

今回は徒然草について、わかりやすく丁寧に解説していくよ!作者の兼好法師がどんな人だったか、第52段「仁和寺の法師」など有名な段のポイント、テスト対策まで全部カバーするね!
📚 この記事のレベル:中学歴史 / 高校日本史(基礎)
📖 山川出版『詳説日本史』準拠
「徒然草」と聞くと、世捨て人の隠者が山奥でひっそりと書いた随筆——そんなイメージを持つ人が多いかもしれません。しかし実は、兼好法師は武家社会で引く手あまたの「社交的な文化人」でした。室町幕府の重臣・高師直に恋文の代筆を頼まれるほど、当時の権力者たちから重宝がられていたと伝えられています。だからこそ、徒然草には人間観察の鋭さがあふれているのです。
徒然草とは?
- 徒然草は鎌倉時代末期に成立した随筆で、枕草子・方丈記とならぶ「三大随筆」のひとつ
- 作者は兼好法師(通称・吉田兼好)。全244段からなる随筆集
- 「無常観」(世の中は移ろうもの)をテーマに、人生・社会・自然をユーモラスに観察した作品
徒然草は、鎌倉時代の末期、おおよそ1330年〜1331年ごろに成立したと考えられている随筆です。作者は兼好法師。清少納言の枕草子、鴨長明の方丈記と並んで、「日本三大随筆」のひとつに数えられる古典の名作です。
全部で序段+本文243段の計244段(一説に243段とも数えられます)から構成されており、内容は人生論・自然・恋愛・社会批評・笑える失敗談まで多岐にわたります。一貫したストーリーはありませんが、どの段も短く読みやすいのが特徴。中学・高校の国語の教科書でも必ず取り上げられる定番作品です。
■タイトル「徒然草」の意味
「徒然草」というタイトルは、序段の冒頭の一文から取られています。あまりにも有名な書き出しなので、中学生のときに暗記させられた人も多いかもしれません。
「つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」
現代語に訳すと、「手持ち無沙汰なのにまかせて、一日中硯に向かって、心に浮かんでくるとりとめのないことを、なんとなく書きつけていると、不思議と気持ちが高ぶってくるものだ」というような意味になります。
「つれづれ」は「することがなくて退屈な状態・手持ち無沙汰」を意味する古語。「草」は「随筆・書きもの」を表すことばで、合わせると「ヒマつぶしに書いた随筆」というニュアンスのタイトルになります。

やることがないから、思いのままに書いてみるか……。どうせ、捨てるような話ばかりだけどね。

今でいうと「ヒマだからブログでも書くか」みたいなノリだよ!でも、その”なんとなく書いた”中身が700年経った今も読み継がれてるんだから、すごいよね。
■三大随筆(枕草子・方丈記・徒然草)の比較
徒然草を理解するには、同じ「随筆」というジャンルの三大随筆とセットで覚えるのがおすすめです。三作品の違いをまとめると次のようになります。
| 作品 | 作者 | 成立時期 | 主なテーマ |
|---|---|---|---|
| 枕草子 | 清少納言 | 平安時代中期(1000年頃) | 宮廷生活・「をかし」(趣がある) |
| 方丈記 | 鴨長明 | 鎌倉時代初期(1212年) | 災害・無常観・隠者の生活 |
| 徒然草 | 兼好法師 | 鎌倉時代末期(1330年頃) | 人間観察・無常観・ユーモア |

三大随筆って、テストによく出るよね。3つの違いをどうやって覚えればいいの?

「まくら・ほうじょう・つれづれ」=「清・長・兼」(清少納言・鴨長明・兼好法師)でセット暗記するのが鉄板だよ!時代順も「平安→鎌倉初→鎌倉末」だから、古い順に「枕→方丈→徒然」で覚えれば一気に整理できる!
枕草子が「宮廷の華やかな日常」を描いたのに対し、方丈記と徒然草はどちらも「無常観」がテーマになっています。ただし方丈記が大火・地震・飢饉など災害を通して無常を語るのに対し、徒然草はもう少し肩の力を抜いて、日常のささいな出来事から人間の本質をのぞき込むスタイル。次の章で見ていく作者・兼好法師の人柄が、そのままにじみ出ているのです。
作者・吉田兼好(兼好法師)とはどんな人?

徒然草の作者は兼好法師。学校では「吉田兼好」という名前で習った人も多いかもしれません。しかし実は「吉田兼好」という呼び名は、本人が名乗ったものではなく、江戸時代以降に広まった通称。本来の家名は卜部氏で、当時は卜部兼好と呼ばれていたとされます。

えっ、「吉田兼好」って本名じゃないの?なんでそんな違う名前が広まったのかしら?

卜部氏の中の「吉田家」という分家が、江戸時代に有名になったんだ。そのつながりで「吉田兼好」と呼ばれるようになったんだよ。でも兼好本人が吉田家に直接属していたわけではないから、近年は「兼好法師」と呼ぶのが一般的だね!
■生涯と出家の経緯
兼好法師の生没年は正確にはわかっていませんが、1283年ごろに生まれ、1352年以降に亡くなったとされるのが定説です。京都の吉田神社の神官の家系である卜部氏に生まれ、若い頃は朝廷に仕える官人として活躍。後二条天皇の蔵人(※天皇の側近で、秘書や雑務をこなす役職)として宮中に出仕していたことがわかっています。
しかし1308年、仕えていた後二条天皇が24歳の若さで崩御。これをきっかけに、兼好は30歳前後で出家したと考えられています。出家後は「兼好法師」と名乗り、京都の比叡山近くなどに庵を結びながら、和歌や随筆の執筆に打ち込みました。

仕えていた帝が、まだお若いのにお亡くなりになってしまった……。この世の儚さを、身をもって思い知らされた気がする。
主君を若くして失った経験は、徒然草に流れる「無常観」のひとつの原点になったとも言われています。出家したとはいえ、兼好は山奥に引きこもったわけではなく、京都の都に近い場所で和歌の活動を続け、当時の二条派と呼ばれる和歌の流派にも所属していました。
■「隠者」なのに人付き合いが多かった?意外な素顔
「兼好法師」と聞くと、世捨て人のような静かな隠者を想像しがちです。しかし実は、兼好は和歌の名手として知られ、二条為世に学んだ「和歌四天王」の一人にも数えられた、京都きっての文化人でした。
そして太平記などの後世の文献には、兼好が室町幕府の重臣・高師直(足利尊氏の側近)から恋文の代筆を頼まれた、というエピソードが残されています。武家社会の権力者から「恋文を書いてくれ」と頼まれるなんて、当時の「一流コピーライター」として認められていた証拠。隠者というよりは、現代でいえばフリーランスの人気文化人に近い存在だったわけです。
📝 豆知識:高師直の恋文代筆エピソードは『太平記』に記された後世の伝承であり、史実かどうかは諸説あります。ただし兼好が武家社会とも幅広く交流し、当時の文化人として高い評価を受けていたことは、複数の史料から確認できます。

出家して隠居しているのに、なぜ武家の権力者からそんなに重宝されていたのでしょうか?

兼好法師は今でいう「一流ライター+文化コンサルタント」みたいな存在だったんだ!和歌や古典の知識は当時の貴族・武家のたしなみだったから、それを教えてくれる先生は引っ張りだこ。だから出家しても収入と人脈には困らなかったんだよ。
こうして朝廷の元官人として宮中を知り、出家後は武家社会とも交流した兼好法師の幅広い人脈と観察眼が、徒然草の人間描写にそのまま結びついていきました。次の章では、その徒然草の中身——どんな内容で、どんな段が有名なのかを見ていきます。
徒然草の内容と有名な段

徒然草は、序段+本文243段の計244段から成り立っています。1段の長さは、わずか数行のものから1ページを超えるものまでバラバラ。テーマの幅もとても広いのが特徴で、ざっくり分けると次のような内容が混在しています。

244段もあるなんて多すぎ……。テスト勉強でぜんぶ読まないとダメなの?

全部読まなくて大丈夫!テストや授業で扱われるのはせいぜい序段・第52段・第92段・第109段・第137段あたり。この5つを押さえれば、ほぼ9割カバーできるよ!
■テスト頻出の有名な段(一覧)
テスト・受験で頻出する代表的な段を表にまとめました。それぞれ短い段なので、読書感想文を書くときも参考にしやすいはずです。
| 段 | 有名なタイトル | 主な教訓 |
|---|---|---|
| 序段 | つれづれなるままに | 執筆の動機(書名の由来) |
| 第52段 | 仁和寺にある法師 | 「先達はあらまほしき」(経験者に聞こう) |
| 第92段 | ある人、弓射ることを習ふに | 「なほざりの心」(油断は失敗のもと) |
| 第109段 | 高名の木登り | 「あやまちは、やすき所になりて、必ず仕る事に候ふ」(気のゆるみが事故を生む) |
| 第137段 | 花はさかりに | 「散り際の美しさ」「もののあわれ」 |
特に第52段「仁和寺にある法師」は、中学・高校どちらの教科書でも採用率がきわめて高い超頻出段。次の章では、その内容をくわしく見ていきます。
第52段「仁和寺の法師」をわかりやすく解説

第52段「仁和寺にある法師」は、徒然草でもっとも有名な段のひとつです。原文の冒頭はこのように始まります。
「仁和寺にある法師、年寄るまで石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、ただ一人徒歩より詣でけり」
仁和寺は、京都市右京区にある真言宗の名刹(古い名門のお寺)。石清水とは、京都府八幡市にある石清水八幡宮のことで、当時の人々にとっては一度は参拝したい有名な神社でした。
■あらすじを現代語訳でわかりやすく
あらすじを現代風にかみくだくと、こうなります。
つまりこの法師は、本来の目的地である八幡宮の本殿を見ずに帰ってきてしまったのです。麓の付属の神社・お寺を本殿だと勘違いしたまま、満足げに自慢する姿はちょっと笑えますよね。

これって、ただの笑い話なんじゃないの?テストでは何を聞かれるの?

そう思うよね!でも兼好はこの段の最後に、超有名な教訓を書き加えているんだ。それが「少しのことにも、先達はあらまほしきことなり」。テストでは、ここの現代語訳とこの段全体の教訓がほぼ確実に問われるよ!
■教訓「先達はあらまほしきことなり」の意味
「少しのことにも、先達はあらまほしきことなり。」
現代語訳すると、「ちょっとしたことでも、案内してくれる先輩・経験者がいてほしいものだ」という意味になります。
「先達」は経験者・先輩、「あらまほし」は「あってほしい・いてほしい」という意味の古語。「初めての場所でも、ちょっと誰かに聞けばいいのに、それをしなかったから恥をかいた」——そんな兼好の冷静なツッコミが、現代の私たちにも刺さります。

仁和寺の法師よ、なぜ周りに一言聞かなかったのだ……。たった一言、誰かに聞いてさえいれば、年来の願いを完全に果たせたものを。

今でいうと、初めての街でグルメ目当てに行ったのに、駅前のチェーン店だけ食べて「いやー満喫した!」って帰ってくる感じ。ちょっと地元の人に聞けば本場の名店にたどり着けたのに……ってことだね。
この段が教えてくれるのは、「思い込み」や「自己流」だけで進めると、本当に大切なものを見落とすということ。受験勉強や仕事、人生のあらゆる場面に通じる教訓だからこそ、700年経っても古びないのです。
第92段・第109段・第137段など他の有名な段
第52段ばかりが注目されがちですが、徒然草には他にもテスト・受験で問われる名段がいくつもあります。ここでは特に頻出の3つを順番に見ていきましょう。
■第92段「ある人、弓射ることを習ふに」
「ある人、弓射ることを習ふに、諸矢をたばさみて的に向ふ」
あらすじ:弓を習い始めた人が、いつも矢を2本持って的に向かおうとします。すると師匠が、「初心者は2本持ってはいけない。後の矢があると思って、最初の矢を雑に扱う心が生まれる」と諭しました。
キーワードは「懈怠の心」「なほざりの心」。「次がある」「まだ大丈夫」と思った瞬間に油断が生まれる——という、現代の私たちの心にもグサッと刺さる教訓です。
💡 現代の例えで言うと:定期テストで「次の単元はまだ時間がある」と油断して、結局どっちも中途半端になる——あの感覚です。兼好は700年前にもう、そのワナを見抜いていたんですね。
■第109段「高名の木のぼり」
「高名の木のぼりといひしをのこ、人を掟てて、高き木に登せて梢を切らせしに……」
あらすじ:木登りの名人と評判の男が、弟子に高い木に登らせて枝を切らせていました。危ない高さの場所では何も言わなかったのに、もう降りるだけの軒の高さくらいになったとき、急に「気をつけろ」と声をかけた——その理由を聞いたところ、男はこう答えました。
「あやまちは、やすき所になりて、必ず仕る事に候ふ。」(失敗は、安全な場所まで来てから必ず起こるものでございます)
危険な場面では人は集中しているから事故は起きにくい。むしろ「もう大丈夫」と気が緩んだとたんにミスは起こる——名人の言葉として、兼好はこれを高く評価しています。

これって、まさに現代のヒヤリ・ハットの心得そのものですね。職場の安全教育でも同じことを言われた気がします。

そうなんだ!700年前の木登り名人と、現代の安全管理ノウハウが同じ結論にたどり着いているのが面白いよね。兼好は「人の心のクセ」をすごい解像度で見抜いてたんだ。
■第137段「花はさかりに」
「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは。」
現代語訳すると、「桜の花は満開のときだけ、月は雲ひとつない満月のときだけを見るものなのだろうか、いやそうではない」という意味。兼好は、咲ききった花や完全な満月ばかりを愛でる風潮にあえて疑問を投げかけます。
つぼみのままの花、散ったあとの庭、雨に隠れて見えない月——そうした「完全ではないもの」「失われゆくもの」にこそ、しみじみとした趣(もののあわれ)があると兼好は説きます。この感性は、日本人の「侘・寂」につながっていく、とても重要な美意識です。
📝 テストの注意点:第137段は単に「桜の美しさを語った」のではなく、「散り際・つぼみ・見えない月にも美がある」という不完全さの美を語っています。記述問題では「もののあわれ」「無常観」と関連づけて答えると点が取りやすいです。

こうやって並べると、第52段・第92段・第109段はどれも「人の油断・思い込み・慢心」へのユーモラスなツッコミ。第137段は「移ろう美」へのまなざし。徒然草の二大テーマがしっかり見えてくるよね!
そして第137段で語られる「移ろうものの美しさ」は、徒然草の根底にある思想——無常観へとつながっていきます。次の章では、徒然草が伝えた「無常観」という思想に迫っていきます。
徒然草が伝えた思想——無常観とは?
徒然草を語るうえで欠かせないキーワードが、無常観です。第137段「花はさかりに」も、第109段「高名の木のぼり」も、根っこにあるのはこの思想。ここを押さえれば、ばらばらに見えた各段が一本の糸でつながって見えてきます。
無常観とは、もともと仏教の世界観で「この世のすべては移ろい、変わり続ける」という考え方です。生まれたものはいつか滅び、咲いた花はいつか散る——それは悲しいことのようでいて、誰にも止められない、まごうことなき事実。兼好法師はこの「変わり続ける現実」を、徒然草の至るところに織り込んでいます。
たとえば第137段で、満開の桜よりも散ったあとの庭に趣を見いだしたのも、第109段で「安心したときこそ落ちる」と説いたのも、すべては「変わってしまう」という前提があってこそ生まれる視点。徒然草を貫いている空気は、まさにこの無常感覚なのです。

方丈記も「無常」がテーマだって聞いたことがあるんですけど、徒然草の無常観とは違うんですか?

いい質問だね!同じ「無常」でも、方丈記と徒然草はかなり温度感が違うんだよ。ざっくり言うと、方丈記は「暗くて悲壮な無常」、徒然草は「ユーモラスで受け入れる無常」。次のメモで違いを並べてみるね。
📚 方丈記と徒然草の「無常」の違い
・方丈記(鴨長明・鎌倉初期):大火・地震・飢饉など災害を目の当たりにした体験から、「世はつらく、はかない」と悲壮に語る無常。
・徒然草(兼好法師・鎌倉末期):人間観察やユーモアを交えながら、「だからこそ今を楽しみ、味わおう」と受容的に語る無常。
同じ無常観でも、徒然草のほうがずっと風通しがよく、現代人にも読みやすい——と覚えておくとテストでも便利です。
■無常観は「ネガティブ」じゃない——「今を大切に」という教え
「無常」と聞くと、どうしても「むなしい」「悲しい」「諦め」といった暗いイメージがつきまといます。たしかに方丈記の無常観はその色が濃いのですが、徒然草の場合は少し違います。
兼好法師が説いたのは、「すべては移ろう。だからこそ”今この瞬間”を大切にしよう」という前向きな態度です。明日になれば桜は散り、人もいつかは死ぬ。それは止められない。ならば、咲いているうちに見て、生きているうちに楽しもう——徒然草の根底に流れているのは、こんな受容的なまなざしなのです。

無常?そう、世の中は変わる。だからこそ”今”を大切にすべきなんだよ。明日も同じ景色が見られると思うから、今日の桜を雑に見てしまう。そんな心のクセを、見直してみてはどうかな。
この感覚、現代でも「マインドフルネス」や「一期一会」という言葉で語られている価値観とほとんど同じです。今・ここ・目の前の人や出来事に意識を向ける——700年前の兼好法師が説いたことを、私たちは今あらためて「現代の教養」として学び直しているわけです。

マインドフルネスって最近よく聞きますけど、ルーツが鎌倉時代の随筆にもあると思うと、ちょっと感慨深いですね。古典がぐっと身近に感じます。
🌍 世界史との対比:14世紀ヨーロッパの「無常」
兼好法師が徒然草を書いた14世紀、海の向こうのヨーロッパでも「無常」を見つめる文化が広がっていました。ペストの大流行で人口の3分の1が亡くなったといわれる時代、絵画や写本には「死の舞踏」(Danse Macabre)と呼ばれる、骸骨と人々が踊るモチーフが繰り返し描かれます。
同じ時代、東洋と西洋の作家たちが、それぞれの仕方で「人はいつか死ぬ」という現実と向き合っていた——そう考えると、徒然草の無常観も世界文学のなかでぐっと立体的に見えてきます。
無常観は、ただ「世のはかなさを嘆く」ためのものではありません。変わっていくからこそ、今この瞬間を丁寧に味わう——徒然草が私たちに教えてくれるのは、そういう生き方のヒントなのです。

「無常」って、テストでは仏教用語として覚えがちだけど、こうやって意味まで踏み込むと一気に面白くなるよね。次の章ではテストでよく問われるポイントを一気にまとめていくよ!
テストに出るポイント
ここからは定期テスト・共通テスト・大学入試で頻出のポイントをまとめます。直前の見直しや、ノートの整理用にも使ってください。
📌 三大随筆 比較表(まずはこの表を丸ごと暗記):作者・成立時代・テーマの3点をセットで覚えると、選択肢問題でほぼ確実に得点できます。
| 作品名 | 作者 | 成立時代 | 主なテーマ・特徴 |
|---|---|---|---|
| 枕草子 | 清少納言 | 平安中期(1000年頃) | 宮廷生活を「をかし」の感性で描く |
| 方丈記 | 鴨長明 | 鎌倉初期(1212年) | 災害と隠遁を通した悲壮な無常観 |
| 徒然草 | 兼好法師 | 鎌倉末期(1330年代頃) | 人間観察と無常観・処世訓・ユーモア |
💡 暗記のコツ:作品名の頭文字「ま・ほ・つ」(枕草子・方丈記・徒然草)と作者「清・長・兼」(清少納言・鴨長明・兼好法師)をセットで唱えるのが定番。さらに「平安/鎌倉初/鎌倉末」と時代の順番で並べれば、選択肢の入れ替え問題にも対応できます。

正直、全部覚える時間がない……。優先順位を教えてほしい!

OK、時間がないときの優先順位はこれ!
①三大随筆の組み合わせ(作者・時代)
②序段の書き出し(「つれづれなるままに……」)
③第52段の教訓(先達はあらまほし)
この3点だけは絶対押さえて。中学・高校の基本問題ならこれで7〜8割は取れるよ!

3つに絞ってくれると安心する!まず三大随筆と序段の暗記から始めるよ!
徒然草についてもっと詳しく知りたい人へ

徒然草をもっと深く楽しみたい人に、おすすめの本を紹介するよ!レベル別に3冊選んだから、自分に合うやつを選んでみてね!
よくある質問(FAQ)
徒然草・兼好法師についてよく聞かれる質問をまとめました。気になる質問をタップ・クリックすると回答が開きます。
兼好法師(本名:卜部兼好)は、鎌倉時代末期の歌人・随筆家です。後二条天皇に蔵人として仕えたのち30歳前後で出家し、隠者として暮らしながら徒然草を執筆しました。「吉田兼好」という呼び名は江戸時代以降に定着した通称で、当時の本名ではありません。
成立時期は鎌倉時代末期・1330年代頃と考えられています。正確な年代はわかっておらず、一気に書き上げられたのではなく、複数の時期にわたって書きためられたものを後にまとめた、というのが現在の通説です。
三作はあわせて三大随筆と呼ばれます。枕草子(清少納言・平安中期)は宮廷生活を「をかし」の感性で描き、方丈記(鴨長明・鎌倉初期)は災害と隠遁を通して悲壮な無常を語ります。徒然草(兼好法師・鎌倉末期)は人間観察と無常観を、ユーモアまじりに受容的に語ったのが特徴です。
段の結びにある「少しのことにも、先達はあらまほしきことなり」が教訓です。意味は「ちょっとしたことでも、案内してくれる経験者がいてほしいものだ」。仁和寺の法師が麓の神社を本殿と勘違いして帰ってしまったエピソードを通じて、「思い込みで進めず、誰かに一言聞くことが大切」という人生訓が語られています。
無常観とは、もともと仏教の世界観で「この世のすべては移ろい、変わり続ける」という考え方です。徒然草の無常観は、方丈記のように悲壮なだけではなく、「だからこそ”今”を丁寧に味わおう」という受容的・ユーモラスな姿勢が特徴。第137段「花はさかりに」で象徴的に表現されています。
「つれづれ」は「することがなく、手持ち無沙汰な状態」を表す古語です。「つれづれなるままに」で「することがないので、なすがままに(思いつくままに)」という意味になります。徒然草の序段冒頭は「やることもないから、心に浮かぶことをそのまま書き留めてみよう」というニュアンスで読むとすっきり理解できます。
まとめ——徒然草と兼好法師

以上、徒然草のまとめでした!兼好法師の人間観察眼は700年後の今も色あせないね。下の記事で枕草子・鎌倉時代もあわせて読んでみてください!
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1283年頃兼好法師(卜部兼好)誕生
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1301年頃後二条天皇の蔵人として宮廷に仕える
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1308年以降後二条天皇崩御をきっかけに出家(兼好法師と名乗る)
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1330年代頃徒然草を執筆(鎌倉時代末期・全244段)
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1352年頃兼好法師、没(享年70歳前後と推定)
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江戸時代「吉田兼好」という呼び名が定着(本名は卜部兼好)
📅 最終確認:2026年5月 / 参照:山川出版『詳説日本史』(2022年版)
Wikipedia日本語版「徒然草」「兼好法師」(2026年5月確認)
コトバンク「徒然草」「兼好法師」(デジタル大辞泉・日本大百科全書)
山川出版社『詳説日本史』
記事の誤りを発見された場合はお問い合わせください。確認後、修正します。




