平将門の乱をわかりやすく丁寧に説明してみる【受領との争い】2/3

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前回(平将門の乱をわかりやすく丁寧に説明してみる【平家の家族喧嘩】1/3)は、平将門が親族同士の争いにより関東一体を手に入れ、強大な力を手に入れたというところまで話しました。

強大な力を手に入れた将門はさらなるトラブルに巻き込まれていきます。

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 武蔵国の紛争に巻き込まれる平将門

938年、武蔵国でトラブルが起こります。武蔵国というのは、今でいう東京都らへん。

トラブルというのは、受領と郡司の間で起こったトラブル。

受領と郡司の関係は、

受領:国(この場合は武蔵国)の徴税の総括者。税の掌握=権力の掌握、なので強大な権力を持ってる。

郡司:国の中にある各地域の代表者。税金を納める側なので、受領とは利害が一致せず、癒着でもない限り基本的に受領とは仲は良くない。

と、こんな感じ。受領について詳しく知りたい方は、国司と受領の違いは?名田、田堵負名とは?わかりやすく解説をどうぞ(ちょっとマニアックな記事なので読まなくてもOK)

接待・賄賂をしない郡司にブチ切れる受領

受領は人事異動により、定期的に人が交代します。そして新たに赴任してくる受領が担当の国に着いて最初に行うのが、担当国内の地域の視察でした。また、受領が視察に来た時にその対応に追われるのが郡司でした。

この国内視察では、郡司から受領への接待・賄賂が慣習化していました。受領のご機嫌を損ねると、その地域だけ不当に税額を増やされる恐れがあるからです。そのため、国内視察と言いつつも、実際は受領が郡司からの賄賂・接待を楽しむというのが実態で受領はそれを楽しみにしていました。

ところが、938年当時、足立郡という地域の郡司だった武蔵武芝(むさしのたけしば)という男は接待・賄賂を拒否します。

このとき赴任してきた受領は、興世王(おきよおう)。名前からして皇族の血筋の者でした。そしてこの興世王とその部下の源経基(みなもとのつねもと)という人物も同伴していました。

興世王は、おこがましくも赴任が確定する前から郡司に対して接待や賄賂を求めていました。

興世王「俺、これからお前んとこの受領になる予定だから、接待とか賄賂よろしくな!

武蔵武芝「接待・賄賂は、赴任が決まった受領に対して行うのが慣習だから、それまでは何もしねーよ(こっちだって接待とか賄賂の負担が馬鹿にならないんだから、そんなもんやってらんねーよ!!)

興世王「あれれ?俺に逆らっちゃっていいのかな?武蔵武芝は徹底的に潰さないとね^^

武蔵武芝の勇敢な行動に奮い立つ人々

興世王と源経基は、武蔵武芝を潰すため、軍隊の準備と朝廷に根回しをして逮捕状を用意させました。

ところが、その逮捕状には直接に武蔵武芝と関係のない人たちもたくさん書かれていました。なぜかというと、武蔵武芝の話をきっかけに、受領のやり方に不満を持っていた人々が一斉には反旗をひるがえしたのです。受領に不満を持っている人はたくさんいたということです。

こうして武蔵武芝と興世王とのトラブルは、多くの地域を巻き込んだ壮大な反受領闘争へと発達しようとしていました。

当時の関東地方は、朝廷の力があまり及んでいなかったため、争いの絶えることのないカオスな状況でした。

平将門、仲裁役を名乗り出る。

この話を聞いた平将門は、仲裁役を名乗り出ます。平将門は、平家一門の争いの勝者として関東一体に大きな影響力を持つ人物です。仲裁役にはもってこいの人物でした。

将門は、興世王、源経基、武蔵武芝を招いて酒宴を催します。この宴の中で、うまくお互いに和解が進みそうでした。しかし、武蔵武芝側(反受領勢力)の過激派の人々が、宴の中で源経基を殺害しようとします。

が、この殺害計画は失敗。源経基は、その場をうまく逃れ、これを酒宴の場を設定した将門を首謀者と勘違い

源経基は、「将門は、受領の部下の私を殺そうとした。これは謀反である!」と朝廷に訴え出ます。(受領が徴収した税金は、朝廷に流れます。ということは、基本的に朝廷は受領の味方ということになります。受領がいないと朝廷は餓死してしまいますからね)

貞盛の裏切り、激怒する将門

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前回のおさらいを少しだけ。平貞盛は、平国香の息子であり、その国香は平家一門の親族争いで将門に滅ぼされていました。935年の話です。

ところが、貞盛は父への復讐戦は行わず、なんと父を殺した将門と父(国香)の土地を奪わないことを条件に和睦を結んでいました。

貞盛「国香の土地を奪わないでほしい。その代わり、将門に対して戦いを挑むことはしないから!」

貞盛は平安京で得た官位を確かなものにするため、都から離れたくなかったのです。

936年、良兼・良正は国香の復讐戦で将門へ攻め入りますが、このとき貞盛は一年前の935年に将門と和睦を結んだにもかかわらず、良兼・良正と共に将門の元へ攻め入ります。良兼・良正から「貞盛よ。父、国香の復讐をしないか?」と持ち掛けられたのです。

貞盛は、将門を裏切ったのです。これに将門は、ブチ切れ。貞盛を亡き者にしようと軍を派遣。すごい世の中ですね。

貞盛は、将門の追っ手を逃げ切り、朝廷に将門の悪行を訴えます。

当時、将門は、平貞盛と源経基の両方から訴えられていました・・・。これが将門を窮地に追い込んでいきます。

朝廷の心証最悪!窮地に追い込まれる将門

源経基と平貞盛が朝廷に訴えをしたことで、将門は苦しい立場に立たされることになります。

朝廷も将門の悪事について2つも同時に訴えがあったことを受け、将門を危険視し始めます。

朝廷を味方につけたものが勝者になる!

当時の日本は天皇による絶対君主制の時代です。朝廷には莫大な権力と力があり、各地方で争いがあると、どちらが朝廷の後ろ盾を得られるか?という問題に発展することが多かったのです。朝廷の後ろ盾を得るためには、コネや人脈、賄賂、武力行使と様々な方法が用いられました。

こうして、関東での揉め事は、朝廷をも巻き込んだ一大事へと発展していくのです。

常陸国での紛争 -平将門の乱へ-

朝廷にマークされた平将門は、さらに新たな問題に巻き込まれていきます。

常陸国(ひたちの国。今でいう茨城らへん。日立市のあたりですね)で受領と有力土地所有者との間に税金に関して争いが起こり、緊張が走ります。

この常陸国の争いの中で、将門は遂に朝廷に対して反旗をひるがえします。これが後世、平将門の乱と呼ばれるものです。

次回、平将門の乱について説明します。乱までの前置きが長かった・・・(汗

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