菅大臣神社の見所や豆知識を紹介!【菅原道真好きにオススメの史跡スポット!】

 

さて、今回は菅原道真ファンなら必ずに行っておきたい京都の隠れた名スポットを紹介します。

 

 

その名も菅大臣(かんだいじん)神社!菅原道真邸の跡地に建てられた道真を祀る神社です。菅原道真にまつわる史跡は数あれど、実際に住んでいた場所ということでとても特別な感じがします。

 

おそらくこの記事を読んでいる人の多くは「菅原道真のことならなんでも知ってるぜ!」って人だと思いますが、もし「菅原道真って何をした人?どんな人?わからんんぞ!」って人がいれば、以下の記事を読んでみてください。

菅原道真を簡単にわかりやすく紹介!【なぜ学問の神様に?どんな生涯だった?】
今回は、学問の神様として有名な菅原道真(すがわらのみちざね)の生涯を誰でもわかるように、かつ詳しく紹介してみようと思います。 菅原道真を学問の神様として崇めるのなら、菅原道真がどんな人物だったのか、どんな生涯を送ったのか、知っておいて損はないと思います。 菅原道真の家柄 菅原道真は、845年に生まれます。父は菅原是(すがわら...
スポンサーリンク
スポンサーリンク

菅原道真邸跡(菅大臣神社)の場所とアクセス!

菅大臣神社は、一般的には超マイナー観光地ですので場所も説明しておきます。

 

地下鉄烏丸(からすま)線「四条駅」からおおむね徒歩5分ほど!

 

 

街中にあるので訪れやすく、マイナー観光地のため人も少ないです。

菅原道真邸はどんな場所だったの?

菅原道真と言えば「学問の神様」で有名ですが、実は菅原家というのは代々、私塾を経営していて、その塾というのが菅原道真邸にくっ付いていました。

 

 

そして、今の菅大臣神社のある場所はその私塾だったと言われています。

 

 

さらに、私塾と家がくっ付いているわけなので、敷地もかなり広かった。現地の説明板を見てみると・・・

 

仏光寺通を中心に南北2町、東西1町が菅原道真公の邸宅だった!

平安京の一町は約120m四方だったので、そこから地図上で見てみるとだいたいこんな感じだったのだろうと思います。

 

・・・意外と広い!というかかなり広い。

 

 

しかし、広大な邸宅があったのはもはや1000年以上前の話ですので、今ではその面影は一切ありません。

菅大臣神社の由来は?

菅大臣神社が創建された時期はハッキリとわかってはいません。しかし、菅原道真が亡くなって間もなくだと言われています。

 

 

・・・これだけだと話がつまらないので、少し妄想をしてみましょう。

 

 

京都市内で菅原道真を崇める場所と言えば、最も有名なのは北野天満宮でしょう。そして、同じ菅原道真を崇める菅大臣神社と北野天満宮。この2つの神社の違いは一体何なんなのか?

 

 

おそらく、大きな違いは

菅大臣神社:菅原道真本人を偲ぶための神社

 

北野天満宮:雷神となり荒ぶっている菅原道真を鎮めるための神社

 

という点だと思います。つまりは創建の動機が違うと思うのです。菅大臣神社は人々の道真に対する人柄や政治に対する敬愛の念によって創建され、一方の北野天満宮は道真に対する恐怖の念によって創建されたのだろうと。

 

 

というのも、903年に菅原道真は帰京の夢も虚しく太宰府にて没するのですが、

 

 

「なんか菅原道真の怨霊がヤバイって噂らしいよ?」ってなったのが906年。

 

 

その後も菅原道真を左遷に追い込んだ人物に次々と不幸が起こり、「噂じゃなくてこれマジじゃね?」と人々が思うようになり怨霊となった道真が最強技をブチかましたのが930年。御所内に雷を落としました。マジで怖すぎw(この落雷により御所は燃え、多くの人が亡くなった。その中には菅原道真の左遷に加担していた者もいた!)

 

 

そして、人々が菅原道真の怨霊を鎮めるために創建されたのが北野天満宮であり、947年に完成しました。

 

 

と言った感じで、菅原道真が本気で恐れられたのって道真の死後少し経過してから。菅大臣神社が建てられた頃には、さほど道真は恐れられたなかったんじゃないか・・・と思うんですよね。(もちろん、「無実の罪で左遷させられたんだから、怨霊になるんじゃね?」って予見する人はいたと思いますが)

 

 

というわけで、これは全て私見なんですが、菅原道真の怨霊信仰が始まる前の純粋な道真への追悼の意から造られたのが菅大臣神社なのかも?みたいな視点で観光してみると面白いかもしれません。(菅原道真=雷神・学問の神様となる前の建築物ってあまり多くない気がするので)

菅大臣神社の見どころは?

これは私個人の勝手な感想なんですが、菅原道真好きの視点から見た菅大臣神社の見所はズバリ以下の2点だと思います。

 

菅原道真が生まれた産湯が湧いていた井戸

 

菅原道真が左遷が決まった時に「東風吹かば・・・」を詠んだ飛梅っぽい木

 

 

それぞれサクッと紹介していきます。

菅原道真の産湯の井戸

【出典:「みちざねさんをめぐる」

 

菅大臣神社には、菅原道真が生まれた時に使われた産湯の井戸があります。今は水は出ておらず、井戸には蓋がされています。

 

「ここで道真生まれたのか・・・」と思いを馳せたいところなんですが、実は京都市内には「菅原院天満宮神社」という神社にもう1つ道真の産湯だと言われている井戸が存在します。

 

 

どっちが本物かは今でもわかっていません。両方訪れて、どっちが本物なのか考えてみるのもまた良きです。わからないゆえのロマンがありますね!

梅の花が飛んでいた木(飛梅)

【菅大臣神社内の梅】

 

菅大臣神社には、冤罪により自らの左遷が決まった菅原道真が心中を吐露した歌。

 

東風吹かば 匂ひをこせよ 梅花 主なしとて 春を忘るな

 

 

【現代語訳】

春に東風が吹いたら、その梅の香りを左遷先の太宰府にいる私のところまで送ってきておくれ、梅の花よ。主人がいないからといって、春に花咲くのを忘れてはいけないよ。

 

 

この歌を詠んだのは、菅大臣神社当たり(つまりは道真の自宅)だと言われています。菅原道真の梅への愛と、京を離れる切なさが感じられる歌です。

 

 

ちなみに太宰府では、「道真のために本当に梅の花が京から飛んできた!」なんて伝説も残っています。

 

 

そして、京から太宰府まで飛んでいったという伝説の梅は「飛梅」と呼ばれ、その梅の木が菅大臣神社にあるわけです。(現存する梅は実際の飛梅ではなくて、別の梅の木でシンボル的な意味合いなんでしょうけどね)

 

 

と言った感じで、菅原道真を身近に感じられる場所が菅大臣神社なのでした。マイナースポットなので、ゆっくりと訪れることができるのでおススメです。

スポンサーリンク



京都府
mogutaroをフォローする
大人になってから学びたい日本の歴史

コメント