平安時代【藤原道長と摂関政治】

平安時代【藤原道長と摂関政治】

一条天皇の辞世の句(和歌)を読み解く【藤原道長と彰子と後一条天皇】

一条天皇については、数記事に渡って紹介をしてきました。 今回は、一条天皇が崩御する前に残した辞世の句について考察してみようと思います。なぜこのような話をするのかというと、一条天皇の辞世の句の意味について解釈が大きく分かれており、その辞世の句は今もなお多くの人を魅了しているからです。  藤原道長と藤原行成
平安時代【藤原道長と摂関政治】

一条天皇・藤原道長を支えた藤原行成とは?【三蹟と権記】

藤原道長が生きていた平安時代中期の貴族の時代。この時代は、「貴族たちの日記」という超貴重な史料がたくさん残っているため、現代の我々でも当時の人々の生活を鮮明に知ることができます。 そんな事情もあってか、当時朝廷内で活躍していた興味深い人たちのこともたくさん知ることができます。今回は、そんな興味深い人物の1人として藤原行成(ふじわ
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一条天皇と藤原道長の関係をわかりやすく【彰子と定子】

前回の記事では一帝二后で有名な一条天皇の2人の正妻、藤原定子と藤原彰子のお話をしました。 今回は、視点を少し変えて、一条天皇と藤原道長の関係について解説してみようと思います。 一条天皇と藤原道長の関係 実は一条天皇と藤原道長の関係については、今でもはっきりしたことがわかっていません。(人によって意見が分かれている。)なので断言的なこ
平安時代【藤原道長と摂関政治】

彰子と定子の関係をわかりやすく【一条天皇と藤原道長】

前回の記事 前回の記事では、藤原道長の話をしました。そして、最後に藤原道長が圧倒的な権力を手に入れることができた理由に一家立三皇后(いっかりつさんごう)を成し遂げたことを挙げました。 一家立三后とは 一家立三后とは、藤原道長が生きている間に自分の娘・孫を3人も皇后にしたことを言います。 具体的に言うと、 第6
平安時代【藤原道長と摂関政治】

藤原道長の政治の仕組みとは?一上と内覧をわかりやすく【権力を得た理由】

【藤原道長】 藤原道長は、平安時代中期に天皇の外戚という立場を利用し、最高権力者として権勢を振るった人物です。平安時代と言えば「藤原道長」と言っても過言でないぐらい有名な人物なので多くの人が知ってることと思います。 藤原道長が最高権力者として政治界のトップに君臨したのは有名な話です。ところが、藤原道長は具体的にどんなことを
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一条天皇の猫愛は異常【枕草子「上にさぶらう御猫」現代語訳】

(一条天皇) 今回は、一条天皇の話をしようと思います・・・と言っても、堅苦しい話ではなく、清少納言の枕草子に記録されている一条天皇の猫愛がクレイジーすぎて面白かったのでそれを紹介します! 一条天皇はどんな人? 一条天皇は986年に即位した天皇です。即位当時たったの7歳でした。こんな子供が天皇になったのにはちゃんと理由があります。実は、一条天皇の
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清少納言の枕草子「大進生昌が家に、〜」の現代語訳を紹介!

さて、前回(清少納言の枕草子を読むなら藤原定子のことを絶対に知っておけ!)は枕草子「大進生昌が家に、〜」を解説する前段として、清少納言が仕えていた藤原定子という人物の話をしました。 枕草子は、短編集ですが、数あるお話の中から、私が読んで特に面白い!と思った「大進生昌が家に、〜」の段について解説しようと思います。この記事を読む前に前回の記
平安時代【藤原道長と摂関政治】

清少納言の枕草子を読むなら藤原定子のことを絶対に知っておけ!

前回の記事(長徳の変とは?わかりやすく解説【花山法皇乱闘事件。藤原伊周の敗北と藤原道長の登場】)で少しだけ清少納言に触れたので、今回は枕草子の話をしたいと思います。 ※紫式部の話もしようかと思いましたが、うまく整理できなさそうなのでやめてしまいました(汗。すみません。 枕草子は「をかし」の世界観 平安時代の2大文学作
わかりやすい日本の歴史講座

長徳の変とは?わかりやすく解説【花山法皇乱闘事件。藤原伊周の敗北と藤原道長の登場】

今回は、長徳の変という事件について説明します。この事件の意義は、長徳の変によって藤原道長のライバルだった藤原伊周が没落したことにより、藤原道長の時代が到来したことにあります。長徳の変があったからこそ、藤原道長は権力者として君臨することができたのです。 地味な事件ですが、藤原伊周のダメっぷりが際立つ意外と面白い事件です。
平安時代【藤原道長と摂関政治】

中関白藤原道隆・伊周の没落と七日関白の藤原道兼をわかりやすく解説する

前回の記事(寛和の変とは?花山天皇の出家と一条天皇即位【藤原兼家の大勝負】)では、藤原道長の父である藤原兼家が寛和の変(かんなのへん)により強引な手法で花山天皇を追放。そして、兼家から見て甥っ子に当たる一条天皇を即位させ、念願の天皇の外戚の地位を獲得した!という話をしました。 一条天皇の即位により、藤原兼家は天皇の外戚として権力