(出典:wikipedia「唐招提寺」 原典・著作:663highland)
奈良と言えば、東大寺や法隆寺、奈良公園が有名ですよね。
しかし、奈良にはそれ以外にも隠された名所がたくさんあります。そんな隠れた奈良の観光名所の1つである唐招提寺(とうしょうだいじ)についての豆知識を紹介します。
唐招提寺は鑑真(がんじん)が建立した!
唐招提寺は、鑑真という唐からやってきた僧が建立しました。外国人が建てた寺ということですね。
みなさん、鑑真という人物が何をした人か知っているでしょうか?
実は、誰でもわかる鑑真来日の感動物語【なぜ日本に戒律を伝えたのか】という記事で鑑真について紹介しています。鑑真について知らない方は、まずは上の記事を読んでみてください!
唐招提寺を造った鑑真がどれだけ苦難の人生を歩んできたかがわかるはずです。そして鑑真が不屈の精神の持ち主であることも。
時代は奈良時代の752年。鑑真は、5回もの渡航の失敗と疫病による失明という多くの苦難に立ち向かい、ようやく日本へやってくることができました。
日本での生活
鑑真が日本に来た目的は、仏教界で正式な僧に与えられる戒律を日本に伝えるためでした。来日してから数年間は、戒律を伝えるため忙しい毎日を送ります。
有名な聖武天皇や当時の天皇である孝謙天皇も、鑑真から戒律を授かったと言われています。鑑真は日本の仏教界の最高位である「大僧都」(だいそうず)という地位を与えられました。
天皇たちから抜群の信頼を得ていたことがわかりますね。(当時は、政教分離と言う概念がなく仏教は国営です。国の支持無くして仏教界の最高位にはなれませんでした。)
そうて日本にやってきてから6年後の758年、「今までの働きに感謝する。これからは自由に仏教を伝えてほしい」という国からの意向により、大僧都の任を解かれ自由の身となったのです。日本に来るまでに10年、日本に来てから6年の計18年間を費やした大仕事を遂に終えた鑑真。ようやく安息を得て、穏やかな日々を過ごしていたことと思います。
任を解かれた翌年の759年、孝謙天皇という天皇から、とある皇族の旧邸宅跡を譲られます。
その譲られた旧邸宅に鑑真が造ったものが唐招提寺だったのです。唐招提寺は、偉業を成し遂げた鑑真が、残りの余生を仏教信仰に捧げるために造られたお寺なのです。
さて、次は仏閣の話に移ります。
本当に手が1000本!?珍しい千手観音菩薩像
自分の一番のお勧めは唐招提寺の千手観音菩薩像です!
まずは、千手観音菩薩とは?を説明する必要がありますね。
千手観音菩薩って何?
千手観音は、観音菩薩の変化形の1種で、人々を救う慈悲の仏さまです。
観音菩薩は、人々を救うため様々な姿に変化して、人々の前に現れます。そして、人々を救うための最強形態が、千手観音菩薩なのです。
なぜ千本も手があるかというと、どんな人であっても救いの手を差し伸べる!ということを意味しています。(その他、人々を救うための道具もたくさん持っている・・・)
要約すると、めちゃくちゃ人々を救ってくれる仏さま!という感じです。
【千手観音菩薩についてはこちらの記事も参考にどうぞ!】
京都観光の前に知っておきたい仏像の豆知識その2
千手観音なのに普通は手が42本しかない
多くの千手観音菩薩像は、実は手が42本しかありません。
「千手観音って言ってるじゃん。千手って嘘か!!」と思うかもしれませんが、実はちゃんと裏の設定があります。
実は、一本の手で25の世界を救うという設定なのです。ということは・・・40本×25世界でちょうど1000になります!
手は42本ありますが、2本は普通の手のため人々を救うパワーが備わっていないため、40本で計算します(汗
一応、42本しか手がなくても千手観音菩薩になることができるわけです。
納得できない方もいるかもしれませんが安心してください。
なんと唐招提寺の千手観音菩薩は本当に千本の手があるのです!!
圧巻の唐招提寺の千手観音菩薩!!
上図、唐招提寺の千手観音菩薩には、本当に手が1000本あります。(厳密には壊れた手を除いて950ぐらい)
千手観音といえば、三十三間堂などが有名ですが、本当に手が千本ある千手観音菩薩に会えることはそう多くありません。まさに超レア仏像!!
その見た目は、まさに圧巻です。
繰り返しますが、千手観音菩薩は人々を救うための仏さまです。千本の手を持つこの千手観音菩薩の前で祈りを捧げれば、本当に悩める心の中へ救いの手が差し伸べられるかもしれませんね。
もう1つの見どころ!廬舎那仏坐像
(出典:wikipedia「唐招提寺」 原典・著者:Mstyslav Chernov/Unframe/unframe.com)
廬舎那仏は、(るしゃなぶつ)と呼びます。
聖武天皇が造立したあの有名な東大寺の奈良の大仏も廬舎那仏です。
【廬舎那仏について詳しく知りたい方はこちらの記事もどうぞ!】
知らなきゃ損する!東大寺を100倍楽しむ豆知識
唐招提寺の廬舎那仏の凄いところは、仏像の後ろの光背(こうはい)にあります。
光背は、仏のうち如来様が発する輝かしい光のことを表現しています。
光背は、仏像の威厳を高めるための必需品であり、観光で如来像を見に行くとほとんどの仏像に光背が付いているはずです。気になる方は確かめてみてください♪
光背にひしめく千体の釈迦如来たち
唐招提寺の廬舎那仏の光背には、千体もの釈迦如来たちがひしめいています。これを化仏(けぶつ)と言います。(厳密には、壊れた化仏もいるので900体前後らしい)
釈迦如来は、悟りの開くための仏さまです。唐招提寺の光背には、光が差し広がっていくようにお釈迦様の教えも広まってほしいという鑑真の願いが込められています。
壮大な仏パワーを感じますね!!
【如来って何?釈迦如来って何?という方はこちらの記事を見てみてください!】
京都観光の前に知っておきたい仏像の豆知識
ちなみに、東大寺の廬舎那仏を比べてみましょう!
奈良の大仏では、光背十数体しかありません。(その代わりでかいです!)
数だけみれば、唐招提寺の光背の数の方が圧倒的に多いのです。
千手観音菩薩の千本の手と相まって、光背の千体の化仏もまた、圧巻です。
日本最古の肖像彫刻、鑑真和上坐像
実は唐招提寺にある鑑真の肖像、現存する日本最古の肖像彫刻なんです。日本最古の肖像が、唐からきた鑑真というのはなんだか不思議な感じがしますね!
今では日本の至る所に存在する、肖像。その日本の肖像彫刻の原点が、この鑑真和上坐像にあると思うと胸熱です・・・!
ちなみに、鑑真和上坐像の「和上」というのは尊称です。
鑑真は、波瀾万丈の人生でした。しかし、現在まで残る鑑真和上坐像の鑑真はとても穏やかな達観した表情をしています。
鑑真の人生を振り返り、鑑真坐像に「お疲れさま!」と心の中で祈るのが通な楽しみ方だと勝手に思ってます。
※鑑真の生涯について詳しく知りたい方は、誰でもわかる鑑真来日の感動物語【なぜ日本に戒律を伝えたのか】の記事を参考にどうぞ!!
【注意!】鑑真和上坐像は、普段は見られない
鑑真和上坐像は、年に1回、6月上旬の3日程度の期間しか見ることのできない非常にレアな坐像です。
どうしても鑑真の肖像を見たい!という方は、6月上旬に時期を絞りましょう!!
さいごに
法隆寺、東大寺の陰に隠れてしまい、あまり知名度は高くないかもしれませんが、唐招提寺は間違いなく隠れた名所です。
最近、外国人観光客も増え、有名な神社仏閣は大変混雑しています。そんな中、お寺を静かにまったりと楽しみたいという方にとっては、唐招提寺はまさに穴場スポットではないかと思います。
ぜひ!奈良に行かれる場合は足を運んでみてください。
コメント
はじめまして、いつも拝見しております
初詣に唐招提寺にいって参りました
そこで、行基の像があったのですが、
鑑真と行基はなにか関係性があるのでしょうか?
ご存知でしたら教えて頂きたいです
コメントありがとうございます!
鑑真が来日したとき、行基は既に他界しているので、直接的な接点はありません。鑑真来日は754年、行基の死は749年なので、5年のズレがあります。ただし、間接的な関係は私も把握しておりません。接点と言えば、2人とも聖武天皇へ受戒をしているという点がありますが、唐招提寺に像がある理由ではないと思います。行基は生前の人気や偉業から死後も「行基菩薩」と呼ばれ、行基自身が信仰の対象となっています。wikipediaを見るとわかりますが、日本各地に行基にまつわる逸話が残されています。そのような信仰の中で、後世に唐招提寺にも行基像が造られたものと思います。
あまり自信がありませんが、少なくとも直接的な関係がないのは間違いありません。