
今回は名古屋城について、歴史・見どころ・アクセスまでわかりやすく丁寧に解説していくよ!修学旅行で行く前にも、観光で訪れる前にも、ぜひ読んでみてね!
📚 この記事のレベル:中学歴史 / 修学旅行・観光計画にも対応
📅 掲載情報:2026年6月確認(名古屋城公式サイトより)
「金鯱といえば名古屋城」——誰もが知っているこの名城ですが、実は2018年から天守閣の中には入れません。「えっ、天守に入れないの?」と思った方も多いのではないでしょうか。
でもご安心を。天守の中に入れない今だからこそ、名古屋城は最高に見応えがあるんです。江戸時代の空気をそのままに再現した本丸御殿は、日本屈指の豪華絢爛な建物。この記事では、名古屋城の歴史・見どころ・アクセスを、修学旅行や観光の前に知っておきたいポイントを中心にまるごと解説していきます。
名古屋城とは?
- 徳川家康が1610年に築城を命じた尾張徳川家の居城で、国の特別史跡に指定された名城
- 天守閣は2018年5月から木造復元工事のため中に入れない(外観や金鯱は見学できる)
- 本丸御殿は2018年に全棟完成。江戸時代の絢爛豪華な障壁画を間近で鑑賞できる

名古屋城は、愛知県名古屋市の中心部にそびえる巨大な城です。徳川家康が1610年に築城を命じ、息子で初代尾張藩主となった徳川義直の居城となりました。
江戸幕府を開いた徳川家にとって、名古屋は東海道をおさえる重要な拠点。「尾張名古屋は城でもつ」ということわざがあるほど、城は街の象徴であり続けてきました。
金色に輝く金鯱を頂く天守は、名古屋のシンボルそのもの。1945年の空襲で一度は焼け落ちたものの、現在の名古屋城は再建・復元によってよみがえり、特別史跡として大切に守られています。

修学旅行で名古屋城に行くんだけど、天守閣に入れないって本当?じゃあ何を楽しめばいいの?

本当だよ。でも本丸御殿が超おすすめなんだ!江戸時代の超豪華な内装がそのまま再現されてて、むしろ今の名古屋城の一番の見どころ。天守の外観や金鯱もちゃんと見られるから、行く価値は十分すぎるくらいあるよ!
名古屋城の歴史

■ 那古野城と信長の幼少期
名古屋城が建てられる前、この場所には那古野城という別の城がありました。読み方は同じ「なごや」ですが、漢字が違うので注意です。
この那古野城は、戦国大名の織田信長が幼少期を過ごした城として知られています。信長の父・織田信秀が今川氏からこの城を奪い取り(1530年代後半頃・諸説あり)、一時は信長が城主を任されていました。つまり名古屋城のある場所は、信長ゆかりの土地でもあるんですね。
その後、那古野城は廃城となりますが、約60年の時を経て、同じ土地に新たな巨大な城が築かれることになります。それが現在の名古屋城です。
■ 徳川家康による築城(1610年)
1610年、江戸幕府を開いた徳川家康は、九男の徳川義直の居城として名古屋城の築城を命じました。家康はなぜ、わざわざ名古屋に巨大な城を築いたのでしょうか。
最大の理由は、西国の大名(豊臣方の勢力)への備えです。当時はまだ大坂城に豊臣秀頼が健在で、徳川家にとって西日本の大名は油断ならない相手でした。東海道の要所である名古屋に堅固な城を築くことで、いざというときの防衛拠点にしたのです。
築城にあたって家康が用いたのが「天下普請」という方法でした。これは、全国の大名たちに費用や人員を負担させて工事を行わせるやり方です。加藤清正・福島正則ら20家もの大名が動員され、わずか数年でこの巨城が完成しました。
なぜ家康はわざわざ清須から名古屋へ移ったのでしょうか。じつは地形の問題が大きく影響していました。清須城は低地に建っており、水害や水攻めに遭いやすい弱点がありました。それに対して名古屋城が建てられた「名古屋台地」は、洪水に強い高台の地形。さらに港町・熱田に近く、水運・陸路ともに要衝を押さえられる絶好の立地でした。
そして1610年の築城と同時に、「清須越し」と呼ばれる大移転が行われました。武士・商人・職人・寺社など約60,000の人々と67の町・約100の寺社がごっそり名古屋へ引っ越してきたのです。現在の名古屋市中心部の街並みは、このときの都市計画がそのまま原型になっているといわれています。

西国の大名どもを抑えるには、尾張は絶好の地じゃ。そして天下普請で大名どもに銭を使わせておけば、謀反を企てる余裕も残るまい。城を一つ築くだけで、守りも固まり敵の力も削げる。一石二鳥よ。

天下普請っていうのは、今でいう「国が主導する公共事業」みたいなもの。ただし費用は大名たちが自腹で出すから、大名の財力をどんどん削れるんだ。家康はこの仕組みで、城を作りつつ反乱の芽もつぶしてたんだよ。賢いよね!
■ 加藤清正と石垣築造の伝説
名古屋城の築城といえば、必ず名前が挙がるのが加藤清正です。築城の名手として知られた清正は、天守台の石垣の工事を担当したと伝えられています。
巨大な石を運ぶ際、清正が自ら石の上に乗って音頭をとり、人々を鼓舞したという「石曳き」の逸話は特に有名です。ただし、これは後世に語り継がれた伝承の側面が強く、史実としてどこまで確かかは諸説あります。実際の天守台の石垣は、別の大名が担当したとする記録も残っています。
とはいえ、清正の卓越した築城技術が名古屋城に活かされたことは間違いありません。現在も二の丸広場には加藤清正の像が立ち、当時の活躍をしのぶことができます。
石引きの伝承にはこんな詳細な話が伝わっています。遠方で切り出された巨石は船で熱田まで運ばれ、そこから木橇(きぞり)に乗せて何百・何千人もの人夫が引いて運んだといいます。清正はそのとき、美しく着飾った小姓たちとともに大石の上に乗り、酒を振る舞いながら綱引きの人々をはやし立てたと伝えられています。まるで祭礼のような賑やかさだったとか。
ちなみに、本丸東二之門を入ったところにある「清正石」と呼ばれる名古屋城最大の巨石(約八畳敷・推定重さ10トン)は、清正が運んだという伝承がありますが、じつはこの部分の石垣の担当は黒田長政とされており、後世に創作された説話だと研究者は見ています。伝説と史実が入り混じっているのも、名古屋城の面白さといえるでしょう。

この石垣を見てみよ!どんな大地震が来ようとびくともせぬ堅固さじゃ。石をどう積むかで城の命運は決まる。儂の技をもってすれば、これほどの石垣も造作もないわ!
■ 江戸260年・尾張徳川家の居城として
1612年に天守が完成し、家康の九男・徳川義直が尾張藩主に任じられました。家康の没後(1616年)に義直は名古屋城に正式入城し、初代尾張藩主として城を本拠地としました。尾張徳川家は、紀州・水戸とともに「徳川御三家」の筆頭とされる名門中の名門です。
義直は、父・家康が遺したこの巨大な城を尾張徳川家の誇りとして大切に守りました。以後、名古屋城は約260年にわたって尾張徳川家62万石の拠点となり、城下町・名古屋は東海地方随一の城下町として栄えていきます。江戸時代の参勤交代の仕組みのなかでも、尾張藩は別格の地位を占めていました。
その繁栄ぶりは、「尾張名古屋は城でもつ」ということわざにそのまま表れています。名古屋という街は、まさに名古屋城とともに発展してきたのです。
■ 空襲による焼失と再建(1945年・1959年)
江戸時代の天守と本丸御殿は、明治以降も国宝として大切に守られていました。ところが1945年5月14日、太平洋戦争末期の名古屋空襲(名古屋大空襲)により、天守閣と本丸御殿は炎上し、焼失してしまいます。日本を代表する名城が、一夜にして失われてしまったのです。
戦後、名古屋市民の強い願いを受け、1959年に鉄筋コンクリート造で天守閣が再建されました。エレベーターも備えた近代的な建物で、長らく名古屋のシンボルとして親しまれてきました。
さらに2009年からは、焼失した本丸御殿を江戸時代の姿そのままに復元する大事業がスタート。約10年の歳月をかけて、2018年に本丸御殿は全棟が完成しました。
■ 天守閣木造復元計画(2018年〜現在)
本丸御殿が完成した2018年5月、今度は天守閣が閉館となりました。理由は、1959年に再建された鉄筋コンクリート造の天守を、江戸時代と同じ木造で建て直すという壮大な計画が動き出したからです。
鉄筋コンクリートの天守は耐震性の問題を抱えており、これを機に「本物の木造天守を後世に残そう」という方針が決まりました。完成は2032年度以降を目指しているとされますが、計画はまだ進行中で、現在は天守の中には入れない状態が続いています。
📅 天守閣の最新情報:木造復元の完成時期は計画の進捗により変わる可能性があります。訪問前に名古屋城公式サイトで最新状況をご確認ください(2026年6月時点では天守内部は閉館中・外観の見学は可能)。
名古屋城の見どころ

「天守の中に入れないなら見るものがないのでは?」と心配する必要はまったくありません。名古屋城には、本丸御殿をはじめ、半日では足りないほどの見どころがそろっています。ここでは特に押さえておきたい6つのスポットを紹介します。
■ 本丸御殿(必見・復元完了)

名古屋城で今、最も熱いスポットがこの本丸御殿です。もともと尾張藩主の住まいや、将軍を迎えるための御殿として使われていた建物で、2018年に江戸時代の姿そのままに復元されました。
見どころは、なんといっても金箔をふんだんに使った障壁画。江戸時代を代表する絵師集団「狩野派」が描いた虎や豹、花鳥の絵が、復元によってよみがえっています。最新の研究と職人の技術を結集して、当時の絢爛豪華さが見事に再現されているんです。

本丸御殿の障壁画は、狩野貞信・狩野探幽ら狩野派の絵師たちが手掛けたもの。天井板絵を含む1,047面が現在も国の重要文化財に指定されています。
実はこの障壁画、1945年の空襲で焼け落ちた本丸御殿の建物とは違い、直前に疎開していたため奇跡的に焼失を免れました。1944年秋から名古屋市が主導して、犬山城の倉庫や周辺の寺院など複数の場所に分散して保管する「絵の疎開」を実施したのです。そのおかげで今日、約400年前の絵師たちの筆遣いを私たちが直接目にすることができます。
とりわけ、将軍専用の宿泊施設だった「上洛殿(じょうらくでん)」は、彫刻・天井・欄間まで贅を尽くした空間。「これが日本のお城の内装か」と圧倒されること間違いなしです。木の香りがまだ新しく残る、生まれたての文化財をぜひ間近で体感してください。


本丸御殿の内部って写真撮影はできるの?見学にどのくらい時間がかかるのかしら?

写真撮影は基本OKだよ(フラッシュや三脚はNG)。見学の所要時間は、じっくり回って30〜45分くらい。混雑時は入口で待つこともあるから、時間に余裕をもって行くのがおすすめ。最新のルールは公式サイトで確認してね!
■ 金鯱と天守外観

天守の中には入れませんが、外から眺める天守と金鯱は迫力満点です。名古屋城のシンボル・金鯱は、天守の屋根にきらめく金色の鯱。雄と雌の2体が一対になっていて、火事から城を守る守り神として置かれています。
現在の金鯱(1959年再建版)には、18金の金板が雄雌2体あわせて約88kg使われています。細かいデータをいうと、雄の金鯱は高さ約2.62m・重さ約1,272kg・ウロコの枚数112枚、雌は高さ約2.58m・重さ約1,215kg・ウロコの枚数126枚。なんと雌のほうがウロコの枚数が多いんです。まさに「金のしゃちほこ」の名にふさわしい豪華さですね。青空を背景に金色に輝く姿は、写真スポットとしても大人気です。
この金鯱、じつは何度も「受難」を経験してきました。江戸時代には、尾張の伝説的な盗賊・柿木金助が大凧に乗って天守に上り、金鯱の鱗を盗もうとした……という伝説が語り継がれています(実際にどこまで史実かは諸説あります)。また、江戸時代中期には財政難のため、金鯱の金板を3度にわたって改鋳して金の含有量を下げるという「身削り」が繰り返されました。
明治時代になると、1872年(明治5年)に雄の金鯱が東京・湯島聖堂で開かれた日本初の博覧会に出展。その翌年にはウィーン万博に雌の金鯱が送られ、庶民は初めて地上で間近に金鯱を見上げることができました。1879年(明治12年)に2体が名古屋城天守に戻るまで、日本・ヨーロッパでひと役買ったのです。
💡 金鯱の豆知識:金鯱は雄と雌の一対で、北側に雄、南側に雌が飾られています。ウロコの枚数は雄112枚・雌126枚と雌のほうが多く、雄のほうが体は少し大きい(重さも約57kg重い)。じっくり見比べてみるのも面白いですよ。
■ 三つの隅櫓(重要文化財)

隅櫓とは、城の角に建てられた見張り台・防御施設のこと。名古屋城には東南隅櫓・西南隅櫓・西北隅櫓の3基が現存しており、いずれも国の重要文化財に指定されています。
これらの櫓は、1945年の空襲をくぐり抜けて焼け残った貴重な建物です。つまり江戸時代から本物のまま残っている数少ない遺構。再建された天守とは違い、400年前の職人の技をそのまま見られる点で歴史的価値は計り知れません。城を歩く際は、ぜひ櫓にも目を向けてみてください。
■ 二の丸庭園

二の丸庭園は、江戸時代に尾張藩主のために造られた大名庭園です。池や築山を配した優雅な回遊式庭園で、国の名勝にも指定されています。
春には桜、秋には紅葉が美しく、季節ごとに違った表情を見せてくれます。歴史散策の合間にひと息つくのにぴったりの、名古屋市民にも愛される憩いのスポットです。
■ 加藤清正像
二の丸広場には、築城の功労者・加藤清正の像が立っています。大きな石の上に立ち、采配を振るう勇ましい姿は、名古屋城築城の伝説を今に伝えるモニュメント。記念撮影スポットとしても人気です。
清正の生涯や、有名な「虎退治」のエピソードについては、別の記事でくわしく解説しています。あわせて読むと、名古屋城めぐりがもっと楽しくなりますよ。
■ 金シャチ横丁(グルメ・お土産)
名古屋城の外、正門前と東門前にあるのが「金シャチ横丁」です。正門エリアの「義直ゾーン」と、東門エリアの「宗春ゾーン」という2つのエリアに分かれています。
ここでは、ひつまぶし・味噌カツ・天むす・きしめんといった定番の名古屋めしが勢ぞろい。城の見学とあわせてグルメも楽しめる、観光客にうれしいスポットです。お土産屋さんもあるので、修学旅行のおみやげ選びにもぴったり。入場料はかからないので、城に入らなくても気軽に立ち寄れます。

金シャチ横丁でおすすめのグルメは?混雑を避けて行くとしたら何時頃がいいのかしら?

名古屋めしを一気に味わうなら、まずはひつまぶしや味噌カツが鉄板だね!お昼の12時前後はどうしても混むから、開園直後の午前中か、14時以降の遅めランチが狙い目。観光のスタートに食べるか、帰り際に食べるかで時間をずらすと快適だよ!
修学旅行・観光のモデルプラン
名古屋城は城域がとても広いので、効率よく回るには順路の計画が大切です。ここでは見学所要時間の目安と、修学旅行・観光それぞれにおすすめのモデルプランを紹介します。
■ 見学所要時間の目安
⏱ 見学所要時間の目安
本丸御殿のみ:約30〜45分
名古屋城全体(本丸御殿+外周+二の丸庭園):約1.5〜2時間
金シャチ横丁グルメも含める場合:約2.5〜3時間
■ 修学旅行おすすめ順路
限られた時間で見どころを押さえるなら、正門入場 → 本丸御殿 → 天守(外観で記念撮影) → 加藤清正像 → 二の丸庭園 → 金シャチ横丁の順がおすすめです。本丸御殿を最優先にすると満足度が高くなります。
修学旅行の班別行動では、最初に本丸御殿に直行するのがコツ。人気スポットなので、午後になると混みやすいからです。最後に金シャチ横丁でお土産を買って集合場所に向かえば、時間も読みやすくなります。

班別行動で名古屋城に行くんだけど、2時間しかないんだ。何を優先すればいい?

2時間なら「本丸御殿+天守の外観」が最優先!本丸御殿は45分あればゆっくり回れるよ。残り時間で加藤清正像を見て、金シャチ横丁でお土産を買う——これが黄金コースだね。歩き回るから動きやすい靴で行くといいよ!
■ 周辺観光との組み合わせ
名古屋城のまわりには、あわせて訪れたい観光スポットがたくさんあります。尾張徳川家ゆかりの宝物を集めた「徳川美術館」、名古屋のランドマーク「中部電力 MIRAI TOWER」、三種の神器のひとつを祀る「熱田神宮」などが代表格です。
名古屋城+徳川美術館で「尾張徳川家」をテーマに半日、名古屋城+熱田神宮で「歴史と神社」をテーマに1日——といったように、組み合わせ次第で旅の楽しみが大きく広がります。御朱印を集めている方は、後述する那古野神社や熱田神宮もチェックしてみてください。
名古屋城へのアクセス・拝観情報
📍 所在地:愛知県名古屋市中区本丸1-1
⏰ 開園時間:9:00〜16:30(本丸御殿への入場は16:00まで)
🗓 休園日:12月29日〜31日・1月1日
💴 観覧料(大人):500円
💴 観覧料(中学生以下):無料
💴 観覧料(名古屋市在住65歳以上):100円
☎ 電話:052-231-1700
※ 名古屋城公式サイトより(2026年6月確認)。最新情報は公式サイトにてご確認ください。
⚠️ 2026年10月1日より観覧料が改定予定:大人1,000円(現行500円)、名古屋市内高齢者300円(現行100円)に変更予定。(名古屋城公式サイト「観覧料・駐車場料金の改定について」2026年3月発表)
🚇 電車でのアクセス
名古屋市営地下鉄 名城線「名古屋城」駅 7番出口 から徒歩5分
名鉄 瀬戸線「東大手」駅 から徒歩15分
🚌 バスでのアクセス
名古屋市バス 栄13号系統「名古屋城正門前」停留所 すぐ
名古屋観光ルートバス「メーグル」「名古屋城」バス停 下車すぐ
📅 2026年6月時点の情報です。観覧料・営業時間は変更になる場合があります。最新情報は名古屋城公式サイトにてご確認ください。
名古屋城についてよくある質問
2018年5月7日から天守閣への入場ができなくなっています。木造での天守復元工事のため閉館となっており、2032年度以降の完成を目指しています。現在も外観の見学と金鯱の観賞は可能です。
大人500円、中学生以下は無料です。名古屋市在住の65歳以上の方は100円です(2026年6月時点・名古屋城公式サイトより)。なお、2026年10月1日より大人1,000円・高齢者300円に改定予定です。最新情報は公式サイトでご確認ください。
名古屋城は神社・寺院ではないため、御朱印の授与は行っていません。御朱印をいただきたい場合は、名古屋城の近くにある「那古野神社」や、名古屋の総鎮守「熱田神宮」へどうぞ。
平日の開園直後(9:00〜10:00頃)が比較的ゆったり見学できます。桜の季節(3月下旬〜4月)やゴールデンウィーク、修学旅行が集中する5月・10月は混雑しやすいので、その時期は午前中早めの訪問がおすすめです。
正門前駐車場(普通車308台)と二の丸東駐車場(普通車123台)の2か所があります。繁忙期は満車になる場合があるため、公共交通機関(地下鉄名城線「名古屋城」駅)のご利用がおすすめです。
金シャチ横丁は名古屋城の外(正門前・東門前)にある飲食・物販施設のため、入場料は不要です。名古屋城を見学する前後に立ち寄ることができます。各店舗での飲食・購入は別途料金がかかります。
まとめ:名古屋城はなぜ今でも必見の名城なのか

以上、名古屋城のまとめでした!天守の中に入れなくても、本丸御殿や金鯱、櫓に庭園と、見どころは盛りだくさん。むしろ復元したての本丸御殿が見られる今は、絶好のタイミングなんだ。下の記事で徳川家康や加藤清正のこともあわせて読んでみてね!
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1532〜1538年頃那古野城を織田信秀が占拠(信長の父)※占拠の時期は諸説あり
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1610年徳川家康が名古屋城の築城を命じる(天下普請)
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1612年天守が完成。初代尾張藩主・徳川義直の居城に
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1615年本丸御殿が完成
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1930年天守・本丸御殿などが国宝に指定(旧国宝法)
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1945年5月14日名古屋大空襲で天守閣・本丸御殿などが焼失
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1959年鉄筋コンクリートで天守閣を再建
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2018年本丸御殿が全棟復元完成。同年5月に天守閣を閉館
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2032年度以降(予定)木造天守閣の完成・一般公開を目指す
📅 最終確認:2026年6月 / 参照:名古屋城公式サイト・Wikipedia日本語版
名古屋城公式サイト(2026年6月確認)
Wikipedia日本語版「名古屋城」(2026年6月確認)
コトバンク「名古屋城」(デジタル大辞泉・日本大百科全書)
山川出版社『詳説日本史』
記事の誤りを発見された場合はお問い合わせください。確認後、修正します。




