前回、最澄と空海(主に最澄)の話を少しだけしました。ところで天台宗って何でしょう?
今回は、天台宗について見ていきます。あと真言宗も!
天台宗とは、総合的な仏教である。
天台宗は、円、戒、禅、密を合体させた総合的な仏教です。
円、戒、禅、密とは?
円は、円満完全な教えを意味していて、天台宗の教理に当たります。
戒は、戒律です。当時、日本には、律宗と言う宗派がありましたが、律宗は戒律に重きを置いた仏教宗派でした。
ちなみに戒律は、あの有名は鑑真が片目を失ってまで日本に伝えてきてくれたものなんです。
(戒律とは何?と言う方は~(鑑真の記事)をどうぞ!)
禅は、その名のとおり禅のこと。室町時代になると、日本では禅を中心とした禅宗が栄えますが、実は禅の教え自体は平安時代から日本にあるものでした。
蜜は、密教のこと。密教については、もうちょっと先で説明します!
この4つの教えを矛盾なく体系的に整理した天台宗こそ完璧な仏教である!というのが、最澄の考えていたことでした。
しかし、天台宗は、これらの教えを完璧に整理することができず、苦難の道のりを歩むことになります。(ネタバレ)
天台宗は、大乗仏教!
仏教にはいろいろな宗派がありますが、究極的な目的はどこの宗派もすべて同じです。
その目的とは「人は、いかにしてブッタの様に悟りの境地に至り、安楽を得られることができるのか」というもの。仏教の教えの根本には、「現世は困苦だらけであり、この現世から抜け出すことこそが人が安楽を得る唯一の方法である」といった感じの思想があります。
仏教の宗派は、「現世から解脱する(悟りの境地を開き涅槃する)」方法についていろいろな考え方があるので、多数に分かれているわけです。つまりは、目的達成のための手法について宗派ごとに見解の相違があるのです。
しかし、悟りを開くことが仏教の目標なのですが、実際に悟りを開けたと言われている人はごくわずか。
※悟りの境地に至った者は、「如来(にょらい)」と呼ばれ、有名なものでは、釈迦如来・阿弥陀如来・薬師如来がいます。
(詳しくは、京都観光の前に知っておきたい仏像の豆知識をどうぞ)
そこで、仏教の宗派にはこんな宗派も生まれてきました。
「すべての人が悟りを開くことはできない。生まれながらに素質があったり、個別の宗派の教えに則った厳しい出家修行に耐えた者にしか悟りは開くことができないものである。」
この中の「生まれながらに素質のある者しか悟りを開くことができない」というのは、奈良時代からある従来宗派のうち法相宗という宗派が唱えている主張であり、最澄率いる天台宗の最大のライバルとなります。
天台宗はというと、まったく逆の発想で「すべての者が悟りを開く素質を持っている。」という思想を根本に持っており、法相宗と強く対立することになります。
天台宗の様な思想を持つ仏教のことを大乗仏教と言います。
様々な教えを合体させた体系的な仏教であり、大乗仏教である。これが天台宗が従来の日本の仏教と違う点です。
しかし、天台宗マスターたる最澄には致命的な欠点がありました。
最澄「実は・・・、俺、密教のことよくわからないんだよね(汗)」
唐へ留学した際、最澄は密教については多くを学ぶことができなかったのです。
※最澄は、円教の教えを重要視していて、そもそも密教を重要視していなかったというのもあるようです。
しかし、最澄とは逆に、密教を完璧にマスターしている1人の僧がいました。
それが、一緒に唐へ行った空海です。空海は、密教を中心とした宗派として真言宗という宗派を形成していきます。
次は、真言宗について見ていきます。
真言宗は、密教を中心とした宗派!
真言宗は、密教を中心とした宗派。
密教の教えは、従来の日本仏教にはあまりなかった新しい教えであり、真言宗は、天台宗と並んで、当時の日本仏教では革新的な仏教でした。
ところで、密教とはなんでしょう?
密教とは?
密教の根底には「空」という発想があります。空とは
「一切の存在は、それぞれの因果によってのみ成り立っている。すべての存在は因果によって成り立つのであるから、それ自身で存在できるような存在はあり得ない。」
という発想です。難しいです。簡単な表現にしてみると
「世の中すべて因果関係があって初めて成り立っているから、どんな些細なことでも何か1つ変わってしまうと世の中すべてが変わってしまう。そのため、世の中には絶対的な物事というのはあり得ない」
といった感じでしょうか。
そして、空海の真言密教では、因果関係で成り立っているこの世の中のすべて、つまり万物を司る仏として、大日如来という如来様が登場します。大日如来は、真言宗の中でしか存在しない独特の仏さま。
大日如来は万物を司っているので、この世の中すべて物事は大日如来抜きにして存在できません。逆に考えれば、大日如来は、必ず100%私たちの身近に存在しているというわけです。
そこで、空海はこう考えました。それは、今までの日本にはあり得ない当時としては奇想天外な発想でした。やはり空海は天才なのです。
「悟りを開くとは、大日如来の存在に気づき、感じることである。大日如来を感じることで空の教えの真理を極めることができる。そして、空の教えの真理を知ることこそが悟りを開く唯一の方法である」
※「空」は、万物の成り立ちなので「空」を知るということは万物のすべてを知ることになる。
それまでの仏教は、目の前にない何かを探求することが目的でした。
しかし、空海の教えでは、悟りを開く材料は人々の身の回りどこにでもあって、それをいかに知ることができるかが重要だったのです。
大日如来を感じるため、修行すべし
空海は、大日如来を感じるには修行が必要と考えます。
当時の日本仏教では、華厳宗というのが主流でお経を唱えることが悟りを開くのに重要と考えられていましたが、空海は山林での厳しい修行こそが大日如来を感じ、悟りを開く唯一の方法であると考えたのです。
「空」や「大日如来」をベースにした
「悟りを開くため、山林で厳しい修行をすべし」
という教えが、空海が考える真言密教だったのです。
ドラマとかアニメで僧が滝に打たれているシーンありますよね?あれって実は、密教が普及する前の日本ではあまり見られない光景だったんです。
(大日如来や密教については、2015年は高野山開創1200年!弘法大師空海のことを知って高野山に行こう!その1と2015年は高野山開創1200年!弘法大師空海のことを知って高野山に行こう!その2でも話題に挙げています。気になる方はどうぞ)
旧仏教との対立
最澄の天台宗と空海の真言宗。
2人は、新しい宗教を普及させようと努めますが、当然ながら従来の仏教宗派は簡単にこれらを受け入れることはできません。
※従来の仏教宗派は、平城京で大きな勢力を保っていたため、平安京の南の都という意味で「南都六宗」と言います。宗派が大きく6つあったので6宗です。
こうして、最澄と空海は旧仏教勢力との関係を模索していきます。
最澄は旧仏教と真っ向から対立。一方の空海は、柔軟に関係を築いていったようです。
次回は、最澄と旧仏教との対立の様子を見ていきます。
【次回】
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