荘園制度を超わかりやすく解説【脱税対策?返挙と里倉】2/2

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前回は、戸籍が機能しなくなり、公地公民制が維持できなくなっていく様子を説明しました。

前回の記事はこちら

前回は、主に墾田永年私財法のお話でした。↓前回の記事墾田永年私財法のおさらい 墾田永年私財法は、人々に自ら開墾...

逃げる農民と、脱税を図る富豪者により税収は減る一方。国としては、公地公民制がどうこう言う以前に、とにかくどんな方法でもいいから税収を維持しなければなりません。

こうして、税収を増やしたい国と税を納めたくない人々をめぐる税制の改革が行われていきます。改革といってもちゃんとした指針はなくて、その場しのぎの自転車操業的な改革です。国も必死だったということです。

今回は、そんなお話をしていきます。時代的には850~950年頃になりそうです。(場当たり的に色んなことが起こっていくので、実は私も具体的な年代についてちゃんと説明ができません。すみません・・・。)

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国「逃げ出した奴を強制送還させろ!」

まず国が行ったのは、土地を放棄して逃げ出した人たちを戸籍のある場所に強制送還させることでした。

逃亡した人のリストを作成し、全国の国司(地方のお役人の代表者)に配布したのです。

しかし、これは上手くいきませんでした。みんな政府にばれないよう巧みに逃げ回ったからです。

ここで、国は戸籍に固執することを諦めます。

国「土地持ってるやつから税金をとれ!」

次に打ち出された対応策は、戸籍はもうどうでもいいから、実際住んでいる地で土地を持っている奴から金をとれ!というものでした。

この対応策は、なかなか合理的です。これで事がうまく進むかと思いましたが、新たな問題もありました。

墾田永年私財法が作られる前は、100人が国から与えられた小さな土地をそれぞれ持っており、その100人から税を徴収するのが普通でしたが、富裕層が広大な土地を私有するようになると、10人の多くの土地と人を持つ権力者から税を徴収しなければなりません。

こうなると、納税に強く反発をする人々も現れ、権力者からの税の徴収は困難を極めました。

これで一番困るのは直接に税徴収に携わる国司です。

平安時代の農民が税金で苦しんだ理由とは【鬼畜すぎるその手口】という記事でも説明しましたが、地方のお役人は、国からの財政支援を打ち切られ、自分で使う税金は自分で手に入れなければなりませんでした。

国司の懐に入る税収は、主に公出挙でした。

公出挙って何?という方は以下の記事を参考にしてください。

前回(日本の税の歴史!租・調・庸とは?日本の税の由来とは?)は、奈良時代(700年ごろ)から登場した租・調・庸(雑徭)につい...

多くの国司が、広大な土地を持つ有力者から税を徴収することができず、苦しんでいました。

そこで、公出挙の改正が行われました。国司の税収不足はかなり深刻だったようで、896年には菅原道真が天皇に対して公出挙の在り方について訴えていることがわかっています。(菅原道真は国司を経験したことがあったので、国司の実情をよく理解していたんです。)

公出挙の利息分だけもらえればいいよ!返挙(へんこ)

菅原道真が天皇に訴えていたのは、返挙という仕組みを認めてあげて!というもの。

返挙とは?

公出挙は、例えば、人々に100の稲を貸し出した場合に、そのあと貸した利息分も加えた150の稲を返してもらう仕組みを言います。そして、利息分が国司の税収となりました。

上の例だと、納税者は150の稲を返さなければなりませんが、力を持つの納税者は納税を拒否し、貧しい者はそもそも納めることができません。

そこで、考え出されたのが「本稲(利息以外の稲。いわゆる元金)はそのまま預けておく・・・ということにして利息分の50の稲だけ徴収します。」というもの。

こんな理屈をつけとけば、本来150徴収しなければならない稲でもたった50だけ徴収できれば、ノルマ達成になります。差額の100は失ったわけではなく貸し続けているだけなので、所有権は国司にあるから一応ノルマ分税を徴収したよ!という理屈ですね。

こんな屁理屈じみた仕組みを作り上げ、なんとか税収を維持しようとします。そして、公出挙のうち、利息分だけを徴収する仕組みを返挙と言います。

ただ、この返挙にどれだけの効果があったのかは疑問です。150納めない人が50を納めるでしょうか?

それに、「100は預けてるだけ!」というのはただの屁理屈で、実際は徴収できなかった税収であり、永遠に徴収不可になる可能性もあるんです。

その後公出挙は、実際に利息分だけを永遠に徴収し続ける仕組みへと変貌し、本稲のことがだんだん忘れ去られていきます。そうすると、そもそも利息という概念が消え、次第にただの税金へと変わってしまいます。

もう1つのインチキ制度 -里倉(りそう)-

もう1つ、国司が編み出したインチキ制度があります。それが里倉というもの。

有力者たちは、国司への納税を拒み、自らの土地にたくさんの稲や生糸を保管していました。さきほど、公出挙の話をしましたが、公出挙を納めないのですから、メインの税収(租・調・庸)も納めるはずがありません。

国司は、有力者から税を徴収できない代わりに、やむを得ず契約書だけ貰うことにしました。どんな契約書かというと、

稲や生糸はいらないので、書面上だけでも国司が所有していることにしてください!帳簿上だけでもちゃんと納められたことにしておかないと朝廷に叱られるんです・・・

というもの。

有力者が持っているものをあたかも帳簿上では、国司が受理したかのように見せて、実際は国司の手元に稲や生糸はない。こんなまやかし制度がまかり通っていました。

そして、有力者の持つ稲や生糸を蓄えている倉のうち、国司と契約を交わし、書面上では国司の所有物となっている倉を里倉(りそう)と言います。

返挙と同じく、かなり苦し紛れの策です。(というかインチキ!?)これらの政策を知ると、国司の苦しい立場がよーくわかりますね!

初期荘園制度の出来上がり

こんな感じで、班田収授法による土地の分配機能が崩壊して、多くの広大な私有地が乱立するようになった土地・税制度の在り方を総称して「荘園制度」と言ったりします。

※荘園制度と言っても、土地の在り方でさらにいろんな種類があるのですが、難しいので省略します。

有力者と朝廷の間で苦しむ国司 -国司から受領へ-

このような、墾田永年私財法から始まる税や土地の制度改革の中で、一番大きな影響を受けたのが国司だと思います。

広大な土地を持つ有力者と朝廷の間で板挟み状態の国司は、紆余曲折を経て、受領(ずりょう)というより強い権限を持つ役職へと進化していきます。

次回はそんな国司について見ていきます。

マニアックな話題が続きますが、国司の話は武士の登場へと繋がっていくので、武士について知りたいなら結構重要な話なんです。

※前にも書きましたが、こんなマニアックな話を記事にしているのはすべて武士について語るためです!

次:国司と受領の違いは?名田、田堵負名とは?わかりやすく解説

前:荘園制度を超わかりやすく解説【浮浪人と律令制崩壊】1/2

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