ニクソン=ショックをわかりやすく簡単に徹底解説【原因・影響から変動為替相場制の登場まで】

この記事の目次 6項目はじめに
  1. 「ニクソン=ショック」の意味
  2. ドル・ショックが起きた背景とは?
    1. 背景その1:そもそも金本位制に問題がある
  3. 背景その2:ベトナム戦争でさらに支出が増える
  4. ニクソン=ショックが起こる
  5. 変動相場制の始まり

今回は、1971年に起こったニクソン=ショックという事件についてわかりやすく丁寧に解説していきます。

この記事を読んでわかること
  • ニクソン=ショックってどんな「ショック」だったの?
  • ニクソン=ショックの内容は?
  • ニクソン=ショックが起こった理由は?
  • ニクソン=ショックが起こって世界はどう変わったの?
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「ニクソン=ショック」の意味

ニクソン=ショックとは、1971年8月15日にアメリカのニクソン大統領が、発表したとある発表のことを言います。

ニクソン大統領の発表は非常にショッキングな内容であり、世界経済にも大きな影響を与えたことから、この発表を「ニクソン=ショック」と呼びます。

気になるニクソン大統領のその発表内容は・・・

米ドルと金(ゴールド)の交換を停止する

という発表でした。

当時のブレトン=ウッズ体制では、アメリカが外国の中央銀行などの通貨当局に対してドルと金の交換を約束し、各国はドルとの為替相場を基本的に固定していました。

世の中で一番信用できるのは金だ。

勝手に増えたり減ったりしないし、世界の多くの人が欲しているからな。

通貨は国の都合で減ったり増えたりするし、自国の通貨を世界中が欲しているとは限らない

でも、通貨は商売や貿易にとても便利なものだ。

そこで、『通貨は何かあったときに金と交換できる』ってルールを決めた。通貨に信用性を与えて利用することにしたんだよ。

この「通貨は金と交換することでその価値が保障される」という仕組みのことを金本位制きんほんいせいと言います。

第二次世界大戦の前には、ブロック経済という仕組みが流行り、金本位制が廃止された時期もありました。

しかし、第二次世界大戦中の1944年に開かれたブレトン=ウッズ会議では、戦後に向けて、金とドルを軸に為替相場を安定させる新しい仕組みが構想されました。

その仕組みは、「金1トロイオンス=35ドルという公定価格を維持し、各国の通貨はドルとの交換比率を基本的に固定する」というものでした。

各国がバラバラな通貨政策をすることを防ぎ、ドルによって世界の通貨政策をコントロールしようとしたのです。

コントロール役にアメリカ通貨のドルが選ばれたのは、アメリカが世界最強の経済大国で圧倒的な量の金を持っていたからです。

しかし、ニクソン大統領の発表によって金本位制は崩壊します。

は?

金と交換できなくなったら、通貨の価値なくなるじゃねーか・・・。一生懸命働いて稼いだお金、全部紙くずになりそうでクソワロタww

通貨の価値を根本から揺るがす発言に、世界が衝撃を受けたのです。

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ドル・ショックが起きた背景とは?

背景その1:そもそも金本位制に問題がある

金本位制には1つ、根本的な問題点がありました。それは・・・

海外にあるドルがアメリカの金準備に比べて増え続けると、約束どおり金と交換できるのか疑われてしまう。

という点です。

第二次世界大戦の後、アメリカは世界の⅔の金を保有していました。

そんなに金を持っているなら、ドルを金に交換する約束は守れるのでは?

と思うかもしれませんが、実はそうでもないのです。

戦後、日本やヨーロッパが経済復興を遂げるなか、アメリカは輸入代金の支払いだけでなく、海外投資や援助、海外での軍事支出によってもドルを国外に供給しました。

国外に渡ったドルを、外国の通貨当局が金に交換すると、次のようにアメリカの金準備が減っていきます。

  • 輸入や投資・援助・軍事支出などが増える
  • アメリカは各国に支払いをする

    支払いを通じてドルが国外に積み上がる

  • 外国の通貨当局がドルを金に交換すると、金準備が減る

    外国の中央銀行などがドルを金に交換した場合に、アメリカの金準備が減る。ドルが国外へ渡るたびに、同額の金が自動的に流出するわけではない。

アメリカが莫大な金を保有しても、この構図が慢性的に続けばアメリカの金は枯渇していきます。1958年の総合収支は年間30億ドルを超える赤字でした。

1949年のアメリカの金保有額は245億ドルでしたが、1960年には178億ドルにまで減少しています。

世界経済の変化によって、「世界の2/3を占める金を持っているアメリカが金本位制を運用してくれれば安心!」という時代は終わったわけです。

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背景その2:ベトナム戦争でさらに支出が増える

ベトナム戦争が、アメリカの金流出にさらなる拍車をかけました。

ベトナムがアメリカとソ連による冷戦の舞台となり、1960年代にアメリカはベトナムに本格的な軍事力を送り込むようになります。

ベトナム戦争はアメリカの想定以上の長期戦となります。軍事費と兵士を多く投入するも、戦いは泥沼化。海外での軍事支出はドルの流出を増やし、巨額の戦費は財政にも負担をかけました。物価上昇や国際収支の悪化も重なり、ドルへの不信が強まっていきます。

1970年にはアメリカの金保有額はピーク時の半分以下の111億ドルまで減少。

ブレトン=ウッズ会議で決められた「大量の金を持つアメリカがドルを仲介に金本位制をコントロールする」という仕組みは、限界を迎えようとしていました。

ニクソン=ショックが起こる

アメリカは金本位制を維持しようと様々なことを試みますが、解決法を見出すことができません。

多くの人々は、次第に不安を持ち始めます。

アメリカへの輸出で大儲けしたけど、最近『アメリカの金が減りすぎてヤバイ』って噂があるんだよな・・・。

輸出で手に入れたドルがたくさんあるけど、もし金と交換できなくなったら、ただの紙くずだ。早めにドルを金に変えておいた方が良いかもしれないな。

こうした不安から、1971年の夏にはドルを売って別の通貨へ移す動きが強まりました。

外国の中央銀行なども、保有するドルをアメリカの金と交換し、金準備の流出が続いていました。

「いずれドルが切り下げられるなら、その前に交換しておこう」という動きが、ドルへの圧力をさらに強めたのです。

アメリカはドルと金の交換を守りたいものの、海外に積み上がったドルに対して、金準備は十分ではありません。ドルへの信用を支える約束そのものが、危機にさらされていたのです。

「このままではドルは信用を失って紙切れとなり、アメリカのみならず世界経済が大混乱に陥る・・・。」

そう考えたニクソン大統領は、1971年8月15日(日)の夜、次の3点について声明を発表します。

・金とドルの交換を一時的に停止

・10%の輸入課徴金を導入

・90日間の賃金・物価凍結

この内容に世界が衝撃を受けた事件がニクソン=ショックとなります。

この3つの措置には、ドルを守ること、国内の物価上昇を抑えること、雇用と国際競争力を改善することなどの狙いがありました。

アメリカは課税対象の輸入品に10%の輸入課徴金をかけ、他国に為替相場や貿易条件の調整を迫りました。また、90日間の賃金・物価凍結によって、国内のインフレを抑えようとしました。

その後、固定為替相場制を立て直すため、ドルの価値を下げる(通貨切り下げ)ことなどを各国と交渉しました。

この相談の結果、1971年12月、アメリカのスミソニアン博物館で主要国の間で、ドルの切り下げなどが決められたスミソニアン協定が結ばれました。

通貨切り下げとは

通貨の価値を落とすこと。

スミソニアン協定によって、

金1トロイオンス(約31.1g)=35ドル

という公定価格を、

金1トロイオンス(約31.1g)=38ドル

へ変更することが合意されました。金とドルの交換は、再開されませんでした。

同じ重さの金を表す公定価格が35ドルから38ドルへ上がるので、金を基準に見ると「ドルの価値が安くなった」ことを意味します。ただし、この価格でドルを金に交換できるようになったわけではありません。

スミソニアン協定は、各国通貨の交換比率を調整して、固定相場を維持しようとする試みだったのです。

変動相場制の始まり

スミソニアン協定によって新しい固定為替相場が定められましたが、アメリカは金とドルの交換を再開しませんでした。

・・・しかし、為替相場の調整だけではドルへの不信は解消せず、ドルを売る圧力が続きました。各国の中央銀行は、固定相場を守るためのドル買いに追われます。

1973年には、再度のドル切り下げを経ても相場が安定せず、日本や西ヨーロッパなどの主要国は固定相場の維持を断念しました。

多くの国が、「通貨の価値は国々が話し合って固定したレートで決める(固定為替相場制)のではなく、その時々の需要と供給で変動しながら決まる」とする変動為替相場制へんどうかわせそうばせいを採用するようになりました。

1976年1月、ジャマイカのキングストンで開かれたIMF暫定委員会で、為替制度の見直しなどが合意されました(ジャマイカ合意)。それを受けたIMF協定の第2次改正は1978年4月に発効し、金に固定する方式を除き、加盟国が為替相場制度を選ぶことを認めました。変動相場制を採用する国も、固定相場制を採用する国もあります。

ニクソン=ショックが起こるまで日本円は、1ドル=360円の固定レートでした。

しかし、スミソニアン協定で1ドル=308円に切り上げられ、日本は1973年2月に変動相場制へ移行します。その後の円相場は、円高にも円安にも動くようになりました。

すると、アメリカへの輸出でガッポリ儲けて大成長を遂げていた日本の経済成長にもブレーキがかかります。

日本の高度経済成長は、円相場の変化に加え、1973年の石油危機などの影響も受けて終わりを迎えます。1980年代後半のバブル景気とは、時期や背景を分けて考えましょう。

参考文献

Federal Reserve History, The Smithsonian Agreement(2026年10月確認)
米国務省歴史局, Nixon and the End of the Bretton Woods System, 1971–1973(2026年10月確認)
フランス大統領府「Charles de Gaulle」(2026年10月確認)
IMF, The IMF and the Silent Revolution(2026年10月確認)
財務省「IMFの概要」(2026年10月確認)
NIST, Conversion Factors for Precious Metal Sales(2026年10月確認)
LBMA, The Troy Ounce(2026年10月確認)
Federal Reserve History, Creation of the Bretton Woods System(2026年10月確認)
内閣府『昭和63年年次経済報告』第1節 世界経済の不均衡の現状(2026年10月確認)
JOGMEC「金価格の動向と金利について」(2026年10月確認)
日本銀行「最近の金融経済情勢について」(2011年7月)(2026年10月確認)
内閣府経済社会総合研究所『バブル/デフレ期の日本経済と経済政策』歴史編第1巻 第2部第4章 景気拡大と株価・地価の高騰(2026年10月確認)
Federal Reserve History, Nixon Ends Convertibility of U.S. Dollars to Gold and Announces Wage/Price Controls(2026年10月確認)
外務省『昭和52年版外交青書』第2部第2章第3節 国際金融通貨問題(2026年10月確認)

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この記事を書いた人
もぐたろう

教育系歴史ブロガー。
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