

今回は国宝・松本城の歴史と見どころについて、わかりやすく丁寧に解説していくよ!なぜ黒いのか、廃城寸前を救った市民の物語、見どころや映えスポットまで全部まとめたよ!
烏城と呼ばれることが多い松本城ですが、実はこの呼び名、公式史料にはほとんど登場しません。さらに、明治時代には廃城令によって解体・競売にかけられた松本城を救ったのは、なんと地元の市民たちでした。
日本に12しかない現存天守の中でも唯一の平城——黒くそびえる松本城には、教科書には載らない知られざる物語がたくさん詰まっています。この記事では、城の歴史から「なぜ黒いのか」の謎、見どころや映えスポットまで、訪れる前に知っておきたいポイントをまるごと解説していきます。
松本城とは?3行でわかる国宝天守
- 長野県松本市にある国宝の城。戦国時代末期〜江戸時代初期に建てられた天守が今も残る
- 日本に12しかない「現存12天守」の中で、唯一の平城(平地に建てられた城)
- 廃城令で一度は競売にかけられたが、市民が買い戻して保存。1952年に国宝へ
松本城は、長野県松本市の中心部にそびえる国宝の城です。最大の特徴は3つ。①漆黒の外観、②現存12天守の中で唯一の平城(平地に築かれた城)、そして③市民の手で守り抜かれたという歴史です。
※現存12天守:江戸時代以前に建てられた天守が、再建ではなくそのまま現代まで残っている12の城のこと。松本城・姫路城・彦根城・犬山城・松江城などが含まれます。

松本城が建てられたのは、戦国時代の終わりから江戸時代の初め。織田信長や豊臣秀吉が活躍した、まさに天下統一が進んでいた時代です。当時の建物がそのまま残っているからこそ、戦国の緊張感をいまも肌で感じられる——それが松本城の何よりの魅力なのです。

修学旅行で松本城に行くんだけど、どれくらいの時間で全部まわれるの?

天守の中を見るだけなら約45〜60分(公式目安)、お城の周りを散歩すると2〜3時間が目安だよ。せっかくの修学旅行なら、天守内部とお堀の外周をセットで楽しんでみてね!
松本城の歴史|深志城から天下人の城へ
松本城のはじまりは、いまから500年以上前の戦国時代までさかのぼります。もとは深志城という小さな城でした。それが武田氏や徳川氏、豊臣氏といった天下人たちの争いの中で姿を変え、やがて現在の壮大な姿になっていきます。順を追って見ていきましょう。
■深志城から松本城へ——戦国時代の激動
松本城のルーツは、1504年ごろに信濃(いまの長野県)の守護だった小笠原氏が築いた深志城だとされています。しかし1550年、甲斐(いまの山梨県)の武田信玄が信濃に攻め込み、深志城を奪い取って信濃支配の拠点にしました。
その後、1582年に本能寺の変で織田信長が倒れ、武田氏も滅亡すると、信濃は再び大きく動きます。もとの城主だった小笠原氏の当主・小笠原貞慶が深志城を取り戻し、このとき名前を「松本城」へと改めたと伝えられています。
「松本」という地名の由来には諸説ありますが、城の名が改められた頃から定着したと言われています。今でも松本市の中心に城があるのは、この時代の名残なのです。
■石川数正と康長——天守を建てた父子
いまに残る黒い天守を建てたのは、石川数正とその子・康長の父子です。石川数正はもともと徳川家康の重臣でしたが、1585年に突然、豊臣秀吉のもとへと去ってしまいます。これが「石川数正の出奔」として知られる、戦国史きっての謎のひとつです。
出奔後、秀吉に仕えた数正は1590年(天正18年)の小田原征伐後に松本城主となり、息子の康長とともに大天守や乾小天守を建設しました。最新の年輪年代調査(2025年)では、完成は1596〜1597年ごろとされています。豊臣政権のもとで築かれた、いかにも戦国らしい力強い城だったのです。

長年仕えた家康様のもとを離れ、秀吉様に仕えることを決めた……。理由は私の胸の内にしまっておこう。この松本の地で、新たな主君のために城を築くのだ。

長く仕えた家康のもとを去って秀吉につくなんて、よほどの事情があったんでしょうね。なぜ出奔したのか、気になります!

実は出奔の理由は今もハッキリわかっていなくて、「徳川の機密を知りすぎて居づらくなった」「秀吉に引き抜かれた」などいろんな説があるんだ。戦国ミステリーのひとつだね!
■江戸時代——6家の城主が守った城
江戸時代に入ると、松本城は石川氏のあと、小笠原・戸田・松平・堀田・水野、そして再び戸田と、何度も城主が入れ替わりました。関ヶ原の戦いを経て天下が徳川のものになると、城は「戦うための要塞」から「藩を治めるための拠点」へと役割を変えていきます。
その変化を象徴するのが、平和な時代になってから増築された月見櫓と辰巳附櫓です。戦いとは無縁の、月を眺めるための優雅な建物——この点については後の見どころの章でくわしく紹介します。
松本城はなぜ黒い?漆黒の天守に込められた理由
松本城を見て誰もが驚くのが、その黒さです。白く輝く姫路城とは対照的に、松本城は黒い板で覆われています。この黒の正体は、天守の外壁に張られた下見板という木の板に、漆を塗ったものです。

では、なぜわざわざ黒くしたのでしょうか。よく語られるのが、「黒は豊臣秀吉が好んだ色だった」という説です。秀吉が築いた大坂城も黒い城でした。家康のもとを離れて秀吉に仕えた石川数正が、新しい主君である秀吉への忠誠を示すために黒く塗った——というロマンあふれる説です。
一方で、漆塗りの黒は実用的な意味もありました。漆は木材を雨や腐食から守る塗料です。豪雪地帯である信州の厳しい気候から建物を守るために、黒い漆を塗ったという見方もあります。「秀吉への忠誠」と「建物を守る工夫」、どちらも込められていると考えるのが自然かもしれません。
松本城は黒い外観から「烏城」と呼ばれることがあります。でも実は、この呼び名は古い公式の史料にはほとんど見当たりません。白い姫路城が「白鷺城」と呼ばれるのに対比して、後の時代に広まった愛称だと考えられています。
ちなみに、同じ「烏城」という呼び名は岡山城にも使われており、こちらの方が古くから定着していたとも言われます。松本城を「烏城」と呼ぶのは間違いではありませんが、「正式名称」ではない点は覚えておくとちょっとした豆知識になりますね。

黒い漆は毎年塗り直さないといけないって聞いたことがあります。今もメンテナンスされているんですか?

そのとおり!黒漆は風雨で傷むから、定期的に塗り直されているんだ。あの美しい黒は、職人さんたちの手で守られ続けてるんだよ。
廃城寸前!松本城を救った市民の物語
戦国の世を生き抜いた松本城ですが、最大の危機は意外にも明治時代に訪れました。1873年(明治6年)、新政府が出した廃城令です。これは、もう軍事的に使わない城を取り壊したり、土地や建物を売り払ったりするという法令でした。
松本城も例外ではなく、天守は競売にかけられてしまいます。落札額はごくわずかな金額だったと伝えられ(諸説あり)、このままでは取り壊されて材木として売られる運命でした。日本各地で、多くの名城がこうして姿を消していった時代だったのです。

そんな松本城を救ったのが、地元の人々でした。中心となったのは市川量造という人物です。市川らは、城内で博覧会を開いてその入場料収入を買い戻し資金に充てるという、当時としては斬新な方法で天守を守ろうとしました。この博覧会は正式には「筑摩県博覧会」と呼ばれ、地元では「松本城百覧会」とも親しまれています。
筑摩県博覧会(松本城百覧会):1873年(明治6年)から1877年(明治9年)にかけて計5回、松本城天守を会場に開かれた博覧会。書画や物産などを展示し、入場料収入を天守の買い戻し・修理の資金に充てた。市民が主導した文化財保存運動の先がけとして知られている。
さらに明治30年代ごろから、天守が傾いて倒れかけるという危機も起こります。このときも地元の中学校長・小林有也らが中心となって「松本天守閣保存会」を立ち上げて寄付を集め、1903年(明治36年)から1913年(大正2年)にかけて大規模な修理(明治の大修理)を実現させました。松本城は、一度ならず二度までも、地元の人々の情熱によって守られてきたのです。
こうして守り抜かれた松本城は、1952年(昭和27年)に国宝に指定されました。いま私たちが当たり前のように眺めている黒い天守は、決して「ただ残った」のではなく、多くの人が知恵とお金を出し合って未来へつないだ宝物なのです。

市民がお金を集めて城を守ったなんて、すごいですね。今でいうクラウドファンディングみたいですね!

まさに明治版クラウドファンディングだね!「自分たちの城は自分たちで守る」という地元の人たちの想いがなかったら、今ごろ松本城は残っていなかったかもしれないんだ。
松本城の見どころ|5つの建物が連なる天守群
松本城の天守は、ひとつの建物ではありません。大天守・乾小天守・渡櫓・辰巳附櫓・月見櫓という5つの建物が連なってできています。これを連結複合式天守と呼びます。戦国の力強さと江戸の優雅さが一つにまとまった、全国でも珍しい構造です。
■大天守——5重6階・戦国時代の迫力そのまま

中心となる大天守は、外から見ると5重(屋根が5段)、中に入ると6階建てになっています。内部に入ると、敵を狙うための鉄砲狭間や、石を落として攻撃する石落など、戦いに備えた仕掛けがそこかしこに残っています。
特に印象的なのが、最上階へと続く急な階段です。傾斜は最大で約61度にもなり、まるで「はしご」を登るような感覚。これは敵が攻め込んできたときに上がりにくくするための工夫でもありました。実際に登ってみると、戦国の緊張感がリアルに伝わってきます。
■月見櫓・辰巳附櫓——平和な時代が生んだ優美な建物

大天守の戦闘的な雰囲気とは対照的なのが、江戸時代に増築された月見櫓と辰巳附櫓です。月見櫓は、その名のとおり月を眺めるための建物。三方が開け放たれ、朱塗りの廻縁(ぐるりと巡る縁側)がついた、とても優雅なつくりになっています。
戦いのための狭間も石落もありません。これは、平和な世の中になったからこそ生まれた建物です。戦国の「戦う天守」と江戸の「くつろぐ櫓」が同居している——この対比こそ、松本城を見るときに注目してほしいポイントです。
1634年(寛永11年)、江戸幕府3代将軍・徳川家光が上洛(京都へ向かう旅)の際に松本に立ち寄ることになりました。このとき城主の松平直政が、将軍をもてなすために急ぎ増築したのが月見櫓と辰巳附櫓だったといわれています。
戦のための要塞から、将軍を迎える「おもてなしの城」へ——月見台の増設は、泰平の江戸時代が松本城に刻んだ静かな変化のあかしでもあります。
■現存12天守で唯一の平城という謎
松本城のもうひとつの大きな特徴が、平地に建てられた「平城」だという点です。現存12天守の多くは山や丘の上に建つ山城・平山城ですが、松本城だけは平らな土地にぽつんと建っています。なぜ、わざわざ守りにくそうな平地を選んだのでしょうか。

ほかの城は山の上にあることが多いのに、松本城は平地にあるんだね。それでも攻め込まれなかったの?

三重のお堀が「山の代わり」になっているんだよ。外堀・内堀・総堀でぐるぐる囲んで、敵を足止めする仕組み。山がなくても、水のバリアで攻めにくい城にしていたんだ!
松本城は、城下町の発展や交通の便を考えて、あえて平地に築かれたと考えられています。そのかわり、三重のお堀をめぐらせて防御力を高めました。城を訪れたとき、天守だけでなく「お堀の広さ」にも目を向けてみると、当時の人々の工夫が見えてきます。

松本城の映えスポット・御城印|カメラを持っていくならここ!
松本城は、写真映えする城としても人気です。せっかく訪れるなら、ベストショットを押さえておきたいところ。ここでは、思わずカメラを構えたくなる撮影スポットと、旅の記念にぴったりな御城印を紹介します。
■おすすめ撮影スポット3選
松本城の撮影で外せないのが、次の3つのスポットです。
- お堀の映り込み(内堀の南側):風のない晴れた日は、水面に黒い天守がくっきり映る「逆さ松本城」が撮れます。松本城を代表する一枚はここから。
- 埋橋と天守:内堀にかかる朱色の橋と黒い天守のコントラストが鮮やか。和の雰囲気たっぷりの構図になります。
- 本丸庭園からの見上げ:入城後、天守の真下から見上げるアングル。5つの建物が連なる迫力をダイナミックに切り取れます。
また、春の桜や秋の紅葉、雪化粧した冬の天守も格別です。期間限定で行われる夜のライトアップ(夜桜会など)も、黒い天守が闇に浮かび上がって幻想的だと評判です。訪れる季節によって表情が変わるのも、松本城の魅力のひとつです。
■御城印は旅の記念に!ゲット場所と限定デザイン
御城印とは、お城を訪れた記念にもらえる、神社の御朱印のような証です。松本城でも販売されており、城めぐりファンに人気のお土産になっています。デザインには城名や家紋などがあしらわれ、季節限定版が登場することもあります。
御城印の販売場所や種類は時期によって変わるため、訪問前に国宝松本城の公式サイトで最新情報を確認しておくと安心です。※御城印の販売場所・価格・デザインの最新情報はPhase4でファクトチェックのうえ確定します。

御城印、旅の記念に集めてみたいです!お堀の映り込み写真も撮りたいけど、何時ごろがきれいに撮れますか?

映り込みは、風がやむ朝いちばんが狙い目だよ。水面が鏡みたいになって、逆さ松本城がきれいに撮れるんだ。早起きして開門前にお堀に行ってみてね!
修学旅行で松本城を200%楽しむポイント
松本城は、修学旅行や校外学習の行き先としても人気のスポットです。せっかく訪れるなら、ただ「見てきた」で終わるのはもったいない。少しだけ予習をして、見るポイントを押さえておくと、城の魅力がぐっと深く感じられます。ここでは、限られた時間で松本城を効率よくまわるコツを紹介します。
■何をどの順で見るか?効率的な見学ルート
班別行動やグループ見学で松本城をまわるなら、次の順番がおすすめです。動線にムダがなく、見どころを一通り押さえられます。
- 黒門から入城:本丸への正式な入口。重厚な枡形(ますがた)門の造りに注目。
- 大天守の内部へ:1階から最上階まで階段で上がりながら、鉄砲狭間や石落、当時の構造を観察。
- 月見櫓・辰巳附櫓:戦いのための天守と、平和な時代の優雅な櫓の違いを見比べる。
- 外周をぐるり:お堀ごしに天守の全景を眺めながら、撮影スポットへ。
天守の見学だけなら約45〜60分(公式目安)、外周の散策まで含めると2〜3時間が目安です。班別行動でほかの場所もまわるなら、松本城には1〜2時間ほどを見ておくと安心です。
服装・持ち物の注意
天守内の階段は最大で傾斜約61度と、はしごのように急です。スカートやヒールよりも、ズボン+歩きやすいスニーカーがおすすめ。荷物は両手が空くリュックが安心です。土足厳禁で靴を脱いで上がるので、脱ぎ履きしやすい靴だとスムーズです。
■石川数正と松本城の関係——予習しておくと2倍楽しい
松本城を訪れる前に、ひとりの武将を覚えておくと、城の見え方が変わります。それが、大天守の建設を主導した石川数正です。
数正はもともと徳川家康に仕える重臣でした。ところが、ある時期に家康のもとを離れ、豊臣秀吉のもとへ移ってしまいます。その後、松本の地を任され、息子の康長とともに今に残る天守を築き上げました。「家康の側近が、なぜ秀吉のもとへ?」——この謎を頭の片隅に置いて天守を見上げると、ただの黒い城が、ぐっと人間くさいドラマを帯びてきます。

天守の階段ってすごく急って聞いたけど、本当にそんなに急なの?気をつけることってある?

本当に急だよ!最上階近くの階段は傾斜が約61度もあって、ほとんどはしごみたいな感じ。手すりをしっかり持って、一段ずつゆっくり上がろう。混んでいるときは前の人との間隔をあけてね!
周辺スポット・グルメ|松本城を起点に城下町を楽しむ
松本城のまわりには、歩いてまわれる距離に見どころがたくさんあります。城だけで帰るのはもったいない。城下町の風情を味わいながら、信州ならではのグルメや文化スポットもあわせて楽しみましょう。
■松本市美術館・旧開智学校——城のすぐそば
松本城から徒歩圏内には、見ごたえのある文化スポットが集まっています。
- 松本市美術館:松本出身の芸術家・草間彌生(くさまやよい)の作品で知られる美術館。水玉模様のオブジェが目印で、SNS映えするスポットとしても人気です。
- 旧開智学校:明治時代に建てられた、和洋折衷のレトロな校舎。国宝にも指定されている貴重な近代建築で、文明開化の空気を感じられます。
- なわて通り・中町通り:城下町の風情が残る商店街。カエルをシンボルにした「なわて通り」や、白壁の蔵が並ぶ「中町通り」で食べ歩きや雑貨めぐりが楽しめます。
■城下町グルメ——信州名物を味わう
松本に来たら、信州ならではのグルメも外せません。城のまわりには、地元の味を楽しめるお店が点在しています。
- 信州そば:そばの名産地・信州の本場の味。コシのある手打ちそばを出すお店が城下町に多くあります。
- 山賊焼き(さんぞくやき):鶏もも肉をにんにく醤油に漬けて揚げた、松本周辺のソウルフード。ボリューム満点で食べ応え抜群です。
- おやき:野沢菜やあんこを生地で包んで焼いた郷土のおやつ。食べ歩きにぴったりです。
※紹介したスポット・グルメの営業状況や場所の最新情報はPhase4でファクトチェックのうえ確定します。

松本城に行ったら、周辺もゆっくりまわりたいな。城から歩いて行けるグルメスポットってありますか?

城のすぐ近くに「なわて通り」や「中町通り」っていう城下町の商店街があるよ。信州そばのお店や食べ歩きグルメが集まっているから、城を見たあとのランチや散策にぴったりだよ!
料金・営業時間・アクセス|完全ガイド2026年版
ここでは、松本城を訪れる前に押さえておきたい料金・営業時間・アクセス情報をまとめます。電車・バス・車のどの手段でも行きやすい立地です。お出かけ前にチェックしておきましょう。
住所:〒390-0873 長野県松本市丸の内4番1号
観覧料(大人):電子チケット 1,200円 / 紙チケット(当日券)1,300円
観覧料(小・中学生):400円(電子・紙共通)/ 小学生未満:無料
営業時間:午前8時30分〜午後5時(最終入場 午後4時30分)
※GW・お盆は午前8時〜午後6時(最終入場 午後5時30分)
定休日:12月29日〜31日のみ(それ以外は年中無休)
TEL:0263-32-2902(松本城管理課)
電車でのアクセス
JR篠ノ井線・大糸線「松本駅」(お城口)から徒歩約20分。城下町を散策しながら歩くと、松本の街並みも楽しめます。
バスでのアクセス
松本周遊バス「タウンスニーカー」北コース:松本駅お城口 発 →「松本城・市役所前」下車(乗車時間約5分)。歩くのが大変なときや、暑い日・寒い日に便利です。
車でのアクセスは、長野自動車道「松本IC」から国道158号を松本市街地方面へ約3.5km、約20分です。松本城には専用の無料駐車場がないため、近隣の市営・民間の有料駐車場を利用します。桜のシーズンやGW、お盆などは大変混雑するので、公共交通機関の利用がおすすめです。混雑を避けたいなら、開門直後の午前中の早い時間帯が比較的ゆったり見学できます。
※上記の料金・営業時間・アクセス情報は2026年6月時点のものです。料金改定や臨時休館などで変更される場合があります。お出かけ前に、必ず国宝松本城 公式サイト(https://www.matsumoto-castle.jp/)で最新情報をご確認ください。
松本城・城めぐりについてもっと詳しく知りたい人へ

松本城をもっと深く知りたい人、城めぐりを趣味にしたい人におすすめの本を紹介するよ!現地に行く前に読んでおくと、見どころがぐっと変わってくるよ。
よくある質問(FAQ)
最後に、松本城についてよく寄せられる質問をまとめました。訪れる前の疑問を、ここで解消しておきましょう。
大人は電子チケット1,200円・紙チケット(当日券)1,300円、小・中学生は400円(電子・紙共通)、小学生未満は無料です。(2026年6月確認)
天守の観覧だけなら約45〜60分(公式目安)、お堀の周りの外周散策まで含めると2〜3時間が目安です。桜のシーズンやGWなど混雑時は、天守内に入るまで待ち時間が出ることもあります。
外壁の下部に黒漆塗りの下見板が張られているためです。築城された安土桃山時代は、豊臣秀吉が好んだ黒い城が各地に建てられた時期で、松本城もその流れをくんでいると考えられています。黒い外観から「烏城(からすじょう)」の愛称で呼ばれることもあります。
いずれも国宝に指定された現存天守ですが、姫路城は白漆喰で覆われた白い「白鷺城」、松本城は黒い下見板の「烏城」と、対照的な外観が特徴です。また、姫路城や彦根城が丘や山を利用した城なのに対し、松本城は現存12天守で唯一の平城(平地に建つ城)です。
松本城の管理事務所や売店で購入できます。通常版のほか、季節や行事に合わせた限定デザインが登場することもあります。販売場所・価格・デザインは時期によって変わるため、最新情報は国宝松本城の公式サイトでご確認ください。※御城印の詳細はPhase4でファクトチェックのうえ確定します。
桜の季節(4月上旬)やGW、お盆、紅葉シーズンは特に混み合います。比較的ゆったり見学したいなら、開門直後の午前中の早い時間帯や、平日の訪問がおすすめです。天守内の急な階段は、混雑時は上り下りに時間がかかるため、時間に余裕をもって訪れると安心です。
まとめ|国宝・松本城の歴史と見どころ
松本城は、黒い天守の美しさだけでなく、石川数正の人間ドラマや、市民が守り抜いた保存運動など、知れば知るほど奥深い魅力をもつ城です。最後に、この記事のポイントを振り返っておきましょう。

以上、国宝・松本城の歴史と見どころのまとめでした!石川数正の人間ドラマと、市民が城を守った保存運動を知っておくと、実際に訪れたときの見え方がぐっと変わるよ。下の記事で姫路城や彦根城など、ほかの名城の解説もあわせて読んでみてね!
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1504年ごろ深志城が築かれる(小笠原氏の支城として)
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1550年武田信玄、深志城を攻略。信濃支配の拠点に
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1582年本能寺の変後、小笠原貞慶が奪還・「松本城」と改称
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1585年石川数正、徳川家康のもとを離れ豊臣秀吉に出奔(天正13年11月)
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1590年小田原征伐後、石川数正が松本城主となる(信濃10万石)
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1596〜1597年ごろ石川康長(数正の子)が大天守・乾小天守を完成(年輪年代調査による)
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1633年(寛永10年)月見櫓・辰巳附櫓が増築(松平直政の代)
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1873年廃城令により解体・競売にかけられる危機
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1873〜1877年市川量造ら市民が「筑摩県博覧会」を開催・城を買い戻す
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1952年国宝に指定される
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現在長野県有数の観光地として多くの人が訪れる
あわせて読みたい記事
Wikipedia日本語版「松本城」(2026年6月確認)
コトバンク「松本城」(デジタル大辞泉・日本大百科全書)(2026年6月確認)
国宝松本城 公式サイト(https://www.matsumoto-castle.jp/)(2026年6月確認)
山川出版社『詳説日本史』
記事の誤りを発見された場合はお問い合わせください。確認後、修正します。





