義仲寺を観光したから見所や豆知識を紹介する【木曽義仲と巴御前が眠るお寺】

 

今回は、木曽義仲と巴御前が眠る寺「義仲寺」について紹介します。

 

ちなみに義仲寺は「よしなかでら」じゃなくて「ぎちゅうじ」って言います。私はしばらく間違って読んでました・・・(汗。

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義仲寺の場所?アクセスは?

お寺があるのは滋賀県大津市。

 

最寄駅はJR東海道本線の膳所(ぜぜ)駅。膳所駅からは徒歩5分ほど。

ただし、比叡山方面から向かう方は京阪電気鉄道石山坂本線の膳所駅の方が近いです。

木曽義仲をサクッとまとめてみた

義仲寺は木曽義仲を供養するために建てられたお寺ですが、ここで少し木曽義仲の最期についてサクッと紹介しておきます。

 

【1180年】木曽義仲、以仁王の令旨に応じて挙兵。

 

【1183年5月】木曽義仲、倶利伽羅峠で平家軍を撃破。

 

【1183年7月】木曽義仲、京へ進軍。平家は木曽義仲に押されて都落ち。
【1183年11月】木曽義仲、後白河法皇とトラブって京追放。源頼朝に命を狙われる。
【1184年1月】木曽義仲、宇治川の戦いで源義経、範頼に負け敗走。

 

【1184年1月】敗走を続け、自害を図るも叶わず、粟津(あわづ)にて敵に討たれ、非業の最期を遂げる。

 

木曽義仲の生涯については、以下の記事でも紹介していますので気になら方は合わせてご覧ください。

木曽義仲ってどんな人?わかりやすく紹介【性格や巴御前との関係など】
今回は、源平合戦の主役の1人であり、短命ながらも激動の生涯を送った木曽義仲(きそよしなか)という人物について紹介したいと思います。 木曽義仲の生い立ち 木曽義仲は、乳飲み子の頃から波乱万丈な人生を送ることになります。木曽義仲が2歳の時、父を殺され、木曽義仲自身も命を狙われることになったのです。しかしながら、いろんな人の助けがあって信濃国へと逃れる...

 

ちなみに粟津は今の義仲寺の近くです。義仲寺最寄りのJR駅「膳所」の隣駅である「粟津」らへんです。

 

 

木曽義仲を供養するお寺だけあって、木曽義仲の最後の地とも近いというわけ。

義仲寺の歴史

さて、次は義仲寺のお話を少しだけしましょう。

 

 

討ち取られた木曽義仲の首は京に持ち帰られ晒されることになるのですが、胴体は粟津に残ったままです。

 

 

いつしか今の義仲寺のある場所に木曽義仲のお墓が作られ、そこに名を語らぬ謎の美女が草庵(そうあん)を作って木曽義仲を日々供養し始めます。

 

 

そして、この草庵が義仲寺の始まりだと言われているのです。ちなみに、義仲寺にあるのは木曽義仲の胴塚で、首塚は京都の八坂の塔にあります。

 

 

さて、ここで突如登場する名を語らぬ美女・・・。実はこの女性こそが平家物語に登場する木曽義仲の側室であるあの巴御前(ともえごぜん)だと言われています。

 

【捕捉説明】

巴御前は、平家物語でのみ登場する謎多き女性。実在したかどうかすらハッキリとわかっていませんが、義仲寺では上記のように伝えられているようです。確かに、草庵を作ったのは木曽義仲に近しい者だった可能性は高いように思います。

【巴御前】

 

創建の由来がこんな感じなので当初は、名もなき女性が建てた草庵ということで「無名庵(むみょうあん)」なんて呼ばれていたそうです。

 

 

その後、戦国時代に荒廃するも、近江守護だった佐々木六角氏により、「木曽義仲公の墓は守らねばならん!」と再興されました。

 

 

義仲寺は今でこそひっそりとしていますが、当時は広大な敷地を持った大きいお寺だったそうです。

 

 

その後、戦後にも一度荒廃した時期がありましたが、またまた再建を遂げて今に至っています。

【木曽義仲のお墓】

 

すぐ近くには巴御前のお墓もあります。

義仲寺では、巴御前は生き残っていて和田義盛の妻になった説を採用しています。

誰でもわかる和田義盛!簡単にわかりやすく紹介【和田合戦】
今回は、源平合戦〜鎌倉時代初期に活躍した名武将、和田義盛(わだよしもり)について紹介します。 和田義盛と言えば、北条氏との権力争いに敗れた和田合戦という戦いが有名なので、そのあたりの話を中心に紹介してみようと思います。 和田義盛と源頼朝 1180年、以仁王が平家に対して挙兵したことで源平合戦が始まります。 ...

 

松尾芭蕉「義仲カワイソス(´・ω・)」

江戸時代、義仲寺の前には江戸と京を結ぶ東海道が走っていました。そして、俳句で有名な松尾芭蕉(まつおばしょう)は、東海道を通る際にたびたび義仲寺に滞在していました。

 

 

というのも、実は松尾芭蕉って木曽義仲の熱狂的なファンだったんです。木曽義仲の心中に同情し、木曽義仲を慕うようになったと言われています。義仲寺の無明庵では句会も頻繁に行われていたそうです。

 

 

松尾芭蕉と言えば、奥州藤原氏や源義経の栄華と滅亡を想い詠んだ

 

夏草や つわもの達が 夢の跡

 

 

なんかが有名ですよね。

 

 

奥州藤原氏、源義経、木曽義仲、いずれも歴史的には敗者です。松尾芭蕉は、歴史の勝者よりも敗者たちに心惹かれていたようです。

 

 

松尾芭蕉は大阪で臨終しましたが、遺言を残しておりまして、その内容というのが・・・、

 

 

松尾芭蕉「義仲寺の木曽義仲の隣に俺のお墓作ってくれ!!!!!」

 

 

これで松尾芭蕉がどれだけ木曽義仲を慕っていたかがわかると思います。誰がどう見ても生粋の義仲ファンですね!

【松尾芭蕉のお墓】

義仲寺は俳句界の聖地へ

松尾芭蕉が木曽義仲にゾッコンだったり、松尾芭蕉のお墓が木曽義仲のお墓の隣に造られたりするうちに、義仲寺は、松尾芭蕉の眠る俳句界の聖地にもなっていきます。

 

 

 

今も残る無明庵は、句会などの際に貸し出ししていて実際に利用までされています。

【現在の無名庵】

死してもなお、松尾芭蕉は木曽義仲の墓の守り続ける

ここからは完全な個人の感想なんですが、松尾芭蕉の「義仲の隣で眠りたい。」って遺言は、実は自分の欲望のためだけではなく、木曽義仲を想っての遺言だったんじゃないかと思うんです。

 

 

義仲寺に行くと、寺の維持や修繕に対する寄付に文芸界の人々や団体の名前を目にします。特に戦後の修復では多くの寄付を募って義仲寺は再興されました。

 

 

もし、義仲寺に松尾芭蕉のお墓がなかったら、寄付は思うように集まらなかったかもしれません。結果論と言われればそれまでなんですが、そんな意味では松尾芭蕉は死してもなお、木曽義仲のお墓を守り続けていると言えるかもしれません。カッコよすぎだろ芭蕉さんよ・・・。そして、これほどまでに愛されている木曽義仲は本当に幸せ者です。

【松尾芭蕉を祀る翁堂】

【中には天井絵や36俳人の画像が描かれている】

 

 

このほか、義仲寺には資料館があって、木曽義仲や松尾芭蕉にまつわる史料を見ることができます。

【資料館】

【歌川国芳の絵】

【松尾芭蕉が実際に使っていた椿の杖】

 

以上、義仲寺の紹介でした。小さなお寺なんですが、木曽義仲も松尾芭蕉も魅力的すぎて非常に見所があるオススメの観光スポットです。

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