今回は、1971年に起こったニクソン=ショックという事件についてわかりやすく丁寧に解説していきます。
「ニクソン=ショック」の意味
ニクソン=ショックとは、1971年8月15日にアメリカのニクソン大統領が、発表したとある発表のことを言います。
ニクソン大統領の発表は非常にショッキングな内容であり、世界経済にも大きな影響を与えたことから、この発表を「ニクソン=ショック」と呼びます。
気になるニクソン大統領のその発表内容は・・・
米ドルと金(ゴールド)の交換を停止する
という発表でした。
当時は、「通貨の価値は金によって担保される」というが世界の常識でした。(共産国などを除く)
世の中で一番信用できるのは金だ。
勝手に増えたり減ったりしないし、世界の多くの人が欲しているからな。
通貨は国の都合で減ったり増えたりするし、自国の通貨を世界中が欲しているとは限らない
でも、通貨は商売や貿易にとても便利なものだ。
そこで、『通貨は何かあったときに金と交換できる』ってルールを決めた。通貨に信用性を与えて利用することにしたんだよ。
この「通貨は金と交換することでその価値が保障される」という仕組みのことを金本位制と言います。
第二次世界大戦の前には、ブロック経済という仕組みが流行り、金本位制が廃止された時期もありました。
しかし、戦後、国際経済・貿易についてのルールを決めたブレトン=ウッズ会議の中で、金本位制の復活が決定。
ブレトン=ウッズ会議では、「金と各国通貨の交換は、その間にドルを仲介して行うこ!」というルールが決められました。
各国がバラバラな通貨政策をすることを防ぎ、ドルによって世界の通貨政策をコントロールしようとしたのです。
コントロール役にアメリカ通貨のドルが選ばれたのは、アメリカが世界最強の経済大国で圧倒的な量の金を持っていたからです。
しかし、ニクソン大統領の発表によって金本位制は崩壊します。
は?
金と交換できなくなったら、通貨の価値なくなるじゃねーか・・・。一生懸命働いて稼いだお金、全部紙くずになりそうでクソワロタww
通貨の価値を根本から揺るがす発言に、世界が衝撃を受けたのです。
ドル・ショックが起きた背景とは?
背景その1:そもそも金本位制に問題がある
金本位制には1つ、根本的な問題点がありました。それは・・・
各国が保有する金の量分しか、通貨を発行することができない。(通貨の発行量に制限がある)
という点です。
第二次世界大戦の後、アメリカは世界の⅔の金を保有していました。
そんなに金を持っているなら、通貨(アメリカの場合はドル)の発行が制限されることなんてないのでは?
と思うかもしれませんが、実はそうでもないのです。
戦争が終わって、日本やヨーロッパが経済復興を遂げると、アメリカに大量の製品が輸入されるようになります。
すると、以下の理屈でアメリカの持つ金の量が減ってしまうんです。
- アメリカに大量の製品が輸入
- アメリカは各国に支払いをする
多くの国で、支払いはドルによって行われた
- アメリカのドルが他国に渡る=アメリカの保有する金が減る
輸出でドルを手に入れた国は、ドルをアメリカの保有する金と交換することができた。つまり、アメリカへの輸入が増えれば増えるほどアメリカの金は減っていくことになる。
アメリカが莫大な金を保有しても、この構図が慢性的に続けばアメリカの金は枯渇していきます。1958年の総合収支は年間30億ドルを超える赤字でした。
1949年のアメリカの金保有額は245億ドルでしたが、1960年には178億ドルにまで減少しています。
世界経済の変化によって、「世界の2/3を占める金を持っているアメリカが金本位制を運用してくれれば安心!」という時代は終わったわけです。
背景その2:ベトナム戦争でさらに支出が増える
ベトナム戦争が、アメリカの金流出にさらなる拍車をかけました。
ベトナムがアメリカとソ連による冷戦の舞台となり、1960年代にアメリカはベトナムに本格的な軍事力を送り込むようになります。
ベトナム戦争はアメリカの想定以上の長期戦となります。軍事費と兵士を多く投入するも、戦いは泥沼化。戦争に必要な物資を大量に輸入したため、アメリカの金の流出速度はさらに加速していきます。(おまけに、莫大な戦費によってアメリカ財政が悪化し始めました・・・)
1970年にはアメリカの金保有額はピーク時の半分以下の111億ドルまで減少。
ブレトン=ウッズ会議で決められた「大量の金を持つアメリカがドルを仲介に金本位制をコントロールする」という仕組みは、限界を迎えようとしていました。
ニクソン=ショックが起こる
アメリカは金本位制を維持しようと様々なことを試みますが、解決法を見出すことができません。
多くの人々は、次第に不安を持ち始めます。
アメリカへの輸出で大儲けしたけど、最近『アメリカの金が減りすぎてヤバイ』って噂があるんだよな・・・。
輸出で手に入れたドルがたくさんあるけど、もし金と交換できなくなったら、ただの紙くずだ。早めにドルを金に変えておいた方が良いかもしれないな。
こうして、真っ先に動いたのフランスでした。
1971年8月、フランスのドゴール大統領がアメリカに対して「フランスが持っているドルを金に返還して!」と要求。
言い換えれば、これはフランスが「もうドルは信用できないから金と交換するね^^」というメッセージです。
フランスが動くと、他のヨーロッパの国々も「俺らも不安になってきたから、手持ちのドルを金にしとくわ!」とアメリカに金を要求。最後にはアメリカの盟友とも言われたイギリスまでもが、金を要求し始め、ドルの信頼は完全に失墜しました。
「このままではドルは信用を失って紙切れとなり、アメリカのみならず世界経済が大混乱に陥る・・・。」
そう考えたニクソン大統領は、1971年8月15日(日)の夜、次の3点について声明を発表します。
・金とドルの交換を一時的に停止
・10%の輸入課徴金を導入
・90日間の賃金・物価凍結
この内容に世界が衝撃を受けた事件がニクソン=ショックとなります。
この3つの声明の目的は、「金本位制を立て直すための時間稼ぎ」でした。
アメリカは全ての輸入品に10%の輸入課徴金をかけて、国外から流出する金の量を減らし、さらに90日間、賃金や物価の変動を意図的に止めて国内の混乱を抑えました。
そして、金とドルの交換を中止している間に、金本位制を維持するために、ドルの価値を下げる(通貨切り下げ)ことを各国と相談することにしたのです。
この相談の結果、1971年12月、アメリカのスミソニアン博物館で主要国の間で、ドルの切り下げなどが決められたスミソニアン協定が結ばれました。
変動相場制の始まり
スミソニアン協定が結ばれると、アメリカは金とドルの交換を再開し、金本位制は復活することになります。
・・・しかし、それでもアメリカの金流出は止まらず、ニクソン=ショックで失ったドルの信用が回復することはありませんでした。
1973年以降、「やっぱりドルを仲介した金本位制なんて信用できないわ」と金本位制を辞める国が続出。
多くの国が、「通貨の価値は国々が話し合って固定したレートで決める(固定為替相場制)のではなく、その時々の需要と供給で変動しながら決まる」とする変動為替相場制を採用するようになりました。
1978年にジャマイカのキングストンで行われたIMFの会議で、変動為替相場制は正式な制度と認められ、今もなお世界の多くの国で変動為替相場制が採用されています。(固定為替相場制を採用している国もあります)
ニクソン=ショックが起こるまで日本円は、1ドル=360円の固定レートでした。
しかし、スミソニアン協定で1ドル=308円の円高となり、固定相場制採用後も、円高がドンドン進みます。
すると、アメリカへの輸出でガッポリ儲けて大成長を遂げていた日本の経済成長にもブレーキがかかります。
この頃から日本の好景気には陰りが見えるようになります。しかし、1980年代になっても株価や不動産価格は一向に下がらず、バブル景気に突入していくのです。
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