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【高校生向け】バブル経済を簡単にわかりやすく解説【原因とバブル崩壊までの流れをバッチリ抑える!】

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もぐたろう
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今回は、昭和末期〜平成初期にかけての日本のバブル経済(平成景気)について、わかりやすく丁寧に解説していくよ。

この記事を読んでわかること
  • 「バブル経済」ってそもそも何?
  • バブル経済はなぜ起きたの?
  • バブル経済の日本はどんな様子だったの?
  • なぜバブルは崩壊したの?
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バブル経済ってなに?

バブル経済とは・・・

景気が良い時に、実体経済以上に資産価値(株や不動産など)が急上昇し、その後、その資産価値が急下落してしまう現象のこと

を言います。

急上昇した資産の価値がある日突然、まるで泡(バブル)が弾けて消えるように価値を失う様子から、この現象はバブル経済と名付けられました。

バブル経済が起こった原因は、とても複雑です。

人々の欲望と心理

日本政府の政策

世界経済の動向

など、様々な要因が絡み合い、バブル経済が起こることになります。

実はバブル経済というのは、日本で何度も起こっている現象です。

しかし、昭和末期〜平成初期のバブル経済があまりにも有名すぎるので、一般的には「バブル経済」=「昭和末期〜平成初期のバブル経済」を指します。

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バブル経済の最初のきっかけ

バブル経済の最初のきっかけとなったのは、1985年9月に起こったプラザ合意という出来事でした。

プラザ合意とは

プラザ合意は、混乱するアメリカ経済を救うために、G5が集まって決められた合意のことです。

その合意内容は、いろいろ端折って簡単に言うと「ドル高のせいで、アメリカの商品が輸出で儲からなくなってアメリカ経済ヤバいから、みんなで協力してドル安にして、アメリカを助けようぜ!」というもの。

このプラザ合意によって、円とドルの為替レートは、

1ドル=240円

から

1ドル=150円

まで急激なドル安(1ドルの価値が240円→150円に減)になりました。

当時はすでに、通貨の需要と供給によって常にレートが変動する変動為替相場制が採用されていました。

そのため、国同士の話し合いで固定した為替レートを決めることができません。

そこで、日本とアメリカは、通貨の需要と供給を金融政策などで操作(相場介入)して、ドルが安くなるよう誘導しました。

例えば、アメリカ政府が意図的に大量のドルを円に交換(ドルを売って円を買う)すれば、円の需要がUPして円高になります。

為替レートは、2つの通貨の価値の比較です。なので、ドルの価値が安くなると相対的に必ず円の価値が高くなります(円高)。

つまり、「急激なドル安」=「急激な円高」ということです。

当時、アメリカへの輸出で大儲けしていた日本は、円高によって輸出不振となり、これが日本経済に大打撃を与えることになります。(円高不況と呼ばれる不況時代に突入しました。)

日本は、円高不況を乗り切るために様々な景気対策を講じて、景気回復に成功します・・・が、この景気対策がバブル経済への引き金を引いてしまうことになります。

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バブル経済への第一歩

円高不況を受けて、日本政府は今後の日本経済を、こんなふうに考えていました。

これからは輸出産業ではなく、内需の時代!

都市開発や住宅投資、公共事業をどんどん進めて、日本を豊かにしていくぞ。

こうして、日本政府は、内需の拡大に方針を転換。

さらに1986年になると、民間企業が住宅投資などの不動産投資に必要な資金を借りやすくできるよう、政策金利を引き下げました。

政策金利とは

政策金利とは、民間銀行がお金を貸す(融資する)ときの金利をコントロールするために、国が定める金利のことです。

政策金利として「どんな種類の金利を使うか?」は、時代によって異なっていて、この時は、公定歩合こうていぶあいと呼ばれる「日本銀行が、各銀行にお金を貸すときの金利」を政策金利として採用していました。

当時、「民間銀行は、公定歩合に合わせて金利を設定しないとダメ!」っていうルールがあったので、公定歩合を通じて、民間銀行の金利を強い力でコントロールできました。(1994年にこのルールは廃止され、それ以降は、別な金利を政策金利に採用しています。

公定歩合の金利は段階的に引き下げられ、5%だったものが1987年には2.5%と半分になりました。

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バブル経済への最後の一押し

内需拡大政策や、金利引き下げによる融資の増加によって、経済回復を目指す日本ですが、これを大きく後押しする出来事が起こります。

それが、原油価格の急下落です。

世界情勢のいろいろな影響により、1986年に1バレル(約159リットル)=30ドル台だった原油価格が、10ドル台にまで大幅に下落

この原油価格急落は、原油を材料とする多岐にわたる商品のコストカットに繋がり、多くの企業で経営状況が改善。

日本は、円高不況を乗り切ることに成功しました。

そして、これまでに紹介した

  • 内需拡大政策
  • 金利低下
  • 原油価格下落

の3つが組み合わさることで、バブル経済が起こる条件が整いました。

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バブル経済、始まる

「金利低下による融資の増加」「原油価格下落による企業利益の増」は、国内で流通する通貨(お金)の増加を意味します。

そして、増えたお金の多くが、国が推進していた内需政策、特に不動産(土地・建物)投資に注がれることになりました。

こうなると不動産を欲しい人が増えるので、不動産の価格が上がります。

普通なら、価格が上がりすぎると「その価格なら買わないかな・・・」と買い手が減るので、どこかで価格上昇にストップがかかるものです。

ところが、この時の不動産はどんなに価格が高くても、買い手が減ることがなく、不動産価格は経済実体をかけ離れて急上昇していきました。

なぜ不動産は高値でも買われ続けたのか?

当時の日本には、「日本の土地の価格は絶対に下がらない!」という考え方がありました。当時のこの考え方は、「土地神話とちしんわ」と呼ばれています。

日本は戦後からずーっと、復興and経済成長を続けてきました。そして、それに合わせて土地の価格も上がり続けてきました。

この事実を背景に、マスコミがテレビなどを通じてこんなことを世間に広めます。

日本の土地価格が下がったことはこれまでにほとんどない。

だから、今の土地価格がどんなに高くても価格がこれ以上下がることはないんだ!

価格が上がる前に、今土地を買わなきゃ損だよ!ドンドン土地買おうぜ!!

こうして、世間に不動産ブームが到来し、多くのお金が一挙にして土地(付随する建物含む)に注がれることになります。

さらに、この不動産ブームに銀行が乗っかりました。銀行は、金利低下で金利収益が減っていたり、色々あって融資先が見当たらずに困っていたため、不動産でバンバン稼いでやろう!と考えていたのです。

土地神話による不動産ブームに加え、銀行の巨額マネーが不動産に投入されたことで、不動産価格はこれまでに例のないほどの急上昇を遂げました。

不動産と似た現象が企業の株価にも起こります。

おいおい君たち。まだ株持ってないの?

この好景気で株価は上がり続けるんだから、安く株を買いたいなら今買うしかないんだよ。それなのに株を持ってないとかいくらなんでも情弱すぎるだろ・・・。

こうして、不動産も株も「今後ずーっと価格が上がり続ける」ことを前提にどんな高値でも買われ続けたのです。

どれだけ価格が上がったかというと、日本の土地資産の合計額は約2456兆円ぐらいになりました。これは、当時のアメリカ全土の合計額のなんと4倍に相当したと言われています。

一方の株価は、日経平均株価指数がプラザ合意が行われた1985年9月には12598円だったのが、1989年12月には38957円と約3倍になっています。

この38957円という日経平均株価指数は、過去最高の価格であり、現在でもこの記録を超えることはできていません。(この記事を書いている時点で日経平均株価は、27500円くらいです。)

さらに、バブル経済は人々の生活様式も大きく変えました。

好景気でサラリーマンの給料はうなぎ上り。不動産・株で儲けた億万長者もたくさん多数現れ、とにかくド派手な生活を送る人たちが増えました。

海外旅行に年数回行くのは当たり前。移動はタクシーしか使わない。服を買うときは値札を見ないで買う。

ディスコでは多くの男女が集まり踊り狂いました。さらに金持ちの男たちは、お目当ての女性に近づくためにディスコで大豪遊。人気女性の中には何人もの男性と関係を持ち、送迎専用の男をアッシー、食事代肩代わり用の男をメッシーと呼んで、世を謳歌する女性もいました。

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バブル経済、崩壊へ・・・

円高不況を乗り越えるための景気対策がバブル経済になってしまった根底には、「不動産や株の価格は、今後絶対に下がらない!」という人々の心理があります。

・・・が、永遠に価格が上がり続けることなど100%あり得ません。いつか、必ず終わりがやってきます。

その終わりのタイミングは、次のように冷静に考える人が増えてきた時にやってきます。

なんか、あそこの土地の価格って実態とあまりにもかけ離れていて以上だよな・・・。

これ以上価格が上がるなんて、あり得ないんじゃないか・・・?

1990年になると、異常な株・不動産の高騰に流石の日本政府も動きました。

銀行に土地取引への融資を抑えるよう指導し、公定歩合を6.5%まで引き上げます。これは国が公式に「今の日本の土地価格は異常!!」と発表しているようなものです。国のこの政策によって、多くの人が頭を冷やし、冷静な思考力を取り戻しました。

さらに、1990年8月に湾岸戦争わんがんせんそうが勃発して、原油価格が高騰。すると、次は商品コストが跳ね上がり、多くの企業が原油価格の下落で享受していた利益を失いました。

つまり、円高不況の時に起こったことと真逆なことが起こったわけですね。

これらの出来事によって、「株と不動産の価格は絶対に下がらないって嘘なんじゃ・・・」と思う人が急増。

バブル経済の前提が崩れていることに気付いた人々は、株・不動産の購入をやめて、「高値の今のうちに売ってしまえ!」と株・不動産の売却を開始。

そして雪崩式に売りが広がり、まずは株価が大暴落しました。この最初の暴落は、人々に恐怖心を植え付けます。

えっ、嘘でしょ!?

俺の全財産を突っ込んで買った株が大暴落してる・・・。これ以上暴落すると破産しかねない・・・。今のうち早く売らなきゃ!!(絶望)

こうして、最初の暴落は次の暴落を生み、負の連鎖でパニック的に大暴落が起こることになりました。

日経平均株価は1989年12月29日の38957円をピークに、1990年10月1日には20000円を割って、わずか一年で価値が半分になってしまいました。(あなたが100万円の株を持っているとしたら、一年で50万円まで目減りしたということです)

不動産の暴落は、株価より少し遅れて始まり、首都圏の土地価格は1990年秋頃、地方では1992年をピークに下落を始めました。

1991年〜1992年になると、株や不動産価格だけでなく、実際の生活上でも多くの人がバブル景気の終わりを感じるようになり、不景気の時代がやってきました。

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平成不況(失われた10年)

バブル崩壊後の不況は「平成不況」と呼ばれ、深刻な不景気が日本を襲いました。

平成不況の大きな特徴は、不景気の期間がものすごく長くなってしまった点です。

その期間は10年にも及んだとされており、平成不況は別名「失われた10年」と言われることもあります。(人によっては「失われた20年」と言う人も・・・)

不景気が長期となってしまったのは、国が効果的な対策を打ち出すことができなかったり、バブル崩壊で銀行の財務状況がボロボロになっていたり、様々な要因が重なって景気の回復が困難だったためです。

この失われた10年の間、

政権交代(55年体制の崩壊)

大手銀行の経営破綻

就職氷河期の到来

など、さまざまな出来事が起こります。

平成不況が終わったは2002年と言われており、1990年代は経済の観点だけで見れば、まさに「失われた10年」という名が相応しい負の10年になってしまいました。

※「失われた20年」と言う人は、2008年に起きたリーマンショックから立ち直り始めた2010年代初頭までを経済低迷の期間と考えます。



平成時代
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この記事を書いた人
もぐたろう

教育系歴史ブロガー。
WEBメディアを通じて教育の世界に一石を投じていきます。

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