さて、前回(清少納言の枕草子を読むなら藤原定子のことを絶対に知っておけ!)は枕草子「大進生昌が家に、〜」を解説する前段として、清少納言が仕えていた藤原定子という人物の話をしました。
枕草子は、短編集ですが、数あるお話の中から、私が読んで特に面白い!と思った「大進生昌が家に、〜」の段について解説しようと思います。この記事を読む前に前回の記事で予習をしておいてください!
一応、前回の記事でも載せた人物表を載せておきます。参考としてご利用ください。
悲しき定子の境遇
(原文)
大進生昌が家に、宮の出でさせ給ふに、東の門は四足になして、それより御輿は入らせ給ふ。
999年、一条天皇の子を妊娠した藤原定子は、出産のため内裏を出て中宮大進という役職の平生昌の元へ向かうことにしました。
定子は一条天皇の妃であり中宮と呼ばれていました。そして、朝廷内では中宮職(ちゅうぐうしき)という中宮に関する事務、お世話をする部署がありました。
中宮職は、偉い順に中宮大夫(ちゅうぐうだいぶ)、中宮亮(ちゅうぐうのすけ)、中宮大進(ちゅうぐうたいじょう)となっています。
なぜ中宮大夫の家にいかないの?
実は、この冒頭の文章から定子の抱える深い闇を垣間見ることができます。定子が妊娠のために向かったのは中宮大進という役職だった平生昌のところでしたが、なぜもっと役職が上の中宮大夫の下へ行かなかったのでしょう。
詳しくは前回の記事(清少納言の枕草子を読むなら藤原定子のことを絶対に知っておけ!)を参考にして欲しいのですが、定子は一度出家した身。出家者とはいわば、家を捨てた者ですから、そのような者が内裏(天皇のいる場所)の中へ入ることは一般的にタブーとされていましたが、一条天皇の強い意向もあり半ば無理やり定子を参内させていました。
このような事情があるため、定子の参内に批判的な意見も多く、どうやら定子の下で働く中宮職はあまりいなかったようで、中宮大夫もいなかったようです。定子は再び内裏に戻ることはできたものの、昔のような栄光は既になく、おそらく内裏の中でも肩身の狭い思いをしていたことでしょう。(定子が凋落している間に、一条天皇に急接近し力をつけたのが藤原彰子という人物で、源氏物語を書いた紫式部が仕えた人物になります。)
中宮大夫ではなく中宮大進の下へ行かざるを得なかったところに定子の複雑な状況を察することができます。
そんな状況の中で枕草子の物語は進んでいきます。
家が貧相だからリフォームすんぞ!
中宮大進という役職は、決して身分の高い役職ではなかったため平生昌の家はそこまで立派な家ではありませんでした。
そんな家に定子が来るということで、生昌は門をリフォームすることにしました。なぜかというと、定子は一条天皇の妃ですから、当然御輿(みこし)に乗って来るわけです。ということは!、御輿がちゃんと通れて、しかも中宮が通るに相応しい門にリフォームする必要があったのです。それが原文中の「東の門は四足になして」という部分。門の柱を4つにして門を立派にしていたのです。
女房「家が貧相なせいで恥をかいたわ!」
(原文)
北の門より、女房の車どもも、まだ陣のゐねば、入りなむと思ひて、
定子が平生昌の家に行くということで、定子の世話人も一緒に生昌の家に行くことになりました。この世話人のことを「女房」と言います。中宮の女房ということで身分の高い人たちが多かったわけですが、「人に見られるのが嫌だから門番が来る前に北門からこっそりと入ってしまおう・・・」と思ったわけです。
(原文)
頭つきわろき人も、いたうも繕はず、寄せて下るべきものと、思ひあなづりたるに
女房たちは、御輿で生昌邸へ入る予定でしたが、どうせ建物の入り口ギリギリのところで降ろしてもらう予定だから誰にも見られないわ!・・・と御輿の揺れで乱れた髪を繕(つくろ)うこともしていませんでした。
これが女房たちにとって大きな誤算となります。
(原文)
檳榔毛の車などは、門ちひさければ、さはりてえ入らねば、例の、筵道敷きて下るるに、いと憎く腹立たしけれども、いかがはせむ。殿上人、地下なるも、陣に立ちそひて見るも、いとねたし。
ところが、北の門は小さかったため、女房たちの御輿が入りません。緊急事態!
どうしようもなくなった女房たちは仕方なく、道に敷物を敷き、その上を歩いて生昌邸へ入ることになりました。そのみすぼらしい様や乱れた髪を見られることになることがとても憎らしいし腹立たしいが、もはやどうしようもない。身分の高い人・低い人多くの人に見られてとても癪に触る出来事でした。
清少納言の雑談
(原文)
御前に参りて、ありつるやう啓すれば、「ここにても、人は見るまじうやは。などか、さしもうちとけつる」と、笑はせ給ふ。
清少納言は、この時の女房の話を定子にしてみました。すると定子は「あらあら、そもそも邸内でもいろんな人に見られるかもしれませんわよ。なぜ、そんなにも気をお許しになっていたのですか。」と笑って言います。
ディスられる生昌
(原文)
「されど、それは、目馴れにてはべれば。よく仕立ててはべらむにしもこそ、驚く人もはべらめ。」
「さても、かばかりの家に、車入らぬ門やはある。見えば笑はむ」などいふ程にしも、
「これ、参らせ給へ」とて、御硯など差し入る。「いで、いとわろくこそおはしけれ。など、その門はた、狭くは造りて住み給ひける」といへば、笑ひて、「家のほど身のほどにあはせてはべるなり」といらふ。と
「そうは言っても、生昌邸の人たちは、あなたたちのことを見慣れていますから、あまりに身繕いをしすぎると、逆に驚かれてしまいますわ。」と答え、その後、清少納言は女房たちと「それにしても、これほどの家なのに御輿が入らない門があるなんて、今度生昌に会ったら笑ってやりましょう」と話をしていました。
すると、ちょうどタイミングよく?当事者である平生昌がやってきました。
「あの・・・宮様(定子)にこれをどうぞお渡しください」と生昌は、清少納言に箱を渡しました。すると清少納言はこんなことを言います。「なんとタイミングの悪い!ところで、なぜ北の門はあんなに狭いのですか?」生昌は笑って「身の丈にあった家ですから」と答えます。
博識な清少納言
(原文)
「されど、門の限りを高う造る人もありけるは」といえば、「あな、おそろし」とおどろきて、「それは、于定国がことにこそはべるなれ。旧き進士などにはべらずは、うけたまはり知るべきにもはべらざりけり。たまたまこの道にまかり入りにければ、かうだにわきまへ知られはべる」といふ。「その御道も、かしこからざめり。筵道敷きたれど、皆おちいりさわぎつるは」といへば、「雨の降りはべりつれば、さもはべりつらむ。よし、よし。また仰せられかくることもぞはべる。まかり起ちなむ」とて、往ぬ。「何事ぞ。生昌がいみじう怖ぢつる」と、問はせ給ふ。「あらず。車の入りはべらざりつること言ひはべりつる」と申して、下りたり。
清少納言「でも、門だけを高く造った人もいたではありませんか」
生昌「いやー、恐れ入りました。それは于定国のことですね。年功を積んだ者でなければ、そのようなことは普通わかりませんよ。私もたまたま漢字の道に携わっているものですから、故事で聞いたことがあるぐらいなんですよ」
清少納言「あなたの道も大したものではございませんわね。ここへ来る途中(御輿が入らないから)敷物を敷いて道を歩きましたが、凸凹すぎて大慌てしたものですよ。」
と生昌をからかうと、生昌は「雨が降ったので、そのようなことがあったのかもしれませんな。よしよし、これ以上何か言われるとたまりませんから、そろそろ退散しますかな」と言ってその場を離れました。
おそらく、その場を離れた生昌とすれ違いでもしたのでしょう。定子がやってきて清少納言にこんなことを言います。「何かあったのでしょうか?生昌が大層怖がっていましたよ」
すると清少納言は「何もありませんでしたわ。ただ、門が狭いという話をしていただけです。」と話をしてその場を後にしました。
博識でウィットに富む清少納言
以上が、今回紹介する枕草子の内容になります。生昌との冗談を交えた会話や、于定国(中国の人)の話をするところなんかは、清少納言のユーモアと知的さを感じることができますね。
実はこの時、定子はとてもこんな冗談を言ってるような場合ではありませんでした。
藤原道長の嫌がらせ
定子は一条天皇の妃(中宮)です。中宮が妊娠をし、そのために内裏から他の家へ引っ越すのですから、通常であれば多くの貴族たちが中宮のところへ馳せ参じるはずでした。
しかし、これを妨害した人物がいます。それが藤原道長です。
藤原道長は定子の兄である藤原伊周を蹴落として権力の頂点に立った男です。道長は定子に代わって自分の娘である藤原彰子を一条天皇の妃にしようと考えていたので、定子の存在は邪魔以外の何者でもありませんでした。
藤原道長は、定子が生昌邸に行く日をあえて選んで、宇治の別荘(その後、平等院鳳凰堂が建立する場所です)へと遊びに出かけます。道長は当時の最高権力者であり、貴族たちも道長が定子を疎ましく思っていることを知っていました。定子の生昌邸入りも道長の宇治への旅行も貴族たちにとっては一大イベント。貴族たちは、どちらに参加するかを考えなければなりません。・・・何が言いたいかというと、道長は貴族達に「定子を選んだらどうなるかわかってるよな?」と無言の圧力をかけていたのです。
結局、道長と同行する人は多くはなかったものの、道長と敵対したくない貴族たちは定子の下へ行くこともしませんでした。こうして、本来ならば華やかな行事になるはずの定子の生昌邸入りは、とても質素で寂しいもので終わってしまいました。
明るすぎる枕草子
生昌の身分の低さや門が小さい話、そしてこの藤原道長の嫌がらせの話を全て合算してみると、今回紹介した枕草子「大進生昌が家に、〜」の段は、皮肉さを感じてしまうほどに明るいです。
おそらく、定子や清少納言はとても惨めな思いをしたはずです。枕草子「大進生昌が家に、〜」の段は、冗談も交えた明るい話が多いですが、随所随所に定子の不遇さがにじみ出ています。おそらく、清少納言はあえて一辺倒に明るい話にはせず、明るさの中に不遇・惨めさといったスパイスを加えることで、絶妙なユーモアを表現したのだと私は勝手に思っています。これこそが、まさに「をかし」の文学だと思います。
まとめ
枕草子を初めてちゃんと読みましたが、これはとても面白い!源氏物語も少しだけ読んだことがありますが、私は枕草子の方が好きかもしれない。枕草子は文量は多いですが、短編集なのでとても読みやすいですし、内容もほのぼの系の話が多くてとても癒されます。(源氏物語は全部読んでいませんが、ドロドロとした感じがしました・・・)
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枕草子は有名な古典なので、多くの本が出版されています。手にとってみて気に入った本を読んでみるのが良いでしょう!
【次回】
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