太宰府天満宮には、あまり知られていない有名なパワースポットがあります。それが天開稲荷社(てんかいいなりしゃ)という場所です。パワースポットとしては有名なようですが、太宰府天満宮のみを目的に訪れると見逃してしまいがちな場所です。
今回は、太宰府天満宮にある天開稲荷社について紹介したいと思います。
天開稲荷社の場所
【太宰府天満宮のパンフレット】
パンフレットを使いながら場所を説明します。真ん中あたりにある①が太宰府天満宮です。そして、天開稲荷社はパンフレット右上の26番!
パンフレットを見るだけでもわかると思いますが、太宰府天満宮からはかなり歩きます。(と言っても15分程度かな?)
少し離れにあるので、天開稲荷社のことを知らなかったり、時間がなかったりすると見逃してしまいがちです。ちなみに、太宰府天満宮から天開稲荷社までの道のりは、そこまで険しいわけでもなく、自然の中をウォーキングできるので私なんかはとても気持ちが良かったです。
天開稲荷社は神は開運と幸運をもたらす!
天開稲荷社の看板には、こんな風に書かれています。
「社名に由来するように古来より天に開かれた社とされ、五穀豊穣・商工業の発展、更には人々に開運と幸運をもたらす神として広く信仰されています。」
開運と幸運をもたらすということなので、どんなお願い事を胸に抱いていたとしても、天開稲荷社に訪れれば何か良いことがあるかもしれません。
天開稲荷社の雰囲気や行った感想などは、既に多くのサイトで書かれているようなのでここでは触れません。・・・というのは言い訳で実は私、天開稲荷社が福岡でも有名なパワースポットとは知らず、行った後、そこが有名な場所であることを知りました(汗。
なので、あまりここで書けるような感想がありません・・・。別用の合間に訪れたので、フラーっと散歩気分で太宰府天満宮に行きました。地図を見ると天開稲荷社は奥地にあり、秘密基地へ向かうようで散歩ルートも楽しそうだったのでたまたま向かっただけなんですね。とは言え、「何も知らないでフラーっと訪れただけなのに、有名なパワースポットへたどり着いてしまった」という点は、何か神がかった何かがあるのかもしれません!
しかも、結果的に太宰府天満宮が超混みだったのであまり見ることができず(人混みが好きじゃないんです・・・)、天開稲荷社の方が雰囲気があって面白かったです。
と余談でした。
開運と幸運をもたらしてくれる天開稲荷社ですが、この記事ではそこに祀られている宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)という神様について焦点を絞って説明をしたいと思います。
開運スポットに行くのですから、そこに祀られている神様のこともしっかりと知っておきたいですよね。
古事記に登場する宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、とても長ったらしい名前の神様です。古事記(こじき)という日本神話に登場する神様です。
古事記は、因幡の素兎や八咫烏(やたがらす)のエピソードそのほか、天皇のご先祖様に当たる天照大神にまつわる話などが書かれた日本神話です。奈良時代初期に作られました。だいたい700年ごろです。
古事記が作られた経緯は以下の記事をどうぞ。ちゃんとわけあって日本神話は作られたわけです。(古事記がメインの記事ではないので、分かりにくいかもしれませんが・・・)
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)は、古事記では名前だけしか登場しません。なので、残念ながらその人物像に迫ることはできませんが、それでもここで紹介したい内容はいくつかあります。
天開稲荷社の神は穀物の神様
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)は穀物の神とされています。「稲荷社」という名前からも稲を想像することができます。
実はギリシャ神話にもデメテルという農耕神がいます。田畑を耕していた民にとって、土・水・太陽という天の恵みで育ち、自らの生命維持に必要な食物(特に麦・米などの穀物)は神格化されやすい存在だったんです。
鎌倉時代に伏見稲荷大社からやってきた
稲荷社は五穀豊穣を司る神を祀る神社であり、太宰府以外にも全国各地に神社が建てられています。そして、全国各地にある稲荷社の総本山が京都にある伏見稲荷大社です。
天開稲荷社は、総本山である伏見稲荷大社から宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)の御分霊を頂き、祀るようになったのがその始まりでした。時代は鎌倉時代です。
分霊とは?
ちょっと気になったので調べてみました。wikipediaがわかりやすいので、そのまま引用します。
分霊(ぶんれい、わけみたま)とは、神道の用語で、本社の祭神を他所で祀る際、その神の神霊を分けたものを指す。
分霊を他の神社に移すことを勧請(かんじょう)という。神道では、神霊は無限に分けることができ、分霊しても元の神霊に影響はなく、分霊も本社の神霊と同じ働きをするとされる。他の神社より祭神を勧請した神社を分祠(ぶんし)、分社(ぶんしゃ)、今宮(いまみや)などという。
(出典:wikipedia「分霊」)
稲荷社の起源は秦氏(はたし)の氏神(うじがみ)にあり
天開稲荷社の神である宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)は、稲荷社総本山である伏見稲荷大社の御分霊というわけですが、実は、伏見稲荷大社に最初から宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)が祀られていたわけではありません。
稲荷社は、本来、秦氏(はたし)という一族の氏神を祀る神社でした。
これだけだと、いまいちよく分からないと思うので、「秦氏」と「氏神」について少し紹介しましょう。
秦氏は朝鮮半島からやってきた優秀な一族
時代ははっきりとしませんが、300年〜600年頃(弥生時代〜古墳時代)に秦氏一族は朝鮮半島から日本にやってました。
わざわざ日本にやってきた理由には、朝鮮半島で起こった戦乱から逃げてきた避難民という側面があります。
下の記事で少しだけ渡来人の話に触れているので、関連部分だけ引用します。
朝鮮半島の動乱の影響は、倭国へも波及しました。次第に、倭国への避難民が増えていったのです。
倭国は、この避難民を比較的良好に受け入れていたようです。避難民は、最新の文化・技術を伝えてくれる倭国にとっては貴重な人々だったからです。この姿勢は、弥生時代の稲作伝来期から大きく変わってはいません。
当時の倭王の権力は、大陸の最新文化・技術の掌握に依存していたと言われています。倭王にとっても避難民がやってくるのは悪い話ではないわけですね。
朝鮮半島から最新の文化・技術を日本に伝えた秦氏は、その技術を生かし養蚕や機織りなどを生業とし、大いに栄えました。秦氏は、様々な技術を持っていたようで、他に治水工事や田畑の開拓などにも深く携わっていました。
ちなみに、京都最古の寺である広隆寺は、秦氏である秦河勝という人物が建てたお寺です。広隆寺付近は、「太秦(うずまさ)」と呼ばれており、その呼び名やお寺が残っているという点からも秦氏が栄えたことが伺えます。
そんな優秀な渡来人である秦氏が、氏神として祀っていたのが伏見稲荷大社の始まりとされています。
氏神ってなに?
日本は、古来から血筋を重んじる人種です。昔の日本人は、「ご先祖様が私たち一族を守ってくれている」と考え、ご先祖様を祀ることを大変重要視していました。このご先祖様に対する信仰が時代が経つにつれ神格化したものが氏神です。
氏神を祀る神社では、奈良にある春日大社なんかが有名です。春日大社の氏神は、平安時代に栄華を極めた藤原一族の氏神。
秦氏の氏神は「お稲荷さん」
秦氏の氏神は、お稲荷様です。昔は「伊奈利」なんて呼ばれてたそうですが、五穀豊穣の神ということもあり、次第に「稲荷」という名前に変わっていったそうな。
日本神話と融合するお稲荷さん
五穀豊穣の神であるお稲荷様は、奈良時代初期に古事記が作られると、次第に古事記に登場する食物神の一人である宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)と同一視されるようになりました。そして、秦氏以外の多くの人に信仰されるようになり、現代にまで至っているのです。
秦氏の人々も、自分たちの氏神がまさかここまで有名になるとは思ってもいなかったでしょう。
五穀豊穣の神から万能の神へ
秦氏の氏神は、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)へと変貌したわけですが、さらに変化が続いていきます。
古代の日本は、多くの人々が農民として田畑を耕していました。そのせいなのか、稲荷様は人々にとても人気のある神様だったようです。そして、時代が中世・近代と進むにつれ、次第に日本では商工業が発展してきます。すると、五穀豊穣の神の人気は衰えそうな気もしますが、実はそうはなりません。昔の日本人は、商工業が発展するとお稲荷様を五穀豊穣だけでなく、商売繁盛・商業発展の神とも考えるようになりました。
このあたりの話には、日本人特有の柔軟な信仰心を垣間見ることができます。
こんな感じで、お稲荷様は次第に五穀豊穣の神から万能の神へと変貌していくことになりました。
まとめ
太宰府天満宮の天開稲荷社、秦氏の氏神から進化した万能の神、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)の分霊が祀られている神社となります。
以上の話を整理してみると、「開運と幸運をもたらす神」というのも何となく納得できるような気もします。
以上、太宰府天満宮にある天開稲荷社のお話でした。偶然ですが、私も訪れることができてとても良かったです。・・・が、まだ開運と幸運がもたらされた実感はありません(汗。(現状にある程度満足しているせいかもしれない)
天開稲荷社は、時間が許すのであればぜひ訪れてほしい場所です。
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