今回は、1976年1月に結ばれ、1978年に効力を持つようになったキングストン協定(合意)について、わかりやすく丁寧に解説していきます。
(補足)キングストン協定は、キングストン合意と言うこともありますが、手元にある教科書「詳説 政治・経済」(山川出版社)の表記に合わせて、この記事ではキングストン協定で表記を統一します。
キングストン協定って何?
キングストン協定とは、1976年1月にジャマイカのキングストンと言う場所で開かれたIMF(国際通貨基金)による会議で結ばれた協定のことです。
この会議のお題は、世界の通貨政策についてであり、以下のことが決められて協定が結ばれました。
会議を経て正式決定された内容をキングストン協定と言い、協定が結ばれた後の新たな経済体制をキングストン体制と呼びます。
この記事では、キングストン協定で決められた2つの内容について、もう少し詳しく紹介していきます。
金本位制はオワコン
キングストン協定で決められた「金本位制の廃止」ですが、実はキングストン協定で決められる前から既に金本位制は事実上の崩壊をしていました。
なので、キングストン協定による金本位制廃止の決定は、「すでに金本位制は崩壊しているんだけど、一応、IMFとして正式に廃止を宣言しておかなきゃね!」っていう後付け的な決定でした。
キングストン協定の内容をきちんと理解するため、少しだけ、戦後の世界経済の話をおさらいしておきましょう。
1944年、ブレトン=ウッズ協定が結ばれて「戦争で中断していた金本位制をアメリカ通貨のドルを仲介として復活させよう!」ということが決まりました。
ところが、多くの国が戦後復興による経済成長を遂げると、アメリカの金保有量が世界の経済成長に追いつかなくなります。
そこで、1971年8月にアメリカ大統領のニクソンが「ごめん!このままだと金本位制を維持できないから、一時的に中止するわ!対策考えたら復活させるから、少しだけ待ってくれよな!」と金本位制の一時停止を発表。
この突然の発表は、世界に衝撃を与えたことからニクソン=ショックと呼ばれています。
1971年12月、金本位制の維持に向けた方針が決まり、スミソニアン協定が結ばれました。
しかし、金本位制はその2年後の1973年に実質的な終焉を迎えます。
多くの国が、スミソニアン協定で決められた内容では、金本位制の根本的な問題は解決できておらず、延命措置に過ぎない・・・と考えていたからです。
さらには突然金本位制を中止したアメリカは信用を失ったことも後押しし、「世界経済の発展によって金本位制はオワコン化した・・・」と多くの国が考えるようになり、1973年以降、主要国の多くが金本位制の廃止を発表します。
- 1972年6月イギリス
- 1973年1月イタリア・スイス
- 1973年1月日本
- 1973年3月フランス等のEC通貨同盟加盟国
この国際経済の動きを公式に認めて、金本位制の廃止を宣言したのがキングストン協定なのです。
固定為替相場制から変動為替相場制へ
金本位制の廃止は、各国通貨の交換レートにも大きな影響を与えます。
これまでのドルを仲介とする金本位制では、ドルと各国通貨の交換レートを事前に国同士の交渉で決めておいて、そのレートを使うことで国際貿易が成り立っていました。事前に通貨の交換レートを一定に固定しておくことを、固定為替相場制と言います。
しかし、通貨価値の指標となっていた金本位制が廃止となり、世界経済の成長によりアメリカの経済力が相対的に弱まったことでドルの信頼性も落ちています。
そこで、多くの国は金やドルとの固定レートに依存せずに、各国通貨を需要・供給によって常にレートが変動する変動為替相場制の採用を始めました。
当初は、「やっぱ固定相場制の方が良いんじゃない?常に為替レートが変動するなんて不安だよ!」って意見もありましたが、最終的に多くの国が変動為替相場制を受け入れることになります。
変動為替相場制のメリット・デメリット
変動為替相場制のメリットは国家間で自由な取引が出来る事です。
それまで、国同士の通貨レートを決めるためにドルを仲介する必要があったが不要となり、貿易を行う2国間の為替レートだけを見ればよく、貿易のしやすさが向上しました。
しかし、変動為替相場制には当然デメリットもあります。
デメリットその1:為替レートが安定しない
1971年のスミソニアン協定で決められた円とドルのレートは、308円=1ドル=金約1.35gでした。固定為替相場制の場合、貿易計画を立てる事が出来るため、貿易の利益を事前に予測することができます。
しかし変動相場制だと為替は乱高下します。思わぬ利益が出る事もあれば、損失を被る事もあり、将来の収支を事前に予想することが難しくなりました。
実際にこのデメリットは日本を襲います。変動為替相場制を採用して以降、日本では急激な円高が進み、輸出で大儲けしていた日本は大打撃を受けました。
このような為替の急変に加えて、1973年には第一次オイルショックが起きており、オイルショックによる物価高騰と、円高に伴う輸出不振による不景気でスタグフレーションという経済現象が起こっています。
デメリットandメリット:各国が自由に経済政策を行える
これはデメリットでもあり、メリットでもあります。
固定したレートに縛られる必要がなくなったので、各国が自由に経済政策を行うことができるようになりました。
例えば、日本政府が円でドルを大量に買えば、「ドルの需要が増して、円の需要が減る」ということになり、需要のあるドルの価値が上がり、逆に円の価値は下がります。つまり、国の方針で為替を円安に誘導することが可能なのです。
ただ、世界の国々が自分勝手に経済政策を行えば世界の経済秩序が乱れ、再び戦争に発展することもあります。実際、第二次世界大戦の原因の1つは、各国が自国優先の経済政策(ブロック経済)を採用したことにありましたからね。
キングストン協定は、変動為替相場制を公式に認めてつつ、変動為替相場制のデメリットを押さえながら運用できる国際ルールを考えよう!という意図がありました。
キングストン協定とSDR
もう一度、キングストン協定の内容をまとめておきます。
その1:変動為替相場制の承認
各国は固定為替相場制と変動為替相場制を選ぶことができました。
多くの国が変動為替相場制を採用しましたが、固定為替相場制を採用する国も一定数存在しました。
その2:金本位制の廃止
金そのものと通貨の交換レートは依然として残りますが、「金を世界通貨共通の尺度する」という金本位制は廃止となりました。
今でも、貴金属店に行ったりすれば、金を買うことは可能です。よく「不景気になったら、安全な金を買え!」って言われることがありますが、これは金本位制の名残りです。
実際に不景気になったら金の価格は上がる傾向にあります。(最近だと、新型コロナウイルスによって金価格は高騰しました)
その3:SDRの活用
キングストン協定の話の際、SDRという言葉が登場します。
SDRとは、
Special(特別)
Drawing(引き出し)
Rights(権利)
の3つの頭文字をとったもので、日本語では「特別引出権」と言います。
IMFは、諸国の経済危機を援助するため国際準備資産という貯蓄を持っています。国際準備資産は、1969年に創設された仕組みで、IMF加盟国が持ち出した資金を不測の事態に備えてストックしているものです。
為替の変動により国際収支が赤字になってしまった場合に、各国はIMFからその資金を特別に引き出す権利(SDR)をもらって、資金援助を受けることができます。
このSDRを活用することで、変動為替相場制への移行でダメージを受けた国を援助できるようにしたのです。1国の経済崩壊は、世界経済と波及します。世界経済の秩序を保つためにもSDRの考え方はとても大切なものです。
変動相場制は現在も続いています
さて、キングストン協定の中でもう一つ決められた事がありました。
それは「世界経済が安定した時には、 IMFは85%の多数決で固定為替相場制へ移行出来る」と言うことです。
一応、各国が望めば固定相場制に戻る事ができる仕組みです。とはいえ、IMF加盟国において固定為替相場制が復活したことはなく、キングストン協定移行はずーっと変動相場制が続いています。
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