【高校日本史】弥生時代の文化・生活を簡単にわかりやすく解説【完全まとめ版】

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もぐたろう
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今回は、弥生時代の文化や人々の生活について、詳しく丁寧に解説していくよ。

この記事を読んでわかること
  • 弥生時代ってどんな時代なの?
  • 弥生時代の日本はどんな様子だったの?
  • 弥生時代の日本人はどんな生活・文化をしていたの?
  • 弥生時代はどうやって終わったの?

youtube解説もしています読むのが面倒な人は動画がオススメ◎

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縄文時代から弥生時代へ

弥生時代は、紀元前800年〜紀元300年くらいまで、だいたい1000年ぐらい続いた時代のことを言います。

弥生時代の前の時代は縄文時代で、人々は採集と狩りによって食料をゲットしていました。

森に入って木の実を採ったり、イノシシ狩ったり、海や川で漁をして暮らしていたわけです。

・・・ところが紀元前800年ころ、朝鮮半島からとある技術が伝来してきたことで、人々の生活が一変します。

一体、なにが日本に伝わったのかしら?

・・・、それが稲作の技術です。

米・あわなどの稲類は、栄養もあって保存性も抜群なので、少しずつ日本各地に広まっていき、人々の生活も大きく変わっていきました。

そして、稲作の伝来と同じタイミングで、新型の土器が日本に伝わってきました。

この新型土器は弥生土器やよいどきと命名され、弥生土器が使われていた時代(=稲作が始まった時代)のことを弥生時代と呼ぶことにしました。

もぐたろう
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もともとの縄文時代の文化に、大陸から伝わった最新のテクノロジーを融合させて登場したのが弥生時代なんだ。

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弥生時代をささえた3つの最新テクノロジー

大陸から伝わってきたテクノロジーで大事なものは、稲作・弥生土器を含めて大きく3つあります。

それが・・・、

稲作

弥生土器

金属器(鉄と青銅器)

の三つです。

弥生時代をマスターする最大のポイントは、

この3つのテクノロジーを利用することで、人々の生活がどう変わっていったか?

という観点で弥生時代の生活・文化を抑えることです。このポイントさえ抑えれば、弥生時代の話はスラスラ理解できるようになります!

もぐたろう
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それぞれの特徴を簡単に説明しておくね!

稲作

今や日本人の主食になっている米。この米づくりのことを稲作と言います。

稲作のプロセスは、

稲作のプロセス
  • STEP①
    土を耕して
  • STEP②
    水を引いて
  • STEP③
    田植えをして
  • STEP④
    秋に収穫する
  • STEP⑤
    保存する

という感じ。

米は保存性バツグンで栄養もあるのでたしかに重宝はされましたが、収穫までに多くの過程が必要でなかなか大変な作業でした。

もちろん、用意しないといけないものもたくさんありました。

稲作に必要なもの
  • 土地
  • 耕作・収穫に使う道具
  • 保存容器 ・・・などなど

何が言いたいかというと、ガチで稲作をしようと思うとめちゃくちゃ大変だったってことです。

そのため、人々が稲作に本腰を入れるようになると、みんな稲作中心の生活になり、縄文時代の定番だった「狩りと採集で暮らす」というトレンドが大きく変わることになりました。

弥生土器

もともと日本にあった縄文土器と、アジア大陸から伝わった土器テクノロジーが融合して出来上がったのが、弥生土器です。

弥生土器は、縄文土器と比べて薄くて硬いという縄文土器の完全上位互換で、デザインも大きく変わりました。

模様や装飾がシンプルかつスタイリッシュとなり、今でいうiPhoneとかMacとかのアップル製品みたいな感じでした。

さらに縄文土器は主に煮るための調理グッズとして使われましたが、弥生時代に入ると米を保存する容器としての需要が高まり、用途に応じていろんな形の弥生土器が開発されました。

金属器

三大テクノロジーのラストが金属器です。

稲作・弥生土器に少し遅れて、青銅せいどうという2種類の金属アイテムたちが、アジア大陸から伝わってきたのです。

鉄は耐久性・切れ味ともにバツグンで、磨製石器の完全上位互換でした。

なので、鉄器が日本に広まった弥生時代後半になると、石器はあまり使われなくなっていきました。

青銅器は、鉄よりも柔らかくて実用性はイマイチでしたが、逆に簡単に形を変えれて好きな形できたので、呪術や儀式に使うアイテムとして重宝されました。

テクノロジーはなぜ日本に伝わったのか?

日本が弥生時代だった頃の中国は、春秋戦国時代と言われ、国同士が覇権はけんをかけて激しく争っていた時代でした。(漫画「キングダム」もこの春秋戦国時代が舞台です!)

こうした戦乱の中、何らかの理由(避難や敗走)によって技術を持った人たちが日本にやってきて、新しいテクノロジーを伝えてくれたのだろう・・・と言われています。(ただし、諸説があるためはっきりした理由はわかっていません。)

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次は、稲作・弥生土器・金属器の3つの技術で、人々の生活がどんな風に変わったのか見ていくよ!

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稲作中心の生活

稲作中心の生活が始まると、使う道具も稲作に関するものが増えていきます。

田んぼを耕すためのすきくわ

稲を刈り取るための磨製石器製の石包丁

米粒を叩いて殻を抜くための竪杵たてぎね

などなど、稲作に合わせていろんな道具が登場しました。

鍬や鋤、石包丁には石器が使われていたけど、弥生時代後半になって鉄が普及すると、鉄器に置き換えられていって、石器はあまり使われなくなっていきました。

収穫した米は、弥生土器などに入れて専用の倉庫に保存しました。

専用の倉庫は高床式倉庫たかゆかしきそうこと呼ばれていて、床を高くすることで、米を湿気や害虫から守れる特殊仕様になっていました。

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縄文時代と比べても、使う道具や設備が高機能になっていて、文明が進んだことがわかるね!

高床式倉庫
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集落から『クニ』へ

集落にも大きな変化が見られました。

米は長期間の保存ができたので、たくさんあればあるほど食べ物に困らない豊かな暮らしができました。

そのため、人々は米を巡って争うようになり、弱肉強食みたいな時代がやってきました。

あいつ、高床式倉庫に米貯めまくってるらしいから、力ずくで奪ってやろww

あの集落の土地、稲作めっちゃしやすそうだから、戦争仕掛けて俺たちの集落にしちまおーぜww

米そのものだけではなく、稲作に必要な土地や水、道具をめぐっても争いが多発しました。

弥生時代に入ると、

集落の周辺を溝で囲んで防御力をUPさせた環濠集落かんごうしゅうらくや、

敵が攻め込みにくい山や丘など高い場所に築かれた高地性集落こうちせいしゅうらく

が現れるようになり、生き残りをかけて集落の形も変わっていきました。

環濠集落
復元された環濠の跡(出典:wikipedia_common Author:小池 隆)

ずーっと争いが続くと、弱い集落は強い集落に取り込まれていき、次第に戦乱を勝ち抜いためっちゃ強くて超巨大な集落が現れるようになりました。

この集落は、もはや集落と呼ぶには大きすぎる存在でしたが、国と呼べるほど大きくもなかったため、集落と国の中間的なポジションということで、歴史の専門用語でこれを『クニ』と呼ぶことにしました。

もぐたろう
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教科書や参考書では、クニを小国と表現していることもあるよ。

とりあえず、集落と国の中間ってイメージを持っておけばオッケーです。

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邪馬台国、爆誕

小国(クニ)が登場しても、争いが終わることはありませんでした。

西日本を中心に小国(クニ)が続々と登場すると、次は小国(クニ)同士が争いを始め、戦乱はさらに激化してカオスな感じになっていきました。

中国の歴史書である『漢書』地理志には、紀元前100年〜0年ぐらいの日本のことを「日本は100個ぐらいの小国が乱立していて、定期的に朝鮮にある楽浪郡という場所にやってきた。」しるしています。

小国(クニ)たちは、漢(当時の中国王朝)の後ろ盾を得たり、漢から鉄器などの最新製品を手に入れることで他国との戦いを優位に進めようとしていた・・・と考えられています。

※鉄があれば強い武器が作れるので、「鉄をどれだけ持っているか?」はそのまま戦いの勝敗に繋がったのです。

漢と深い関わりを持っていた奴国

数ある小国(クニ)の中に奴国なこくと呼ばれる国がありました。

奴国は、中国の歴史書である『後漢書』東夷伝にも登場する国で、(日本)の奴国って国の王が、貢物を持って漢にやってきた!」と記されていたり、

日本でも『倭の奴国の王へ!』って書かれた漢で作られたっぽい金印が見つかったり、漢と交流を持っていたことがわかっています。

・・・しかし、そこまだ頑張っても倭国の戦乱は収まりませんでした。

紀元2世紀の終わりころ(西暦200年ころ)、日本で大規模な戦乱が起こります。すると、小国(クニ)たちはこんなことを思い始めました。

「なんかもう、戦争なんてやめてみんなで仲良くしね?』

ただ、長年戦い続けていた小国(クニ)たちが話し合いだけで仲直りすることは不可能だったため、誰もが認めるすごい人に間に入ってもらって仲直りをすることにしました。

このみんなが認めるすごい人っていうのが、卑弥呼ひみこという女性でした。

卑弥呼

卑弥呼はいい感じに小国(クニ)たちをまとめあげることに成功して、長く続いた戦乱はひとまず治りました。

卑弥呼は、自らも邪馬台国やまたいこくという国の女王となり、邪馬台国は29の小国(クニ)を束ねるリーダーとして君臨するようになりました。

邪馬台国の様子が記されている「魏志」倭人伝

邪馬台国は、中国(当時の)と交流をもっていたようで、3世紀(西暦200年〜300年)の邪馬台国の様子が、「魏志」倭人伝という中国の歴史書にしるされています。

「魏志」倭人伝は、卑弥呼のことを「呪術を得意として人々を魅了した。」と書かれています。

戦乱が終わる兆しがまったく見えず途方に暮れた人々は、「もはや神の力を頼るしかない・・・!」と考えるようになり、呪術によって神々と交信できる卑弥呼が女王に選ばれたのだろう・・・と言われています。

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弥生時代の文化

集落がでかくなってクニができると、人々の文化も縄文時代と比べて変化していきました。

特に大きく変わったのが、お墓と儀式でした。

お墓が派手になる

縄文時代は手足を体育座りみたいに折り曲げて遺体を埋める屈葬くっそうがブームでしたが、弥生時代になると手足を曲げず埋める伸展葬しんてんそうが流行るようになりました。

お墓そのものも派手になっていきました。

埋葬した場所にでっかい石を置いたみた支石墓とか、

遺体を甕棺っていう土器で作った箱に入れてみた甕棺墓とか、

お墓の上に土を盛って小さな丘にしてみた墳丘墓とか、

いろんなタイプのお墓が出現しました。

※墳丘墓にはいろんな形があって、特に四角(方形)で周りに溝を掘った方形周溝墓ほうけいしゅうこうぼというタイプが有名です。

ただ、派手なお墓に埋葬されたのはクニの中でも一部の人に限られました。

いろんなタイプのお墓が登場しても、ほとんどの人は質素な共同墓地に埋葬されていました。

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集落が大きくなって人口が増え、戦乱が続くようになると、集落を統率するため身分の格差が生まれて、偉い人だけが派手なお墓に埋葬された・・・と考えられています。

弥生時代が進むと、お墓は派手になるだけじゃなくて、巨大化も進むようになりました。

弥生時代後半の遺跡からは、実際に巨大な墳丘墓も見つかっていて、

岡山県の楯築墳丘墓たてつきふんきゅうぼ

楯築墳丘墓
楯築墳丘墓

中国地方でよく見つかる四隅突出型墳丘墓よすみとっしゅつがたふんきゅうぼ

四隅突出型墳丘墓
その名のとおり四隅が突出している。(出典:wikipedia_commons Author:Reggaeman)

なんかが教科書にも載っていて有名です。

儀式の変化

儀式の方法も大きく変わりました。

まず、稲作中心の生活になったので、豊作を願うための儀式が増えました。

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遺跡からは鹿と鳥が描かれた儀式グッズがたくさん見つかっているので、

弥生時代の人々にとって、鹿と鳥は豊作を願う特別な生き物だったのだろう・・・と言われているよ。

そして、その儀式には、先ほど紹介した青銅器がたくさん使われるようになりました。

鐘みたいな形をした銅鐸どうたく剣・矛の形をした銅剣どうけん銅矛どうほこなどが使われるようになり、儀式に使われるアイテムも技術革新によってアップデートされていきました。

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覚えておきたい弥生時代の遺跡

2000年以上も前の弥生時代の様子がここまで鮮明にわかるのは、これまで多くの遺跡で発掘調査が行われたおかげです。

弥生時代の数ある遺跡の中で、高校日本史レベルで抑えておきたい大事な遺跡をまとめておきます。

  • 菜畑なばたけけ遺跡
  • 板付いたづけ遺跡
  • 吉野ヶ里よしのがり遺跡
  • 唐子・鍵からこ・かぎ遺跡
  • 荒神谷こうじんだに遺跡
もぐたろう
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ここに載っている以外にもたくさんの遺跡があります。

一番有名なのは吉野ヶ里遺跡なので、最低でも吉野ヶ里遺跡が佐賀県にあることだけは覚えましょう!

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弥生時代から古墳時代へ

3世紀後半(西暦200年代の後半)、弥生時代は終焉を迎えることになります。

何が起きたかというと、遺跡から特大サイズの墳丘墓が次々と見つかるようになったのです。

大きすぎてもはや墳丘墓とは呼べないレベルだったため、3世紀後半から見られる巨大な墳丘墓のことを古墳と呼ぶことにしました。

古墳の存在は、長く続いた小国(クニ)同士の争いがようやく終わって、勝ち残った勝者たちが各地で圧倒的な権力を手に入れたことを示しています。

日本史では、圧倒的な権力者が現れ始めた時代(=古墳が作られ始めた時代)のことを、弥生時代と区別して古墳時代と言います。

古墳の登場によって、クニが大きくなり、弥生時代は終焉を迎えることになったのです。

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この記事を書いた人
もぐたろう

教育系歴史ブロガー。
WEBメディアを通じて教育の世界に一石を投じていきます。

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