【高校日本史】旧石器時代の文化・生活を簡単にわかりやすく解説【完全まとめ版】

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もぐたろう
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今回は、旧石器時代の日本の文化・人々の生活について、わかりやすく丁寧に解説していくね!

この記事を読んでわかること
  • 旧石器時代ってどんな時代なの?
  • 旧石器時代の日本はどんな様子だったの?
  • 旧石器時代の日本人はどんな生活・文化をしていたの?
  • 旧石器時代はどうやって終わったの?
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旧石器時代とは

旧石器時代について説明するには・・・、まず人類の歴史のことを知っておく必要があります。

地球上に人類が登場したのが今から約700万年前。

人類は、長い歴史の中で猿人→原人→旧人→新人と大きく4段階の進化を遂げてきました。

人類の進化

私たちのルーツは、今から30万〜25万年前に登場した新人のホモ=サピエンスという人種で、アフリカで生まれ世界中へとの広まり、現代に至っていると言われています。(というか、生物学上は私たちもホモ=サピエンスという種に属しています。)

人類は、能力パラメータを知能に全振りしているのが特徴で、動物でも唯一、火や道具を巧みに操れる生き物でした。

今から約260万年前、人類に石器ブームが到来します。※時期については諸説あり

石を打ち砕いて、尖らせた部分を武器や包丁のように使用する打製石器だせいせっきが広く使われるようになったのです。

この打製石器ブームの時代のことを、人類史の1つとして旧石器時代きゅうせっきじだいと言います。

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日本の旧石器時代

日本の旧石器時代を語る上で、とても重要になるのが『日本列島に私たちの直接のご先祖(ホモ=サピエンス)がやってきたのはいつ?』っていう問題です。

もぐたろう
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日本に人が住んでいなければ、日本史を語ることはできないからね。

繰り返しになりますが、ホモ=サピエンスは30万〜25万年前にアフリカで登場しました。そのホモ=サピエンスは、いつ東アジアの端っこまでやってきたのでしょうか?

・・・諸説ありますが、だいたい今から3万8000年前だと言われています。

というわけで、日本の旧石器時代は、おおむね3万8000年前からスタートした・・・と考えられています。

日本史に新しい1ページを追加した岩宿遺跡

戦前まで『旧石器時代、日本には人は住んでいなかった』というのが通説でした。なぜなら、旧石器時代の遺跡が日本で見つからなかったからです。

なので日本史のスタートも、今から約1万年前の縄文時代だと考えられていました。

・・・が、1949年、アマチュア考古学者の相沢忠洋あいざわただひろという人物が、群馬県にある岩宿遺跡いわじゅくいせきから打製石器を発見。

そして、相沢が苦節を重ねて研究を続けた結果、旧石器時代の日本にも人が住んでいたことがわかりました。

相沢の発見を皮切りに、未知の歴史にロマンを抱いた人々が各地で旧石器時代の遺跡調査を開始。

すると、岩宿遺跡以外にもたくさんの遺跡が見つかって、旧石器時代の謎が次々と解き明かされるようになりました。

もぐたろう
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日本史の教科書に旧石器時代が載っているのは、相沢忠洋とその後に続いた研究者たちのおかげということだね。(受験生にとっては嬉しくないかもしれないけど・・・)

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旧石器時代の日本の様子

旧石器時代の地球は、一定サイクルで寒い時期氷期ひょうきと暖かい時期間氷期かんぴょうきを繰り返していて、全体で言えば、今よりも寒い時代が長く続きました。

寒冷な気候によって地球上の水がたくさん凍ったため、旧石器時代の海面は今よりも低くて、日本はザックリと下図のようになっていました。

出典:wikipedia「日本の歴史」

北海道は陸続きになっていて、朝鮮半島ー九州北海道-本州の距離も今よりもかなり接近していました。

日本人はどこからやってきた?

先ほど「日本列島に人がやってきたのは約3万8000年前!」って話をしましたが、では日本人は一体どこからやってきたのか?

・・・実はハッキリとわかっていません。

考えられるパータンとしては、

・陸続きになったロシアの方から歩いてやってきた

・朝鮮半島から海を渡ってでやってきた

・沖縄の方から島々を中継しながらやってきた

の3パターンがあって、今でも研究が進められています。

当時は今よりも寒かったため、日本に住んでいる生き物も寒冷地仕様となっていました。

寒さに強い針葉樹しんようじゅがたくさん生えていて、寒さに強い大型動物ナウマンゾウ・オオツノジカなどがウヨウヨしていました。

もぐたろう
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寒い地域ではその気候に適用するため、植物は葉が小さくなり、動物は大型化する傾向があります。

例えば、北海道にしかいないエゾシカ・エジヒグマは、本州のニホンジカ・ツキノワグマよりもサイズが大きくなっていたりするよ。

野尻湖遺跡

当時の日本の様子がわかるのは、いろんな遺跡から化石や石器が発見されたからですが、特にたくさんの化石・石器が発見されたのが長野県にある野尻湖遺跡のじりこいせきが有名です。

野尻湖遺跡ではナウマンゾウ・オオツノジカの化石がたくさん発見されていて、旧石器時代の様子を知るための重要な遺跡の1つになっています。(テストでも岩宿遺跡に次いでよく出ます。)

岩宿遺跡と野尻湖遺跡の場所
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旧石器人の生活

では、そんな環境で旧石器人はどんな生活を送っていたのか。

まず、旧石器人は主食は肉食でした。その辺にウヨウヨしている大型動物を狩って食べていました。

※地域によっては植物が豊富で木の実や植物をって食べることもありました。

・・・ただ、ナウマンゾウみたいな巨大動物を一人で仕留めることはできません。

そこで旧石器人はだいたい10人ぐらいで集団生活を送って、仲間と協力して狩りをしていたと言われています。

ナウマン象を狩猟している旧石器人

狩りのために使われたのは槍でした。

木の棒の先端に、鋭く削った打製石器をくっつけて、その槍をナウマンゾウに投げたり刺したりしていたのです。

もぐたろう
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旧石器時代の遺跡からは、狩り用の落とし穴や狩った肉を焼くための焼石が見つかっていて、打製石器以外にもさまざまな道具が使われていたことがわかっています。

打製石器の種類

打製石器は、用途に合わせていろんな形のものが作られていて、その種類によっていろんな名前が付けられています。

槍の先端にくっつけた鋭利な石器には、主にナイフ形石器尖頭器の2つのタイプが使われました。

ナイフ型石器はその名のとおり、平べったい石の側面を鋭く削って刃にした石器です。敵を突き刺すだけでなく、物を切ることもできるので、狩った動物の皮を剥いだりするときにも使われました。

尖頭器もその名のとおりで、石の先端を尖らせた石器です。突き攻撃に特化した形状なので、槍との相性はバッチリでした。

さらに、旧石器時代の終わり頃には、大陸から細石器と言われる最新の打製石器が日本に伝わりました。

細石器は、使い方はナイフ型石器・尖頭器と同じでしたが、本体部分が木や骨で作られていました。

木・骨の側面に溝を掘り、その溝に刃として細長い石器(細石刃)をたくさんつけることで殺傷力を高め、槍の先端に付けていました。

細石器は、本体が木・骨なので従来の槍よりも軽量化されて扱いやすくなり、さらに、刃こぼれしても刃がダメになった部分の細石刃だけ取り替えれば、すぐに直せたのでコスパにも優れていました。

出典:嵐山町web博物誌

旧石器人は大型動物を追いかけながら生活していたので、同じ場所にずーっと住むことはなくて、テントを張ったり、その辺にある洞穴ほらあなを利用したり、移動しながらの生活を送っていました。

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旧石器時代の終わり

日本の旧石器時代は、今から約1万6000年前に終わりを迎えました。

・・・なぜ終わったのかというと、「大型動物を追って移動生活をする。」という旧石器人の生活スタイルが変わり始めていたからです。

人々は少しずつ定住生活を始めるようになって、食事も野菜や木の実、魚などいろんなものを食べるようになっていきました。

こうした生活スタイルの変化に合わせて、人々が新しく使うようになったのが縄文土器でした。

縄文土器の登場のタイミングで人々の生活スタイルが変わったんだったら、

縄文土器が使われた時代のことを旧石器時代と区別して縄文時代って呼べば良くない!?

っていうノリで、縄文土器が使われていたことが判明している約1万6000年前より先の時代のことを縄文時代と呼ぶようになりました。

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縄文時代の始まり

・・・ただ、縄文時代の初期は、確かに土器は使われていたものの、人々の生活が旧石器時代と比べて大きく変わることはありませんでした。

人々の生活スタイルが一気に変わったのは、今から約1万年前。

約1万年前、地球が氷期から間氷期へ突入しました。つまり、温暖化が進んだのです。

温暖化は、日本列島に住む動植物に大きな影響を与えました。

日本の山林には寒さに強い針葉樹が生い茂っていましたが、温暖化によって温暖な気候を得意とする広葉樹がそのポジション奪うようになり、

ナウマンゾウなどの大型動物が絶滅して、温暖な気候に適用したニホンジカ・イノシシなどの素早くて小・中型の動物が増えるようになりました。

そして、人類も環境の変化に適用していく必要に迫られました。

具合的には、ちょこまか動く小・中型動物を狩るために弓矢を使うようになったり、紅葉樹に実る豊富な木の実(ドングリとか)、ヤマイモやマメ類を採って食べるようになりました。

・・・が、木の実に関しては、アクが強すぎてそのまま食べることができません。

食べるには茹でるという工程が必要で、茹でるには高温にも耐えれる深い器が必要であり、そこで活躍したのが縄文土器でした。

縄文土器

ここまでの話をまとめるとこんな感じ。

旧石器時代は約3万8000年前〜約1年6000年前までの約2万2000年の間のこと

旧石器時代の人々は、打製石器を使って大型動物を狩っていて、獲物を追って移動生活をしていた。

約1年6000年前から、人々の生活スタイルが変わり始めて縄文時代が始まった。大きく生活スタイルが変わったのは地球が温暖化した約1万年前から。

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まぎらわしい時代区分

この時代について学んでいると、次のような用語が入り乱れていて、どの用語が何の時代を指しているのか訳がわからなくなる時があります。

更新世と完新世

旧石器時代と新石器時代

縄文時代

もぐたろう
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最後に、これらの用語の使い方をバッチリ確認しておきましょう!

更新世と完新世

更新世と完新世は、地球の気候の変化によって設定された時代区分です。

氷期と間氷期を繰り返していた時期を更新世こうしんせい

約1万年前から現代まで続いている温暖な間氷期のことを完新世かんしんせいと言います。

旧石器時代と新石器時代

旧石器時代と新石器時代は、使われていた石器の変化によって設定された時代区分

打製石器を使っていた時代を旧石器時代

磨製石器を使うようになった時代を新石器時代と言います。

磨製石器は植物を切ったりするのに便利な石器で、地球が温暖化して草木が増えた完新世から使われるようになりました。

つまり、完新世の始まりと新石器時代の始まりはだいたい同じということになります。

・・・が、日本史を学ぶ上では新石器時代という言葉はあまり使われません。

日本では、人々の生活スタイルの変化を捉えようと思うと、石器よりも土器を基準にして時代を分けたほうが、しっくりくるので、旧石器時代の次の時代のことを縄文時代と呼びます。

更新世・完新世・旧石器時代・新石器時代・縄文時代の違いを図解すると次のようになります。

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動画(YouTube)解説

Youtubeでも解説しています。この記事を読んだ後に見ると、理解がめっちゃ深まるのでオススメです◎

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この記事を書いた人
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教育系歴史ブロガー。
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