埴輪(はにわ)とは?種類・意味・土偶との違いをわかりやすく解説

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埴輪
もぐたろう
もぐたろう

今回は埴輪はにわについて、わかりやすく丁寧に解説していくよ!「なぜ古墳に並んでいるのか」「土偶との違い」「テストに出るポイント」まで全部まとめたよ。

📚 この記事のレベル:中学歴史 / 高校日本史(基礎)
📖 山川出版『詳説日本史』準拠

この記事を読んでわかること
  • 埴輪(はにわ)とは何か・意味と定義
  • 円筒埴輪・形象埴輪の2つの種類と特徴
  • 埴輪がなぜ古墳に置かれたのか(目的・役割)
  • 弥生時代から古墳時代への埴輪の誕生の流れ
  • 土偶との違い(テスト頻出)

実は、埴輪は「ただのお墓の飾り」ではありませんでした——古代の人びとが、大切な人の葬式のために魂を込めて作り上げた「祈りのオブジェ」だったのです。

あのゆるくてかわいい顔にも、すべて深い意味がありました。1500年前の職人たちが、亡き王の魂を鎮めるために土をこね、火で焼き、古墳の周りにずらりと並べた——その想いを知ると、博物館の埴輪が急に「生きている」ように見えてきます。

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埴輪(はにわ)とは?

3行でわかるまとめ
  • 埴輪は古墳時代(3〜7世紀ごろ)に古墳の周りに並べられた素焼きの土器
  • 円筒埴輪形象埴輪の2種類があり、葬送の儀式に用いられた
  • 死者の魂を鎮め・聖域を区画するための「祈りのオブジェ」として作られた

埴輪はにわとは、古墳時代(およそ3世紀後半〜7世紀ごろ)に、王や豪族の墓である古墳の周りに並べられた素焼きの土器のことです。

日本の埴輪(古墳時代)
出典:Ka23 13(CC BY-SA 4.0)via Wikimedia Commons

「はに」は赤茶色の粘土(埴)のことを指し、「わ」は輪のように並べる・容器を意味するといわれます。粘土をこねて野焼きで焼き上げ、古墳の墳丘の上や周りにずらりと並べる——それが埴輪のスタイルでした。

もぐたろう
もぐたろう

埴輪っていうのは、ザックリいうと「古代のお墓のまわりを飾った、土でできた人形・置き物」のこと。今でいう「お墓のまわりに並んでる石仏」みたいな立ち位置に近いかな。素焼きだから今みたいにキラキラしていないけど、その分どこか温かみのある顔をしているんだよね。

ゆうき
ゆうき

埴輪って博物館で見るあれだよね?でも、なんでわざわざお墓のまわりに土の人形を並べてたの?普通にお花とかでよくない?

もぐたろう
もぐたろう

当時のお墓は、王や豪族のためにつくるすごく大きな「古墳」だったんだよ。だから、その特別な場所を守る・聖なる空間にする・あの世で困らないようにする……そんな意味を込めて埴輪が並べられたんだ。お花じゃなくて、土でできた永遠の見守り役って感じだね!

そんな埴輪ですが、実はかたちにバリエーションがあり、大きく分けて2つの種類に整理できます。次に種類ごとの特徴を見ていきましょう。

埴輪の種類:円筒埴輪と形象埴輪

埴輪は形によって、大きく円筒埴輪えんとうはにわ形象埴輪けいしょうはにわの2種類に分けられます。古墳時代の前半は円筒埴輪が中心でしたが、時代が進むにつれて、人や動物・器物をかたどった形象埴輪も加わっていきました。

■ 円筒埴輪(えんとうはにわ)

円筒埴輪(目山古墳出土)
円筒埴輪(目山古墳出土) 出典:Kakidai(CC BY-SA 4.0)via Wikimedia Commons

円筒埴輪は、その名のとおり太い土管のような円筒形をした埴輪です。高さは数十センチから1mを超えるものまであり、古墳の墳丘や周りに、ずらりと連続して並べられました。

形は素朴ですが、当時の人にとってはとても重要なもの。古墳という「聖なる場所」と「外の世界」を区切る境界線のような役割を持っていたと考えられています。実際、巨大な仁徳天皇陵(大仙古墳)などには、なんと2万本以上の円筒埴輪が並べられたともいわれています。

■ 形象埴輪(けいしょうはにわ)

形象埴輪は、人物・動物・器物・家・船などを具体的にかたどった埴輪のことです。古墳時代の中期〜後期にかけて発達し、形のバリエーションがどんどん増えていきました。

形象埴輪は、さらに細かく次のように分類されます。

① 人物埴輪:武人・巫女・農夫・踊る人など、当時の人びとの姿を写した埴輪

② 動物埴輪:馬・犬・鶏・猿・水鳥など。とくに馬形埴輪は古墳時代を象徴する存在

鶏の形をした埴輪(東京国立博物館 manareki.com撮影)

③ 器財埴輪:盾・甲冑・刀・蓋(きぬがさ)など、王の権威を示す道具をかたどったもの

④ 家形埴輪・船形埴輪:王の住まいや、あの世への乗り物を象徴したとされる埴輪

家形埴輪(御所市仮山古墳出土)
家形埴輪(御所市仮山古墳出土) 出典:Kakidai(CC BY-SA 4.0)via Wikimedia Commons

あゆみ
あゆみ

家まで埴輪にしちゃうんですね……。でも、なんでそんなに細かく、人や動物や家まで作ったのかしら?お墓のまわりが、まるで「ミニチュア世界」みたい。

もぐたろう
もぐたろう

いいセンスしてる!実はその「ミニチュア世界」感がポイントなんだ。古墳の上で行われた葬送の儀式や、亡き王の暮らしの様子を「土の人形でそのまま再現」していたと考えられているんだよ。今でいうと「ジオラマでお葬式の場面を作って、王様の魂を慰める」ような感覚に近いかも!

では、なぜわざわざこんな手間をかけて土の人形やミニチュアを並べたのでしょうか。次の章では、埴輪が作られた目的・役割を整理していきます。

埴輪はなぜ作られたのか?目的と役割

埴輪が作られた目的については、考古学者の間でもいまだ議論が続いています。ただし大きく整理すると、「聖域を区切るため」「殉死の代わりとして」「死者の魂を守るため」の3つの説が中心です。

説①:聖域の区画説(円筒埴輪が中心)

もっとも有力とされるのが、古墳という「聖なる場所」を外の世界から区切るための結界として並べられた、という説です。びっしりと並んだ円筒埴輪は、ちょうど柵(さく)や塀のような役割を果たし、「ここから先は神聖な領域ですよ」と示すサインだったと考えられています。

説②:殉死代替説(『日本書紀』のエピソード)

もうひとつ有名なのが、奈良時代に書かれた『日本書紀』に登場するエピソードです。それによると、王が亡くなったときに従者を生き埋めにして葬る「殉死じゅんし」の習慣があり、あまりに残酷だったため、代わりに土でかたどった人形(埴輪)を埋めるようになった——と伝えられています。

ただし、現在の研究では、この『日本書紀』のエピソードは後世に作られた伝承と考えられており、史実として確定したものではありません。あくまで「古代の人びとがそう信じていた由来の物語」として読むのが安全です。

説③:死者の魂を鎮めるため(祭祀・鎮魂説)

形象埴輪に注目すると、人物埴輪の中には巫女(みこ)や武人といった、儀礼に関わる姿のものが多く見られます。これは、亡き王のために葬送の儀式を再現し、魂を鎮め、あの世でも困らないように見守る——そんな祭祀(さいし)の場面そのものを土でかたどったものだという見方です。

もぐたろう
もぐたろう

つまり埴輪は、1500年前の古代人が「魂を込めて作った推しキャラ」みたいな存在だったんだ。古墳のまわりに人形を並べる——その光景は、現代の私たちが「お葬式で写真や花を飾る」のと根っこは同じだったのかもしれないね。

こうして用途が広がっていった埴輪ですが、最初からこの形だったわけではありません。次の章では、埴輪が「いつ・どこで・どうやって生まれ、消えていったのか」をたどります。

埴輪の誕生と歴史:弥生時代から古墳時代へ

埴輪は、いきなり古墳時代にポンと生まれたわけではありません。実は、その原型は弥生時代の土器の中にすでに存在していたのです。

■ 弥生時代:埴輪の原型「特殊器台・特殊壺」

弥生時代の終わりごろ、現在の岡山県(吉備地方)では、首長の葬送のために特殊器台とくしゅきだい特殊壺とくしゅつぼと呼ばれる、巨大な装飾土器が作られていました。これらは祭祀の際に使われた特別な器で、装飾もとても凝っています。

この特殊器台が、形を変えながら全国に広がり、やがて円筒埴輪の原型になったといわれています。つまり、埴輪のルーツは「弥生時代の葬送用土器」にあった、というわけです。

■ 古墳時代前期〜中期:埴輪の最盛期

3世紀後半に古墳時代が始まると、円筒埴輪が一気に普及します。とくに4〜5世紀の大型古墳では、円筒埴輪に加えて、家形・器財・人物・動物などの形象埴輪も発達し、種類のバリエーションが急激に広がっていきました。

5世紀には、大和王権の力を象徴する巨大な前方後円墳が各地に築かれ、その周りには大量の埴輪が並べられました。埴輪はもはや単なる装飾ではなく、王の権威を可視化する政治的なシンボルになっていったのです。

■ 古墳時代後期〜終焉:なぜ埴輪はなくなったのか

ところが、6〜7世紀になると、埴輪の数は急速に減っていきます。理由はひとつではなく、いくつかの変化が重なったと考えられています。

ひとつは、渡来人を通じて仏教が日本に伝わったこと。仏教では、お墓のまわりを埴輪で飾るより、寺院や仏像で先祖を供養する形に重きが置かれます。古墳そのものの作り方も横穴式石室が主流になり、墳丘上に大量の埴輪を並べる必要が薄れていきました。

こうして、7世紀末ごろには大型古墳の造営自体が終わりを告げ、埴輪文化もほぼ姿を消すことになります。約400年にわたって作られ続けた、土の祈りの形——その役割を、仏像や寺院がそっと引き継いでいったのです。

あゆみ
あゆみ

そんな埴輪って、誰が作っていたのかしら?こんなにたくさん必要だったってことは、専門の職人さんがいたんですよね?

もぐたろう
もぐたろう

その通り!埴輪を専門に作っていた人たちは、土師部はじべと呼ばれる職人集団だったよ。彼らは朝廷お抱えの「埴輪専門家チーム」みたいな存在で、王や豪族からの注文を受けて、各地で大量の埴輪を焼き上げていたんだ。後の時代には、土師氏はじしとして古代日本の有力氏族にもなっていくよ。

そんな職人たちが心を込めて作った埴輪のうち、現代まで残った名品は、博物館で実際に見ることができます。次に、教科書や博物館でよく出会う「有名な埴輪」を紹介します。

有名な埴輪・国宝埴輪を紹介

埴輪の中には、芸術的な価値の高さから国宝に指定されているものもあります。ここでは、教科書や博物館で出会うことの多い代表的な埴輪を3点紹介します。

■ 国宝「挂甲けいこうの武人」(群馬県・東京国立博物館蔵)

群馬県太田市から出土したとされる、古墳時代後期(6世紀ごろ)の武人埴輪です。「挂甲」と呼ばれる小さな鉄板を綴り合わせた鎧を身につけ、刀を腰に差して大盾を持つ姿は、当時の武人のリアルな装備をそのまま伝えてくれます。

埴輪の中では最初に国宝に指定された作品(1974年指定)でもあり、正式な国宝指定名は「埴輪武装男子立像」、東京国立博物館での展示名が「挂甲の武人」です。教科書で「埴輪」のページを開けば、まず目に飛び込んでくる有名人。東京国立博物館の常設展示で実物を見ることができます。

挂甲の武人(国宝・東京国立博物館蔵)
挂甲の武人(国宝・東京国立博物館蔵) 出典:Daderot(CC0)via Wikimedia Commons

■ 国宝「群馬県綿貫観音山古墳出土品」(群馬県立歴史博物館蔵)

2020年9月、群馬県高崎市の綿貫観音山古墳から出土した埴輪・副葬品3346点が「群馬県綿貫観音山古墳出土品」として国宝に指定されました。この中には、新首長の継承儀礼の場面を再現した形象埴輪群(農夫・武装男子・飾り馬・家形など)が含まれており、古墳時代の儀礼の様子をリアルに伝えてくれます。

群馬県は、形象埴輪の名品が数多く出土していることで知られ、「埴輪王国」とも呼ばれます。これは当時、東国にも有力な豪族が存在し、土師部の腕利き職人たちがこの地で活動していた証拠でもあります。

■ 「踊る人々」(埼玉県・東京国立博物館蔵)

埼玉県熊谷市の野原古墳から出土した、両手をあげてポーズをとる2体の人物埴輪です。「踊っているように見える」ことから「踊る人々」として親しまれ、教科書や歴史マンガにもよく登場します。

踊る人々(埼玉県熊谷市出土・東京国立博物館蔵)
踊る人々(埼玉県熊谷市出土・東京国立博物館蔵) 出典:Daderot(CC0)via Wikimedia Commons

ただし最近の研究では、踊っているのではなく「馬を引く人」を表しているという説も有力です。それでも、あの素朴で愛らしい顔立ちは、いったん見ると忘れられません。SNSや雑貨グッズで人気が出るのも納得の名品です。

もぐたろう
もぐたろう

埴輪の顔って、よく見ると一体ずつぜんぶ違うんだよね。「ニコッと笑ってる子」「口をぽかんと開けてる子」「ちょっと困った顔の子」……きっと作った職人さんの気分や、モデルになった人の顔がそのまま反映されてるんだろうね。1500年前の人たちが、こんなに身近に感じられるなんて、土の力ってすごいよ!

ここまで埴輪の種類や有名作品を見てきました。次に、テストで頻出する「埴輪と土偶の違い」をはじめ、よくつまずくポイントを整理していきましょう。

埴輪と土偶の違い(テスト頻出)

「埴輪と土偶って、なんとなく似ているようで、実はまったくの別物」——テストでもよく出題される、超頻出ポイントです。

遮光器土偶(亀ヶ岡遺跡出土・東京国立博物館所蔵)
青森県つがる市・亀ヶ岡遺跡から出土した遮光器土偶(重要文化財・東京国立博物館所蔵)。出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

違いを一言でまとめると、作られた時代作られた目的がまったく違う、ということになります。まずは比較表でひと目で整理してみましょう。

比較項目埴輪(はにわ)土偶(どぐう)
時代古墳時代(3〜7世紀)縄文時代(約1万3000〜2300年前)
目的葬送・古墳の祭祀・聖域の区画豊穣祈願・呪術・安産祈願
置かれた場所古墳の周囲(外側)集落跡・遺跡(住居の近く)
材料素焼きの粘土(野焼き)粘土(焼成・未焼成あり)
円筒形・人物・動物・家・船など女性型(ハート形・遮光器土偶など)が多い

覚え方のポイント:「土偶=縄文・埴輪=古墳」

テストでもっとも問われるのは、「どっちがどっちの時代?」という時代の組み合わせです。「ど・じょう(土・縄)/は・こ(埴・古)」と頭文字でセットにして覚えると、混乱しません。

ゆうき
ゆうき

えっ、おれずっと土偶と埴輪をごちゃ混ぜにしてた…!どっちも「土でできた人形」ってイメージしかなかった!

もぐたろう
もぐたろう

実はその勘違いをしてる中学生・高校生はめちゃくちゃ多いんだよ!でも一回違いを整理すれば、もう間違えないよ。
土偶は縄文時代の「お祈りの道具」、埴輪は古墳時代の「お墓を飾る祈りのオブジェ」。時代も目的も全然違うんだ。

あゆみ
あゆみ

形を見るとどっちも素朴でかわいいけど、土偶はちょっと不思議な顔してるよね。あの遮光器土偶しゃこうきどぐうとか…。

もぐたろう
もぐたろう

そうそう、土偶は女性をかたどった呪術用の人形が多くて、安産や豊穣を祈る道具だったって言われてるんだ。一方の埴輪は古墳に並べる祭祀用。ちなみに土偶の方が約1万年も前から作られてるから、はるか先輩なんだよ!

テストに出る埴輪のポイント

ここまで埴輪について見てきましたが、テスト前に「これだけは押さえておきたい」というポイントを一気にまとめておきます。中学歴史・高校日本史どちらにも対応した内容です。

テストに出やすいポイント
  • 埴輪は古墳時代(3〜7世紀ごろ)の遺物。土偶は縄文時代と区別する
  • 2大分類:円筒埴輪と形象埴輪(形象埴輪はさらに人物・動物・器財・家形に分かれる)
  • 目的:葬送の祭祀・聖域の区画・殉死の代替(『日本書紀』の伝承)
  • 埴輪を作った職人集団は「土師部はじべ
  • 仁徳天皇陵などの大型前方後円墳に大量の埴輪が並べられた
  • 仏教伝来(6世紀)以降、埴輪は次第に衰退。古墳文化の終焉とともに消滅

比較問題でよく出るポイント
「土偶(縄文)vs 埴輪(古墳)」「円筒埴輪 vs 形象埴輪」の2つは比較表の穴埋めや並び替え問題で頻出。古墳時代の文化(古墳・埴輪・大和王権)はセットで覚えるのが鉄則です。

ゆうき
ゆうき

テストで「埴輪を作った人たちを何という?」って出たら何て答えればいいの?

もぐたろう
もぐたろう

土師部(はじべ)」だよ!「土師(はじ)」は土をあつかう専門集団のこと。
のちに律令時代になると、彼らは「土師氏(はじし)」という氏族として朝廷に仕えるようになるんだ。今でいうと「葬儀屋+陶芸家+公務員」みたいなイメージかな!

あゆみ
あゆみ

埴輪が「殉死の代わり」だったって話、面白いね。本当に人を一緒に埋めていた時代があったの?

もぐたろう
もぐたろう

『日本書紀』には垂仁天皇(すいにんてんのう)の時代に「人を殉死させるのはあまりに残酷だ」となって、代わりに埴輪を作って並べたっていう伝承が残っているよ。
ただし、これはあくまで伝承で、考古学的には殉死代替説より「聖域の区画」「葬送の祭祀」の方が有力とされているんだ。

埴輪・古墳時代についてもっと詳しく知りたい人へ

もぐたろう
もぐたろう

埴輪についてさらに深く学びたい人に向けて、おすすめの本を紹介するよ!考古学者が書いた本格的な解説本から、読み物として楽しめる文庫本まで揃えたよ。

①速習向けなら|岩波新書で古墳も埴輪も一気に理解

古墳と埴輪

和田晴吾 著|岩波書店(岩波新書)

②深掘り向けなら|カラー図版160点で埴輪の世界を体感

埴輪 古代の証言者たち

若狭徹 著|KADOKAWA(角川ソフィア文庫)

③読み物向けなら|古墳時代の社会が埴輪から見えてくる

埴輪は語る

若狭徹 著|筑摩書房(ちくま新書)


よくある質問(FAQ)

埴輪は古墳時代(3〜7世紀ごろ)に古墳の周りに並べられた素焼きの土器です。円筒形のものと、人物・動物・家・器物などをかたどった形象埴輪の2種類があり、葬送の祭祀や霊魂を鎮めるためのオブジェとして使われました。

主な理由は3つあるとされています。①古墳の聖域と外界を区切る「結界」の役割、②葬送の儀式を再現して死者をしのぶため、③『日本書紀』が伝える「殉死の代わり」(人や馬を生き埋めにする慣習を埴輪で代替した)という伝承です。考古学的には①②が有力と考えられています。

円筒埴輪はその名のとおり円い筒型の埴輪で、古墳のまわりにずらりと並べて聖域を区画する役割を果たしました。一方、形象埴輪は人物・動物・家・器物などをかたどった「立体造形の埴輪」で、葬儀の場面を再現するように配置されました。古墳時代前期は円筒埴輪が中心で、中期以降に形象埴輪が発達したとされています。

もっとも大きな違いは「時代」と「目的」です。土偶は縄文時代に作られた呪術用・祈祷用の人形で、女性をかたどったものが多く、豊穣祈願や安産祈願に使われました。一方、埴輪は古墳時代に作られた葬送用の土器で、古墳の周囲に並べられました。テストでは「土偶=縄文・埴輪=古墳」とセットで覚えるのが確実です。

古墳時代後期(6世紀後半〜7世紀)にかけて急速に衰退し、ほぼ消滅しました。背景には、6世紀の仏教伝来による葬送文化の変化、横穴式石室の普及で副葬品が石室内に置かれるようになったこと、大型古墳そのものが作られなくなったことなど、複数の要因があったと考えられています。

埴輪の中で単体で国宝に指定されているのは「挂甲けいこうの武人」(正式名:埴輪武装男子立像/群馬県太田市・飯塚町出土/東京国立博物館蔵)です。1974年に国宝指定を受けた古墳時代後期(6世紀)の作で、よろい・かぶと・剣を身につけた武人の姿をリアルに表現した形象埴輪の最高傑作とされています。なお2020年には「群馬県綿貫観音山古墳出土品」中の埴輪群も国宝に指定されています。

まとめ:埴輪は1500年前の祈りのオブジェだった

ここまで、埴輪の意味・種類・目的・歴史・土偶との違い・テストポイントを見てきました。最後に重要ポイントを箇条書きと年表で整理しておきます。

埴輪のポイントまとめ
  • 埴輪は古墳時代(3〜7世紀)に古墳の周囲に並べられた素焼きの土器
  • 円筒埴輪(区画用)と形象埴輪(人・動物・家・器物)の2種類
  • 葬送の祭祀・聖域の区画・霊魂鎮魂が主な目的
  • 土偶は縄文時代・埴輪は古墳時代(テスト頻出の違い)
  • 作った職人集団は土師部(はじべ)
  • 仏教伝来・横穴式石室の普及で6〜7世紀に衰退・消滅

埴輪・古墳時代の年表
  • 弥生時代後期
    特殊器台・特殊壺が登場(埴輪の原型)
  • 3世紀後半
    古墳時代はじまり・円筒埴輪が登場し始める
  • 4世紀ごろ
    形象埴輪(家形・器財)が出現する
  • 5世紀(古墳中期)
    巨大前方後円墳が築かれ埴輪製作が最盛期に
  • 6世紀
    人物埴輪が発達・「挂甲の武人」など名品が作られる
  • 6世紀後半
    仏教伝来・横穴式石室の普及で埴輪が衰退しはじめる
  • 7世紀
    古墳文化の終焉・埴輪がほぼ消滅する

もぐたろう
もぐたろう

以上、埴輪のまとめでした!「ただのお墓の飾り」ではなく、1500年前の人たちが大切な人のために魂を込めて作った祈りのオブジェ——そう知ると、博物館で見るあの素朴な顔がぐっと愛おしく感じられるよね。
下に関連記事も並べておいたから、土偶や古墳・縄文・弥生時代もあわせてチェックしてみてね!

📅 最終確認:2026年5月 / 参照:山川出版『詳説日本史』(2022年版)

参考文献

Wikipedia日本語版「埴輪」(2026年5月確認)
Wikipedia日本語版「埴輪 挂甲武人」(2026年5月確認)
Wikipedia日本語版「埴輪 踊る人々」(2026年5月確認)
Wikipedia日本語版「綿貫観音山古墳」(2026年5月確認)
コトバンク「埴輪」「土師部」(デジタル大辞泉・日本大百科全書)(2026年5月確認)
東京国立博物館 公式サイト「挂甲の武人」(2026年5月確認)
文化遺産オンライン「埴輪 挂甲の武人」「埴輪 踊る人々」(2026年5月確認)
山川出版社『詳説日本史』

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この記事を書いた人
もぐたろう

教育系歴史ブロガー。
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