富岡製糸場の見どころ・アクセス・料金まとめ|世界遺産を徹底解説

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もぐたろう
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今回は群馬の世界遺産・富岡製糸場について、見どころ・アクセス・料金から修学旅行の予習まで、まるごとわかりやすく解説するよ!明治時代に若い女性たちが活躍した、知れば知るほど面白い場所なんだ。

この記事を読んでわかること
  • 世界遺産・国宝に選ばれた理由(富岡製糸場が世界的に評価されたポイント)
  • 国宝3棟(東置繭所・繰糸所・西置繭所)の見どころ(それぞれの役割と見学のコツ)
  • 工女たちの生活(明治の女性が近代化を支えた人間ドラマ)
  • 料金・アクセス・開館時間(修学旅行・観光前に確認すべき基本情報)
  • 周辺グルメ・お土産情報(絹製品・上州牛・こんにゃくパーク)

「世界遺産の工場を見学に行く」と聞くと、なんとなく堅苦しい歴史施設のイメージを持つかもしれません。しかし実は、富岡製糸場は”単なる工場の遺跡”ではありません。ここは日本で初めて、身分を問わず全国の若い女性が集まり、最先端の技術を学んだ場所——明治の女性たちが日本の近代化を支えた”女性活躍の原点”でもあるのです。

「製糸場なんて地味でしょ」という先入観を持ったままでは、もったいない。明治5年(1872年)に開業してから150年以上の時を経た今も、当時の建物がそのまま残り、国宝に指定された3棟の中に立てば、時代を超えた女性たちの息遣いが聞こえてくるような感覚を覚えます。

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富岡製糸場とは?世界遺産・国宝に指定された理由

富岡製糸場 外観全景
富岡製糸場 外観全景(出典:Nao ShikiCC0

3行まとめ

① 1872年(明治5年)に明治政府が設立した日本初の官営模範製糸場。フランス人技師を招いて近代的な製糸技術を導入した。
② 2014年に「富岡製糸場と絹産業遺産群」としてユネスコ世界文化遺産に登録。
③ 同年、東置繭所・繰糸所・西置繭所の3棟が国宝に指定。木骨煉瓦造りの建物が当時のまま保存されている。

富岡製糸場とみおかせいしじょうとは、殖産興業を推し進めた明治政府が設立した、日本最初の本格的な官営製糸工場です。「製糸場」というのは、蚕の繭から生糸を取り出す工場のこと。当時の日本にとって、生糸は最大の輸出品であり、外国から近代的な技術と機械を輸入するための貴重な外貨を稼ぐ、まさに「国の稼ぎ頭」でした。

明治政府は、品質のバラつきが大きかった国内の製糸技術を統一・向上させるため、フランスから技師を招いて模範工場を建設することを決定します。1872年(明治5年)、群馬県富岡(現・富岡市)に完成した官営の製糸工場——それが富岡製糸場です。

2014年には「富岡製糸場と絹産業遺産群」としてユネスコ世界文化遺産に登録されました。富岡製糸場を中心に、荒船風穴・田島弥平旧宅・高山社跡の4施設が構成資産となっています。登録の決め手となったのは、「絹産業に関わる技術の国際的な交流と発展に貢献した顕著な普遍的価値」。フランスの最新技術を日本が積極的に取り入れ、全国に普及させたという点が高く評価されたのです。

ゆうき
ゆうき

修学旅行で富岡製糸場に行くんだけど、そもそも「製糸場」って何をしていたところなの?

もぐたろう
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「製糸場」っていうのは、蚕(かいこ)の繭から生糸を取り出す工場のことだよ!今でいう「大企業の工場研修センター」みたいなイメージかな。全国各地から工女さんたちが集まって最新技術を学んで、地元に持ち帰った。それで日本全体の絹の品質が上がっていったんだ。

明治政府がなぜ群馬県富岡を選んだのか——理由は複数あります。蚕の飼育が盛んな養蚕地帯に近いこと、工場建設に必要な広大な土地が確保できたこと、そして石炭や水源が得やすい立地であったことなどです。また、地元の藩主が土地提供に協力的だったことも後押しとなりました。

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富岡製糸場の歴史|明治維新から世界遺産登録まで

明治時代の富岡製糸場(宮内省撮影)
明治時代の富岡製糸場(出典:Wikimedia Commons、宮内省(現・宮内庁)撮影、パブリックドメイン)

文明開化の波が押し寄せた明治初期、日本の近代化を牽引した大隈重信や大久保利通らは、輸出産業の中心である生糸の品質向上が急務だと考えていました。当時の生糸は手作業による品質のバラつきが激しく、西洋市場では低品質品として買い叩かれることも少なくなかったのです。

そこで政府はフランス人技術者・ポール・ブリュナPaul Brunatを技術指導者(お雇い外国人)として招聘します。ブリュナは横浜に在勤するフランス商社の生糸検査人であり、日本の生糸取引にも精通していました。彼が持ち込んだのは、フランス・リヨン式の繰糸機械と、蒸気動力を使った近代的な製糸システムです。

もぐたろう
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ポール・ブリュナは1840年生まれのフランス人で、富岡製糸場の操業開始時は32歳。フランスの最新製糸技術を日本に持ち込み、建物の設計から工女の指導まで手がけた、富岡製糸場の「立ち上げ責任者」だよ。奥さんのエミリー夫人も、工女たちに礼儀作法などを教えた人物として知られているんだ。

1872年(明治5年)10月、富岡製糸場はついに操業を開始します(旧暦では明治5年10月4日、新暦では11月4日)。全国各地から募集された最初の工女たちは、当初は「フランス人に血を吸われる」「子どもを食べられる」といった根も葉もないデマを恐れて、なかなか集まりませんでした。そこで幕府の勘定奉行を務めた尾高惇忠(おだかじゅんちゅう)の娘・ゆうという女性が率先して入場し、他の工女たちが安心して入場できるよう先鞭をつけたとも伝えられています。

「血を吸われる」——開業直前のパニック

明治5年(1872年)、富岡製糸場の操業開始直前、地元では「フランス人が女性の生き血を抜いて赤ワインを作っている」という噂が広まり、工女の募集は難航しました。当時の人々には西洋人の習慣が全く未知のものだったため、赤ワインを「血」と誤解してしまったのです。この噂を払拭するため、富岡製糸場の初代場長・尾高惇忠は自ら娘を入場させて「安全だ」と証明しました。開業後に工女たちが元気に技術を習得して帰郷したことで、噂は急速に消えていきました。

操業後は順調に製糸技術の普及が進みます。工女たちが習得した技術を故郷に持ち帰ることで、全国の製糸業全体の品質が向上していきました。富岡製糸場は言わば「技術の発信基地」として機能したのです。

ブリュナと渋沢栄一——富岡製糸場設立の立役者たち

富岡製糸場の設立において、フランス人技師・ポール・ブリュナと並ぶキーパーソンが渋沢栄一しぶさわえいいちです。渋沢はパリ万国博覧会(1867年)に随行した際にフランスの近代製糸技術に触れており、帰国後に明治政府の大蔵省で官僚として活躍する中で、製糸場建設の事業化に深く関わりました。「製糸の神様」とも呼ばれるブリュナが技術面を担い、渋沢が事業計画・財務面から支えた——まさに日仏協力の賜物が富岡製糸場なのです。

■ 民営化・世界遺産登録への道

その後、富岡製糸場は民間に払い下げられます。1893年(明治26年)に三井家へ、1902年(明治35年)には実業家の原富太郎(原三溪)へ、そして1939年(昭和14年)には片倉工業が取得しました。片倉工業は1987年(昭和62年)まで操業を続け、閉鎖後も建物を保存し続けます。

2005年(平成17年)、片倉工業が富岡市に工場を寄付。その後、世界遺産登録に向けた保全活動が本格化し、2014年(平成26年)6月についに「富岡製糸場と絹産業遺産群」としてユネスコ世界文化遺産への登録が実現しました。同年、建物の保存状態の良さと歴史的価値が認められ、東置繭所・繰糸所・西置繭所の3棟が国宝に指定されることになります。

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国宝3棟の見どころ|東置繭所・繰糸所・西置繭所を徹底解説

富岡製糸場を訪れたら、まず理解しておきたいのが国宝3棟それぞれの「役割の違い」です。簡単に言えば、「繭を集める(東置繭所・西置繭所)→ 糸を繰り出す(繰糸所)」という流れで、製糸の工程に合わせて建物が配置されています。今でいう「原料倉庫→製造ライン→製品保管」の流れと同じ発想ですね。

富岡製糸場 木骨煉瓦造りの外壁(フランス積み)
富岡製糸場の外壁「フランス積み」の木骨煉瓦造り(出典:ZluhcsCC BY-SA 4.0

■ 東置繭所(ひがしおきまゆじょ)

富岡製糸場 東置繭所の外観
富岡製糸場 東置繭所の外観(出典:Hasec、パブリックドメイン)

東置繭所ひがしおきまゆじょは、全国から集めた繭を保管するための倉庫です。建物の全長は約104メートル。外観の特徴は、赤レンガと黒い木材の格子が組み合わさった木骨煉瓦造りの壁面で、フランス積み(レンガの長辺と短辺を交互に積む工法)を採用しています。

現在の東置繭所は展示空間として活用されており、富岡製糸場の歴史や絹産業の変遷をわかりやすく紹介するパネル展示が充実しています。世界遺産登録の経緯や、各時代の工女の様子なども展示されており、見学の「入り口」として最適な場所です。

■ 繰糸所(そうしじょ)

富岡製糸場 繰糸所の外観
富岡製糸場 繰糸所の外観(出典:Abasaa、パブリックドメイン)

繰糸所そうしじょは、保管された繭を熱湯で柔らかくして、糸を引き出す作業(繰糸)を行う工場棟です。全長約140メートル、幅約12.3メートルという圧倒的なスケールを誇り、日本最大級の木骨煉瓦造り建造物として知られています。

内部に足を踏み入れると、当時の繰糸機(300釜以上)がそのまま残されていて、壮観な光景が広がります。蒸気エンジンで動かされたこの機械の前に、かつて数百人の工女たちが並んで作業していました。「工場の中にいるのに、まるで大聖堂のような空間だ」と表現する観光客も多いほど、圧迫感のない開放的な造りが特徴です。

富岡製糸場 繰糸所内部。明治初期の繰糸機が今も保存されている
富岡製糸場 繰糸所の内部。明治時代の繰糸機が今も保存されている(出典:Wikimedia Commons、宮内省撮影、パブリックドメイン)

あゆみ
あゆみ

繰糸所って実際に中に入って見学できるの?写真撮影はOKかしら?

もぐたろう
もぐたろう

繰糸所は中まで入れるよ!写真撮影もOK(フラッシュ禁止の場合あり)。ただし繰糸機のすぐそばまで近づけるエリアと立入禁止エリアがあるから、現地の案内に従ってね。ガイドツアーに参加すると、機械の仕組みを詳しく説明してもらえてさらに楽しいよ。

■ 西置繭所(にしおきまゆじょ)

富岡製糸場 西置繭所の外観
富岡製糸場 西置繭所の外観(出典:Abasaa、パブリックドメイン)

西置繭所にしおきまゆじょは、東置繭所と同じく繭の保管倉庫として使われた建物です。全長約104メートルで東置繭所とほぼ同じ規模を持ちます。繰糸所をはさんで東西に置繭所が対称に配置されているのが、富岡製糸場の特徴的な構造です。

西置繭所は、長年外部からの見学のみでしたが、2021年に一般公開が始まりました。内部には生糸や絹の歴史、世界の絹文化との関係を紹介する展示が設けられています。東置繭所と見比べながら歩くと、建物の保存状態の良さを実感できるでしょう。公開されている展示エリアは増えてきているので、最新情報は公式サイトで確認することをおすすめします。

工女たちの生活|明治の女性が支えた近代化の物語

富岡製糸場で働いた女性たちのことを工女じょこうと呼びます。最盛期には400人を超える工女が在籍し、全国各地の士族・農家の娘たちが技術習得のために集まりました。

工女(じょこう)ってなに?

工女(じょこう)とは、製糸工場で働く女性労働者のことです。富岡製糸場では特に、全国の藩士や官僚の娘たちを「器械製糸を習い地元に技術を普及させる」目的で採用しました。月給・食事・宿舎が支給される待遇は当時としては破格で、「女性が近代的な職場で賃金労働をする」という画期的な仕組みでもありました。

富岡製糸場 診療所(女工に提供された医療施設)
富岡製糸場内に設けられた診療所。工女の健康管理も充実していた(出典:Abasaa、パブリックドメイン)

当初の工女たちが「洋式の機械に血を吸われる」というデマを恐れたことは前述しましたが、実際に工場に入ってみれば、待遇は当時の水準をはるかに超えていました。寄宿舎が完備され、食事が3食支給され、医療施設まであったのです。また、ブリュナの妻・エミリー夫人が礼儀作法なども教えていたといいます。

工女・和田英
工女・和田英

「初めは洋式の機械が怖くて……でも慣れてくると、糸繰りが楽しくなってきたんです。こんなに多くの女性が一緒に働く場所は、日本中どこにもなかったから。」

開業翌年の1873年4月に入場した伝習工女の一人が和田英わだ えい(横田英)です。彼女は後年、自らの体験を記した『富岡日記』を残しました。そこには、機械の使い方を学ぶ楽しさ、フランス人指導者との交流、同僚の工女たちとの絆が生き生きと描かれています。この記録は、明治初期の工女の生活を知る貴重な資料として高く評価されています。

もぐたろう
もぐたろう

「女工哀史」って言葉を聞いたことある?明治〜大正時代の劣悪な工場労働のイメージだけど、実は富岡製糸場は当時の水準では破格の待遇だったんだ。寄宿舎・病院・食堂・学校が完備されていて、給与は農家の年収を超えることもあった。「女工はかわいそう」どころか、当時の女性にとっては超エリート職場だったんだよ!

富岡製糸場で学んだ工女たちは、帰郷後にそれぞれの地域で製糸工場を立ち上げたり、技術指導者として活躍したりしました。日本の製糸業が世界トップレベルの品質に発展できたのは、こうした「技術の連鎖」があったからこそです。近代日本を動かしたのは明治の男性政治家だけではありません——若い女性たちの知識と労働もまた、日本を支えた大きな力だったのです。

ガイドツアー・音声ガイドの使い方|見学をもっと楽しむには

富岡製糸場の見学をより深く楽しむなら、ぜひ活用したいのが「ガイドツアー」と「音声ガイド」です。ガイドツアーは別途料金がかかりますが、音声ガイドはスマホアプリで無料利用できます。説明なしではわかりにくい建物の構造や歴史的背景を理解できるので、特に初めて訪問する方には強くおすすめします。

ガイドツアー料金:個人1名 200円(中学生以下100円)/ 団体(20名以上)1名 3,000円
音声ガイド:無料(スマートフォンアプリ・日本語・英語・中国語・フランス語・韓国語対応)
所要時間:ガイドツアー約40分 / 自由見学のみ60〜90分

ガイドツアーは所要約40分。専任のガイドが国宝3棟を中心に案内してくれます。「どこを見るべきか」「何が特別なのか」がひと目でわかるため、見落としを防ぎたい方にも最適です。当日参加も可能ですが、修学旅行や団体見学の場合は事前に予約しておくとスムーズです。

あゆみ
あゆみ

音声ガイドって追加料金がかかるの?スマホアプリはある?外国語対応はしてるかしら?

もぐたろう
もぐたろう

音声ガイドはスマートフォンにアプリをダウンロードして使う方式で、なんと無料なんだ!日本語はもちろん、英語・中国語・韓国語・フランス語に対応しているから、外国語学習中の人にもおすすめだよ。ゆっくり自分のペースで見学したい人はぜひ活用してみてね。

おすすめの見学ルートは、「東置繭所(展示で予習)→ 繰糸所(メインの見学)→ 西置繭所(深掘り展示)」の順番です。まず東置繭所の展示で製糸場の歴史と建物の基礎知識を頭に入れてから、繰糸所の機械群を見ると、当時の工女たちがどんな環境で働いていたかがリアルに伝わってきます。

ガイドツアーは1日複数回開催されており、時間によっては日本語と外国語のツアーが並行して行われています。繁忙期(春・秋の修学旅行シーズン)は混雑するため、当日参加を希望する場合は開館後すぐに申し込むか、事前予約がおすすめです。最新のツアー時刻は公式サイト(tomioka-silk.jp)でご確認ください。

修学旅行で来る前に知っておきたいこと

ゆうき
ゆうき

グループで行くときって団体割引ってあるの?見学にどのくらい時間がかかる?

もぐたろう
もぐたろう

20名以上の団体は事前予約が必要で、小・中学生の団体料金は1人100円になるよ!自由見学だと60〜90分が目安で、ガイドツアーも頼むなら120分くらい見ておくといいね。

■ 修学旅行の見学ポイントまとめ

見学前に確認しよう①:団体見学は20名以上・事前予約必須。小・中学生の団体料金は1人100円(個人料金150円より50円お得)

見学前に確認しよう②:所要時間の目安は自由見学で60〜90分、ガイドツアー付きで約120分。ガイドツアーは別途1人200円(中学生以下100円)。音声ガイドはスマホアプリで無料利用可

見学前に確認しよう③:混雑のピークは春(4〜5月)・秋(10〜11月)の修学旅行シーズン。開館直後の9時台が比較的空いている

富岡製糸場は春と秋に修学旅行の団体が集中します。特に午前10時〜12時は混み合うことが多いため、なるべく開館直後の9時を目指して入場するのがおすすめです。

学校からワークシートを渡されている場合は、国宝こくほう3棟(東置繭所・繰糸所・西置繭所)の役割の違いと、工女じょこうの生活をテーマに見学を進めると、問いに答えやすくなります。繰糸所では実際の繰糸機が展示されているので、「繭からどうやって糸を取るのか」のプロセスが一目でわかります。

修学旅行で使えるポイント

① 国宝3棟の役割の違いを押さえる(繭の保管→糸を繰る→糸を保管する流れ)
② 「官営模範製糸場=殖産興業・富国強兵の象徴」という文脈で位置づける
③ ガイドツアー参加で40分のプロ解説付き。見学の深さが格段に変わる
④ 混雑回避は9時台の早入場が効果的。昼前後はツアーグループが重なりやすい

富岡製糸場のアクセス・料金・開館時間

富岡製糸場の煙突
富岡製糸場のシンボル・煙突。蒸気機関を動かした工場の名残(出典:Abasaa、パブリックドメイン)

基本情報

場所:〒370-2316 群馬県富岡市富岡1番地1
入場料:大人1,000円 / 高校・大学生250円 / 小・中学生150円 / 未就学児無料(2026年6月時点)
開館時間:9:00〜17:00(最終入場16:30)/定休日:12月29〜31日

🚃 電車でのアクセス
JR高崎駅(上越新幹線「たにがわ」等)→ 上信電鉄に乗り換え → 上州富岡駅(約45分・運賃730円)→ 徒歩約15分
東京駅から新幹線+上信電鉄を利用した場合、合計所要時間の目安は約95分

🚗 車でのアクセス
上信越自動車道 富岡ICから約10分。場内に駐車場なし。市営宮本町駐車場・上町駐車場(徒歩約10分)を利用
※ バスアクセスは季節・ルートにより変動があるため、公式サイトで最新情報をご確認ください

※ 拝観料・開館時間・アクセス情報は変更になる場合があります。2026年6月時点の情報です。最新情報は富岡製糸場公式サイトでご確認ください。

あゆみ
あゆみ

東京から日帰りで行ける?混雑を避けるなら何時頃に着けばいい?

もぐたろう
もぐたろう

東京から約95分で行けるから、日帰りで十分楽しめるよ!混雑を避けたいなら開館直後の9時台か、午後14時以降がおすすめ。周辺のこんにゃくパークやグルメもセットで楽しむなら、朝早く出発するのがベストだね。

富岡製糸場の周辺観光・グルメ|1日コースの組み方

富岡製糸場の見学だけでは物足りないという方に、周辺と組み合わせた1日コースを紹介します。製糸場から車で15〜30分圏内に、群馬ならではの観光スポットが揃っています。

■ 周辺観光スポット

製糸場から車で約15分の距離にあるこんにゃくパーク(甘楽町)は、こんにゃく料理の無料食べ放題コーナーが人気のスポットです。工場見学もでき、家族連れにも修学旅行生にも好評です。

富岡市の北東に位置する妙義山は、奇岩・奇峰が連なる群馬を代表する景勝地。ハイキングコースや妙義神社の見学ができます。富岡製糸場と合わせた日帰りコースとして人気があります。

また、「富岡製糸場と絹産業遺産群」を構成する他の3つの資産(高山社跡・荒船風穴・田島弥平旧宅)も群馬県内に点在しており、世界遺産の全貌を巡る深掘りコースもあります。

■ ランチ・グルメ・お土産

製糸場周辺の宮本通り商店街には、地元の飲食店が並んでいます。群馬名物の上州牛を使ったハンバーグや牛丼、こんにゃく料理を出すお店があり、見学後のランチに最適です。

お土産は場内の絹産業遺産群ミュージアムショップで購入できます。富岡の絹を使ったスカーフ・ストール・絹コスメなど、ここでしか手に入らないオリジナル商品が揃っています。こんにゃく製品や上州の農産物加工品も人気のお土産です。

あゆみ
あゆみ

製糸場の近くにランチできるお店ある?絹製品のお土産って場内で買えるの?

もぐたろう
もぐたろう

場内のミュージアムショップで絹製品のお土産を買えるよ!周辺の宮本通り商店街には上州牛やこんにゃく料理のお店もあるから、見学後のランチも充実してるね。こんにゃくパークとセットで回るのが定番の1日コースだよ!

📅 モデル1日コース(東京発・日帰り)
東京駅 8:00発→ 高崎駅着(新幹線)→ 上信電鉄に乗り換え→ 上州富岡駅 9:50頃着→ 富岡製糸場 10:00〜12:00(ガイドツアー込み)→ 宮本通り商店街でランチ 12:30〜13:30 → こんにゃくパーク 14:00〜15:30 → 高崎駅 16:30頃→ 東京駅 17:30頃着

よくある質問

自由見学の場合は60〜90分が目安です。ガイドツアー(約40分)も追加する場合は合計120分ほど見ておくと余裕をもって見学できます。繰糸所・東置繭所・西置繭所の国宝3棟をじっくり見るなら、ガイドツアーへの参加がおすすめです。

個人料金は大人1,000円、高校・大学生250円(学生証が必要)、小・中学生150円、未就学児は無料です(2026年6月時点)。20名以上の団体は事前予約で割引になり、小・中学生の団体料金は1人100円になります。最新の料金は公式サイトでご確認ください。

東京駅から上越新幹線「たにがわ」等でJR高崎駅へ(約50分)、高崎駅で上信電鉄に乗り換えて上州富岡駅へ(約45分・運賃730円)、上州富岡駅から徒歩約15分で到着します。合計所要時間の目安は約95分です。上信電鉄の時刻は本数が少ない時間帯もあるため、事前に確認しておくと安心です。

2014年に「富岡製糸場と絹産業遺産群」としてユネスコ世界文化遺産に登録されました。登録の主な理由は、①日本の生糸生産技術がフランスなどヨーロッパと交流・融合した国際的な技術交流の証拠であること、②日本の近代化・殖産興業に果たした役割が極めて大きいこと、③明治時代の建造物が良好な状態で現存していること、の3点が評価されたためです。

20名以上の団体見学は事前予約が必要です。予約は富岡製糸場の公式サイト(tomioka-silk.jp)から申し込むことができます。ガイドツアーの団体料金は1名あたり3,000円(20名以上)で事前予約が可能ですので、見学日が決まったら早めに手配することをおすすめします。団体料金(小・中学生100円)の適用にも事前予約が必要です。

2014年に国宝指定された3棟は①東置繭所(ひがしおきまゆじょ)=収穫した繭を保管するための倉庫、②繰糸所(そうしじょ)=繭から生糸を繰り出す作業を行う工場(日本最大級の木骨煉瓦造り建造物)、③西置繭所(にしおきまゆじょ)=東と対になる繭の保管倉庫(2021年に一般公開開始)、の3つです。いずれもフランス式の木骨煉瓦造りで、明治時代の建築技術を今に伝えています。

富岡製糸場の場内には専用駐車場がありません。最寄りの駐車場は市営宮本町駐車場・上町駐車場(徒歩約10分)や周辺の民間駐車場をご利用ください。混雑する休日や修学旅行シーズンは早めの到着をおすすめします。駐車場の最新情報は公式サイトでご確認ください。

まとめ|富岡製糸場は”女性活躍の原点”に触れる世界遺産

富岡製糸場は、単なる「古い工場の見学」ではありません。1872年に明治政府が日本の近代化をかけて建てた官営模範製糸場——そこで働いた若い女性たちが、最新のフランス技術を習得し、全国に広めていきました。国宝3棟の圧倒的なスケール感と、工女たちの生きた歴史。実際に足を運んでみると、教科書では味わえないリアルな迫力が伝わってきます。

修学旅行で訪れる方も、大人の観光として来る方も、この記事の情報を活かして充実した見学を楽しんでください!

富岡製糸場の歴史年表
  • 1872年
    富岡製糸場が開業。フランス人技師ポール・ブリュナの指導のもと操業開始
  • 1893年
    三井家に払い下げ。官営から民営へ移行
  • 1902年
    原富太郎(原三溪)が購入
  • 1939年
    片倉工業が取得。以後、片倉工業が長期にわたり管理
  • 1987年
    操業停止。以降、保存管理が続けられる
  • 2005年
    片倉工業から富岡市に寄付。世界遺産登録に向けた保全活動が本格始動
  • 2014年
    富岡製糸場と絹産業遺産群がユネスコ世界文化遺産に登録。東置繭所・繰糸所・西置繭所の3棟が国宝に指定

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以上、富岡製糸場のまとめでした!明治時代の近代化や殖産興業についてもっと知りたい人は、下の記事もあわせて読んでみてください!

参考文献

富岡製糸場公式サイト「tomioka-silk.jp」(2026年6月確認)
Wikipedia日本語版「富岡製糸場」(2026年6月確認)
Wikipedia日本語版「富岡製糸場と絹産業遺産群」(2026年6月確認)
コトバンク「富岡製糸場」(デジタル大辞泉・日本大百科全書)

記事の誤りを発見された場合はお問い合わせください。確認後、修正します。

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この記事を書いた人
もぐたろう

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