少し前に、明日香村にある奈良県立万葉文化館に行ってきました。
万葉文化館は、日本最古の通貨と呼ばれる富本銭(ふほんせん)が鋳造されていた工場遺跡が見つかった場所でもありまして、今回はその話をしてみようと思います。富本銭については、以下の記事でも紹介しています。
飛鳥池工房遺跡の奇跡の発見!!
富本銭の鋳造工場遺跡は、「飛鳥池工房遺跡」と呼ばれています。
この飛鳥池工房遺跡は、万葉文化館という建物を建築した際の土地の発掘調査で発見された遺跡です。そのため、万葉文化館という誰がどう見ても万葉集の資料館にしか見えない建物に、なぜか広大な遺跡跡(レプリカ)が広がっています。
何も知らずに訪れたらビックリすると思います。というか、私はビックリしましたww。でも、こーゆーサプライズは歴史オタには有り難いですね!
万葉集が出来た時期と富本銭の鋳造された時期がだいたい同じ時代ってところがなんだか凄いですよね。奇跡というか運命というか。(まぁ、明日香村の遺跡はこの時代のものが多いっていうのもあるけど・・・)
富本銭の作り方
富本銭は銅からできているいわゆる銅銭です。銅銭の鋳造とは、ザックリ説明すると
という感じ。下のパネルがわかりやすいです。
見てわかるとおり高温の金属を扱う危険な仕事なんですが、当時の労働環境とかお給料ってどんな感じだったんでしょうかねー。
万葉文化館にあった再現模型。温度の見極めとか鋳型の設計(金属は液体から固体になると縮むので縮小率を考慮しないといけない!!)とか、めちゃくちゃ職人技だったんだろうなってのは想像できる。
パネルや模型は文字だけじゃわからない当時の雰囲気を教えてくれるので、非常に勉強になる。
飛鳥池工房遺跡では富本銭以外の物も作られていた
今でもこそ科学技術の進歩により鋳造はいろんなところで行われていますが、当時の鋳造工場というのは非常に貴重な施設でした。その貴重な工場設備をフル活用するためなのか、飛鳥池工房では富本銭だけではなく、他にも様々な金属やガラス製品が造られていたらしいです。
パネルを読むと、用いられた金や銀は純度もかなり高く、銀については精錬が行われていたと書いてあります。当時の技術水準の高さをうかがわせます。ちなみに、この時代はまだ金山の採掘は出来なかったので金は輸入物でした。
これらの最新技術の導入のきっかけは、おそらく663年に起きた白村江(はくすきのえ)の戦いだと思います。朝鮮半島にあった百済(くだら)という国が戦争で滅ぼされ、多くの難民が発生しました。日本は百済とは友好的な関係だったので、百済の難民たちが日本に流れ込んできたはずで、この渡来人が最先端の技術を日本に伝えてくれたのだと思います。
「国が滅びて最新技術が伝わる」というのは、なんだか複雑ですね。
白村江の戦いについて知りたい方は以下の記事を参考にしてみてください。
飛鳥池工房遺跡ではどんなものが発掘されたの?
万葉文化館には、飛鳥池工房遺跡に関する展示品を数多く見ることができます。その展示品を見ると、実に多様なものがそこから発掘されていることがわかります。
1つ1つ言葉で説明するには、私の知識と語彙力が足りないので、現地で撮影した写真をひたすら載せることにします。
鉄製品
万葉集の歌が載ってますね。
【現代語訳】
「ぐるぐる回る玉ぐるまのように、くるくる回る開き戸にしっかりと釘を刺して固め、彼女の心をつなぎとめたから、もはや動くことはあるものか」
(出典:古代史の道)
歌にサラッと鉄製品が登場するあたり、一部の製品は日常的に使われていたのでしょう。
ガラス関係
こちらはガラス関係。
ガラス製品は、貴族のアクセサリーとか仏像の装飾品とかになっていたらしい。今でいう高級ブランドの指輪なんかと似たイメージでしょうか。
木簡(もっかん)
木簡は上の写真のとおり、細長い木の札です。今でいうメモ帳がわりに使われていました。
飛鳥池工房遺跡では、多くの木簡も発見されています。寺院や天皇に関係するメモが多く残っているらしく、これは工房で生産される製品の主な取引先が寺院や宮廷だったためだと思われます。
万葉文化館で見れる史料はそのほとんどがレプリカですが、それでもなんだか考古学のロマンみたいなものが少しわかった気がします。遺跡や史料を見ながら当時の人々について考えるのは夢があるし、過去にタイムスリップしたかのような感覚が味わえます。
というわけで、万葉集については一切触れてませんが、万葉文化館にある飛鳥池工房遺跡についてのお話でした。明日香村に訪れる際にぜひ寄ってみてはいかがでしょーか!
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