
今回は天地開闢(てんちかいびゃく)と造化三神(ぞうかさんしん)について、わかりやすく丁寧に解説していくよ!日本神話いちばんの「はじまりの物語」を、いっしょに読んでいこう!
天と地がまだ分かれておらず、光も闇もない——。日本神話は、そんな何もない静けさから始まります。
その最初の場面に現れるのが、造化三神と呼ばれる三柱(みはしら)の神々です。ところが——実はこの神々、名前が語られたきり、ほとんど何もしません。戦うわけでも、国を作るわけでもなく、現れた瞬間に静かに姿を消してしまうのです。
「何もしない神が、なぜ日本でいちばん尊いとされるのか?」——その不思議な問いこそ、天地開闢という物語の入り口です。この記事では、混沌から神々が生まれ、やがて伊邪那岐命・伊邪那美命へとバトンが渡っていくまでを、ひとつの物語として追いかけていきます。
天地開闢とは?——「天と地が分かれた瞬間」をわかりやすく解説
- 天地開闢とは、混沌から天と地が分かれ、最初の神々が生まれた日本神話の「はじまりの瞬間」のこと
- 古事記では造化三神という3柱の神がまず現れ、すぐに「身を隠した」と記されている
- 日本書紀と古事記では神々の登場のしかたが異なり、2つを比べると神話づくりの「ねらい」が見えてくる
天地開闢とは、文字どおり「天(てん)と地(ち)が開(ひら)け、分かれること」を意味する言葉です。「開闢」の「闢」は”ひらく・切りひらく”という意味で、ふだん見かけない難しい漢字ですが、要するに世界がはじめて動きだした一瞬を指しています。
物語のはじまりは、天も地もまだ区別がつかない混沌——ドロドロとして形の定まらない状態でした。そこからやがて秩序が生まれ、世界が姿をあらわしていきます。その最初のひとコマを描いたのが、古事記という日本最古の歴史書の冒頭なのです。
古事記は712年(和銅5年)に成立したと伝えられる書物で、その巻頭を飾るのがこの天地開闢の場面です。日本神話は、ここから伊邪那岐命・伊邪那美命の国産み、そして天照大御神の誕生へと、まるで一本の川のように流れていきます。古事記そのものの全体像については、古事記とは?わかりやすく解説もあわせて読んでみてください。

神社に行くと「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」を祀っているところがあるけど、いったいどんな神様なのかしら?

それが今回の主役・造化三神の筆頭だよ!「宇宙の中心」をあらわす、いちばん最初の神様なんだ。天地開闢の物語の第一幕に登場するよ。この後じっくり解説していくね!
混沌から光が生まれた——「無」から「有」への瞬間
まだ何もない。上も下もなく、明るさも暗さもない。ただ、ぼんやりとしたものがどこまでも広がっている——。
古事記は、この世界の最初のありさまを「天地初発之時(あめつちはじめてひらけしとき)」という一句で語りはじめます。「天と地がはじめて開けはじめたとき」という意味です。まるで、まだ固まりきっていない卵の白身のように、すべてがどろりと混ざり合っていた——そんなイメージだと考えられています。
やがて、その混沌のなかで動きが生まれます。日本書紀の記述によると、軽く澄んだものは上へ上へとのぼって天となり、重く濁ったものは下へしずんで地となっていったとされています。古事記には清濁分離の描写は見られませんが、こうした語り伝えが世界に「上」と「下」が生まれた瞬間として広く知られています。
「天地初めて発けし時、高天原に成りませる神の名は、天之御中主神。」
※訳:天と地がはじめて開けたとき、高天原(=天上の神々の世界)に現れた神の名は、天之御中主神である。「成りませる」は”(おのずと)お生まれになった”という意味とされています。書き下しには諸説があります。

現代風にいえば「ビッグバン」みたいなイメージだね。日本書紀には”混ざり合っていたものが、軽いものと重いものにゆっくり分かれていった”という清濁分離の描写があるんだ。古事記では天地開闢の描写はシンプルで、「天地初発之時」に神が現れたことが語られる。爆発というより、しずかに世界がめざめていく感じだよ。

「天地はじめて発れし時」って、どのくらい昔の話なの?

それがね、具体的な年数はどこにも書かれていないんだ。神話の世界では、神々の時代(=神代)は人間の時代よりはるか昔のこととされている。神話は「いつ」よりも「どうやって世界ができたか」「何のために」を語る物語なんだよ。
造化三神の誕生——宇宙に最初の3柱の神が現れる
天と地が分かれ、天上には高天原——神々の住まう清らかな世界——が広がりました。その静けさのなかに、ひとりの神が、音もなく姿をあらわします。
最初に現れたのが、天之御中主神。名前は「天の中心を主る神」を意味し、まさに宇宙のまんなかに位置する根源の神とされています。
続いて、高御産巣日神と神産巣日神が現れます。この二柱の名にある「産巣日」とは、”ものを生み出す力・生成のエネルギー”を意味する古い言葉です(「むすび」とも表記されますが、古事記の文脈では「むすひ」と読むのが定説とされています)。何もない世界に「生み出す力」が満ちはじめた——そんな瞬間を象徴する神々とされています。
この三柱をまとめて造化三神と呼びます。「造化」とは”天地万物をつくり出すはたらき”のこと。つまり造化三神とは、世界を生み出す根源の力そのものを神格化した存在だと考えられています。
📝 造化三神の3柱の名前と意味:①天之御中主神=「天の中心を主る神」/②高御産巣日神=「高く尊い”むすひ(生成)”の神」/③神産巣日神=「神聖な”むすひ(生成)”の神」——三柱で「宇宙の中心」と「生み出す力」を表すとされる
天之御中主神——「わたしは宇宙の中心に、ただ在るだけだ。それが、すべての始まりなのだ。」
(※古事記の記述をもとにしたイメージです。天之御中主神のセリフは古事記本文には残されていません)

名前が長くて読みにくいけど、まずはこの3柱(造化三神)さえ押さえておけばOKだよ!漢字ひと文字ずつの意味——「中心」と「むすひ(生み出す力)」——をイメージすると、ぐっと頭に入りやすくなるんだ。

造化三神って、いまでも神社に祀られているの?

祀られているよ!たとえば天之御中主神は、東京大神宮や、全国の妙見信仰の神社などで祀られているんだ。宇宙の中心=北極星と結びつけて信仰された歴史もあって、「根源の神様」として今も大切にされているんだよ。
別天津神(ことあまつかみ)5柱の登場——独神(ひとりがみ)たちの役割
造化三神が現れたあと、高天原にはさらに二柱の神が姿をあらわします。
ひとつは、宇摩志阿斯訶備比古遅神。名前の「葦牙」は、水辺に芽吹く葦(あし)の若芽のこと。まだやわらかい大地から、いのちが力強く芽を出すように現れた神とされています。
もうひとつは、天之常立神。「天が永遠に立ちつづける(安定する)」ことを表す神で、これで天上の世界が確かなものになった——そんな区切りをつける存在とされています。
造化三神とこの二柱を合わせた合計5柱が、別天津神と呼ばれる神々です。「別(こと)」は”特別な・別格の”という意味で、後に登場するたくさんの神々とはひと味違う、格別に尊い存在として区別されています。
📝 別天津神5柱(登場順):①天之御中主神/②高御産巣日神/③神産巣日神(=ここまでが造化三神)/④宇摩志阿斯訶備比古遅神/⑤天之常立神——5柱すべてが独神で、現れるとすぐに「身を隠した」とされる

「独神」というのは、性別のない、たった一柱で存在する神のこと。この後に出てくる伊邪那岐命・伊邪那美命のような「男女ペアの神」とはまったく性格がちがうんだ。別天津神は”まだ生き物のいない、根源だけの世界”を表しているのかもしれないね。

造化三神と別天津神って、どう違うの?ごちゃごちゃになりそう…。

かんたんだよ!「造化三神(3柱)+あとの2柱=別天津神(5柱)」。つまり造化三神は別天津神のなかまの一部なんだ。”最初の3柱が造化三神、5柱ぜんぶまとめて別天津神”と覚えればバッチリだよ!
なぜ神々は「身を隠した」のか?——古事記の深い謎

造化三神は現れたあと、すぐ「身を隠した」って書いてあるのよね。それってどういう意味?このあとの神話にはもう出てこないの?

そう、これが古事記いちばんの謎のひとつなんだ!「身を隠した」というのは”姿が見えなくなった=人間には直接うかがい知れない存在になった”という意味だと考えられているよ。しかもこの5柱は、このあとの物語にはほとんど登場しないんだ。
古事記では、別天津神の5柱はいずれも「身を隠したまいき(お隠れになった)」と記されます。せっかく世界の最初に現れた尊い神々なのに、活躍する場面もなく、静かに退場してしまう——。これはとても不思議な描写です。
この「身を隠す」の意味については、いくつかの見方があるとされています。ひとつは、造化三神や別天津神は”世界のしくみそのもの”を表す神であり、そこに在ることこそが役割だという考え方です。空気や重力のように、ふだんは意識されなくても世界を支えている——だから前面に出て活躍する必要がない、というわけです。
もうひとつは、物語を進める主役を、後から登場する神々にゆずるための”舞台づくり”だったという見方です。根源の神々が世界の土台を整え、その上で伊邪那岐命・伊邪那美命が国を産み、やがて天照大御神やスサノオといった、より人間くさい神々のドラマが始まっていきます。この根源の神々の”静かさ”は、後の日本書紀の描き方とも比べてみると、いっそう味わい深く見えてきます。
天之御中主神をはじめとする造化三神は、名前が語られたきり、具体的なエピソードをほとんど持ちません。にもかかわらず、後の時代には「もっとも根源的で尊い神」として信仰を集めました。
これは、”目立って活躍すること”よりも”静かに世界の中心に在りつづけること”を尊いとみる感覚が、日本の神話の底に流れているためだと解釈されることがあります。派手な武勇伝を持つ神ではなく、ただ「在る」だけの神が最上位に置かれている——そこに日本神話ならではの奥ゆかしさが表れている、とも言えるでしょう。(※あくまで解釈のひとつで、諸説あります)
神世七代の誕生——イザナギ・イザナミへの橋渡し
別天津神の5柱が静かに姿を隠したあと、高天原には、あらたな神々が次々とあらわれはじめます。これらの神々は、まとめて神世七代と呼ばれます。
「七代」とありますが、これは「七柱」ではありません。ひとりで一代とかぞえる独神と、男女ペアで一代とかぞえる神々が入りまじっているため、神さまの数と代の数がずれるのです。最初にあらわれるのは、大地がまだ固まりきらない世界を象徴する国之常立神。ここから、世界は少しずつ「かたち」を持ちはじめます。
そして代を重ねるごとに、神々はしだいに「男と女」に分かれていきます。ばくぜんとした根源の神から、性別を持ち、意思を持って動く神へ——。世界が”生命の生まれる舞台”へと近づいていく流れが、ここに描かれています。
その神世七代のいちばん最後、第七代として登場するのが、伊邪那岐命・伊邪那美命——いわゆるイザナギ・イザナミの男女ペアです。この二柱こそが、日本の島々を生み出す「国産み」の主役となっていきます。天地開闢からはじまった長い前置きは、ここでようやく、私たちのよく知る神話へとつながっていくのです。
📝 神世七代のポイント:「七代」は”七柱”ではなく”七つの代”のこと(独神=一代、男女ペア=二柱で一代)。第一代は国之常立神、そして第七代がイザナギ・イザナミ。前半は独神が中心だが、後半に近づくほど「男女ペアの神」が増え、やがて国産みへとつながっていく。

イザナギ・イザナミって名前は聞いたことある!神世七代の”最後”に出てくるんだね。

そのとおり!天地開闢はいわば”物語のプロローグ”。ここまでの神々が世界の土台をつくって、いよいよイザナギ・イザナミが「日本の国土」を生み出していくんだ。その先の国産み・黄泉の国のドラマは、また別の物語だよ。
イザナギ・イザナミが日本列島を生み出す「国産み」、そして黄泉の国から生まれた・天照(アマテラス)・素戔嗚(スサノオ)・月読命(ツクヨミ)ら三貴子の物語は、天地開闢のすぐあとに続く神話の名場面です
古事記と日本書紀の違い——天地開闢の「2つの物語」を比べてみよう
ここまで紹介してきたのは、おもに古事記にえがかれた天地開闢の物語でした。じつは、日本の神話をつたえるもうひとつの書物日本書紀では、はじまりの描き方が少しちがっています。
古事記が、混沌のなかから造化三神が”ぽつぽつと現れる”という語り口だったのに対し、日本書紀の冒頭は、天と地がまだ分かれていない、卵の中身のようにドロドロと混ざり合った状態から説き起こされます。そこから、澄んで軽いものが上って天となり、重くにごったものが下にたまって地となった——と、より理屈っぽく、中国の思想(陰陽の考え方)の影響を感じさせる書き方になっているとされています。
また日本書紀は、「一書に曰く(あるふみにいわく)」というかたちで、ひとつの出来事に対していくつもの異なる伝承を並べて紹介するのが大きな特徴です。天地開闢についても複数のバージョンが記されており、「正解はひとつ」と決めつけない、おおらかな編集方針がうかがえます。
| 比較項目 | 古事記(712年成立) | 日本書紀(720年成立) |
|---|---|---|
| 最初に現れる神 | 造化三神(天之御中主神ほか2柱) | 国常立尊を最初とする本伝に加え「一書に曰く」で造化三神などの異伝を併記 |
| 天地のはじまり方 | 混沌から天と地が分かれ、神々が現れる | 卵のような混沌が澄んで天、にごって地となる(陰陽思想の影響) |
| 書かれた文体 | 変体漢文(日本語を意識した表記) | 本格的な漢文 |
| 想定された読者 | おもに国内向け | 国外も意識した公式の史書 |
| 異伝の扱い | ひとつの筋にまとめて語る | 「一書に曰く」で複数の伝承を併記 |

ほとんど同じ時代に作られたのに、どうしてこんなに描き方がちがうのかしら?

「誰に・何のために読ませたいか」がちがったからだと考えられているよ。古事記は物語として国のなりたちを語る本、日本書紀は国外にも通じる”正式な歴史書”としての性格が強かったとされているんだ。同じ神話でも、目的がちがえば語り口も変わってくる——そこが古事記と日本書紀を読みくらべる面白さだね。
古事記そのものの成り立ちやあらすじについては、古事記とは?わかりやすく解説の記事でくわしくまとめています。天地開闢は、その古事記の「いちばん最初の場面」にあたる物語なのです。
古事記・天地開闢をもっと深く知るためのおすすめ本

天地開闢や古事記の世界をもっと深く知りたい人に、おすすめの本を3冊紹介するよ!難しそうに見えて、読み始めると意外と引き込まれるのが古事記のすごいところ。
よくある質問(FAQ)
天地開闢(てんちかいびゃく)とは、古事記・日本書紀に記された日本神話の「はじまりの出来事」です。混沌(こんとん)とした状態から天と地が分かれ、最初の神々——造化三神——が高天原に現れた瞬間を指します。世界の秩序と神々の系譜が始まる、日本神話の出発点にあたります。
造化三神(ぞうかさんしん)は、天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神の3柱の神の総称です。古事記では宇宙で最初に現れた神々とされ、「宇宙の中心」と「ものを生み出す力(むすひ)」を象徴します。現れた直後に「身を隠した」と記され、”在ること自体が世界の根拠”という神観念をあらわす存在とも解釈されています。
別天津神とは、造化三神に宇摩志阿斯訶備比古遅神・天之常立神を加えた5柱の神の総称です。「別(こと)」は”別格の・特別な”という意味で、後に続く神々とは区別された尊い神とされます。全員が性別のない「独神(ひとりがみ)」で、現れるとすぐに身を隠したと記されています。
神世七代とは、別天津神のあとに現れた七つの代の神々のことです。「七代」は”七柱”ではなく、独神を一代、男女ペアを一代とかぞえた”七つの代”を意味します。第一代は国之常立神で、最後の第七代がイザナギ・イザナミ。この二柱が、続く「国産み」の物語の主役となります。
古事記(712年)では造化三神を筆頭に神々が次々と現れる語り口なのに対し、日本書紀(720年)では卵のような混沌が澄んで天・にごって地になるという、中国の陰陽思想の影響を感じさせる描写になっています。また日本書紀は「一書に曰く」として複数の異なる伝承を併記するのが特徴です。書かれた目的や想定読者の違いが、こうした描き方の差につながったと考えられています。
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)は、東京大神宮や、全国各地の妙見(みょうけん)信仰の神社などで祀られています。宇宙の中心=北極星と結びつけて信仰された歴史もあり、「根源の神」「万物のはじまりの神」として今も大切にされています。参拝の際に祭神として名前を見かけたら、天地開闢の物語を思い出してみてください。
まとめ——「在ること」が神話のはじまり
天地開闢の物語は、混沌から天と地が分かれ、造化三神・別天津神・神世七代という神々が順に現れて、やがてイザナギ・イザナミの国産みへとつながっていく——という「世界のはじまりの筋道」を語るものでした。最初の神々は、はなばなしく活躍するわけではありません。それでも”ただ在ること”そのものが尊いとされる。そこにこそ、日本神話ならではの世界観が表れています。

今回は天地開闢と、造化三神・別天津神・神世七代の物語を解説したよ!「何もしない神がいちばん尊い」なんて、ちょっと意外で面白いよね。天地開闢はこのあと続く国産みやアマテラスの物語の”プロローグ”にあたるんだ。下の記事もあわせて読んで、日本神話の世界をもっと楽しんでみてね!
-
第一幕天地開闢——混沌から天と地が分かれる
-
第①柱天之御中主神(造化三神の筆頭・宇宙の中心)
-
第②〜③柱高御産巣日神・神産巣日神(造化三神の残り2柱)
-
第④〜⑤柱宇摩志阿斯訶備比古遅神・天之常立神(別天津神が完成)
-
第一代神世七代のはじまり——国之常立神が現れる
-
第七代伊邪那岐命・伊邪那美命(イザナギ・イザナミ)が登場
-
国産みへイザナギ・イザナミが日本の島々を生み出す
-
三貴子誕生アマテラス・ツクヨミ・スサノオが生まれる
以上、天地開闢と造化三神のまとめでした。天地開闢のあとに続く物語も、ぜひあわせて読んでみてください。
Wikipedia日本語版「天地開闢(日本神話)」「造化三神」「別天津神」「神世七代」「天之御中主神」「タカミムスヒ」「国之常立神」(2026年7月確認)
コトバンク「天之御中主神」「高御産巣日神」「造化三神」「別天津神」(デジタル大辞泉・日本大百科全書)(2026年7月確認)
國學院大學 古典文化学事業「宇摩志阿斯訶備比古遅神」「神産巣日神」(2026年7月確認)
山川出版社『詳説日本史』
倉野憲司校注『古事記』(岩波文庫、1963年)
記事の誤りを発見された場合はお問い合わせください。確認後、修正します。
📚 古事記・日本神話の記事をもっと読む → 古事記・日本神話の記事一覧を見る





