超わかりやすい藤原純友の乱【海賊退治と与えられない勲功】2/4

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前回は、藤原純友の簡単な状況とリストラされた舎人たちが海賊となったお話をしました。

 

今回は、その続きの話。

 

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藤原純友、強すぎて有名人になる

藤原純友は、藤原元名(純友のおじ!)の下で伊予国で海賊討伐に励みます。年代は不確定ですが、932~935年の4年ぐらいだったのでは?と言われています。

 

この4年ぐらいの期間で、藤原純友な瀬戸内海周辺の人々に強烈な印象を残します。藤原純友の強さは圧倒的だったのです。海賊たちも藤原純友を知らない人はほとんどいなかったはず。

 

しかし、935年になると、藤原元名の伊予国の任期が満了してしまいます。元名の部下として働いていた藤原純友も任期満了に合わせて、再び官職を失いました。そして、藤原純友は大きな成果を上げたものの海賊の壊滅にまでは至らず、その後も伊予国では新しい受領の下で激しい戦いが行われていました。

 

が、もはや藤原純友がいなければ、海賊に勝つことはできなくなっていました。

 

朝廷もそれを知り、藤原純友に「伊予国警固使」という役職を与えられます。伊予国の警察の代表者みたいなもん。県警のトップ的な感じ!

 

こうして936年、伊予国へ軍を引き連れて再び赴くことになりました。(藤原純友は平安京へ戻っていました。)伊予国でやり残したことをやり遂げるために。

 

手柄横取り?紀淑人(きのよしひと)

936年3月、伊予国警固使として藤原純友は伊予国へ向かいます。

 

そして、その2か月後、936年5月、藤原元名に代わって新しい受領がやってきます。紀淑人(きのよしひと)と言いました。

 

ここで、1つ摩訶不思議なことが起こります。

 

海賊たち、紀淑人の寛大な人柄を信用して突然降伏する

936年、なんと約5年間も抵抗を続けていた海賊たちが突然降伏します。

 

後世に残る記録では、海賊たちは紀淑人の寛大な人柄を見て降伏したとされています。

 

しかし、これよーく考えれば考えるほど納得いきません!なぜでしょう。

 

紀淑人は、高齢かつ文人。海賊を本当に説得できたのか?

紀淑人は、海賊にとっては初対面の人物。しかも紀淑人は、高齢の文人であり、海賊とは全く違う価値観を持つ人物です。

 

そんな人物に海賊たちが、なんの経過もないままにいきなり全面降伏なんてするでしょうか?

 

実は海賊たちの全面降伏は、紀淑人ではなく藤原純友による海賊への説得によるものだという説があります。個人的にはこの説はかなり有力な気がしています。

 

まず第一に、海賊は紀淑人よりも、長年戦い、その人柄も十分把握していた藤原純友のことを信頼しているはずです。(この後、藤原純友が乱を起こしたとき、海賊たちは藤原純友の味方になっています。敵といえども、海賊が藤原純友のことを一定程度評価していたとしても不思議ではありません。)

 

第二に、939年に藤原純友が乱を起こした際に、朝廷は大慌てで、この936年の海賊降伏に関する勲功を、藤原純友に与えます。

これは、936年の海賊全面降伏の際に、藤原純友に勲功を与えるべきであったのに与えていなかった・・つまり、海賊降伏は藤原純友の功績だった!と考えることができます。

紀淑人は、藤原純友の手柄を横取りし出世した!?

上の2点から、海賊を説得したのは紀淑人よりも2か月前に伊予国入りした藤原純友であり、受領である紀淑人がその手柄を横取りしたものと考えられます。藤原純友の勲功は黙殺されてしまったのです。

 

だからこそ、939年、藤原純友が乱を起こしたとき、朝廷は真っ先に、この936年の時に黙殺した勲功を藤原純友に与えました。

 

この時に黙殺された勲功に対する藤原純友の不満が、939年の藤原純友の乱の間接的な動機になっていきます。(乱を起こした明確な理由はわかっていませんが、この時の勲功黙殺に対する不満が関与していたのは間違いないと思います)

 

 

 

伊予国の治安維持活動をする藤原純友 -反乱前の静寂-

藤原純友は、任務完了後も平安京へは戻らず、伊予国で治安維持活動を行います。

 

このとき、藤原純友と一緒に仕事に励んでいたのは、藤原純友と同じように没落貴族となり出世が望めなくなった中級階層の人たちが多く含まれていました。これらの人たちは、頑張っても頑張っても正当な評価をしてくれない朝廷に対して強い不満を持っている人々でした。

 

藤原純友も紀淑人に手柄を奪われた立場としてこれらの人たちに強い共感を覚えたはずです。こうして藤原純友を中心に反朝廷勢力が形成されていきます。

 

藤原純友の仲間になる海賊たち

さらに、936年に一斉降伏した海賊たち(リストラされた舎人たち)は、その後も藤原純友に対して非常に友好的でした。藤原純友は敵からも信頼される人柄だったようです。

 

リストラされた舎人たちは、裕福な人が多く藤原純友にとって強力な後ろ盾となりました。

 

こうして、藤原純友は瀬戸内海を中心に強大な力を手に入れていきました。そして、その力は受領でも抑えられないほどになっていました。

 

藤原純友、突然出兵する。遂に藤原純友の乱へ

939年、藤原純友は、兵力を引き連れて備前国(今でいう岡山県あたり)へ進軍します。受領の紀淑人は反対しますが、もはや受領ごときでは藤原純友の力は止められなくなっていました。

 

こうして、後世に「藤原純友の乱」と呼ばれる乱が起こります。

 

ところで、なぜ藤原純友はいきなり備前国に向かったのでしょうか?

 

そこらへんの話を次回の記事でしていこうと思います。

次:超わかりやすい藤原純友の乱【受領との戦い】3/4

前:超わかりやすい藤原純友の乱【公務員のリストラと海賊たち】1/4

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コメント

  1. 落合たかあき より:

    超わかりやすい藤原純友の乱【海賊退治と与えられない勲功】2/4
    の記述に質問です。ここに
    「朝廷もそれを知り、藤原純友に「伊予国警固使」という役職を与えられます」
    「こうして936年、伊予国へ軍を引き連れて再び赴くことになりました。(藤原純友は平安京へ戻っていました。)」
    とありますが、そう推論するに至った材料、根拠などがあったら是非教えてください。。「藤原純友は935~936の頃、いったん京都に戻っていた」という考えに非常に興味があります。よろしくお願いいたします。

    • mogutaro より:

      返信が遅くなりました。藤原純友の乱については、以下の本の内容を主に参考にしました。

      この本によれば、635年末、藤原純友は藤原元名の任期満了に合わせて一度京へ戻り、無為の日々を過ごしたとあります。しかし、その後すぐに636年に伊予で海賊が暴れ出し、藤原純友が
      警固使に選ばれ、結局すぐに伊予国へ戻る・・・という形になっています。
      ただ、wikipedia等では、元名が京に戻った後も藤原純友は伊予に残っていたとなっていますね。
      藤原純友の乱の経過は不明な点も多いですので、実際のところはどうなんでしょう・・・。