聖徳太子は何をした?聖徳太子誕生の裏話。【わかりやすい聖徳太子物語第1話】

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聖徳太子は、その人物像のみをピックアップして語られる機会が多いです。しかし、ピックアップしすぎてしまうと、「聖徳太子は○○をしたんだ!」ということはわかっても「なぜ○○をしたのだろう?」という点がわからなくなりがちです。

ここでは、あまりピックアップしすぎることはせず、歴史の文脈の中で聖徳太子がどのような人物だったのかを語ろうと思います。聖徳太子はあまりにも有名ですので、ちょっと詳しく語ろうかなと思います。

聖徳太子は紙幣の絵柄にもなったほど、日本で厚く信仰されている人物です。ぜひこの記事を読んで聖徳太子についてもっと知ってみてください。

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日本史上の一大事件、崇峻天皇の悲劇

崇峻(すしゅん)天皇即位

前回の記事では、崇峻擁立派の蘇我馬子vs穴穂部皇子擁立派の物部氏の対立で戦が起こり、馬子側が勝利した話を見ました。

↓前回の記事

蘇我稲目と物部尾輿の間で起こった仏教や政治をめぐる対立は、次世代に引き継がれ、次はそれぞれの息子だった蘇我馬子と物部守屋が対立するこ...

この決戦のあとの587年、崇峻天皇が即位します。同時にライバルのいなくなった蘇我馬子は、国政において強大な権力を誇ることとなりました。馬子の強大な権力が、現在でも多くの批判が残るとある一大事件へと発展してしまうのです。

 馬子、崇峻天皇を討つ

馬子が強大な権力を持つにつれ、崇峻天皇は馬子に対し次第に反感を強めていきます。

「俺が天皇なのに、馬子がやりたい放題で全然思うような政治ができない!かといって、自分は馬子の擁立があって天皇になれたわけだから、そう簡単に馬子を排除するわけにもいかない。馬子を排除するいい方法はないものか・・・」

というようなことを考えていました。

そんなある日、崇峻天皇にイノシシを献上するものがありました。それを見て崇峻天皇は、ふとこんな言葉を漏らします。

「このイノシシの首を切るように、いつか憎い奴を亡き者にしてしまいたい。」と。そして、武器を集めだしたのです。

この話は蘇我馬子にも伝わりました。馬子は朝廷内で一大勢力を築いていたので、情報が伝わるのも早かったのでしょう。

馬子は、崇峻天皇のこの発言が自分に対して向けられたものと思い、崇峻天皇を討つことを決断します。偽りの儀式の場を設け、そこで部下に命じ崇峻天皇を討ち取ってしまいます。

崇峻天皇は、今現在わかっている臣下によって討ち取られた日本史上唯一の天皇として有名です。

そして、蘇我馬子は、日本史上唯一の天皇を討ち取った臣下として多くの批判を受けています。(馬子は、仏教振興などその後の日本に大きな影響を与えているため、一辺倒に批判するのも難しいのかなぁと、私個人的には思いますが)

日本史上初の女帝、推古天皇はなぜ即位したのか!?

崇峻天皇暗殺後、日本では初めてとなる女帝が即位します。推古天皇です。なぜこのタイミングで女帝が登場したのでしょうか?その経過を見てみましょう!

皇位継承者をめぐる問題。崇峻天皇の次の天皇は誰?

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崇峻天皇が討ち取られた後、次の天皇を誰にするかが大きな問題となりました。候補者は上の系図の赤枠で囲まれた3名でした

当時は、皇室典範のような皇位継承の決まりごとがなく、血筋と臣下の擁立とで天皇が即位するという非常に曖昧なルールしかありませんでした。このため、皇位継承問題はいつも政治的紛争に結びついてしまいます。奈良時代に進むにつれ、皇位継承の仕組みが造られていきますが、飛鳥時代は皇位継承をめぐる争いが絶えなかったのです。

第1候補は聖徳太子?

仏教をめぐる日本最古の戦い!蘇我氏と物部氏で説明したとおり、物部氏の没落で蘇我氏一強時代が到来します。

これは、皇位継承問題でも蘇我氏の影響が無視できなくなったことを意味します。蘇我馬子は、自分と血筋のつながりの強い聖徳太子と竹田皇子に目をつけます。

上の系図を見ると竹田皇子と聖徳太子どちらも蘇我稲目の血がつながっていることがわかります。

さらに、竹田皇子は蘇我氏の血筋であり聖徳太子よりも年上であるため、馬子が推した当初の天皇候補とされていましたが、竹田皇子は若くして亡くなったと言われています。

一方、候補者の1人である押坂彦人大兄皇子は「大兄」と呼ばれ、皇子の中の第一人者でした。「大兄」制度は、現在でも存続する皇太子制度(次期天皇を事前に決めておく制度)の前段階にあたるものです。

しかし、第1有力候補の押坂彦人大兄皇子は蘇我氏の血を全く引き継いでないばかりか、その後の日本を決定づけた蘇我氏の仏教物語で登場した馬子の仏教信仰に強く反対した敏達天皇の息子です。

押坂彦人大兄皇子は物部氏没落後の反蘇我派の求心力となっており、押坂彦人大兄皇子を無視して竹田皇子や聖徳太子を天皇にすることは、仏教をめぐる日本最古の戦い!蘇我氏と物部氏で説明した丁未の乱の再来を意味するのでした。

蘇我馬子は困り果て、こう考えました。

「蘇我氏の栄光のため押坂彦人大兄皇子を天皇にするのは論外。かといって、竹田皇子や聖徳太子を即位させると、再び国が乱れてしまいそうだ・・・。万事休す\(^o^)/オワタ

あれ?待てよ。そうだ!時間稼ぎのために元天皇の嫁である推古天皇をつなぎ役として即位させればいいんだ!」

こうして日本史上初の女帝が誕生したのです。593年です。

推古天皇即位後まもなく、竹田皇子は亡くなり、次期天皇候補は聖徳太子へと移っていきます。

こうして、推古天皇・聖徳太子・蘇我馬子の協力体制による新しい時代が始まっていきます。

蘇我馬子の人生は良くも悪くも波乱万丈の人生です。

第1話は聖徳太子が表舞台に登場するまでの時代背景の説明でした。聖徳太子登場の背景にはこのような激しい権力闘争があったのです。

第2話では、推古天皇・聖徳太子・蘇我馬子の協力体制により行われた仏教振興と遣隋使派遣の話をしたいと思います。

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