という方法。迷ったときはチェックしてみてくださいね!

ちなみに、この記事の一番上の写真。これは正しい着付け方法になっています。

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おまけ1:左前はなぜ死装束になったのか?

右前の作法は、「左」>「右」という左上位の考え方を、実際の身分格差にも反映させたものでした。

しかし、亡くなられた人々にまで身分の差を表現する必要はあるでしょうか。

現世では様々な格差がありますが、あの世に逝かれた人たちには、身分格差はない!そんな思想から、次第に、亡くなった人には「右」より上位の左前という文化が根付いたそうです。

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おまけ2:和服は男性でも「右前」がマナーです。

たまに、男性は「左前」がマナー!という話を聞きますが、それ、間違ってます

左前が許されるのは洋服だからです。由来の話を見ればわかりますが、そこに男女差はありません。

和服なら男女問わず右前!ということを忘れずに。

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この記事を書いた人
もぐたろう

教育系歴史ブロガー。
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