平安時代【保元・平治の乱】

鳥羽天皇とは?崇徳天皇との関係や系図は?わかりやすく紹介!

今回は、鳥羽天皇について紹介します。鳥羽天皇は平安時代末期、白河法皇に引き続き院政を行った天皇として有名な天皇です。 鳥羽天皇の系図 鳥羽天皇は、堀河天皇が29歳で若くして亡くなったため1107年に即位した天皇です。当時は白河法皇が院政を行い政治の実権を握っていたため、生前の堀河天皇に政治の実権はもはやありませんでした。(
奈良時代

藤原不比等とは?系図などをわかりやすく【藤原宮子と光明子】

今回は、藤原不比等(ふじわらのふひと)という人物について紹介しようと思います。藤原不比等は、700年前後(飛鳥時代末期〜奈良時代初期)に官僚として活躍した人物で、平安時代に朝廷を支配した藤原氏の祖として藤原氏の地位を高めた日本古代史の重要人物です。 藤原不比等と父の鎌足 藤原不比等の父は、乙巳の変(大化の改新)で中大兄皇子と共に政治を牛耳る蘇
平安時代【院政】

僧兵の強訴について簡単にわかりやすく紹介【白河法皇を悩ませた山法師とは】

院政という新スタイルの政治を始め、天皇の父の立場から強大な権力を手中に収めた白河法皇ですが、次のような有名な名言を残しています。 「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」 つまり、強大な権力を持ってしても鴨川の氾濫、双六の目(運)、山法師(延暦寺の僧侶)は手に負えない・・・と白河法皇は嘆いているのです。絶
飛鳥時代

天武天皇はどんな人?その政治や天智天皇との関係をわかりやすく

今回は壬申の乱の勝者で有名な天武天皇について紹介します。天武天皇は、「日本という国の原形を作り上げた!」と言っても過言ではないほど、日本に大きな影響を与えた人物です。その影響は日本史の中でもおそらくトップクラスに入ることでしょう。 全てを詳細に話すと超長文になってしまいますので、ダイジェスト方式で天武天皇について紹介してみたいと
飛鳥時代

悲劇の皇子、有間皇子とは?辞世の句や系図をわかりやすく【中大兄皇子の陰謀】

今回は、悲劇の皇子として有名な有間皇子(ありまのみこ)について紹介します。有間皇子はその悲しき生涯や死に際に残した辞世の句が有名です。 有間皇子の系図 【有間皇子に関連する人物の系図です。困ったら上の系図を参考にしてください!】 有間皇子は、孝徳天皇という天皇の息子でした。有間皇子は、死ぬまでずっと中大兄皇子に翻弄され続ける人生を歩
飛鳥時代

山背大兄王はどんな人?わかりやすく紹介!【蘇我入鹿による殺害事件】

643年、聖徳太子の息子だった山背大兄王(やましろのおおえのおうじ)が蘇我入鹿の手によって討ち滅ぼされてしまいます。今回は、この山背大兄王殺害事件について紹介しようと思います。 山背大兄王ってどんな人? 山背大兄王は、あの有名な聖徳太子の息子です。実は、蘇我氏と天皇の血を引いており推古天皇亡き後の次期天皇の最有力候補でした。ところが、時の
飛鳥時代

蘇我蝦夷・蘇我入鹿を簡単にわかりやすく紹介!【舒明天皇と皇極天皇】

今回は、乙巳の変というクーデターで殺害されてしまったあの有名な蘇我蝦夷(えみし)・入鹿(いるか)親子について紹介しようと思います。 殺害されるにはちゃんとそれなりの理由があった・・・というのを語ろうと思います。 蘇我蝦夷・蘇我入鹿の活躍時期は、日本初の女帝で有名な推古天皇亡き後の時代。推古天皇に加えて聖徳太
飛鳥時代

冠位十二階を定めた理由・目的・意味とは?わかりやすく解説【聖徳太子の活躍?】

以下の記事で冠位十二階制は、「蘇我馬子を牽制しながら天皇主導の国を造り上げるために、十七条の憲法の制定と冠位十二階制の導入が行われた」という話をしました。 今回は、そんな冠位十二階制度の内容や定めた理由について紹介しようと思います。 冠位十二階制度を定めた理由・目的 冠位十二階制は、冠の色に応じて朝廷内で12の位を定める制度です。隋
飛鳥時代

女帝の推古天皇を簡単にわかりやすく紹介!【聖徳太子と蘇我馬子との関係や政治など】

今回は、日本で初めて女帝として即位した推古(すいこ)天皇について紹介しようと思います。推古天皇は、絶世の美女としても有名です(上図参照。私はノーコメントです)。 推古天皇はなぜ日本初の女帝となったか さて、まずは推古天皇が即位するまでの経緯を説明しましょう。日本初の女帝というだけあって、推古天皇即位の背景には複雑なものがありました。 崇
飛鳥時代

なぜ崇峻天皇は暗殺された?わかりやすく解説【蘇我馬子の陰謀】

丁未の乱で勝利した蘇我馬子は、擁立していた泊瀬部皇子を天皇即位させます。587年8月、崇峻天皇が即位します。丁未の乱については、以下の記事をどうぞ。 ところがこの崇峻天皇、即位5年後の592年に臣下によって暗殺されてしまいます。日本の歴史において臣下によって暗殺された天皇は記録上、崇峻天皇のみです。このような一大事件が起こったの