興福寺の見所!国宝館の阿修羅像の豆知識をわかりやすく

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kofukuzi

(出典:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%88%E7%A6%8F%E5%AF%BA

興福寺は、東大寺の隣にあるお寺です。(敷地が広いので、隣と言っても若干歩きますが・・・)

 

興福寺は、奈良時代からの長い歴史を持ち、古代日本において絶大な権力を誇った藤原氏のお寺でもあるかなり熱いお寺なんです。

 

東大寺に行くなら、多めに時間を作って興福寺にも行くことを強くお勧めします。

 

それでは、興福寺の見どころについて見ていきます。

 

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興福寺と言えば阿修羅(あしゅら)像!

asyura

興福寺で一番有名なのが阿修羅像

阿修羅像の何が凄いかと言うと、その芸術性!!特にその表情に魅力が隠されています

 

ここでは、そもそも阿修羅って誰?というところを見ていきます。

 

阿修羅は、時と場合により正義のヒーローと呼ばれたり、戦闘神、悪魔と言われたり、慈悲の神と言われたり、色んな表現がされるとても変わった人物(人じゃないけど)です。

 

その理由も、この記事を見ていただくとわかると思います。

 

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正義とは何か? -阿修羅の激動の生涯-

阿修羅は、帝釈天(たいしゃくてん)と戦った戦闘神で悪者扱いされることが多いです。

 

帝釈天は、仏さまの守護神で最強の戦闘力を持つ男でした。仏さまの守護神と戦うわけですから、確かに阿修羅は悪者になるわけです。

 

阿修羅は、最強の男に戦いを何度も何度も挑みます。帝釈天に勝ったことはあまり多くないみたいですが、何度も勝負を挑むその様子から、阿修羅は好戦的な神、戦闘神と言われることがあります。

 

しかし、そもそもなぜ、帝釈天の戦いを挑んだのでしょうか?

 

阿修羅の娘が帝釈天に奪われた!?

逸話で次のような話があります。

 

元々、帝釈天と阿修羅は仲間でした。当時の阿修羅はとても正義感の強い神で有名でした。この時の名残で、正義の神と言われることがあります。

 

阿修羅には娘がいて、娘を帝釈天に嫁がせようと考えていた矢先、帝釈天が力ずくで娘を奪ってしまいます。正義感の強い阿修羅はこれに激怒。こうして娘の復讐のため、帝釈天との戦いが始まりました。

 

しかし、帝釈天は最強の守護神だけあって強い!何度も何度も帝釈天に戦いを挑みますが、なかなか勝てません。帝釈天をやっつけることに固執し続ける阿修羅に、仏さまたちはだんだん嫌気がさしてきたらしく、「そんなに戦いたいなら別なところでやれ!」といった感じで仏世界から追放されてしまいます。

 

強い正義心も、それに固執し続けるとやがて憎しみに変化してしまう。他人を許す心、思いやりの心がなければ、正義も憎しみに変わってしまう。そんな教訓が、阿修羅追放の逸話には込められています。

 

ってそもそも、娘を強引に奪った帝釈天が悪いじゃん!って意見もあると思いますが・・・。

 

ちなみに、追放先の阿修羅が住む世界のことを修羅道と言います。ナルトを読んだことがある人は聞いたことがあるはず。

 

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阿修羅、慈悲の心に目覚める

修羅道に落ちた阿修羅に昔の正義に満ち溢れる様子は微塵も見られず、戦闘を好み、悪に染まってしまいました。

 

そんな中、転機が訪れます。お釈迦様の説法を聞く機会があったのです。

 

お釈迦さまは、人々に悟りを開かせる能力を持つ仏さまです。

(詳しくは、京都観光の前に知っておきたい仏像の豆知識の釈迦如来のところを見てみてください!)

 

お釈迦様の説法を聞いているうちに、阿修羅の心の中に置き去りにされた昔の正義の心が戻ってきます。そして、過去を反省し、他人を許す気持ち、慈悲の心に目覚めることに成功します。

 

修羅道に落ちて悪の戦闘神になった阿修羅が再び正義の神に戻った瞬間でした。

阿修羅、仏世界に生還する。

正義の心を取り戻した阿修羅は、仏世界へ戻ることを許されます。

 

他人を許す、慈悲の心を得た阿修羅。仏世界に戻った阿修羅は、その戦闘力を活かし、あの帝釈天の部下として仏世界を護る守護神となりました。

 

帝釈天には8人の部下がいて、合わせて八部衆(はちぶしゅう)と言いますが、その一人として働くことになったわけです。

 

以上が阿修羅の生涯です。時に正義の神と呼ばれ、時に悪の化身や戦闘神、または慈悲の神など様々な呼び名がある理由は、阿修羅の激動の生涯にあるのです。

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阿修羅像の表情が意味するもの

asyura

正義、戦闘、慈悲と様々な側面を持つ阿修羅。興福寺の阿修羅像の表情は何を意味しているのでしょうか?

 

それは、今となっては誰にもわかりません・・・。が、想像することはできます!

 

その表情は、怒りなどの険しい表情じゃありません。悪に染まっていた頃の阿修羅ではなさそうですね。

 

一方、その表情は何か自信のなさげな、深刻な表情のようにも見えます。正義心を持ち自身に満ち溢れていた昔の阿修羅でもなさそうです。

 

静けさ中に険しさをうかがわせるこの表情は、お釈迦様の説法で心を改めた阿修羅の様子を示しているのだと思います。

 

改心をして喜びに満ちている一方、改心したことで逆に今までの自分の行いに悔恨の念を抱いている、そんな複雑な表情を表しているのだと私は思います。

 

阿修羅像は、奈良時代に作られました。今から1200~1300年前です。当時の人々が、どんな阿修羅を表現しようとしていたのか。阿修羅像を見て考えてみるのも通な楽しみ方だと思います。

 

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阿修羅像は国宝館にあり

阿修羅像は、興福寺横の国宝館というところの安置されています。国宝館には、阿修羅像以外にもたくさんの仏像があるので、結構楽しめます。東大寺に行くついでに寄れるのでぜひ寄ってみてください。

 

次は、興福寺の歴史の話をしようと思います。正直、お寺自体の話よりも興福寺の歴史の方が面白いと私は思っています。なので、そこらへんを中心に。

 

後:東大寺に来たら興福寺も見なきゃ損だぞ【奈良公園と興福寺の秘密】2/2

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この記事を書いた人
もぐたろう

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コメント

  1. 渡辺 隆 より:

    興福寺の古写真を見ていたら、阿修羅像の腕が壊れていて?合掌していません。現在の写真は合掌しているのですが、現在の写真の像に修理されたのはいつのことでしょうか?
    興福寺のページを良く調べたのですが、そのことを記述する文が見つかりませんでした。
    ※もし回答があるとすればどこを見れば良いでしょうか?